食い違い
爆発音を聞きつけ、フィデリオが巨大な音がした方へと視線を向ける。しかし視界に見えるのは、炎上した炎と暗い夜の色よりも、もっと深い色をした黒煙が見えるだけだ。
「ホレス兄さんだったら、奴等にやられることはないと思うけど……」
ちゃんと視認していない以上、少なからず不安は残る。けれどその不安を解消するために、また元の場所に戻るという選択肢はありえない。そのためフィデリオは、ホレスが無事だと自分に言い聞かせながら、ルカが示してきた地点へと急ぐ。
だがその前に、意識を失っている二人をどこか安全な場所に連れていかなければならない。時間は削られている。
「クソッ……」
思わずフィデリオの口からそんな言葉が漏れた。じれったさが自分の身体に纏わりついて離れない。このまま意識のない二人をどこかの岸辺に上げて置くか……一瞬そんな考えが頭を過るが、すぐに首を振り、頭に過った考えを捨て去る。
ダメだ。
さっきのように敵がこの街にいるんだとしたら、意識のない二人をどこかへ放置することはできない。二人はWVAにも出場した選手でもあるため、敵に顔を知られている可能性が高い。特にヤーナの能力はあの大会でも高く評価されていた。試合自体は負けてしまっていたとしても、個人的な評価が試合の勝敗で相殺されるわけではないからだ。
「どこか、二人を安全に置いておける場所は?」
顔を顰めながらフィデリオは辺りを見回して、壁に沿う形で停泊している手漕ぎのボートが目にとまった。フィデリオはすぐにそのボートに二人を乗せ、急いでボートを漕ぎ始めた。
自動音声モードにしてある端末でデトレスに通信を入れる。
『フィデリオか?』
険しい表情でデトレスが通信に出た。けれど通信に出たデトレスにフィデリオは違和感を感じた。
「デトレス、今どこにいる?」
『いきなりなんだ?』
「いいから!」
『ベルリンだ、ベルリン! 少し前におまえが運転してるときに言っただろ』
フィデリオの緊迫した言葉に、答えるデトレスの声も自然と強くなる。そしてそんなデトレスの言葉を聞いて、フィデリオは愕然とした。
「ちょっと待った。デトレス、俺はデトレスと家に帰ってから通信をしてるはずだ。ハンブルクに向かうっていう……それでアルスター湖で待ち合わせっていう話をしたじゃないか」
通信で話した内容を話した本人に説明するというのは奇妙だが、今通信を行っているデトレスは本当に身に覚えのないような、表情をしている。
『フィデリオ、俺はそんな話をした記憶なんて一切ないぞ? むしろ、俺はベルリンでアデーレと一緒に犯人たちが潜んでいるかもしれない地点を、国際防衛連盟の隊員と共に調べてた。それでおまえからの少し前に通信があって、掛け直したけどおまえは出なかったんだ』
フィデリオは急いで端末で着信履歴を調べると、確かにデトレスからの折り返しが数十分前にかかってきている。
これはどういうことだ?
顔を顰めるデトレスを見ながら、フィデリオは困惑した。確かに自分は家でデトレスと話したはずだ。けれどデトレスはそんな話はしてないと言う。そしてそれを話すデトレスの顔に嘘が混じっている様にも見えない。
『とりあえず落ち着け、フィデリオ。今の状況は確かに変だ。けど今はそれについて言及してる暇もない。そうだろ? だったら話を前に進める。簡単で良い。今のおまえの状況を俺に教えてくれ』
「そうだね……わかった」
デトレスの言葉を聞いたフィデリオは一度、息を整えてから今までの経緯をデトレスに伝える。するとデトレスが少し考えてから、口を開いた。
『フィデリオ、きっとおまえがいるハンブルクの方が黒だ。方法も意図も分からないが、きっとおまえをそこにおびき出すために、犯人たちが仕掛けて来てる可能性は高い。けどこれは人質を助け出して、犯人たちを捕まえるチャンスでもある。だからフィデリオ、おまえがまず前衛になるんだ。けど、無茶はするな。何かあったらすぐに連絡をよこせ、いつもみたいに気持ちだけで突っ走るなよ?』
「努力するよ。約束はできないけど。ただ問題はルカとヤーナなんだ」
『どうかしたのか?』
「うん、ルカとヤーナの様子がさっきおかしくなって、それから意識を失ってるんだ。それで最初、デトレスがハンブルクに来てると思ってたから、二人の安全を確保してもらおうと思ったんだ」
『なるほどな……だったら少し荒業だけど、二人に何かしらの刺激を与えて起すしかないな。二人は意識を失って、外傷とかはないんだろ?』
「ないよ。わかった。それでいこう」
フィデリオはデトレスに頷いてから通信を切り、意識のない二人の手を握り、手から微弱の電流を流す。すると二人の身体からバチッという小さく乾いた音が聴こえ、それからゆっくりと二人が目を覚ました。
「良かった。二人とも」
フィデリオがそう言うと、ゆっくりと目を開けた二人が少しぼんやりとした表情でフィデリオの方を向き、ゆっくりと上半身を起こした。
「どうして、私……意識を失ってたんだろう?」
「ヤーナ、ホレス兄さんからボートのハンドルを取ろうとしたことは覚えてる?」
不思議そうに呟くヤーナにフィデリオが訊ねると、今度は驚いた様子でヤーナが首を横に振りながらフィデリオを見てきた。
「覚えてない……えっ、どういう事? 本当に、私が……?」
困惑しているヤーナからフィデリオがルカの方へと視線を移すと、ルカも首を横に振ってきた。
「俺もヤーナと一緒で、どんな風に自分が意識を失ったのか覚えてない。先に言っておくと、もし俺もヤーナのように不審な行動を取っていたとしても、それを俺は覚えてない。覚えてるのは最初にヘリから銃撃を受けた所まで」
「わかった……」
フィデリオは目標地点に向かいながら、ホレスの事やデトレスとのことを二人に説明した。そしてフィデリオの話を聞いていたルカが口を開いてきた。
「もしかしたら、犯人の中に人の意識を乗っ取れる人物がいるのかもしれない……」
「その仮説が正しいとしたら、確かにヤーナやルカの取った行動もわかるし、もしかすると、デトレスもその人物に意識を乗っ取られてた可能性もあるってことか」
「そうなるね。俺とヤーナが意識を乗っ取られたのがさっきだとして、デトレスはハンブルクに向かうって言っていた時に意識を乗っ取られていた線が強いね。現に俺たちはハンブルクで襲撃を受けてるわけだし」
「犯人たちの陽動っていう可能性は?」
「ないと思う。単なる陽動だったらもっと突発的にもっと目立つやり方があるよ。今のやり方だとかなり限定的な気がするんだ。本当の陽動だったら、俺たちだけじゃなくて、もっと大掛かりに動いている国際防衛連盟の隊員たちの動きも止めたいはずだから」
言われてみればそうだ。犯人たちの場所が明確に特定されていない以上、ありとあらゆる想定を頭の中で思案してしまうが、ルカが言っていた通り、これらの行動が陽動というのは考えにくいかもしれない。
それにもう少しで、フィデリオたちが向かっている目標地点に辿り着く。フィデリオたちが漕いでいる船は、もう少しで街中にある内アルスター湖へと出る所だ。そして目標地点はその内アルスター湖に面した道路の一角にあるBARだ。
もうすぐだ。
フィデリオが目標地点の方を見ていた矢先、フィデリオたちに新たな進展が起きた。
「フィデリオ……俺たちの所に物凄い勢いで近づいて来るボートがあるよ。どうする?」
ルカが遠くで物凄い水飛沫を巻上げながら近づいて来るジェットボートを指差してきた。
「さっきと同じ敵?」
そう言ったのはヤーナだ。
しかしそんなヤーナの言葉をルカが首を振って否定してきた。
「違う。ヘリで襲ってきた奴等じゃない。あれは……」
「Hi,GermanBoy&Girl. My number is 3rd. Let’s begin! A fun party!」
明るい口調の英語でブロンドヘアーを風に棚引かせた少女が、勝ち気な笑みを浮かべながらボートの先端に乗り、肩にはM9バズーカを担いでいる。
「あれは、トゥレイターのナンバーズだ」
確かアメリカの代表選手であるライアンたちがクロエと呼んでいた少女だ。間違いなく逃げることが不可能だと判断したフィデリオはサードに向かって跳躍した。
するとサードが自分へと向かってくるフィデリオを見て、にやりとした笑みを浮かべ、ドイツ語で話してきた。
「あれあれ? いいの? 友達をあんな所に置いてきちゃって?」
「別に構わないよ。どうせ、二人だけは逃がす気でいたからさっ」
フィデリオはそう言ってサードが乗るボート手前の水面に無形エネルギーの斬撃を放ち、巨大噴水の様に大きな水柱を造る。
その瞬間に、フィデリオは身を捻転させ、ヤーナたちが乗るボートの方に強風を纏った斬撃を放った。フィデリオが放った斬撃自体は、ヤーナたちの頭を横切り、斬撃の纏う強風が水面を揺らすのと同時にボートを遠くへと押し進める。
フィデリオはそれを数回、放ちヤーナたちのボートを陸に追いやったところで、斜め下からバズーカから放たれた砲弾がフィデリオへと飛んできた。フィデリオはその砲弾を縦に二つに斬ると、その瞬間砲弾がフィデリオの左右で爆発し、爆風がフィデリオの服や髪を揺らす。フィデリオはヤーナたちの方を一瞥し、二人が陸に上がったことを確認すると……
「はぁあっ!」
剣身に因子を一気に流し込む。
聖剣四技 氷結
フィデリオが剣から放った斬撃が水面に直撃し、一瞬の内にアルスター湖の水が氷へと変わる。するとサードが乗っていたボートのモーターが奇怪な音を上げ、停止した。
フィデリオはスケートリンクへと変貌した湖の上に着地し、動かなくなったボートを見て肩を竦めるサードに剣を構える。
「悪いけど、ここで時間を取られるわけにはいかない。一気に片を付けさせてもらう」
「安い挑発。でも、それは無理。アンタがここを素敵なスケートリンクに変えてくれたから尚更ね」
そう言って、サードが両手を広げ余裕綽々の表情で笑い声を上げてきた。
「どういうことだ?」
フィデリオがサードを睨みつける。するとサードが片方の手でフィデリオの背後を示してきた。
「アンタの相手は彼らだからよ!」
サードの言葉にフィデリオが後ろへと振り返る。
「これは……」
思わず我が目を疑いたくなったフィデリオの視界には、手に銃や包丁、鉄の棒などを持った市民が数にして数千人の姿があった。




