時限爆弾
『フィデリオ、あの人はきっとハンブルク港に停泊している潜水艦へと移動した』
「クソ、逃げられた」
フィデリオが眉間に皺を寄せながら、目を細める。
『大丈夫。まだ敵の足が見えないわけじゃない。それに朗報だけど、あの人はもうあの兵器を使えない』
「それって、本当?」
『うん、実はフィデリオたちがあの人と戦ってる間、俺の方でもずっと新型兵器に対する試行錯誤を行っていたんだ』
「もしかしてあの兵器のシステムへの介入に成功したのか?」
『いや、そういうわけじゃない。俺がしてたのは、兵器のシステムに介入するっていうより、それを妨害させることだよ。つまり、あの兵器のバッテリーを減らす作業をしてたんだ。俺があの兵器にジャミングをかけ続ければ、あの人は必然的に因子をキャンセラーしないといけないからね』
「なるほど。だから、向こうは父さんたちの攻撃を兵器で防がず、瞬間移動で回避してたわけか」
兵器に内蔵されているバッテリーの下手な消費を避けるためだと思っていたが、まさかルカによってそんな妨害処置が行われているとは、思わなかった。
『それに、向こうには瞬間移動能力があったとしても、隠れた相手を見つけ出す能力はない。つまり兵器へのジャミングを行ってる俺をどうにかしようにも、俺の居場所をつきとめないといけないからね。向こうに情報操作士がいなくて助かったよ』
そういったルカの言葉には、疲労感が滲んでいた。フィデリオが認知している限り、最初からこの場を仕切って、指揮していたのはルカだ。
住民の避難に瓦礫に埋もれていた人とフィリックの捜索、そしてホレスへのジャミング等……これらのことを一気にやっていれば、疲労が溜まるのも無理はない。情報操作士はフィデリオたちのように敵と戦うことはない為、身体的疲労というよりは精神的な疲労が強いだろう。
「ありがとう、ルカ。助かった」
『なら良かった。それとフィリックの居場所の事だけど、フィリックも潜水艦にいる。これはついさっき確定情報になったよ』
「そっか。わかった」
フィデリオはルカに頷きながら、一度アルスター湖へと戻った。そこでフィデリオは氷の上で蹲っているサードの元へと向かった。
氷の上にいるサードは、すでにホレスの幻影からは脱け出せた様子だ。
「良かった。幻影からは脱け出せたみたいで」
「……あたし、こんな惨めで寂しい気持ち、初めて味わった。こんなの、あたしの人生にあっていいはずがないのに」
サードが下唇を噛み、悔しそうに嗚咽を漏らし始める。フィデリオはそんなサードを黙って見ていた。サードの小さい嗚咽が、人気のない湖の上に不思議なくらいに響いている気がした。
「俺は、今からホレス兄さんを倒しにいく。君はもう戦える体力も因子もないだろうから、ここに居た方が良い……それと向こうに見えるボートの中にカリン・ゲーリングがいる。できれば彼女をもっと安らかに眠れる場所へ移動させて欲しい。頼んだよ」
フィデリオの言葉に泣くのをとめたサードは、黙ってナインスが横たわっている船の方を見ている。後ろ姿からサードがどんな表情をしているのかは分からない。けれど、その後ろ姿は信頼できる物だった。
だからこそ、フィデリオは何も言わず、ゲオルクやホレスたちがいる潜水艦の方へと向かう事にした。
潜水艦の方へと向かいながら、フィデリオは頭の中に先ほどのサードの後ろ姿を思い浮かべた。そして、フランツの言葉を思い出した。
物理的ではなく、精神的に相手を倒す。フランツはそれをフィデリオにしかできない事だと言った。どうしてフランツがそう思ったのか、まだその答えはフィデリオの中で出ていない。
はっきり言って、今のホレスが何を考えているのかすら分からっていない状態だ。小さい頃から兄の様に思っていたホレスが、今のこの状況を作り出していることに、フィデリオは冷たい悲しみがある。フィデリオが知っているホレスは、本当に優しくて強い人だった。自分より弱い相手と対抗試合をしたとしても、相手を見下したりせず、誠心誠意を持って試合をしていたし、戦った相手を優しく労い、アドバイスさえしていたくらいだ。それに自分の力をこんな暴力的に使うことは一度もなかった。常にホレスは自分の力を適材適所で使っていた。幼いフィデリオにホレスは、自分たちの力は人を守るために与えられた物だと言っていた。そう話すホレスの目に一点の曇りもなく、澄み切っていた。フィデリオはそんなホレスを偽りだとは思わない。偽りの気持ちであんな目が出来るはずがない。そう思っている。
だからこそ、どうしてホレスが今の様になってしまったのか? 何が彼を歪めさせてしまったのか? フィデリオはそれを知らなくてはいけない。知って、彼を濁らせ引きづり込もうとしている物から助け出す。
薄緑色をしたハンブルクの市庁舎、屋根を強く蹴り規則正しい骨組のコンテナが並んでいるハンブルク港まで一気に跳躍した。
港に停まっている潜水艦はすぐに分かった。夜の色にはっきりとした輪郭を浮かび上がらせる黒い巨大な潜水艦。あまりの大きさに船という概念から外れ、海に浮かぶ要塞と言っても過言ではないくらいの威圧があった。
『フィデリオ、俺はこれから潜水艦のシステムに潜り込んでみるから、その作業中は一度通信を切るよ』
「わかった。じゃあ俺はさっきルカから送ってもらった艦内図を元に、あの人とフィリックが居そうな場所を当たってみる」
フィデリオはそんな潜水艦のカタパルトに着地した。着地した瞬間全長一二二メートルもある艦隊が図ドンという海へと沈み込む様な音と共に大きく揺れた。
音がしたのは潜水艦の内部からだ。内部で戦闘が起きているのは間違いないだろう。フィデリオは急いで何かの熱で淵が溶解されている艦橋のハッチから、艦内へと入り込んだ。
狭い梯子を勢いよくおり、少し細い通路へと着地する。狭い通路にはぐったりと倒れた人の姿がある。フィデリオはぐったりと倒れた人たちを跳び超え、奥へと突き進む。内部は近代的な設備が備わっており、発令所の操舵員席には、計器類はモニターに集約されており、操舵はジョイステック方式だ。魚雷発射管制御システムも作動しており、いつでも魚雷が発射出来るようになっている。魚雷の他にも対艦ミサイルや対潜ミサイルなどが兵装としてあることがシステムモニターから判明した。
ホレスの目的がドイツ軍の壊滅などを目的にしているなら、まず狙いはここから近いイェファー航空基地などの軍事用航空基地だろう。基地が標的地点の中心だとしても、ミサイルなどの攻撃を受ければ周辺の街も甚大な被害が及ぶのは明白だ。
潜水艦を破壊しようにも市街地が近いハンブルク港に停泊しているため、そう安易に潜水艦破壊を強行することはできない。それを考えるとやはり、この艦内にいるホレスを倒すしかない。
フィデリオが艦内を十五メートルくらい奥に進んだ所に、鉄鞭を持ったデトレスに、レイピアを持ったアデーレ、そしてルシカの姿があった。
三人の周りには二〇名程のトゥレイターの戦闘員が倒れている。そんな三人の前にはまだ十五名ほどの戦闘員が手に銃器や刀剣のBRVを持っている。フィデリオはデトレスの隣に立ち、視線を戦闘員に注意を払いながら口を開いた。
「デトレス、今の艦内の状況はどうなってる?」
「今、ゲオルクさんたちが先に敵を追ってる。俺たちはこの艦内にいる戦闘員を倒してる最中だ」
「わかった。じゃあ戦闘員たちのことはデトレスたちに任せた。俺はフィリックを先に探すよ」
「ああ、そうしてやれ」
デトレスが頷く。
「フィデリオ、あの男はフィデリオたちの知り合いなんでしょ?」
ルシカの顔は複雑そうに歪んでいる。自分の父親を人質に取り、自分を一度、洗脳した相手への侮蔑が込められているのだろう。フィデリオ自身、弟であるフィリックが人質に取られているため、気持ちはわからなくもない。きっと、フィデリオもホレスの事を知らなければ、純粋な怒りを感じていただろう。
「うん、そうだよ。小さい頃からの。それに兄みたいな人だと思ってた……」
過去形で言ったものの、フィデリオの中で未だホレスに対しての情は捨て切れていないが、『思ってる』と断言することもできない。そんなフィデリオの内心を余所に、ルシカが続けて問いかけてきた。
「そんな風に思ってた人と戦うことに躊躇いとかは?」
「ないよ」
フィデリオの言葉にルシカや言葉を聞いていたアデーレも驚いた表情を見せてきた。
「迷いがあったなら、俺は元々兄さんと戦ってないし、ここにもいない」
「……ありがとう、フィデリオ。それ聞けて、良かった」
「じゃあ俺は先に行くよ」
「気をつけろよ。フィデリオ」
「あたしが苦労して、この潜水艦を浮上させたんだから、その働きを無駄にさせないでよ」
「わかった。三人も気をつけて」
こちらの様子を伺っていた戦闘員が、フィデリオの動きに合わせて一斉に攻撃を開始し始めた。銃声音が艦内に響き、銃弾が花火のように弾け飛ぶ。
フィデリオはそんな銃撃を難なく躱し、銃撃を避けたフィデリオを斬り込んで来た戦闘員も頭部を蹴り飛ばし、艦内の壁に思い切り衝突した戦闘員が頭をぐったりと下げ、そのまま気絶している。
戦闘員を吹き飛ばしたときの勢いを殺さないまま、フィデリオは艦内の奥へ跳躍する。
デトレスたちがいた地点から、離れても次から次へと戦闘員が出て来たが、フィデリオは最小限の数だけを相手にし、フィリックが捉えられていそうな場所を探しまわる。
怪しいのは、人の居住区として活用されているベースにある独房……だが、ホレスはわざわざフィリックを捕まえ、ここに連れて来たのだ。もしかするとホレスがいる場所にフィリックがいる可能性がある。
発令所のシステムは全自動で稼働しており、無人の部屋となっていた。
フィリックとホレスがいそうな場所を脳裏で考えていると、一瞬、艦内中にホレスの因子が吹き荒れる気配が充満した。すると突然、潜水艦の床が急勾配に傾き始めた。床が前方斜めに傾いているのを考えると、スクリューを使った推進力で潜っているに違いない。
「どうしたんだ?」
いきなり動き始めた潜水艦にフィデリオが眉を潜めていると……
『大変だ、フィデリオ!』
少しノイズの混じったルカからの通信がフィデリオの元に入った。ノイズ混じりのルカの声にははっきりとした焦燥が滲み出ている。
『さっき、敵の因子が充満しただろう? あの時、艦内にいたほとんどの人が外に出された。きっと瞬間移動能力で移動させたんだと思う』
「それで何がまずいんだ?」
『うん、さっき非常時用の追加システムが作動したんだ。そのシステムが作動したことにより、この艦内はあと一時間で大爆発する』
慎重なルカの声がフィデリオの耳元に重くのしかかってきた。




