彼女の愛憎
「そんな……嘘だろ?」
フィデリオの視線が捉えた光景。それは道路で無残な姿で破壊されたエトヴィンのジェット機だ。そのジェット機の近くには、国際防衛連盟の救援ヘリの残骸もある。
「余所見はしてられないんじゃない?」
頭を強い衝撃で殴られたように茫然としていたフィデリオにナインスからの強烈な蹴りが頭部を強打してきた。フィデリオは頭を強く蹴り飛ばされ、視界が歪み脳震盪が起きる。足元がふら付く。
そんなフィデリオにナインスがさらなる攻撃を加えるように、フィデリオの頭上へと正五角形の塊から水圧爆弾が飛んでくる。
「フィデリオ! 避けろ!」
継続的に正五角形の塊を破壊しようとしていたデトレスがフィデリオに怒鳴る。フィデリオはデトレスの声にはっと意識を回復し、攻撃が当たる寸前で横に跳び、攻撃を躱した。フィデリオへと当たることなく、湖の水面に衝突した水圧爆弾は、まるで湖の水面に穴をあけるようにぶつかり、水底の地面を大きくへこませた。
寸前でその攻撃を回避したフィデリオは、思わず息を飲む。この攻撃をまともに受けてしまえば、かなりの痛手になるのは間違いない。
落ち着け。まだエトヴィンさんが死んだと決まったわけじゃない。
戦いに集中するため、フィデリオは歯を喰いしばり自分自身に言い聞かせる。理性で今やるべき行動を冷静に判断し、フィデリオはナインスへと剣を揮うことを選択した。
二択の内の一つを殺し、自分のやるべきことを定めてしまえば、後はその選択に向かって行動するのみだ。
フィデリオは体内の因子を一気に再燃させ、内部に込められたエネルギーを剣に注ぎ、一気に解放する。
聖剣四技 ボレアース
冷気を纏った巨大な竜巻がナインスへと向かっていく。強い竜巻に吹きつけられた湖の水面が宙に水しぶきを上げ、その水飛沫が氷の粒へと変化する。
変化した水飛沫が氷の礫となってナインスへと飛翔するが、それはボレアースによる副産物の攻撃に過ぎない。ナインスはその氷の礫を難なく避け、湖の水を操り、ボレアースを飲み込むように水柱を作り出す。
水柱に覆われたボレアースの動きが食い止められる物の、攻撃事態が消失されたわけでも、相手の攻撃と相殺したわけでもない。
渦の様に水が回転しながら作り出されている水柱の表面が、内部に納めているボレアースの冷気によって段々と凍りつき、水柱から横へと伸びる。外見からすればまるで木の幹から伸びる木の枝のようだ。
フィデリオとナインスはその氷柱の上で激突していた。
ツヴァイヘンダー型の剣とナインスが使用するサバイバルナイフが火花を散らしながらぶつかり合う。BRVに内包されているお互いの因子が激しく反発しあっている。
ナインスはフィデリオとの距離をあまり開けない様にしながら、体術を併用してサバイバルナイフを揮ってくる。フィデリオは意識を集中させナインスの攻撃を剣で受け止めると、そのままナインスを風力で宙へと吹き飛ばす。風に吹き飛ばされ体勢を一瞬崩したナインスをフィデリオが見逃すはずはない。ナインスが宙で体勢を整えようとした瞬間、フィデリオが追撃として放った斬撃がナインスへと直撃する。
宙で爆発が起きる。
フィデリオが氷柱を足底で蹴り、爆発に呑まれたナインスへと斬りかかる。しかしその斬り込みはフィデリオの気配に気づいたナインスによって受け止められる。
流水速技 水槍
ナインスが空中の微細な水分で作り出した槍から高速の刺突を繰り出してきた。無駄のないナインスの高速の突きを剣身で受け止めた瞬間、刺突という攻撃に含有していた圧力でフィデリオも後方に弾かれる。
さすがトゥレイターのナンバーズだけあって、攻撃に隙がない。
「けど……これならまだまだ……」
いける。
フィデリオは先に下へと落下していくナインスに斬撃を放つ。
聖剣四技 破壊
重力を含む斬劇が真っ直ぐにナインスへと降り注ぐように向かっていく。斬撃の真下にいたナインスは水面に足がついたのと同時に、素早い動きで横へと跳躍して斬撃を躱しているが、そんなナインスの身体をフィデリオが勢いよく投擲した剣が突き刺した。
それと同時にフィデリオは剣に込めていた因子を爆発させる。
聖剣四技 暗殺者
ナインスに突き刺さった剣を爆薬とし、無音爆発が起きる。ナインスの身体が大きく抉られる姿を目にしたのはフィデリオだけだ。
そしてそのままナインスが水底に倒れて行く。それと同時にナインスの作りだした正五角形をした水の塊が底から抜け落ちる様に勢いよく崩壊し始めた。
崩壊している水の間からデトレスに抱えられながら、二本の足で立っているエトヴィンの姿が見えた。負傷しているものの、意識はあるようだ。
フィデリオはそんな光景にほっとしながら勢いよく湖へと飛びこんだ。
水中にナインスから流れる血が帯の様に漂っている。フィデリオはその血を追う様に下へと潜ると、水底に左肩部分が大きく抉られたナインスの姿を発見した。
フィデリオは、ナインスの傷口部分を素早く氷で止血すると、ナインスを抱えそのまま水面へと戻る。
「ぷはっ」
水面へと顔を出す。
「あたしを……殺すんじゃないの?」
微かに意識を取りとめているナインスがフィデリオにそう訊ねてきた。その表情には痛みに顔を歪めながらも、フィデリオを非難する意志が瞳に宿っている。
「殺すつもりでやった。けど本当に殺したいわけじゃない。殺したら貴女に自分の罪を反省させることと考えを改めてもらうことができなくなるから」
「罪を反省? あたしはそんなことしない。絶対にね。そんなことをするつもりなら最初からこんな事してない。これはあたしの人生を掛けた復讐……」
ナインスが破壊された街の風景を見つめている。
「貴女は本当にこんな光景が見たかったのか? 確かに貴女は辛い思いをしてきたかもしれない。けどそれでも俺は……貴女に分かって欲しいんだ。この国は貴女が思っているほど悪い国じゃない。確かに改善しないといけないことはたくさんあるし、間違えることもある。でも俺はこの国が好きなんだ。きっとそれは俺だけじゃない。だから俺が好きなこの国を嫌いなままでいて欲しくない。だから俺なりに貴女にこの国を好きになってもらえるように、努力する」
さっきナインスに言ったとおり、フィデリオは初め彼女を殺すことを考えた。けれどふと考えてしまったのだ。このまま終わってしまっていいのか? と。もしこのまま彼女を死なせてしまえば、彼女は自分の国を嫌いなまま、憎んだまま終わってしまう。
ナインスは、彼女は本当にドイツという国を憎んでいるのだと思う。けれどそれと同じくらいドイツという国に未練があるように見える。
「貴女はこの国を本当は好きだと思う。けどその国に嫌われてると思ってる。だから自分もこの国を嫌ってるんだろ? 俺にはそう見えたんだ」
フィデリオの言葉にナインスは何も返答せず、しばし黙ったままでいたが……静かに息を吐いてから口を開き始めた。
「今の自分にアンタに反撃できるくらいの状態だったら、アンタを怒鳴り散らしながら攻撃しているところだけど……そんな気力も湧いてこないわ。本当に最悪ね。けど……やっぱりそうなるのかしら? あたしが執拗以上にこの国を嫌悪するのは、あたしが好きだからなの? はっきり言ってよく分からない。あたしの持論だと、振り向かない相手を追わない主義だったんだけどね。振り向かない相手を追っても時間の無駄だもの」
ナインスの表情は、これまでフィデリオが見て来た物の中で一番静かで、落ち着いていた。
「俺は無駄なんて思わない。自分の好きな人に自分を好きになってもらうための努力に掛けた時間を俺は絶対に無駄だって思わない」
「もし、その恋が実らなかったら?」
「そりゃあ、悲しいよ。きっと実らなかったときは凄く落ち込むと思う。でも、俺はそれでもその人を嫌いにはならないよ」
「へぇー、そう。でもまぁアンタってしつこそうだもんね」
「しつこいは余計だよ」
フィデリオが痛い所を突かれた気がして、顔をムッとさせた。けれどそんなフィデリオをナインスがクスクスと笑い声を上げて笑って来た。
「どうしてアンタが笑ってるの?」
「えっ、あっ……ついつられて」
自然と自分が笑みを浮かべていたことを、目を眇めるナインスに咎められ、フィデリオは苦笑を浮かべた。
「それでどうだった?」
「え?」
「え? じゃなくてあたしが笑った顔はどうだった?」
「ああ! 良かったと思う。うん、凄く」
慌てた様子のフィデリオにナインスが呆れた溜息を吐いて来た。
「そんな調子だと、好きな子に振り向いてもうらうのは当分先ね」
「そうかもしれません……」
フィデリオは少し頭をさげながら、ナインスの言葉に頷いた。すると再びナインスが穏やかな表情で笑ってきた。
そんな穏やかな二人の間に数発の銃撃音が鳴り響いた。
「え……?」
フィデリオの視界に首や胸、腹などを撃たれたナインスの血飛沫が広がる。急所を撃たれたナインスは構内に逆流してきた血で噎せ返って咳き込んでいる。呼吸も空気を切るような不穏な呼吸音をしている。
「まずい」
早く傷口を防がなければ、手遅れになってしまう。フィデリオは急いで止血をしようとするが、それを震えるナインスの手が止めて来た。
どうして、止めるんだ? とナインスに言おうとしたが、その言葉はもうすでに彼女の耳には届かぬものとなってしまった。
フィデリオは唇を噛み、ナインスの瞼をそっと閉じる。
「あり得ない(No way)……どういうこと(What's going on here?)!? 何でよ?(How come?)」
英語の金切り声がした方にフィデリオが視線を向けると、そこには怒りと混乱と絶望が織り混じった表情を浮かべるサードが手で顔を覆いながら湖の上に残っていた氷上に立っていた。
フィデリオはそんなサードを睨みつける。今まで散々人を洗脳し、騙していた奴だ。戦う事のできなくなった仲間を殺すことなど厭わないかもしれない。
「何故、彼女を殺した?」
侮蔑を込めた視線でフィデリオがサードを見る。けれどサードはそんなフィデリオの言葉を聞いていないかのように、フィデリオに背を向けるように後ろを振り返り、手にドライゼM1880を持ち、ゆっくりとした足取りで近づいて来た、冷淡な表情のホレスを睨みつけた。




