齋彬の誇り
少しの沈黙がそれこそ、凄く長く感じられる。美人を前にして上がっているわけではない。多分。いや、自分も九卿家の齋彬家の当主として、しっかりと構えてなければ、威厳が立たない。
「雪村、そう言うが……貴様は東京にある明蘭で大城や宇摩と一緒に国防軍と戦っていたという話を耳にしたが?」
「はい。参加しておりました」
優美にお茶を飲む藤華があっさりと認めてきた。けれどその姿勢には「だから、何か?」というような、雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「一見、あちら側と手を組んだようにも受け取れるが?」
「まさか。あれは、ただ単に素質だけはある、私どもの甥を見に参っただけです。そしたら、甥っ子もいなければ、豊さんに見つかり、面倒なことを手伝わされただけです。決して、豊さんたちの手を取ったわけではありません」
「なるほど。しかし、宇摩に反駁すると言っていたが、何故その考えに至った?」
「質問が多いようですね」
話をそんな言葉で折られ、勝利は一瞬口籠もる。しかし藤華に悪気はなさそうだ。ただ後ろの懐刀が、少し動揺しているだけで。
「仕方あるまい? 正直、雪村は自分が不利になる戦は好まないと思っている。それを考えれば、正直、宇摩たち側に着く方が、有利だろう?」
「まぁ、そうですね。では逆に質問しますが……何故、勝利さんは輝崎側に着いたのです? 貴方がお仕えする九条様の事を考慮に入れれば、それこそ宇摩側につくべきです。なにせ、明蘭には九条様のご息女がおられるのですから」
「それはそうだが……我々は九条様に戦って欲しいわけではない。たとえ戦好きとは言っても、戦わせるわけにはいかぬだろう。 それに……」
そう言いかけて、勝利は慌てて口を噤んだ。慌てて口を噤んだ勝利を見て、藤華が少し訝しげな視線を送ってきた。
そのため、勝利は一呼吸置いて再び口を開いた。
「まだ綾芽様があちらに着くと決まったわけではない。それに……今輝崎たちと共に十五年前、連れ去られたご子息がいる」
「連れ去られたご子息? ですが、それは噂の範疇だとお聞きしましたが?」
「そういうことにしたんだ。それこそ、犯人が同じ公家の仕業である可能性が高かったからな」
「そうですか。では、それを九条様にお伝えしてあるのですか?」
藤華の言葉に勝利がゆっくりと頷いた。
「無論だ。奥方様などは安堵している様子だった。しかし特別、私たちが動くことはしていない」
もちろん、勝利は出流を連れ戻すことを提案した。しかし九条からの返答は『連れ戻す必要はない』という返答だった。
自分の仕える主がそういうのであれば、家臣はそれに従うしかないからだ。
「九条様が動くなと?」
「そうだ」
「なら、仕方ないでしょうね」
勝利が頷くと、藤華があっさりと頷き返して来た。藤華が当主である雪村は、四条に仕える身であって、九条に仕えているわけではない。だからこそ、自分が親身になって話し合うことではないと思ったのだろう。
「話を本題へと戻しますが、貴方が言ったとおり、我が雪村は負け戦など毛頭考えておりません。かといって、大城や宇摩と手を組むなど……笑止千万。愚の骨頂です」
つまり、昔から折り合いの悪い大城などと組みたくなくて、こっちと組むと言いたいのだろうか? 呆れを通り越し、勝利は思わず感心してしまった。
「もしや、貴方は私が子供じみた自尊心で、時臣さんたちと手を組まないとお思いになりました?」
「いや……」
口ではそう否定したものの、まったくそれに意味はなかった。
目は口ほどに物を言う。まさにこのことだろう。しかし藤華は、そんな勝利に一笑して口を開いた。
「お気になさらず。確かに今までの大城とのやり取りを見ていれば、そう考えてしまっても、無理はありません。私もそれは重々に理解できます。しかし私はこの戦……負ける要因が見当たらないのです」
藤華の自信に満ちた笑みに、勝利は思わず目を見張った。そしてそれは後ろに控えている真里や大志も同様に驚愕していた。
負け戦など好まないという藤華が、何の根拠もなく断言するとは思えない。けれど、勝利は藤華が断言できる根拠がまったく頭に想起されなかった。
勝利も自分たちの臣下の情報操作士に、宇摩の行動は監視、傍聴などは無論行っていた。情報操作士によると、怪しい行動はあるものの、まだその詳細は掴めていないらしい。
しかし詳細が分からずとも、あっちが既に暗躍し、行動が速いことに間違いはない。戦いとはそれこそ、動き出しが速い方が有利に働く。それこそ、こっちに秘策があれば別だが、今の所、そういう類もないのだ。
「何故、そう断定できる?」
「それは、齋彬勝利……貴方の能力があるからこそ、です。貴方の力は何も通さぬ完全無欠の防御です。貴方はどう思われているかは存じませんが、今のところ貴方の防壁を打ち破る存在はおりません。それこそ、私の甥や豊さんが匿っている異国の猛者の力を持ってでもです。だからこそ、真紘さんもすぐに貴方に話をもちかけたのでしょうね」
しなやかな手つきで、藤華が自分に出されたきんつばを小さく切り分け、口に運んでいる。すると一瞬だけ、藤華の綺麗な瞳が明るく見開かれたように見えた。
そんな藤華を見ながら、勝利の気分は晴れやかになっていた。
まさに齋彬の威厳が、九卿家内で確立されていると感じたからだ。正直、発言権からしてみれば、輝崎、黒樹、大城、雪村、宇摩のような目立つ家には及ばない。
だがそれがなんだと言うのだ。
今まさに自分は齋彬家の真骨頂である防御という最大の力で、他の家を圧倒しているではないか。この事実に勝るものなど、ありはしない。
いや、むしろ己の中でも他の誰にも負けない力だと誇っていたからこそ、いざそれを他者の口から言われれば、気分良くならないはずはない。
しかしいつまでもその甘美な心地よさに浸ってはいられない。
「その言葉、褒め言葉として受け取っておく。そして手を組むからには、貴様に一つ頼みがある」
「頼み? それもまた珍しいことですね」
藤華の言葉に、勝利は思わず苦笑を零した。
「こちらにも、確固たる火力は必要だ。それこそ、直に輝崎が京に来る。その時に、黒樹狼に手ほどきをしてやって欲しい。あの者は、まだまだ制御もコントロールも甘い。それでは本当に貴様が言ったように「素質があるだけ」になってしまう。宝の持ち腐れだ」
美しい挙措で藤華が抹茶を飲み干す。そして湯呑をそっと置くと、首を横へと振った。
「私が手ほどきするほどでもありません。それこそ、近くには私の愚姉がいるではありませんか?」
「それを言うということは、黒島で起きたことを知っているということだな?」
国防軍が大体的に、アストライヤーとの対立を宣言した際、黒島でのことも伝えられた。しかし、それは文面のみだ。きっとテレビ局の報道陣の手も伸びないだろう。それこそ九卿家と繋がりを保とうとする権力者たちが、それを許しはしないはずだ。
だからこそ、黒島に春香がいることを知る手立ては、自分で探るという方法しかない。
「勿論です。雪村の情報網を侮られていては、困ります」
「侮っているわけではない。なら、向こうの状況がどういうものかも、承知しているはずだ」
「だから何だと言うのです? あの人はもう一度、自分の立場から逃げているのです。なら今回も逃げるというのは、許されるはずないでしょう? それこそ母親としての義務を全うさせては如何ですか?」
口調自体は、何もかわりはない。けれど辛辣な言葉だった。
藤華が雪村の当主になるとき、色々といざこざがあったという話は聞いたことがある。けれど、それこそ、勝利がまだ当主の座に着く前の話であり、詳しい事情を知る仲でもない。
けれど今の言い様で、藤華が春香に対して、激しい嫌悪感を抱いているということだけは、わかった。
勝利が藤華に狼への手ほどきをして欲しかったのは、今の状況を真紘から聞いて思ったことだ。
これは自分の邪推でしかないが、狼が春香から因子のコントロールを教え受けるのは、難しいような気がする。
春香の実力なら、勝利だって知っている。だから実力だけでいえば、何の問題もないのだが、それこそ狼と春香の関係性が問題だ。
春香は狼に一生拭い去ることのできない、負い目を感じている。だからこそ、今大切な者を失った息子を叱咤し、稽古をつけることなど、できはしないだろう。
だからこそ、狼に何の情を持たない藤華が一番の適任者だと感じている。
どうにかして、この首を縦に振らせる方法……。
勝利は頭の中で考えながら、噛みしめるようにきんつばを食べる藤華を見た。
これは一か八かの賭けだ。
馬鹿げているが、これしかない。そう思い、勝利は次なる言葉を紡いだ。
軍に奇襲攻撃を受けた明蘭には、動揺という感情が渦巻いていた。
テレビのニュースを見て、眉間に皺を寄せる者。不安そうな表情を浮かべる者。様々だ。けれどそれを見る希沙樹の目に動揺はなかった。
真紘からの連絡で、今どんな状況なのかは知らされている。
だからこそ、希沙樹は自分たちも京都に行くことを決めていた。ここには、自分たちのやるべきことはない。思っていたよりも簡単に復旧された学園を見て、そう思った。
それにここで、ただ状況報告を待っているだけなど、希沙樹の性格からして考えられないことだ。
自体が動くとするなら、次は京都だろう。
豊が京都に向かうという情報と宇治にある、国防軍の軍事基地に武力物資が頻繁に運びこまれているという情報を聞いて、確信した。
豊はそこを叩くつもりだと。
変なことが起きる前に、早く京都に向かわないと。
気づけば、BRVの調整を行う、調整管理室へ向かう希沙樹の歩調は早足になっていた。今、棗に頼んで自分のBRVの調整を頼んでいる。それが終わり次第、すぐにでも京都に向かう手はずになっている。
「今、おまえがやろうとしていることが、どんなことか分かってるな?」
後ろから希沙樹へと言葉が振りかかった。
その言葉に希沙樹が訝しげな表情を浮かべ、振り返る。振り返った先には同じ様に訝しげな表情を浮かべる実兄の榊の姿があった。




