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弟’s

 ポツダムの屋敷を訪れてから二日ばかりが過ぎていたが、国内でテロによる暴動が起こらなかった。暴動が起らない事に越したことはない。けれどフィデリオの中でやはり不安は拭いきれない。まるで嵐が起こるまえの静けさのような、そんな感じがするからだ。フィデリオは家のダイニングで、マッシュポテトとソーセージ、などが乗っている皿を見ながらぼんやりとしていた。

 フィデリオやセツナが住む地域は、ミュンヘンを州都に置くバイエン州のバンベルク。この街にはレグニッツ川という大きな川が流れており、街自体は大きくはないが昔の面影を残す所だ。旧市庁舎の所に掛かる橋で下町へと入り、だんだん置くに進むと坂道も出て来て、その坂を上がって行くとバンベルク大聖堂などがある。

 そんなバンベルク大聖堂の真正面くらいの所にフィデリオの家はある。建物自体は少し古いが、中を改築しているし、家の庭からは眼下の街も眺められる様にもなっている。

 ぼんやりとしたフィデリオの耳に少し離れたキッチンからは、母親の鼻歌と共に食器を洗う音がして、ダイニングテーブルの前にあるソファーには、年の離れた弟、フィリックがテレビを見ている。

 父親の姿は家にはいない。アムステルダムからは戻って来てはいるが、今朝も早くから外に出閉まっている。欧州の国際防衛連盟での話合いがまだ思うに様に進んでいないのかもしれない。

「フィデリオ、もうそろそろ学校に行かなくて平気なの?」

 ぼんやりしながら考え事をしていたフィデリオに母親が首を傾げながら、訊ねてきた。そのため、フィデリオは意識を朝食へと戻した。

「ごめん。少し考え事。これ食べたらすぐに行くよ」

「そうよ。貴方が早く行かないとその内フィリックが愚図り始めちゃうんだから」

「はは。そうだね」

 小さく笑ってフィデリオがご飯を食べ始め、朝食を早々に済ませる。今日の昼前に学校にあるトレーニング室を予約していることを思い出した。

「じゃあ、俺行くね」

 食器を台所に片付け、フィデリオが母親と弟のフィリックに声をかけて玄関を出て行こうとすると、自分の足にさっきまでソファーに座ってテレビを見ていたフィリックがしがみ付いていることに気づいた。

「フィリック?」

「……兄ちゃんと遊ぶ」

「遊ぶって言ってもなぁ……兄ちゃん、これから学校に行かないといけないから、帰ってきたらね」

 フィリックの頭を撫でながらフィデリオがそう言うと、フィリックが顔を横にブンブンと振ってきた。

「困ったなぁ……」

 三歳になるフィリックは、父親譲りなのか頑固な性格をしており、この仕草をしたらとことん自分の意見が通るまで離れない。フィリックの事は歳が離れている所為かフィデリオがよく遊んでいたため、今では根っからのお兄ちゃん子になってしまい、フィデリオが学校に行く際はいつもこんな調子だ。

「ほら、フィリック。お兄ちゃんを困らせたらダメでしょう?」

 そう言って、キッチンから歩いてやってきた母親がフィデリオの足にしがみ付くフィリックを(たしな)めるが、フィリックは頑として動こうとはしない。そのため母親とフィデリオは困った様子で視線を交わしながら、溜息を吐いた。するとそこで家の扉がノックされた。ノックの音にフィデリオが返事をする。すると玄関を開け入ってきたのは、近所に住むホレス・ギーレンが微笑を浮かべて玄関口に立っていた。

 ホレスは家の近くに住む九歳上の男性で、昔はゲオルクやフランツに練習を見て貰いたいとフィデリオの家に出入りしていた人物だ。アストライヤーとしての実力も高く、国際防衛連盟の第一部隊にも入っており、父親たちがいないときは、フィデリオの練習にもよく付き合ってくれていた。

 仕事を始めてからは、あまり会う機会も少なくなったが、それでもたまにフィデリオに助言をしてくれたりしてくれる、兄弟子的存在だ。

「ホレス兄さん」

「慕われている兄というのは大変だな」

「久しぶりね。ホレスがこんな朝早くからやってくるなんて」

 苦笑を浮かべるホレスをフィデリオの母親が家の中へと招きいれようとするが、ホレスは首を横へと振った。

「今日は少しゲオルクさんに、アムスでのことを訊こうと思ってやってきただけですから。お構いなく」

「ごめんなさいね。主人は今、ベルリンの方に行ってるから帰りが遅くなると思うの。ゲオルクが戻ってきたら、ホレスのこと伝えておくわね」

「ありがとうございます。よろしく……それにしても、フィデリオ、この前の大会は残念だったな」

「まぁ、ね。でもその話は外出てからでいいかな? この話をフィリックの前ですると……」

 引き攣り笑いを浮かべるフィデリオが恐る恐るフィリックの方に視線を向けると、案の定、フィリックはフィデリオの足にしがみ付きながら、悔しそうに表情で泣きそうになっている。

「どういうことだ?」

 泣きそうになっているフィリックを見て、ホレスが不思議そうに首を傾げてきた。フィデリオはそんなホレスに苦笑を浮かべてから、小声で事情を説明した。

「実は、俺が日本の選手に負けていた試合中継をテレビで見てたらしいんだ。でも俺、あの試合負けちゃったから、フィリック的にショックだったみたいで、あの試合の話をすると今でも泣きだすんだ」

「なるほど。でもそれは仕方ないかもな。憧れの兄が知らない奴に負ける所なんて、弟としては許せなかったんだろ」

 ホレスが落ち着いた声でそう言いながら、フィデリオの足元にしがみ付いているフィリックの目線に合わせる様にしゃがみ込んだ。

「赤ん坊のときに一度見せてもらったきりだったね。初めましてフィリック。フィデリオのこと、お兄さんの事を憧れているんだね。君の目から映るお兄さんはカッコいいかい?」

「……うん、かっこいい。兄ちゃんはかっこいい」

「そうか。なら君もそんなお兄さんに恥じない子になるんだ。いいな? 例えば出かけようとするお兄さんの足にしがみ付いて、離れないような甘えん坊じゃ、いつまでも成長はできない。わかるだろ?」

 ホレスがフィリックにそう語りかけると、フィリックが静かに頷いてフィデリオの足から手を離した。

「よし、良い子だ」

「ホレス、凄いわね。フィリック人見知りだから、あんまり話した事のない人の言う事は全然きかないのに」

「たまたまですよ」

 苦笑を浮かべたホレスがフィデリオの母親にそう返事をしながら、腕についている時計で時間を確認している。

「もうそろそろ、用事の時間だ。フィデリオ、この前の大会の話を聞きたかったが、思った以上に時間がなくなってしまった。俺は少し先方との約束がある。悪いがこれで失礼させてもらう」

「うん、わかった。じゃあまた今度ゆっくり時間がある時にでも」

 踵を返したホレスに手を振ってから、フィデリオはフィリックの頭を一撫でしてから、玄関を出た。後ろを振り返ると、玄関で母親に肩を掴まれたフィリックが名残惜しい表情を浮かべながら、フィデリオを見送っている。

 そんなフィリックに手を振って、フィデリオは車庫へと向かった。

 俺もフィリックの事を甘やかしし過ぎないようにしないと。

 車で学校までの道のりを走りながら、フィデリオは再びポツダムでの件を考えていた。

 あの後も国際防衛連盟の部隊員が屋敷を捜索したのだが、人がどこかに隠れている形跡もなく、言葉の通りもぬけの殻だったらしい。フィデリオたちが取り押さえた男たちもあの屋敷にいた記憶がない上に、地域的なネオナチ活動には参加していたらしいが、暴動を起こそうとしている情報などは耳にしていないという供述らしい。

「怪しい人物だけでも、割り出せたら良いけど……」

 簡単にはいかないだろう。

 もしかしたら、この前のポツダムの屋敷にいた連中はこっちの動きを知るための囮だったということもありえる。例えば仮に敵の中に催眠術系の能力を有している者がいるとするなら、この囮作戦は難なく成功させることができる。今回の様に囮役が捕まった場合でも、催眠を解けば、自分たちのことなど何も知らないただのギャングになるだけだ。そしてこの線を踏まえて考えると、アーベル・バスラー少佐も敵の催眠術にかかり、フィデリオたちを動揺させる役にさせられたのかもしれない。

「でもなぁ……」

 この憶測を考えると、普通にバスラー少佐だけ姿を消したのかが分からない。フィデリオが考えたようにバスラー少佐が囮だったのなら、あの屋敷から姿を消させる必要はなかったはずだ。やはり軍は黒か。それともう一つ気がかりなのは、ルカが訝しげに呟いていた言葉だ。

 ルカは屋敷を去ったあと、こう呟いていた。『あのとき、屋敷の中で感知した因子の気配の数と捕まえた因子持ちの奴等とで数が合わない』と言っていた。フィデリオやデトレスは情報操作士ではないため、因子の気配の数までは把握できないが、国際防衛連盟に属している情報操作士も口を揃えてルカと同じ事を言っていたため、まず間違いないだろう。だがやはりこの問題についても正解は導き出せない。

 問題提起はできても、その問題に対する正解が見つからない。所々にヒントのような物が見え隠れしているようにも思えるが、そのヒントを生かして答えに導き出すことができない。

 ダメだ。増加していく疑問を考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。

「どうしたものか……」

 バンベルクから73アウトバーンとE45号線を走りながら、ミュンヘンへと向かう。道はただひたすらに真っ直ぐで、走っている車も疎らだ。道路の端には様々な木々が植わっていて、木が植わっていない所は丘陵が少ない平野の景観が続いていた。

 ドイツの街路樹にはよくプラタナスの木が植わっているのだが、住宅街の少ないアウトバーンの道路沿いにはあまり見ない。そんな道路を滑らかに走って行く。

 そんなフィデリオの情報端末に通信が入った。情報端末の自動モニターに通信相手の顔が浮かび上がる。その相手は遠い日本にいるセツナからだった。

 セツナの顔がモニターに映し出され、フィデリオは慌てて通信に出る。今が朝の九時になるところだから、日本は丁度夕方くらいの時刻だ。

『もしもし、フィデリオ? 今大丈夫?』

「大丈夫。まったく何の問題もないから」

『そっか。それなら良かった。ほら、そっちで大変な事があったから……大丈夫かな? と思って。それにフィデリオも何かで悩んでるように見えたから』

「今父さんたちが、そのことについて話し合っている。でも今の所はあれ以外での暴動は起こってないし、俺も何もないから、安心して」

 フィデリオがモニターに映るセツナにそう言うと、セツナが幾分、安堵したように息を吐いたのが分かった。そんなセツナの表情を見て、フィデリオはドイツで危険視されているテロについては言わないでおこうと思った。遠くで頑張っているセツナを不安にさせたくはない。

 そのためフィデリオは、セツナとの話題を変える事にした。

「それにしても、セツナ……今の格好いつもと違うんだね。何かあるの?」

『ああ! これは体操着。今まで体育祭だったの。しかもアイドルの仮装をして走ったりして、楽しかったけどちょっと恥ずかしかったかなぁ』

 そう言ってセツナが自分の手で顔を扇いでいる。暑いのか恥ずかしいからなのかは分からないが、フィデリオは仮装したセツナの姿を見れなかった事に残念な気持ちになった。きっとアイドル姿のセツナは凄く可愛かっただろうに。いや、もしかするとアクレシアやマルガのどちらかが写真を送ってくれるかもしれない。フィデリオは胸中でそんな希望を抱いていると、再びセツナが口を開いた。

『今回の体育祭って、学年毎の対抗戦だったんだけど……私たちは二位になっちゃった。マルガとかアクレシアも頑張ってたんだけどねぇ。でも騎馬戦っていう種目でね、マヒロとかロウがWVAの時に日本の大将をしてた生徒会長と戦って、コヨミが生徒会長を倒したのよ。凄いわよね』

「へぇーそれは凄いね。だってコヨミってまったく戦ったことないんだろう? それなのにWVAの時の大将に勝つなんて。少し信じられないくらいだ」

『そうなの。本当に驚いちゃった』

 こんな風に他愛も無い話をしていると、セツナがクラスメイトらしき女子生徒に呼ばれた。

『それじゃあ、フィデリオまたね』

「うん、また」

『フィデリオ』

「ん? 何?」

『あんまり無理はしないでね。私、フィデリオのこと応援しているけど……無理はしないで欲しいから。それじゃあ』

 少し心配そうな表情をしながらもセツナが笑みを浮かべ、通信を切った。そしてフィデリオは通信の最後に見たセツナの顔を思い浮かべ、思わず口元に笑みを浮かべてしまった。

 いくら誤摩化してもセツナが自分の変化に気づいてくれることが嬉しい。

「ああ、学校に着くまでに気持ちが落ち着いてればいいけど……」

 呟いたもののフィデリオ自信、この嬉しさを学校に着くまでに押さえられる自信はなかった。


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