昼の光と夜の闇
ホレスが口にした名前は、確かセツナたちが通う明蘭の学園長の名前だ。遠い日本の学校の学園長の名前がこの場で出てくることにフィデリオは違和感を覚えた。
けれどそんなフィデリオの様子をホレスは、まるで気にしていない様子で話し続けてきた。
「俺がトゥレイターに入っているのも、あの人に言われたからだ」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないさ。あの人は、トゥレイターとアストライヤーを呉越同舟の関係だと思ってる。だから、例えトゥレイターにいた者が、アストライヤー側に来る事を咎めたりはしないし、その逆も咎めない。その考えの根底には、因子を持っている者は自分の同士だという認識があるからだ。そしてあの人は因子持ちにとっての真の敵は、俺たちを人だと思っていない者たち、全てだと思ってるわけだ」
大仰な仕草で豊の真意を語るホレスに、フィデリオは苦渋の表情を浮かべる。目の前で奇襲を受け、仲間を失ったホレスの気持ちが分からないわけじゃない。フィデリオだって、もし自分の友人や仲間がそんな目にあったら怒りや憎しみを抱くはずだ。
だがしかし……ホレスたちの意志に頷くことはできない。これは単なる正義感や良心から来ているものではいだろう。きっと自分は知ってしまったからだ。
因子を使える者と使えない者の差を。
ホレスに新型兵器を使われた時、自分たちの攻撃が全て無意味な物となり、ただホレスによる攻撃を回避したりするしかなかった。正直、あの時は絶望的な気持ちになった。それでも戦い続けられたのは、ルカによる情報もあったし、自分の身を守れる程度の因子を使えたからだ。
けれど今ホレス達が言っている敵は、因子を持っていない人のことだ。実際に因子持ちの者が因子を持ってない者と戦うということになれば、圧倒的に有利なのは因子持ちに決まってる。
「ホレス兄さん、俺は兄さんの気持ちを全ては理解できないよ。俺は無抵抗な人を何も感じずに攻撃する度胸もない。それに無抵抗な人を殺して、それでホレス兄さんは満足するのか? そんな未来がホレス兄さんの本当に望む物なのか?」
唇を噛んでそう言ったフィデリオに、ホレスによる刺突が襲ってきた。フィデリオはその刺突を受け止めるが、突貫してきたホレスの勢いに負けて、後ろに押される。
フィデリオは足に力を入れ、踏みとどまり攻撃をしてきたホレスを見る。
「おまえには、まだ理解出来なかったか。残念だ。俺だっておまえの事を小さい頃から見てる。だからおまえには、分かって欲しかった。俺たちが命を掛けて守ろうとしていた物は、実際には汚く汚れ、腐敗しているということを」
ホレスが再び高速の突きで、フィデリオへと向かってきた。フィデリオは後ろに跳びその刺突を避ける。避けたのと同時に、フィデリオはホレスへと勢いよく肉薄する。
遠くからホレスに斬撃を放った所で意味はない。それだったら、端から接近戦へと持ちこんだ方が相手にダメージを与えられる確率は上がる。
「俺はホレス兄さんの考えを否定する。俺は自分が守ろうとしている物が汚いものだって思いたくないから。それに兄さんだって、本当は分かってるんじゃないのか? 自分のやろうとしている事に、価値なんてないってこと」
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。ニーチェの言葉だ。今の俺たちに相応しいと思わないか?」
「皮肉にもならないよ、ホレス兄さん……」
二つの剣身に流れる因子の熱が衝突し、辺り一体の温度が高くなっている。その熱で壁には結露した水滴が滴り落ちているほどだ。
その気温の変化にフィリックがぐったりとしている。
これ以上戦いを長引かせるのは、まずいな。
フィリックの体調面も危ういが、この艦内が爆発するタイムリミットもある。もうすでにそのタイムリミットは三〇分を切っているに違いない。
フィデリオはホレスとの剣戟戦をしながら、臍を噛んだ。
もっと自分が強ければ、こんな状態にはならなかった。いや、もっと早くホレスの変化に気づけていれば……強い悔しさがフィデリオの胸に迫り上がってくる。悔しさが熱になり、フィデリオの因子の熱を上げる。因子の熱は上がっているのに、フィデリオの心は冷めていく一方だ。
まるで自分が二つに分離してしまったかのような感覚だ。
ホレスの剣戟をフィデリオは身体を横に逸らしながら躱し、そのままホレスの胴をフィデリオが強く蹴り飛ばす。すると蹴り飛ばしたホレスが瞬間移動でフィデリオの後ろに回り、斬撃を放ってきた。
フィデリオがその攻撃を受け止める。するとホレスがニヤリと笑みを浮かべ再び瞬間移動をしてきた。フィデリオは全方向に意識を向け、どこからホレスによる攻撃が来ても良い様に身構える。
その瞬間、潜水艦の床が再び前方斜めに傾き始めた。今がどのくらいの水深にまで来ているかはわからないが、フィデリオの耳に高張力鋼で出来た壁から不気味な音が聞こえてきた。
これは潜水艦の潜水深度を超えて、外殻などに過剰な負荷が掛かり始めている可能性が高い。益々自分たちが置かれている悪状況にフィデリは激しい動揺を感じる。
そしてそんなフィデリオを動揺させる、フィリックの恐怖に怯えた叫び声が聞こえた。
「フィリック!」
叫び声を上げたフィリックは、ホレスに片腕で後ろ首を掴まれ、宙釣り状態になっている。
「フィデリオ、おまえは俺の気持ちが分からないと言ってただろ? なら死ぬ前に分からせてやる」
「やめろっ!」
吠え跳ぶフィデリオを痣け笑う様に、ホレスのサーベルがフィリックの胸を貫く。フィデリオはその一瞬、何もかも考えられなくなった。視界に見えるのはフィリックの小さな身体に突き刺さる刃、宙に舞う血。
「まだ、少しだけ息があるか……」
そう呟いて、フィリックの身体から剣を抜き、再びフィリックへと突き刺そうとするホレス。
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
フィデリオは叫び、サーベル剣を持つホレスの腕を斬りおとす。その勢いのままホレスの胴を横薙ぎに切り裂く。
その瞬間、サーベルで突き刺されたはずのフィリックとホレスの姿が霧散する。
「激しい動揺、怒りは……自分に隙を作りやすい。以前練習を見てやったときに言ったはずだ」
「しまっ……」
フィデリオの後ろに現れたホレスの剣戟がフィデリオへと直撃する。背中に凄まじい激痛が走った。痛みで顔が歪む。そんなフィデリオの腹を前に移動してきたホレスが勢いよく膝で蹴り上げ、蹴り上げたフィデリオを手から放った衝撃波で弾く様に吹き飛ばしてきた。
「かはっ」
勢いよく壁に打ち付けられたフィデリオの口からは血が零れた。そしてそのままズルズルと背中から床へと滑り落ちる。
そこに、室内の端っこで縮こまっていた本物のフィリックが近寄ってきた。身体に走る痛みでうっすらと開いた目でフィリックを見たフィデリオは、フィリックを縛っている縄を掴み、手に流した因子の熱で縄を焼いた。
「フィリック、ここに居たら駄目だ。ここから離れた所へ」
フィデリオがフィリックにそう言うと、フィリックがフィデリオの首に両手で抱きつく様に捕まりながら、首を横に振ってきた。
「頼むよ、フィリック……」
自分でも情けないと思う声が出た。けれどフィリックは頑なに首を横に振ってフィデリオから離れようとはしない。
そんなフィデリオたちの元に、ホレスがゆっくりと近づいてきた。
「フィリック、逃げろ」
このままだと、さっきホレスが自分に見せてきた幻影が、本当になってしまう。それだけは何としてでも、阻止しないといけないのにさっきのダメージからか、身体に力が入らない。
「フィデリオ、これで終わりだ」
ホレスが短い言葉を唾棄し、フィデリオへとサーベル剣を向ける。
「安心しろ。苦しまずに死なせてやる。俺からおまえたちへの最後の労いだ」
向けられたサーベルが躊躇いなく、突き出される。フィデリオは咄嗟に自分の足に剣を刺すと、その痛みで身体に力を入れ、自分に抱きついていたフィリックを庇う。
「兄ちゃんを苛めるなーー!」
庇ったフィリックが顔を上に向けて、そう叫んだ瞬間……フィリックの身体から一気に因子が溢れ出し、その因子がフィデリオとフィリックを囲う、薄いバリアを作り出し、勢いよく刃を突き出したホレスを後方へと吹き飛ばす。
吹き飛ばされたホレスが宙で身を整え、床に着地する。その間にフィデリオも因子で身体の痛みを緩和させ、立ち上がり剣を構えた。
「大丈夫?」
立ち上がったフィデリオに、初めて因子を使い戸惑った様子のフィリックが足に掴まりながら訊ねてくる。
「大丈夫だよ。ごめん、フィリック……もう、フィリックに情けない姿、絶対に見せないから。フィリックは少し離れた所で、俺を応援してて」
フィリックの頭を撫で、フィデリオはホレスへと跳躍した。
跳躍したフィデリオとホレスが宙で衝突する。そこに言葉はなかった。剣と剣で勢いよくぶつかり合う。刃がぶつかった瞬間、身体全身に痺れがやってくる。だが剣を揮う手が止まるわけではない。
呼吸を荒くさせ、因子の熱を最大限に上げる。空中で二人が衝突した瞬間、空気が震え、熱が辺りに放散しながらぶつかり合う。
衝突し合う刃がホレスとフィデリオが注ぎ込む因子の熱に堪えかね、悲鳴を上げている。そして次に刃と刃が衝突した瞬間、ホレスの刃が砕けた、フィデリオの刃も砕けた。
フィデリオが刃身の折れた刃を投棄し、勢いよくホレスの頭に頭突きをし、頭突きを受けたホレスが勢いよく床に叩き落ちた。フィデリオは手刀のように手を払い、そこから無形エネルギーの斬撃を放つ。
フィデリオの手から放たれた無形エネルギーの斬撃は、背中から床へと落ちたホレスに直撃し、ホレスの身体に右斜めの斬線を描いた。斬線がホレスの肉体に食い込む。その瞬間、フィデリオの胸に痛みが走った。
フィデリオも床へと倒れ込んだホレスの元へと近づく。床へと倒れているホレスの意識はある。けれどフィデリオに反撃しようとする闘志が感じられない。フィデリオの耳元に『爆発まで五分を切りました』といおう機械音声と共に、不快な警告音が聴こえてきた。
「ホレス兄さん、これで終わりにしよう」
「終わり? 何を終わりにしろと?」
「勿論、ホレス兄さんがやろうとしている復讐をだよ」
仰向けに倒れるホレスにフィデリオがそう言うと、ホレスが怪訝な表情を浮かべてきた。
「どうしてだ? どうして、おまえは俺たちを殺そうとする奴等を庇う? 俺のどこが間違ってる?」
「……もし、このままホレス兄さんたちがやろうとしていることを見逃したら、この世から正義なんていなくなる気がするんだ。それに、俺は今回の事で何度も怒ったし、許せないと思った。けどそれでも、俺はホレス兄さんを本当の悪にしたくなかったんだ」
フィデリオの言葉にホレスが目を見張った後、何かを諦めたように息を吐き出してきた。
「正義か……俺はそんな物、神と同じくらい不透明な物だと思ってる。いや、むしろ本当の正義なんて物は、神よりも存在しないのかもしれないな。なぁ、フィデリオ……俺はおまえが思ってる以上に、この世界が嫌いだ。だからアストライヤー候補から外れた俺に失望した両親を殺したとき、自分も死のうと思った。けど……」
ホレスが視線をフィデリオに向けてきた。少し疲れ切った様子のホレスにフィデリオは、胸が痛くなる。そんなフィデリオの足元に、フィリックがしがみ付いてきた。
「俺が死ななかったのは、俺を『兄』だと呼ぶおまえがいたからかもしれない」
ホレスがそう言った瞬間、遠くから巨大な爆発が起きた。艦内が大きく揺れ、フィデリオの足にしがみ付くフィリックの手が震えている。そんなフィリックの頭をゆっくりと手を伸ばしたホレスが優しく撫でた。フィリックはそんなホレスに身体をビクッと震わせる。
「フィリック、悪かった。許せとは言わない。むしろ、許すな。だがもう怖がらなくて良い。おまえたちは無事にここから出してやる」
ホレスがそう言った瞬間、フィデリオとフィリックの身体がほんのり光り始めた。しかしホレスの身体は光っている様子はない。
その異変に気づいたフィデリオが叫ぶ。
「待って! ホレス兄さん、何してんるんだ! ホレス兄さんも一緒に行くんだろ?」
「悪いが、それはできない。俺に残った因子ではおまえたち二人を連れだすことで精一杯だ」
「なら、他に脱出方法をっ!」
「無理だ。それはおまえにも分かってるだろ? もうこの潜水艦は水深900メートルに来ている。こんな状態では、いくら俺たちとはいえ、海に出ればすぐに圧し潰される世界だ。なぁ、フィデリオ、まだ俺の事をほんの少しでも『兄』だと思ってくれているなら、頼みがある」
「そんな……」
死を受け入れた顔のホレスは、フィデリオが小さい頃から知っている兄の様なホレスの表情だった。
「俺が本当になりたかった存在になってくれ……」
光がフィデリオの視界を覆った。光の世界はほんの一瞬だ。眩い光が消え、フィデリオが次に見たのは、優しい兄の表情ではなかった。
空高く巨大な水柱を上げる海と、その水柱に悲鳴を上げる人々、そして心から安堵し、涙を浮かべる仲間の姿だった。
そんなフィデリオの隣には、未だに自分の身に起きた事がわかっていない様子のフィリックがいる。
けれど、やはりそこにはホレスの姿はない。
フィデリオは黙ったまま、朝を待つ空を見上げた。空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうな気配だ。けれどそんな雲から雨粒が落ちて来るよりも先に、フィデリオの頬に海から上がった水飛沫が落ちてきた。
ホレス兄さん……俺はやっぱり貴方を許す事はできないみたいだ。
そしてフィデリオは、静かに嗚咽を漏らした。




