追い越したい影
フィデリオが通う学校は、ドイツのミュンヘンにある。ドイツ国内でアストライヤー関連の学校は三校ほどしかなく、バンベルクから一番近くにあり、三つの学校の中でも一番レベルの高い学校が、フィデリオたちが通う学校だ。学校は丁度ミュンヘンの市庁舎近くにあり、市庁舎の時刻を知らせる鐘が聞こえてくる。
市庁舎の周りには、食べ物ややゴシック建築の教会などもあり、人々で賑わっている。
フィデリオはその教会を抜け、少し細い道を通り学校のキャンパス内へと入った。
キャンパス内は、芝生が敷かれプラタナスの木が道端に生え揃えられている。
そのプラタナスの木が植わっている道の真正面には、煉瓦造りの二階建ての校舎が見え、縦というよりは横広い造りの校舎になっている。そして学校はオープンキャンパスとなっていて、学校の様子を見学しにくる。ドイツは四年間の基礎学校を卒業してから、五つの分類に別れるのだが、アストライヤーを目指す生徒は、実科学校という分類に属している。
けれどアストライヤーを目指す者たちの場合、政府とも強い結びつきがあるため、ただひたすらに実技をやっていればいいわけではない。正式なアストライヤーになるためには、アビトゥーアを修得しなくていけないのだ。しかもバイエン州のアビトゥーアはドイツ国内の中でも取るのが難しい。
しかし、これを取らなくてはどんなに実技が著しく高いとしても、アストライヤーになることは絶対にできないのだ。だからこそフィデリオが通う学校でも、実技の他に高レベルの授業が行われている。
「おはよう、フィデリオ」
校内にある駐車場に車を止めたフィデリオの元に、ヤーナが笑顔でやってきた。
「うん、おはよう。ヤーナ」
「確かフィデリオもトレーニング室予約してるんだよね?」
「そうだよ。実は他の授業の課題をしてたときに、トレーニング室の予約を取ってるヤーナを見て慌てて、取ったんだ。ちゃんと予約しておかないと、別の誰かに部屋の空きを取られちゃうから」
苦笑を浮かべたフィデリオがそう言うと、ヤーナが少し顔を赤らめて嬉しそうにしている。けれどフィデリオはヤーナが、何故嬉しそうにしているのか分からずに首を傾げた。
「ヤーナ、何か嬉しそうだけど、何かあった?」
「えっ! いや、その……別に、なんでもないの。えーっと、フィデリオも車に乗ってるとき、嬉しそうな顔してたけど、何か良い事あった?」
照れた様子のヤーナが上目遣いで下からフィデリオの顔を見てきた。フィデリオはやっぱり、自分の気持ちが顔に出ていたことを知り、少し顔を赤らめながらどう答えようか迷った。
隠す内容でもないけれど、口に出して言うのも少し恥ずかしい気がする。そう思ったフィデリオなのだが、ヤーナが視線だけで、フィデリオが何か話す事を期待しているような、雰囲気を醸し出してるのが分かった。
こう、期待されたら言うべきなんだろうなぁ。
「実は今朝……」
フィデリオがそう口を開いた瞬間、フィデリオの腕に実技の授業で一緒の張・ルシカが自分の腕を組んできた。
「おはよう。フィデリオ、ヤーナ。こんな所で何の話してたの?」
ルシカは母親が中国人で父親がドイツ人のハーフだ。性格はボーイッシュで、誰にでも隔たりなく接するため、学校内に彼女の友人は多い。
「別に大した話じゃないけど、まぁ、簡単に言うと今日は気分が良い日ってことかな」
「ふーん。なるほどね。じゃあヤーナは?」
「私はただ、フィデリオと一緒に練習できるのが嬉しくて……」
ヤーナは顔を俯かせ、小さい声でそう言ってきた。そんなヤーナをみてルシカが、ニヤリとした笑みを浮かべ、フィデリオから離れ、ヤーナと耳元で何かを話し始めた。
「実はあたしも同じ時間帯に練習が入ってるんだけど、嬉しい? それとも二人きりじゃなくて残念?」
「勿論、ルシカと一緒だって嬉しいよ。確かに少し残念って気持ちもあるけど……」
「そっか。でもあたしは残念かな。どうせだったら二人きりでやりたかったし。ヤーナはライバルだしね。色んな意味での」
ルシカがヤーナにウィンクを浮かべると、ヤーナが少し動揺した様子で顔を赤らめ始めた。二人の話が分からないフィデリオは頭の上に疑問符を浮かべながらも、トレーニング室に向かうことにした。
トレーニング室に向かう途中、何人かの友人と言葉を交わしながら、トレーニング室に入る。トレーニング室とは言っても、その広さはWVAの時に使われたグランド並みの広さがある。そこでは複数の生徒同士で模擬戦を行ってもいいし、練習装置を使ったトレーニングも出来る。
「ねぇ、フィデリオ。どうせフィデリオは最初に剣の型から入るんでしょ? もしそれが終わったらあたしと対人戦しない?」
「そうだな……」
ルシカからの申し出にフィデリオが少し考えてから、頭を頷かせた。
「うん。わかった。いいよ。それじゃあ一時間後にグランドの中央で待ってる」
「それじゃあ、私はその時の審判をするね」
「ありがとう、ヤーナ」
フィデリオがヤーナに笑顔でお礼を言うと、ヤーナはにっこりとした笑顔を返してきた。
それから、三人とも自分にあった基礎練習から入り始めた。
ヤーナは少し場所を変え、集中力を高める練習を。格闘術を使うルシカは下にマットが敷いてある場所で同じく体術を身に着けている生徒と組手をしている。
フィデリオはあまり人気のない所で、剣を構え……ドイツ剣術を練習し始めた。そして剣術の練習をすればするほど、思い出すのは、やはり真紘との試合だ。自分の相手をした真紘は、日本の剣術で、その様式は似ているようで、まったく異なる物だった。
ドイツ剣術は裏刃を使った攻撃もあるが、日本剣術で使用する刀は両刃ではなく、片刃の刀だ。そのため切り返しの時のスピードが重要な物だ。そして真紘はその刀を切り返すスピードを自分の出せるスピードを出し切っており、切り返しのスピードだけで言えば、フィデリオは真紘に劣っていた。勿論刃と刃が衝突し合った場合の対処法は、日本剣術よりドイツ剣術の方が豊富であり、鍔迫り合いとなったときはフィデリオの方が有利だった。
これを考えれば、フィデリオからしても真紘にそれほど劣っていたわけではない。けれどフィデリオは真紘に負けているのだ。しかも真紘は後日セツナから教えてもらった話によると、真紘はWVAでドイツと戦う前に狼と戦っていたらしい。それを聞いて真紘が試合前に負傷していた理由が分かったのと同時に、フィデリオは動揺も生じた。
自分は狼と戦い負傷していた真紘に負けた。そう考えるとフィデリオは居た堪れない気持ちになった。そんなフィデリオにセツナが真剣な表情で首を横に振ってきたのを覚えている。
「フィデリオ、フィデリオがそんな顔する必要なんてない。だってフィデリオは今持てる自分の力を出して戦ったんでしょう? だったら試合に負けても気にする必要なんてない。それにマヒロがフィデリオに勝てたのは、きっとマヒロが自分の殻を一枚破れたからだと思うの。そう、多分……これは多分なんだけど、そのタイミングが丁度フィデリオたちと戦った時に、重なったんだと思う。それにね、やっぱり私からしてみたら、勝ったマヒロも負けたフィデリオも二人ともキラキラして見えた。だからお願い、フィデリオ。そんな自分を責める様な顔をしたりしないで」
そんなセツナの言葉でフィデリオは気持ちが軽くなったのを覚えている。セツナはいつも自分の背中を押してくれる存在だ。時には明るく、時には真剣に。だからこそ、フィデリオは自分自身、セツナの事が大切で、彼女に対して特別な感情を抱いてしまう。
まだセツナがドイツにいる頃、もしかしたらセツナも自分と同じ気持ちを抱いてくれているんじゃないか? と淡い期待も抱いていた。しかしWVAの時、セツナが真紘を気にしている素振りを見て、自分が抱いていた期待がただの自惚れだと思った。
そしてだからこそ、フィデリオは試合前にも関わらず真紘に勝負を挑んでしまったのだ。そのときはタダの恋敵として真紘を見ていた。そう選手としての自分ではなく、ただ幼馴染に恋している少年としての視点で真紘を見ていた。
けれど真紘と戦った試合で、フィデリオの視点が大きく変化したのだ。
あの試合を経て、真紘への視点が恋敵を見る少年の視点ではなく、フィデリオ・ハーゲンという人間にとってのライバルとして見る様になった。
あの真紘の強さの裏には、どんな覚悟を持ち、どんな鍛錬を積み重ねてきたのか? フィデリオにはまるで想像できない。
でもきっと、追い付いて追い越して見せる。
宙を剣先で払い、固く決意する。
次に剣を交える時には、自分が真紘に勝てる様に。
そんな事を考えながらフィデリオが練習を続けていると、元から端末にセットしておいたアラームが鳴った。アラームはルシカと約束した五分前にセットしてあった二つ目のアラームだ。十五分くらい前に鳴るようにしてあったアラームもあったのだが、そっちのアラームは無意識に切っていたらしい。
「もう一時間経つのか……」
呟いてから、フィデリオはすぐにルシカと約束した集合場所に向かった。するともうすでにルシカとヤーナの姿がグランドの中央付近で待っているのが見えた。
フィデリオは急いで、ルシカたちが待つ場所へと向かった。
「もう、フツ―女子を待たせる?」
「ごめん。色々考えてたら一つ目のアラームを切ってた」
「どんだけ、集中してるのよ? もう少し遅かったらフィデリオの事探しに行っちゃう所だったんだから」
「そうならなくて、良かったよ」
フィデリオがジト目で睨んでくるルシカにそう言うと、ヤーナが困った様に苦笑を浮かべてきた。
「なんか、フィデリオらしいかも」
「そうかな?」
「うん、なんかフィデリオっていつも一つの事に熱中すると、周りが見えなくなってるから」
「ああ……それはデトレスや父さんにも言われた。ちゃんと周りを見られる様にならないといけないんだけど。なかなか、上手くできなくて」
「そっか。でもそれはフィデリオのやり方だと思うし、一概に悪いとは思わないけどな」
「ありがとう。ヤーナ。けど、俺自身、もっと周りを見れる様になりたいと思ってるから」
フィデリオがヤーナにそう言うと、ヤーナが穏やかな表情で頷いてきた。そんなやりとりをフィデリオとヤーナでしていると、ルシカが少し不機嫌そうに咳払いをしてきた。
「目標を語ってるのは良いんだけどさ、そろそろあたしと模擬戦しない?」
ルシカからの催促に、フィデリオは勝ち気な表情を浮かべ頷いた。
「わかった。いいよ。俺の準備はもう出来てるから。どっからでも掛かって来ていいよ」
「言ってくれるじゃん。オッケー。その余裕そうな顔を焦りに変えてやるんだから」
ルシカもフィデリオに負けじと勝ち気な笑みを浮かべ、二人の模擬戦が開始された。




