夜叉の脅威
重蔵の言葉が切れた瞬間、空気が幾層にもなって震えた。
衝突したのだ。重蔵の刃と時臣の刃が。そして二人が互いに弾き合い、再び衝突した。
そんな二人の戦いを見ながら、名莉は少し離れた地点まで操生を運び込む。
操生の傷は思っていたより深いようで、操生から流れる紅い印が地面に線を描いている。名莉はすぐさま地面にしゃがみ込み、手探りで仰向けに寝かせた操生の傷の具合を確かめた。
やはり切り口はやや深い。この傷口ではすぐに止血をしないと危険だろう。
「杜若教官。もう少し頑張ってください」
血を流し過ぎて意識を朦朧とさせている操生に声をかける。いや、かけなければいけない。操生に傷口の止血をさせるためには。
そしてそんな名莉たちの背後では、激しい衝突音と空気が破裂する音が、ひっきりなしに鳴り響いている。空気の悲鳴で名莉たちの身体が震えた。
少し離れた所にいる鳩子は、身をじっとさせたまま……重蔵と時臣の戦いを見続けている。まるでこの戦いを記憶しているようにも見える。
鳩子を見ていた名莉の腕に、紅く染まった操生の手が伸びてきた。
名莉が操生の方を見ると、操生が浅い呼吸をしながら口を開いてきた。
「私は大丈夫だから。名莉君は年老いた桃太郎の援助をしてきてくれないかな? いくら強い桃太郎でも、犬、猿、雉の手助けは必要だからね。私は役立たずで申し訳ないけど……少し休憩してからにするから」
自分を押してくれている。
このときの操生の言葉は、名莉にそう思わせた。
目の前で繰り広げられているのは、この国で最高峰に位置する者の戦いだ。その戦いに自分が、入り込める隙などないことは分かっている。そしてそれは操生も分かっているはずだ。
それにも関わらず操生が名莉を言葉で応援してきた。
この戦いは名莉たちにとって、意味のある戦いだと。激しい戦いを前に頭で処理することは難しい。けれど身体で感じ取ることは出来る。
荒々しさや、凄みを含んだ戦いの呼吸を。
「杜若教官……行ってきます」
「そうだね。頑張っておいで。大丈夫。名莉君なら絶対に何かを掴めるはずだから」
操生の優しい笑みに、名莉は深く頷いた。
立ち上がり、思わず目を細めてしまうほどの激動を凝視した。空気が二人の因子で熱しられている。熱くなった空気が強風となり名莉に強く吹き付けてきた。
まるで銃を握った名莉を威嚇しているようだ。
けれど名莉は意図的にその威嚇を気づかぬように努めた。そうしなければ、未熟者である自分が、あの中に入れるというのか?
名莉は足裏に力を込め、激しくぶつかり合う二つの衝撃へと自ら飛び込んだ。
二つの衝撃が重なる真上へと跳躍し、銃口を向ける。けれどすぐにその引金を引くことはできなかった。照準が定まらないのだ。
恐れからではない。照準を合わせるべき標的物の移動が激しく、安易に撃てば味方に誤射してしまう可能性があるからだ。
『メイっち。どのくらい先の予測が必要?』
「二〇秒……一〇秒だけでもいい」
鳩子に名莉が短く答える。たった一〇秒先でもいい。相手の動きが先に分かるのなら。それだけで自分は狙いを定められる。
『相手の大まかな因子の流れは掴めそうだから、一〇秒くらいだったらいけるよ』
「わかった。お願い」
『……一〇秒後、今の衝突の反動で五歩後ろに後退』
言葉を聞き、自分の中でカウントを始める。そこに一切の狂いを起こししてはいけない。一瞬の緊張が身体を支配してきた。駄目だ。自分のこの動揺も計算を狂わせる。
五、四、三、二……。
自らでカウントしながら、標的物と自分の距離を計算し発砲する。
銃弾が時臣の胸を貫く軌道で真っ直ぐに飛んでいく。鳩子の予測通り相手は、先ほどより5歩下がったところにいる。けれど刀が銃弾を切り払ってきた。
銃を重んじる者にとって、剣の達人ほどやり難い者はいない。
人類が発明した最高の武器と称されながら、それを阻むのもまた人類なのだ。時臣は名莉の方を一睨みの殺気を放つものの、すぐさま重蔵の方を向く。
地面に着地した名莉が奥歯を噛み締める。
重蔵と自分の力量を天秤にかけるまでもなく、時臣は下したのだ。名莉の存在は取るに足らないものだと。
名莉は奥歯を噛みながら、再び鳩子が指示してきた場所へと狙いを定める。
相手の裏を突かなければ、自分に勝機はない。つまり今のままの自分では駄目なのだ。
銃撃をする。けれどその結果は先ほどの結果と同じだ。けれどそれを無駄だとは思わない。先ほどのタイミングで駄目なら、タイミングをずらしてみる。
そして探るのだ。
相手が自分に対する意識を向ける時がいつなのか。それを見極める。今の名莉が勝つためにやるべきことだ。相手の動きを知った上で意表を突く。
根気良く時臣へと銃弾を放ち続ける。そしてついに、名莉はそれを見つけ出した。思わず胸が鳴った。本当に上手く行くのか? 期待と不安が天秤にかけられる。重りは期待にのしかかる。戦塵が汗の伝う肌に張り付く。名莉は戦塵が濛々と断ち込める前方を見据えて、顔の汗を拭った。
「鳩子、次の予測地点を」
『次は……右に二メートルずれた地点』
「了解」
銃口を上に向けたまま、眼前で構える。息を整えながら因子を練る。いくら期待が不安を凌駕したと言っても、不安が消えてなくなるわけではない。
不安は小さくなることなく、同じ重さで名莉にのっかっている。けれどそこに使命が上乗せされる。やらなければならない。やらなければ自分が上に昇ることなどできないのだから。
胸中の針が三秒を切る。銃弾を放つ。銃弾が銃口から飛び出す。その刹那的な光景が遅く感じてしまうほど、名莉は息を呑み、その瞬間を見守っていた。
時臣が目を一瞬見開いて、驚きの視線を名莉へと浮かべてきた。その時臣の右腕は名莉の銃弾によって負傷している。
成功した。
名莉は内心でそう強く思った。
それに加え、どんなにタイミングを合わせても攻撃を避けられてしまう理屈もこれで明白になった。時臣は一人でここに来ている。情報操作士の援助もない。しかしそれにも関わらず彼が重蔵を相手にしながら、名莉の攻撃を回避したり受け止めたりしていたのは、銃撃の際に鳴る発砲音を聞きとり、それを目安にしていたからだ。
だからこそ、名莉は銃の周りに因子を集中させ、発砲音をその因子の壁で吸音させたのだ。全ての音を吸音できたわけではないが、微かな音は重蔵との戦闘音で誤魔化せる程度の音しか出ていない。
『ぶっつけ本番で、やったことない技を試すなんて……さすがメイっち』
鳩子の言葉が名莉に事実を実感させてきた。
やっと時臣に明確な攻撃を当てられ高揚感が沸いて来る。けれどそれをすぐに、名莉はひっこめさせた。時臣の動きを止められたわけではない。未だ、重蔵と時臣の戦いは続いている。
重蔵の大太刀が時臣へと振り下ろされる瞬間、時臣が後ろへと後退する。けれど刃が振り下ろされた瞬間に発生した衝撃波が、時臣の身体に生傷をつくった。
顔を顰める時臣に重蔵が笑みを浮かべる。
九卿家の剣技のほとんどが黒樹由来だ。伝授されていく過程で各々の家のやり方に変化している所もあるだろうが……根本的な所は一緒なのだ。
だからこそ、時臣は因子の量を爆発的に増やした。
時臣から放出される黒光りする因子が、時臣を中心に竜巻が生まれた。
「来るか」
重蔵が目を細め、足を広げ低姿勢で身構え始めた。
鬼神刀技 夜叉
時臣の造り出した竜巻に大きな影が映る。そしてその影から大きな刃が突き出された。そして竜巻を縦に切断するように低姿勢で身構えた重蔵の頭上に振り下ろされる。突き出された刃の穂先は、地面を割り、穂先よりも手前にいる重蔵は、自らの大太刀でその刃を受け止めていた。
「あれは……」
名莉が呟いた瞬間、竜巻から二本目の刃が突き出され、その刃が竜巻を霧散させる。
そして霧散した竜巻の中から現れたのは、まさしく鎧を身にまとった鬼の夜叉だった。
「ぐぉおお」
夜叉の刀を受け止める重蔵から、声が漏れ、夜叉の刀を真上に弾く。真上へと跳んだ。刀を構え一寸の躊躇いも無く、振り下ろす。
炎爆刀技 殺将
炎を迸らせながら振り下ろされた大太刀が夜叉の身体を両断する。夜叉を物凄い熱と圧力の刃によって切り裂きながら瀑布する重蔵が地面に着地した瞬間、地面に新たな衝撃が奔る。
切りつけられた夜叉は黒い煙を出しながらも、その姿が消えない。名莉の背中に寒気が奔った。気づけば自分は夜叉の足元を狙って銃弾を放っていた。しかしそれは夜叉に到達するまえに、銃弾が無作為に切り刻まれてしまう。
『どうしてっ!?』
動揺と焦りが入り混じった鳩子の叫びが、名莉の鼓膜を揺さぶってきた。けれどそれは名莉に対しての言葉ではないことは、すぐに分かった。
名莉が目を見張る。夜叉の側にいる重蔵の身体に無数の裂傷が刻まれて行く。さっきの鳩子は重蔵に退避を求め、説得していたのだ。いち早く黒い煙の正体に気づいて。
夜叉を形成するあの黒い煙は、全てが相手を切り裂く刃なのだろう。
名莉も負傷する重蔵へと身体は奔っていた。
早く、早く、早く。
「来るでないっ!!」
重蔵の一喝が名莉に飛んできた。名莉の動きが思わず止められる。そして裂傷を負いながら重蔵が再び大太刀を抜き打ちの構えで、そのまま一点に高速の突きを繰り出す。
血が溢れ出た。それは重蔵の身体からだけではない。
黒い煙の中から、右鎖骨あたりを突き刺された時臣の姿が現れる。狙いは喉元だったはずだ。しかしその狙いは、寸前のところで回避されてしまったのだ。
重蔵が少し苛立ち気に顔を歪ませながら、刃に因子を込め始めた。
「させるかっ!」
吠え声と共に、時臣が重蔵を回し蹴りで無理矢理後方へ吹き飛ばす。名莉がその吹き飛ばされた重蔵を受け止めた。
「すまんな。しかし、そう上手くはいかんな」
失笑を浮かべた重蔵が名莉から離れ、こちらに殺気を放つ時臣たちへと大太刀を構える。身体に裂傷を負っているものの、その傷は操生のものほど深くはないようだ。
「だが、あれが出た以上……おまえさんにも手伝ってもらわんとな。儂は本体を叩く。貴様はあのデカイのを頼めるか?」
重蔵のその言葉に、名莉は静かに頷き返した。




