右京
空を飛ぶシックススを真紘と共に疾駆しながら追うが、それでもやはり空を自由に飛ぶシックススに追い付くことは難しい。
敵を倒すどころか、敵に追い付けないことに狼は内心で焦りを感じる。
早くしなければ、軍の艦隊が到着して、大規模な攻撃をしかけてくるのは目に見えている。今のこの状況で、軍が自分たちの味方をする可能性は極めて低い。むしろその可能性は皆無だろう。
ただでさえ、軍は明蘭学園を襲っているのだ。そんなタイミングで自分たちの味方になってくれるはずもない。
「最悪なのは、軍がトゥレイターの肩を持つことだな。良くて軍がトゥレイターと組まず、単独で行動してくれることだな」
「でも、そしたら戦況が混乱しないか?」
狼の問いに真紘がすかさず、頷いてきた。
「勿論、敵の種類が増えるわけだ。戦況は混乱するだろう。しかし上手くいけば、敵が敵同士でぶつかりあう可能性も出てくる」
「そうだとしても、僕たちが不利なことに変わりないだろ? 絶対数的に考えて」
「そうだな。だが二対一になるよりはマシだろ」
確かに真紘の言う通りだ。そのため、狼が真紘の言葉に頷きかけたところで、再び真紘が口を開いてきた。
「だが……どのくらいの規模の兵力でくるか分からないが、それだけ命の危険は高まる。俺や黒樹を含め、他の者もな。だからそこのところは肝に銘じておけ」
「……ああ、わかった」
真紘は決して狼を脅したわけではない。起りうる事実を告げただけだ。それが分かるからこそ、狼は身体に冷水を浴びた気分になった。
口では「わかった」と言っても、心のどこかでその事実を「わからない」と拒否したい。
だがそれは戦う以上、できないことだ。
狼はこういうとき、自分がとんでもない世界にいると思い知る。この国に住む大半の同年代は、こんな武器をとって誰かと戦うなんてしない。いや、世界的に見ても少ないだろう。
自分の友人と他愛もない話をしながら、遊んでいるのが普通だ。
「ふふ、結構楽しくなってきましたね」
聞き覚えのある声が狼の耳に届いた。そしてその声の主を確認する前に、真紘がイザナギで声の主に斬撃を放つ。そのときになって、狼が声の主の姿を見る。
「……如月さん!」
まったく予想もしてなかった人物の登場に狼が目を丸くする。だがそんな驚く狼のことなど、雪乃の視界には入っていなかった。彼女の視界に入っているのは、険しい表情を浮かべる真紘だけだ。
「黒樹、こいつはトゥレイターのナンバーズだ」
「なっ、嘘だろ?」
「ふふふ。本当です。ああ、やっぱり真紘君のその険しい顔素敵です」
心から嬉しそうな雪乃の手には、切れ味が良さそうな鉈が握られている。そしてそんな鉈を握る雪乃の姿は、鮮やかな花の刺繍が施されている着物姿だ。
「貴様……その着物をどこで?」
真紘が雪乃の着物を見て、憎々しげに訊ねる。すると雪乃が顔をぱぁっと輝かせた。
「わかりましたか? そうですよね? 真紘君ならわかりますよね? ああ、良かった。もしも真紘君に気づいてもらえなかったら、どうしようかと思いました」
「そんな能書きはいい。俺の質問に答えろ」
「もちろん、真紘君の家から持ち出させて頂きました。これは真紘君のお母様の着物ですよ? 真紘君の家以外のどこで手に入るというんです? 素敵ですよね。考えてみてください。真紘君にとって母親の形見でもあるこの着物が、真紘君に攻撃された私の血で染まるんですよ? ふふ、本当に素敵です」
「なんで、そんなこと?」
雪乃の考えが理解できず、狼は表情を曇らせる。目の前の雪乃から笑顔が絶えない。その笑顔から敵意さえ感じないほどだ。しかし、殺意とはまた違う底知れぬ深い感情があるようにも見える。
「黒樹君、貴方はどうぞお先にお進み下さい。シックススさんを追うでも、フォースのおじさまと戦っているお父様の手助けをするでも、お好きなように……」
雪乃はきっと、真紘とだけの戦いを望んでいる。だがこのまま真紘と雪乃を戦わせるべきか迷う。真紘だったら心配ないとわかっていても、なにかがひっかかる。
けれどそんな狼に真紘が口を開いた。
「黒樹、俺のことはかまうな。敵を追え。俺もここを片付けてすぐに向かう」
「でも、真紘……そしたら如月さんの思うつぼじゃないか」
「黒樹の言うとおりだが、この不肖者から大切な母の形見を取り戻さないわけにはいかない」
そんな真紘の言葉に狼は、頷くしかなかった。真紘の言葉が真剣だったからだ。
「わかった。じゃあ先行くよ」
狼が真紘にそう声を掛け、先に進む。そして雪乃が自分の横をすり抜ける狼に対して、目を細めて笑いながら、手を振ってきた。
その姿に狼は思いがけずぎょっとした。
なぜ、ぎょっとしてしまったのかわからない。けれど、雪乃の姿に畏怖を感じた。狼は軽く頭を振り、身に感じた畏怖を振り払う。
大丈夫、真紘なら。
「では……」
真紘のそんな言葉と共に、刃と刃が勢いよく衝突する音が狼の背後で聞こえ始めた。
狼や真紘たちよりも先に港の方から、狼の家の方へと向かっていた左京たちの前に、よく知る人物が立ち阻んできた。
「久しぶりだな。右京」
左京が目を鋭くさせながら、右京に声をかける。けれど右京は鼻をならし刀を構える。左京はそんな右京を見て肩をすくめ、誠の方へと視線を移した。
「佐々倉、ここは私に任せてくれ。佐々倉は先に行ってくれ」
「わかった。くれぐれも気を付けてくれ」
「当然だ」
誠に左京が頷くと、誠が走りだす。そんな誠に右京が斬りかかろうと動く。だが右京が動けば左京が動くのも当然だ。
「悪いな、右京。私の相手をしてもらうぞ」
「そうか。なら先に左京、おまえから始末するだけだ」
冷淡な右京の言葉に左京が視線を険しくさせた。右京が自分を嫌っている理由はわかっている。そして今は自分の前に立ち阻む敵だ。
普段ならそれで割り切ることができる。だがそれが自分の半身のような右京が相手となると、やはり割り切ることができない。どこかしらで、子どもの頃のような関係を望んでしまう。
隣にいるのが当たり前で、なにかいわずとも自分のことを理解してくれる存在。左京にとって右京はそんな存在だった。けれど今は違う。
左京に右京の気持ちがまったく理解できない。理解できないからこそ、その悔しさと今の右京に対して純粋な怒りが沸いて来る。
右京が左京へと接近する。接近しながら下段に構えていた刃を斜め上へと振り上げる。その振り上げられた左京の刃を受け止める。そしてそのまま、刃を鳴らしながら右京が力任せに左京を押し切ろうとしてきた。
だがここで押し切られるわけにはいかない。
左京は自身の刃に因子を流し、刃に重みを追加する。
すると今度は右京が押される形になった。
「トゥレイターに入った愚か者とはいえ、私の双子の弟だ。ならば姉が弟に負けるわけにはいかないだろう?」
左京が右京を挑発する。だがそんな左京の挑発に右京が乗ってくることはなかった。むしろ、右京は呆れたといわんばかりに、左京へと嘲笑いを浮かべてきた。
「右京、貴様……本当にこんなことが許されるとでも思うのか?」
「こんなこととは、どんなことだ?」
「白を切るなら、教えてやろう。なんの罪もない少女を手にかけようとしていることだ!」
声を張り上げた左京が鍔迫り合いになっていた刃を横に払う。すると左京の刃から逃れるように、右京が後ろに後退する。
だがそこを突かない左京ではない。右京の後退に合わせて自分は前進する。
右京へと勢いよく刺突を繰り出す。
だがそんな左京よりも先に右京からの刺突が襲いかかってきた。右京の刺突が左京の右肩を突く。その瞬間、一気に身体に痺れと激痛が走った。
「くっ」
呻き声と嫌な汗が一気に噴き出す。左京は反射的に右京から離れ右肩を手で押さえた。傷口自体はそこまで深いものではない。それにも関わらず、左京の身体には激痛と痺れるような感覚が襲って来ていた。
右京の毒か。震えたくないのに、勝手に身体が震える。
身体に熱を帯びた痛みが駆け回る。毒となった右京の因子が左京の身体を蝕む。だが左京はその痛みに表情を歪めながら、左京は慌てなかった。
これは右京の因子。ならば……私の因子で緩和できるはずだ。
右京の動きを注視して、避けながら身体に自分の因子を掛け巡らせる。双子の因子は特殊だ。能力として別物であっても、根本的な因子の質は同じ。
それなら、自分の因子として毒となった右京の因子を中和させることができる。
そしてそれを右京もわかっているはずだ。
右京からしてみれば、少しの間だけでも左京の動きを渋らせればいいと考えているのだろう。右京は先ほどから容赦なく、刃で斬りつけたり、斬撃を放ったりなど攻撃をしかけてくるのが、その証拠だ。
中和させられるからといって、すぐにできるわけでもない。身体は痛み、痺れる。
けれど、それでも右京相手に怯むわけにはいかない。
示現流刀技 奈落
左京の遅い斬撃が右京へと放たれる。右京は奈落による重力で動くことはできない。しかしそれは左京も同様に動けないということだ。
右京も左京が放つ奈落という技を知っている。自身が動けなくなったからといって右京が動揺するはずもない。だが、厄介だとは思っているはずだ。
「左京、おまえはやはりなにも、わかってないな」
想像をしていなかった右京の言葉に一瞬、左京の内心に動揺が走る。けれど、左京はそれを顔に出さないようにつとめた。こんな所で右京の言葉に翻弄されてはいけない。
所詮は、右京も動けはしないのだから。
「俺は二度もおまえに負けるつもりはない」
動揺する左京に右京の言葉がさらにかぶさる。
「残念だ。私も右京に負けるつもりなどはないからな」
奈落の速度は遅い。だからこそ右京と言葉を交わす時間がある。だがそれももう少しでできなくなる。左京が放った奈落が右京を押しつぶすからだ。
右京にこれ以上の間違いを起こさせないためにも、私が右京を止めるしかない。
奈落は地面に亀裂を走らせ。へこませながら右京へと近づく。その距離約五メートル。その距離もゆっくりと着実に近づいてく。
四メートル、三メートル、二メートル、一メートル。
そしてそのまま右京がなす術なく、倒れると思った。
右京が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「なぜ、笑う?」
示顕流刀技 春雨
目を見開いた左京に薄紫色の斬撃が放たれていた。その斬撃が物凄い速さで左京の身体を深く斬りつけた。




