変化と笑顔
誠の表情は複雑そうに歪められている。
「……もし、認められないと言ったら?」
もし、自分が『佐々倉出流』に戻ることを認められなかったら……誠の言葉を反復しながらそうなったときのことを考えた。
変わるか、変わらないかでいえば出流自身は、何も変わらないだろう。
ただ自分にとって、一つの場所がなくなる。自分が四年前に捨てたも同然の場所ではあるが、やはり自分の根本を形成した場所だ。かけがえない場所であることに変わりはない。
誠の髪が海風に吹かれ、横に棚引く。
けれど彼女の口が開く事はない。きっと待っているのだ。自分の問いに対しての、出流の答えを。
「だったら、認めてくれなくていい」
出流の言葉に誠が黙ったまま、眉を潜めさせる。
「それは、つまりどういうことだ」
「言葉通りだ。いきなり止めるから戻りたいって言っても、認めたくないおまえの気持ちも、わかるからな。だったら俺はおまえに認めてもらうまで、頑張るしかない。それだけだろ?」
出流がそう言うと、誠が視線を下げ再び口を噤んできた。
だがそんな誠の反応は正しいことである。久々に会ったとき自分は誠の敵として立っていた。しかも自分の父親を討った組織の一人として。『佐々倉』を名乗らせるということは、敵を家族に受け入れるということだ。
そこに、強い嫌悪感を抱いたとしても仕方ないことだ。むしろ、自分の言葉に怒り出さないことに驚きたいくらいだ。
「それと、俺はおまえに感謝してる。見ず知らずの俺をあの家に迎え入れてくれたこと。本当に感謝してもしきれないくらいだ」
「……らしくないな。出流が私に感謝なんて。だがそれは……昔のことで、感謝されることだとも思っていない」
「だとしても、俺は言っておかないといけないって思ったんだ。それこそ、俺の勝手な自己満」
出流が苦笑を浮かべると、誠が未だに顔には複雑な色を浮かべているものの、さっきより切迫したものは感じない。
「珍しく出流からの感謝の言葉が聞けたと思ったが、自己満ではな……しかし、それを聞いたからと言って、さっきの話を受け入れられるかは、別問題だ。やはり、トゥレイターという組織には思う所もある。それに……私はもう……貴様の本当の家族を知ってしまった」
誠からの思いがけない言葉に、今度は出流が目を見張った。
本当の家族。誠がその言葉で指したのは……明蘭にいる綾芽のことだろう。
「本当の家族がいるのに、そこに帰らないというのはおかしくないか?」
表情を歪める誠に出流は首を横に振った。
「おかしくない。生みの親より育ての親って言うくらいだしな。それこそ、俺からしたら、おまえの本当の家族は向こうだ、だから向こうに行けって言われても困る。俺からしてみれば、一〇数年を過ごした佐々倉と記憶のうろ覚えの九条じゃ、比重が違う」
「そうだとしても、どういう経緯で生家と離ればなれになったか、わからないんだぞ? それこそ、本当の名前があるはずだ」
「だろうな」
「だろうなって……出流! 真剣に考えろ」
あっさりとした出流の言葉に、誠が目尻を釣り上げる。けれど出流はそんな誠に睨まれようと、真剣に考える気はなかった。
「俺に本当の名前があるから何なんだ? 俺はずっと自分を『佐々倉出流』として認識してる。それはトゥレイターに入って、『イレブンス』と呼ばれようが、俺の根底にはそれがある。俺は、それを誰にも否定される気はない」
強い視線でこちらを睨んでいた誠を見る。すると誠が少し悔しげに視線を外してきた。
「トゥレイターに入ってた俺に思うことがあるから、『佐々倉出流』に戻る事を認められないなら、俺は納得できる。けど、本当の家があるから、どうのこうの言われても、俺は納得できない。むしろしない」
さらに誠を畳み掛けるように言葉を紡ぐと、誠がさらに眉間に皺を寄せてきた。
そんな誠の表情を見ながら、出流はしまったな、と内心で思った。
こういう表情の誠は、意固地になっているときだ。誠が一度意固地になると機嫌を直すまでに時間がかかるだろう。
これで、この話はいったん終わりだな。
出流がそう思っていると、誠が口を開いてきた。
「出流の考えはわかった。あとは私の方でもゆっくり考えておく。……なんだ、その顔は?」
「いや、臍曲げたおまえからそんな言葉が聞けると思ってなかったから。……驚いた」
てっきり、もう誠が口を開くことはないと思っていただけに、誠のこの返しには虚を突かれた。そのため、出流が心底驚いた表情を浮かべていると、誠が少ししてやったりの表情を浮かべてきた。
「出流も成長したんだ。私だって成長はする。だが、そうだな……やはり、貴様は身勝手だ」
誠がそう言って、出流へと近寄り……そして
パチーン。という軽快な音と共に出流の頬に衝撃が走った。
「これまでの貴様への怒りを、この一発に押し込めておく」
誠からの平手打ちを受けた出流が、目を驚いたように瞬かせる。すると誠がにこりと微笑んできた。
平手打ちされる覚悟はしていた。しかしこの流れで平手打ちされるとは思ってもいなかった。しかも満面の笑みで。
「普通、ここ平手打ちじゃないだろ!」
「貴様からの抗議はもう受け付けない」
「ここぞ、とばかりに優勢に立とうするな」
「別にそういうわけじゃない。貴様が勝手にそう思っただけだろう?」
不服さもあって、出流が目を細めて誠を見る。
たまに誠に言い負かされると、妙に悔しくて仕方ない。けれど、そんなやり取りに、懐かしさと暖かさが込み上げてくる。
誠は本物の家族は別にいるという。
けれどやはりそれは間違いだと、出流は思う。
自分にとっての家族は、ここにあると思うからだ。
「では、出流。この話とは別に、聞かせてくれないか? 何故、貴様がトゥレイターに入ったのかを?」
誠が表情から笑みを消し、真面目な表情で訊ねてきた。
そうだ、誠は知らない。どうして出流がアストライヤーに敵対するようになったのか。
「わかった。今のこの現状に繋がるといえば、繋がるからな……」
そう言って、出流は誠に自分がトゥレイターに入った経緯を話した。そしてその事件が全て偽装の記事で書き換えられていること。そこにいた怪物の改良された物が明蘭の地下にいたこと。それらを話聞き終えた誠の表情には、戸惑いと怒りが明瞭に浮かんでいた。
「つまり、そのときから秘密裏に動いていたということか?」
「そういうことだな。あの時の俺はあの男の単独行動だとは思ってもなかったけど」
まだまだ考えの甘い少年の安直な考え。けれど、それは間違いであり、間違いではなかった。出流は首を横に向け、視線を海へと向けた。
けれどその視界は海を移してなかった。ただ過去の凄惨な情景と今の想いが静かに重なる。
「俺は、あの男にどんな理由があろうと、五十嵐の命を奪った事は許さない。五十嵐の仇をとれるなら、どんなことでもしてやる」
静かな声で出流が言葉を口にする。
「……俺はずっとそう思ってた。けど、ずっとその気持ちに捕われてると、次にそう思われるのは自分なんだろうな」
「それは……」
「そうだろ? 今の状況を席巻してる奴がまさに」
憎むことは簡単にできる。それを放出することも簡単だ。難しいのはそれを自分の中でどう上手く受理するかだ。
今の自分がそれをどれだけ、出来ているかわからない。
ただ豊のようには、なりたくない。純粋にそう思う。
「本当に……変わったな」
ふと誠が出流にそう呟いてきた。出流が誠へと視線を移す。すると誠が微苦笑を浮かべてきた。
「別に変わったつもりなんてない」
誠から視線を逸らす。けれど誠が笑っているのが分かって、出流は降参を表す溜息を吐き出した。
暗くなった道を歩きながら狼は、名莉たちの言葉を考えていた。
皆の言っていることは、分かる。立ち止まっていても仕方ないと。けれど、自分が負った痛みが自分の足を止めてしまう。
本当に僕はどうすればいいんだろう?
何度も、何度も自分に問いかける。皆が言うように戦えばいいのか? それで自分は動いているというのか?
違う。違う気がする。
曇りきった表情が自分の顔にこびり付いて、取れない。
「狼」
ふと声を掛けられ、狼が視線を前に移動させる。そこには狼を気遣う表情を浮かべる名莉が立っていた。先ほどの言い合いもあってか、表情は硬い。
「メイ……どうかした?」
何か声を掛けなければと思って出た言葉はこれだった。自分の様子を心配して見に来てくれたと分かっているのに、こんな言葉しか出てこない。
そのためか、少し名莉が困ったように言葉を探しているがわかった。
「狼とちゃんと話したくて」
「さっきの続き?」
狼が訊ねると、名莉が強く首を横に振ってきた。
「さっきのみたいなのじゃなくて、ちゃんと狼の言葉を聞きながら」
「でも、僕は……」
今、自分の中でちゃんとした言葉を返せるかわからない。
「言葉を選ばなくてもいいから。狼の気持ちをきかせて」
名莉の言葉に胸が詰まる。その瞬間色々な言葉が狼の中から溢れ出しそうになる。
その所為で自然と喉と唇が震え始めた。
「僕は、僕は……小世美を失いたくなかった。ずっと一緒にいて欲しかった。好きだった。ずっとそう思ってる。だから、だから、悲しくて、苦しくて堪らない」
「うん……」
「結局、僕は小世美を守れなかった。僕がちゃんとしっかりしていれば、小世美が死ぬことなかったんだ。あんなの、僕が小世美を殺したようなもんだ。それなのに、小世美は僕を責めなかった」
責めて貰った方がどんなに楽か。
けれどそれすらも許されない。許されたのは後悔し続けることだけだ。
「小世美が狼を責めるはずない。だって、小世美は狼が一生懸命にやってくれたって分かってるから。一生懸命やった狼をどうして責められるの? 小世美はそんなことで誰かを責めたりしない」
「そんなことっ! ……分かってる、分かってるんだ。そんなこと」
小世美が自分を責めるはずがない。だって彼女は最後の最後まで笑っていたのだから。
脳裏に小世美の笑った顔が思い浮かぶ。
あのときに浮かべられた笑顔はいつもの小世美らしい笑顔だった。狼はいつも小世美の笑顔を見ると、温かい気持ちになれた。
けれど、あのときの笑顔は狼の心を痛いほど、締め付けてくる。
胸の痛みで狼は表情を歪めながら俯く。
するとそんな俯いた狼へと名莉が近づき、そのまま狼を腕の中へと抱きしめてきた。




