帰島
イレブンスたちが黒島に向かったことを慶吾がニヤリとした笑みを浮かべて見ていた。もう既に明蘭の空に蔓延るように飛んでいた軍の戦闘機の姿はなく、グランドで炎を巻上げていた戦闘機も零部隊の指揮の下、早々と片付けられていた。
「やれやれだ」
そう呟いたのは、慶吾の元にやってきた豊だった。
「別にやれやれとも思ってないでしょう?」
「いいや。そんなことはないよ。私も駄目だね。まったく頭が回らなかった。彼らの戦闘機がバンバンと墜ちてた所為で、グランドが抉れてしまったし……生徒たちにも大きな傷を作ってしまったかもしれない」
そう言って豊が微かに表情を曇らせてきた。そしてそんな豊を見て慶吾は肩を竦める。
豊らしい言い分だ。
今回の戦闘で命を落とした生徒はいない。少し傷を負った生徒はいるかもしれないが、その怪我も大した怪我ではない。死んだのは、豊たちが殺した戦闘機を操っていたパイロットだけだろう。因子を持つ者に既存の兵器だけで果敢に立ち向かった彼等は、果たして勇猛なのか愚者なのか?
きっと両分の意見があるのだろう。それこそ、因子を持っている持っていないに関係なく。ただ間違いなく言えるのは、豊は死んだ彼らを愚者だと思い、自分はどちらとも思ってないということだ。
自分ははっきり言って、一個人の考えなど然して気にしてないからだ。人の考えなんてそれこそ千差万別にある。それを一から知る事なんて、情報操作士として無欠の天才と言われている自分でも無理なのだ。それが分かっているからこそ、人の感情によって様々に状況が変わってくる、今が楽しい。
豊は予想外な事に動揺する生徒たちを心配してか、場所を移動させたヴァレンティーネの事など頭の隅に追いやってしまっている。そのため、イレブンスたちが新たな動きを見せていることは言っていない。ただ軍が狼や真紘が居る黒島に軍艦やら兵士やらを集めているのと、元々そちらに向かっていたトゥレイターの動きはもう知っている。けれどそれにも関わらず、なにも動じてないのには黒島に真紘や狼、それと自分と同じ初代アストライヤーである黒樹高雄と雪村春香がいる情報も知っているからだろう。だからこそ、軍が軍艦を動かそうと、トゥレイターが黒樹小世美の暗殺を考えていようと、端から心配していないに違いない。
情に厚いのか、薄いのか。慶吾はどちらとも言い難い豊を見ながら苦笑を浮かべる。
とんだ驕りだ。
豊を見ながら慶吾はそう思う。
確かに黒樹高雄や雪村春香は確固たる実力の持ち主だろう。真紘だって、その二人にはまだ及ばないものの九卿家の当主としての実力はつけているし、狼だって確実に強くなっている。
けれどそれでも、絶対になんの問題も起きないという保証はどこにもない。そんなもの、この世に生きている限り、ありえないことだ。
でもだからこそ、人は希望を持ち生きる気力が沸いて来るのではないか? 慶吾はそう思う。はっきり言って全部先が見える予定調和な世界なんてものに、まったく興味が沸いてこない。むしろ生きている意味すらないとさえ思う。きっともしそんな世界に自分が迷い込んでしまったのなら、それこそ慶吾は自ら命を断つだろう。それこそ、自分が予定調和な世界の異分子となって。
けれど、今自分が生きている世界はそうではない。
一つの予期せぬ事があれば、すぐにその先の未来が変わってしまう。それを見ることが條逢慶吾という人間にとって一番重要なのだ。勿論、それは穏やかな変化ではない。激動と言っても過言ではないほどの変化がより好ましい。
「慶吾、君に一つ訊きたいんだけどね……高雄たちの方はどれほど動いているかな?」
ふと思い出したかのように豊がそう訊ねてきた。
「今はもう戦闘に入ってるみたいだね。きっとこれからもっと混乱は続くだろうけど」
「そうか。ふむ……なるほど」
そう頷いてから、豊が「仕方ないね」と一言、何かを諦めたかのように呟いてきた。
「悪いけど、私もここを留守にするとしよう」
「つまり、黒樹くんたちが心配で様子を見に?」
慶吾がそう訊ねると、豊が後ろを向いたまま肩を竦めてきた。
時間が少し戻り、狼たちは仙台空港から那覇空港経由で石垣空港まで行き、そこからヘリに乗って黒島まで来ていた。到着したのはまだ日の昇っていない夜間だ。黒島にはヘリポートしかないため、仙台空港から那覇までは大城が持っている自家用機で到着し、那覇空港からは黒樹家が持っているヘリで向かったのだが……狼は何とも腑に落ちない気分になっていた。
「今までの僕と小世美の所帯染みた生活って何だったんだ?」
「オオちゃん、そんな気を落とさないで。ねっ?」
夜間とはいえ、久しぶりに踏んだ黒島の地面を見る様に、頭を項垂れる狼の肩を小世美が軽く叩いて、励ましてきた。けれど、狼はやはり腑に落ちない。確かに以前、黒樹が大城や輝崎と同じ九卿家だということは教えてもらった。そして九卿家は昔から公家と深く関わりを持っている由緒正しい名家だ。だから輝崎も大城も所謂お金持ちの家で、それに倣って見ると、当然黒樹もお金持ちということは理解できる。
そう頭ではそう理解していたつもりだが、いざ自家用のヘリだの、この黒島を保有しているのが黒樹の家などというお金持ちらしい事をされたり、言われたりすると……中々受け入れらるものではない。
別に贅沢がしたいとまでは言わないがもう少しくらい、生活レベルを上げてくれても良かったのではないか? そうせめて自分がデンメンバーから節約の鬼とか言われるほど、無駄遣いにうるさくならない程度に。
「でも、何か本当に南の島って感じだよね。仙台に比べると夜なのに気温も高いし」
「まぁね。この島は一年通してもすごい寒いことってないから」
「へぇ……確かに寒がりの鳩子ちゃんからしてみれば、最高な気候かも」
鳩子がヘリポートからでも見える海を見ながら、鳩子が鼻歌混じりにそう言ってきた。
「ここだったら綺麗な海で泳ぎたい放題だけど、鳩子ちゃんじゃ……あはっ、残念」
「なっ、失礼な! それだったら季凛も無理なんじゃない? あたしより、腹の方に贅肉が付いてるでしょ?」
自分の胸元を見ながらそんな事を言ってきた季凛に鳩子が反撃として、季凛の下腹らへんを手でつまんでいる。
「あはっ、マジセクハラ~」
「お互い様でしょ」
「二人ともなに、そんなお互いを蔑みあってるのよ?」
鳩子と季凛に目を眇める根津を、鳩子と季凛で恨めしげな視線を送りっている。
「何よ? その目は?」
二人からの恨めしげな視線に根津が少し引いていると、そんな根津や狼たちを照らす、光が近づいてきた。
「誰か来る」
そう言ったのは名莉だ。
そしてその言葉の通りに、狼たちへと原付のライトを当てながらやってきたのは、狼たちが良く知っている甚平姿の黒樹高雄だった。
「よぉ、待ったか?」
狼と小世美に手を上げながら、高雄が呑気な声でそう言ってきた。
「よぉ! じゃないだろ!」
あまりの緊張感のない緩い高雄の姿を見て、狼は思わずツッコミを入れる。すると高雄が目を細めながら、狼の近くで原付を止めると、狼と小世美の頭を雑な手つきで撫でてきた。
「久しぶりだな。この煩い狼のツッコミ……小世美も元気だったか?」
嬉しそうな笑みを浮かべる高雄に小世美が嬉しそうに笑い、狼は照れ臭くなって、すぐに話を変える事にした。
「今は呑気な事言ってる場合じゃないだろ? 真紘が僕に話したいことがあるって言うから来たんだから」
「まぁ、そうだな……本当は寝たい所だけど、とある馬鹿の所為で時間もないし」
「とある馬鹿?」
狼が首を傾げると、高雄が肩を竦めてきた。
「それも家に帰ったら話すから、焦るな」
高雄からそう言われてしまったため、狼は少し不満げに眉を顰めさせ口を噤む。きっと今は何も話してくれる気はないのだろう。
「あ、狼と小世美のお父さんですか? 初めまして大酉鳩子です。もしかすると将来的にお世話になると思いますので、覚えて貰えると有り難……」
「ちょっと、鳩子! 何不穏な挨拶してんのよ? ……えーっと、私は根津美咲と言います。黒樹君とはデンという活動の仲間で」
鳩子の自己紹介を遮り、自分の自己紹介を始めた根津を今度は名莉が遮った。名莉は根津と高雄の間に入り、高雄に握手を求める形で手を差し出す。
そんな名莉の手を見て、反射的に握手し返した高雄に名莉が微かな笑みを浮かべながら口を開いた。
「羊蹄名莉です。狼と小世美とは同じクラスメイトで大切な友人です。宜しくお願いします」
「ああ、二人を宜しくな。確か羊蹄って元は輝崎の分家の家か?」
「はい、そうです」
「おー、そうか、そうか」
頷いた名莉に高雄が笑って言葉を返す。
「じゃあ、皆のついでに蜂須賀季凛です。よろしく」
季凛が名莉に続いて高雄と握手すると、先を越されたと言わんばかりに鳩子と根津が口をわなわなと無造作に動かしている。
「よし、狼と小世美の友達から挨拶をしてもらっちゃったし、ここで立ち話なんてしてられないだろ? 狼、忠紘の息子とその懐刀の二人も家で待ってるみたいだから、おまえ、友達と一緒に家に先に帰れ」
「先にって、父さんも帰るんだろ?」
狼がそう言うと高雄が「勿論」と言って頷いてきた。しかし、なら何故先に行けと言ったのだろう? もしかして、まだここでやるべきことでもあるのだろうか?
そんな狼の疑問はすぐに解消された。
「おまえらどうせ因子で家まで走るんだろ?」
「まぁ、そうだけど。だから?」
「だから? じゃないだろ! 俺が原付で帰るより因子使って走る方が速いんだから、お前等の方が速く家に帰れるだろ!」
「ああ! なるほど……って、じゃあ何で原付できたんだよ? 自分だって因子使えるんだから、走ってくれば良かっただろ!」
狼が高雄に声を張り上げてそう言うと、高雄が少し不貞腐れたように唇を尖らせてきた。
「仕方ないだろ。いつもこの原付で移動してて、原付に股がる癖がついてるんだから」
「まったく良い年した大人のくせに、子供なんだから……もういいよ。皆、僕の後についてきて」
「オオちゃん〜、そんな煩いことばっかり言ってると女の子から嫌われちゃうぞ?」
「ほっとけよ!」
茶々を入れてきた高雄の言葉を狼はすぐさま一蹴して、小世美を腕に抱えて真紘が待つ自宅へと移動した。




