サマー・スノウ宣戦
狼たちが丁度お昼に入った頃、明蘭学園の生徒会室では
「やはり、妾の御衣は着物に限る。貴様達もそうは思わんか?」
そう言いながら、綾芽は恥ずかしげもなく真紘を含め、三人の男子がいる前で制服を脱ぎ捨て、着物に着替え始める。
生徒会室の基本ベースは、外見と同じように近代的な造りなのだが、それを九条綾芽の命により、内装を全て和風に作り替えさせたのだ。
そのため、真紘たちが机を並べている場所の奥に、上座として五段の階段の上に畳を敷き詰めた、階隠間のような造りをしている。そこに綾芽が着物を着崩して、寝そべっていた。
着崩れている着物の隙間からは、蠱惑的な綾芽の太ももが際どく露出している。そんな綾芽を見て真紘も中等部の頃は驚いたが、今はもう慣れてしまった。
「衣服の話よりも、今朝の総会での話ですが、何故二軍の生徒なんかを相手になされたのですか?イザナギを持っているとはいえ、とても強そうには見えませんでしたが」
そう言ったのは、自分たちが渡米している間に溜まった書類をまとめていた、周だ。そんな周の質問に、綾芽がにやりと笑みを浮かべた。
「それは嫉妬か?行方よ」
「い、いえ。そういう物ではなく、ただ単に疑問に思ったことを口にしただけです。だから、その本当に会長が言っているものではなく・・・」
ごにょごにょと何かを誤魔化すような物言いは、普段のびしっとした周のイメージを崩す。前々から思っていたが、周は綾芽に弱い。実力が伴う強さではなく、精神的な方でだ。それが何故なのか、真紘には到底理解できない。
「妾があの者に、興味を示す所以・・・それは『黒樹』という名にある。あれは初代の血を、より強靭な因子の素質を持っておる。輝崎、貴様と同じでな」
そう言いながら綾芽は、周から真紘へと視線を移す。意味ありげな微笑を浮かべながら。
真紘はそんな綾芽を一瞥してから、ため息を吐くように口を開いた。
「ええ。黒樹の家は、輝崎と同じく初代アストライヤーです。ですか、だからといってあのような場所で、いきなり攻撃を仕掛ける必要性はないと思いますが?」
少々皮肉混じりに言ったのだが、綾芽はそれを気にする様子はない。それよりも何かを考えているように、ぐたっとしながら、畳を見つめている。
「また余計な事を、思いついていないだろうな?九条」
そう言ったのは壁際に凭れるようにして立っている柾三郎だ。
柾三郎の言葉を聞き、苦労人である周と真紘が綾芽に顔を向ける。綾芽は自分が暇だという理由で、とんでもない催し物を考えては、その準備やら経費やらを周と真紘が工面するというのが常だ。本来なら企画した綾芽が指揮を執るのが普通なのだが、そんな下準備を綾芽がやるとは思えない。会計である柾三郎も『山に修行に行く』という理由で準備をしたがらない。そのため、真紘と周が必然的に苦労することになるのだ。
だから真紘と周が内心ビクつきながら、綾芽の顔を窺うのも当然だ。
そんな二人の心情を察してか、それともたまたまなのか、綾芽は機嫌悪そうに眉を潜めただけで、口を開かない。
まだ良い案を思いついていないようだな。
と真紘は安堵していた。
だが、それも束の間。
「暑い!!この妾を逆撫でするような暑さ・・・耐え難い。そのため、妾は決めた。決めたぞ。今年もあれをやるとしよう。では、各自準備を開始せえ。よいな?さすれば、妾の御遊前の軽い運動にはなるであろう」
綾芽が言うあれとは、きっと自然の摂理を歪めたような催し物のことだろう。もちろん、その発案者は綾芽である。綾芽が中等部の生徒会室で、今と同じように不機嫌になり、考えられた物で、最初にその内容を聞いた真紘は思わず絶句したものだ。
そして真紘が絶句したその恒例行事の内容は、真夏のグランドで雪合戦を行うというものだった。初めの頃は、それはさすがに無謀すぎると、綾芽に弱い周でさえ反対したが、九条綾芽という人物はそんな偉業をやり遂げてしまった。氷系統の因子を扱う候補生を、勢揃いさせることによって。
そのため、夏が来る度にこの催し物を行っている。
はっきり言って、ただの雪合戦なら許容範囲なのだが、九条綾芽が発案した雪合戦だ。普通のはずがない。夏に行う雪合戦のルールは、一般的な雪合戦と同じなのだが、その戦い方法が、ゲッシュ因子やBRVも使用可というところ。つまり、雪合戦というよりは、雪上での実践に近い攻防戦が行われるのだ。
しかも、優勝したチームには、ちゃんと賞品も授与される。その賞品も当人たちで決められるということもあり、みんな躍起になって、雪合戦に臨むのだ。
そんな真剣勝負の雪合戦が今年も開催されるようだ。
なにもこんな半端な時期にやらなくとも。と真紘は心中で嘆息した。この雪合戦をやるためには、学年教官の榊と二年教官を務める桐生耶宵と三年教官の館成の三人、それと理事長である宇摩豊に許可を得なければならない。理事長と館成からはすぐに許可が得られるのだが、榊と桐生からの許可は中々下りないため、それを下ろす労力がとても骨が折れる。
「だが、やるしかない・・・」
そう呟いて、真紘は周と共に生徒会室を後にした。
「それにしても、なんで僕たちの事知ってるの?」
狼は朝に作ったお弁当を広げながら、屋上の床にペタンと座り込んでサンドイッチを頬張っている季凛に訊ねる。
すると、サンドイッチを食べていた手を止め季凛が口を開いた。
「噂で聞いたの。当然でしょ?あんな入学早々、ド派手な事をやっておいて、有名にならない方がおかしいと思うけどね。ちなみに季凛は、地方にある分校から来たんだよ!分校って言っても、通い塾みたいな感覚に近いけどね」
「まぁ、確かに。自分でも派手な事したとは思うよ。・・・それにしてもそんな分校みたいなのもあったんだ。知らなかったなぁ」
「あはっ、狼くんって間抜けだし、無知だし、顔が普通だし、良いとこ全然ないよね!」
「うっ」
狼は容赦ない季凛の言葉に、言い返す言葉もない。
この笑顔の悪魔に何を言っても無駄だ。どんなこと言ったって、全て言い返されるのがオチだ。ここは言い返さない方が吉だろう。
「それにしても、狼くんはどうして明蘭学園に来たの?」
狼が黙っている代わりに、話し出した季凛はそんなことを訊いてきた。
「僕は別に自分の意思で来たわけじゃない。僕がここに来たのは、ここの理事長に入れられたんだ。最初はすごく嫌で、逃げ出そうとも考えたけど、今はまぁ楽しくなってきたかな。まだまだ馴れないことも多いけど」
苦笑いしながら狼がそう答えると、季凛は『ふーん』と言いながら、再びサンドイッチを咀嚼し始めた。
その様子を見ながら狼は首を傾げた。自分から聞いてきたのに、まるで無関心だ。
何故だろう?
そう狼が疑問に思っていると、季凛がぼそりと呟いた。
「馴れるねぇ・・・馬鹿みたい。あたしたちの居場所なんて、どこにもないのに・・・」
「え?」
狼が聞き返すように季凛の方を向く。だが、季凛は言葉を紡がず、無表情だった顔を笑顔に戻す。その様子に狼は少し困惑してしまった。さっき季凛から感じた冷たい感情は、今まで狼が感じたことのない物だったからだ。
だがしかし、今の季凛はさっきの冷たさが嘘のように、笑顔だ。
「あのさ、蜂須賀さん、さっきの言葉の意味って・・・・」
「あー、狼くん!早くご飯を食べ終わらないと、午後の授業始まっちゃうよ?」
「あ、ああ、本当だ!」
狼は情報端末機に表示されるデジタル時計を見ながら、ご飯を口に押し込む。それを横目に季凛はさっと立ち上がり、狼に向け手を振ってきた。
「季凛、もう食べ終わったから先に行くねっ」
とアイドル顔負けの決めポーズをして、両頬をリスのように膨らませた狼を屋上に一人残し、季凛が屋上を去って行った。
一人になった狼は、口の中に入っている食べ物を喉の奥へと流し、ため息を吐いた。
それにしても、季凛に上手く躱されてしまったような気がする。狼てきには季凛が呟いていた言葉がどうにも気になるのだが、それを聞き出す術はない。
「早く仲良くなれればいいけど・・・」
狼は懇願するように呟いてから、弁当の蓋をして教室へと駆け出した。
教室に戻ったら、名莉たちがしている変な誤解を解かないと。
狼は次にやるべき事を頭で考えながら走っていると、廊下に備え付けされているスピーカーから放送が聴こえてきた。
『明日は、夏の恒例行事、サマー・スノウ宣戦を開催します。詳細は各々の情報端末機に配布される資料を読んでおくように。以上で、放送を終了します』
そうアナウンスのように滑らかな口調で放送している声は、誠だ。そんな放送が何回かリピートされ、放送は終了した。
「サマー・スノウ宣戦?いったい、なんの事だ?」
狼は唸りながら、走っている足を止めた。サマーにスノウ?それに加えて宣戦とはどういう物なのか。狼は頭の中で、夏の日差しを思い浮かべ、その次に雪を連想する。だが、その二つはどうやっても、うまく結合させることができない。
しかもそれが、この学園の恒例行事というのだから驚きだ。
「どうせ、碌でもないことなんだろうけど・・・」
狼がそう呟いた丁度その時、次の授業が始まる鐘が鳴り、狼は慌てながら再び駆け出した。
次の授業は最悪な事に、榊の授業だ。
榊よりも早く教室に入らなければ、どんな処罰があるかわからない。
狼は自分の中にある未知を頭の片隅に追いやり、足を速く動かすことだけに意識を集中させた。




