嵐の予感
「あら、ヤダ素敵。これぞまさにハッピーエンドって奴から?」
狼が雄飛と戦い始めてから、自分との交戦を止め面白そうに事の成り行きを見ていた葵が、そう呟いた。そんな葵に霧斗が怪訝な視線を送る。
「あら、霧斗さん。何か訊ねたそうな顔ね」
「葵さん、貴女の今回の目的は何だったのですか?」
「うふふ。このハッピーエンドを見るためよ」
「真面目に答える気はありませんか?」
「あら、あおりん、真面目に答えてるつもりなのに。でもまぁいいわ。今回は特別に答えてあげる。私をこうする様に仕向けたのは、勿論ここの当主である時臣様よ。あの人、どうしても、自分の息子と、狼君を戦わせたかったみたい。邪魔もの抜きで。まぁ、途中のは鼬ごっこはあおりんが考えたんだけど……結果よければ全てオーライじゃない? おかげで大きなお小遣いがもらえそうよ」
䰠宮葵という人物に相応しい軽薄な口調だが、嘘を言っている様子にも見えない。
「そうですか。本当にそれだけならこれ以上の言及はしません」
「あら、ヤダ素敵。こんな簡単に信じてもらえたこと久しぶりよ。私の身内って疑り深い人が多いから」
「それは貴女の行いに問題があるのでは? 例えば、勝手に人の通帳を盗んでいたり……」
霧斗が葵に目を細めると、葵が着物の袂で口を隠しながら笑ってきた。
「うふふ。でも私が持ってる口座……凍結されちゃったのよねぇ。もうお金なんて余るくらい持ってる癖に。ぷんすか」
「正しい判断だと思います。できれば、私ももう貴女と関わりたくはないですよ。貴女から受けた傷は治りにくいですから」
「またまた、そんな事言って~。本当はあおりんと会いたい癖に。でもね、大丈夫よ、所詮あおりんは、ゲストキャラ的ポジションだから。あー、もっとスポットライト浴びまくりたかったわ。ということでシーユー」
最後の最後までよく分からない事を残し、葵は音なく消えて行った。
霧斗はその姿を見ながら息を吐いた。
雄飛との戦いが終り、小世美から情報端末を返された狼の元に、真紘からの通信が入った。
『黒樹、棗から先ほどそっちの片がついたと連絡があったんだが、今話せるか?』
「うん。大丈夫だけど、どうかした?」
『実は今俺は黒樹の実家に来させてもらっている』
「え……ええ? 真紘が僕の家に?」
『少し黒樹の父と話があってな。それで、まだ仙台にいるところ悪いんだが……その足で妹と一緒にこっちに来てくれないか? 手配は俺がする』
真剣な表情を見せる真紘の言葉に、狼は近くに居た小世美と顔を見合わせた。
「それって、父さんが真紘に頼んだのか?」
『ああ。黒樹に話さなければならない事があると言ってな。だからすぐにこっちに帰れと言う事だ』
「帰るの事自体は、別に構わないんだけど……いきなりだな」
『多少、急を要する案件だからな。学校の方には……連絡をいれなくていい。むしろ言わなくても学校側は、何も言って来ないだろうからな』
「すごい断言してるけど、さすがに無断で休んだら榊教官とかが怒るんじゃないか? そう言う所、うるさそうだし」
きっぱりと言い切った真紘に狼がそう渋るが、真紘は首を横に振った。
『いや、大丈夫だ。学校側の教官たちも今は無断で学校を休んだ程度の生徒に構っている暇はないだろうからな』
「それって、どういう……」
真紘の言葉の意味が分からず、狼が首を傾げると……真紘が溜息混じりの息を吐いてきた。
『今、理事長が教官及び零部隊と呼ばれる者たちが、欧州から渡ってきたトゥレイターと横浜港で交戦を開始したという情報が入った』
「輝崎、それは本当なのか?」
訊ねたのは、狼ではなく眉を顰める陽向だ。陽向から訊ねられた真紘はすぐに頷き返してきた。
『本当だ。俺も情報として聞いただけだが、その情報を教えてくれた者は、トゥレイターの幹部をしている者からの情報だ。間違いないだろう』
「敵の幹部がなんで、真紘にそんな情報を流すんだ?」
『黒樹がそう言いたくなる気持ちも分かる。だが……その疑問も含めこれからの事を、黒樹たちがこちらに来たら話す。それでいいか?』
「わかった」
狼は混乱しながらも、この場で話す気がないという意味合いが込められた真紘の言葉に頷いた。するとそんな狼の横から、今度は根津が前に出て口を開いた。
「ねぇ、あたしたちもそこに行って、その話……聞きたいんだけど?」
『そうだな……これからの俺たちの在り方にも関わってくる話だ。だから俺としては別に構わない。だがしかし、黒樹たち個人の話もすることになるだろうから、そこは黒樹の判断に任せる』
真紘の言葉を聞いた根津が、狼へと視線を移す。
狼は自分に真剣な眼差しを向けてくる根津に、ゆっくり頷いた。
「僕も別に構わないよ。真紘の話だとネズミたちにも関わってくることを話すみたいだし、それなら、ネズミたちも聞いた方が良いと思う。僕の話っていうのも気にしなくていいから」
苦笑を浮かべながら、狼がそう答えると……根津が少し安堵したように息を吐いた。
「よかった。なんか、狼のことだから、学校に戻れみたいなこと言ってくるかと思ったから」
「あはっ。季凛も思った。何か狼君って自分についての話を聞かれるの嫌いだもんね」
「わかる、わかる。狼って嫌な話だとすぐに話を逸らそうとするし」
「……おっしゃる通りです」
狼は四人の言葉に両手を上げて、降参ポーズをした。
『大概……黒樹は皆に素行がわかられているようだな。まぁ、良い事だとは思うが』
四人に言い返す事が出来ていない狼の姿を見て、真紘が苦笑してきた。狼はそんな真紘を見た後に希沙樹たちの方を見て、真紘も同じだと思うけどと内心で思った。
『それから悪いが、正義たちは明蘭に戻って、そちらの状況を報告してくれないか? 交戦している場所は明蘭から離れてはいるが、希沙樹たちが戻る頃に状況がどうなっているかもわからないからな』
「ああ、わかった。任せてくれ」
真紘の言葉に正義が笑顔で頷く。それから希沙樹も頷き、陽向や棗も肩を竦めて承諾した。
「随分、宇摩も面白い話をしているようだな?」
真紘と通信をしていた狼たちの元に、スーツを着た男性が近づいてきた。男性からは見られただけで、息を殺してしまうような威圧が醸し出されている。
「時臣様……」
そして傷を負った雄飛の手当てをしていた桜子が、男性を見て呟くように名前を呼んだ。名前を呼ばれた時臣は、桜子と雄飛を一瞥してから狼の方へと視線を戻してきた。
「やはり、どこか剽軽臭いところは、父親譲りか……」
そう言いながら、目を細める時臣に狼は思わず息をのむ。狼の中で時臣に対して言いたいことは山ほどある。けれどその言葉たちは時臣から醸し出される威圧によって押し留められてしまう。
その事に狼は何とも言えない気持ちになる。
「安心しろ。今の貴様には用はない。今は輝崎の当主に言っておくことがあるだけだ」
複雑な顔を浮かべる狼が何かを言う前に、時臣は狼から視線を外し、モニターに映し出された真紘を見た。
「輝崎、貴様がどう動こうが構わん。だが……大城の意向として、現状は宇摩側につく。それだけだ」
真紘にそう言うと、真紘が何かを言う前に時臣は踵を返して狼たちの元から去ってしまった。
「……なんだったんだ? 真紘、さっきの意味って……」
狼がすぐに立ち去ってしまった時臣に拍子抜けしながら、真紘に訊ねる。すると真紘は表情を硬くさせたまま、しばし無言を貫いている。そんな真紘の様子に狼だけではなく、周りにいるデンメンバーに小世美、希沙樹たちも眉を顰めさせた。
「さっき、真紘が言ってたこれからの在り方に関係してるの?」
無言でいた真紘にそう訊ねたのは、希沙樹だ。
『ああ、そうだ。だがやはり、この問題は一概に答えを出せるものじゃない。だからこそ、黒樹たちには、こっちに出向いてもらい、希沙樹たちには学校側の様子を報告してもらいたいんだ』
「そう、わかったわ。じゃあ、これについての詳しい事は、私たちが状況を真紘に報告したときに教えてもらえるかしら?」
『勿論だ。そしてその時に、希沙樹たち個人が出す答えを聞かせてほしい。無論、黒樹たちにもな』
真紘にそう言われ、希沙樹と共に狼たちは頷くしかない。
狼たちからしてみれば、今自分たちが知らない所で誰が動き、どう問題が難しくなっているのかさえ、わからない状態だからだ。
そしてそんな状態から抜け出すためには、やはり、高雄がいる島へ帰るべきだと狼は思った。
激しい衝撃が海の水を揺らしていた。
「ははは。やはり……君はフラウエンフェルト家が生んだ傑作だね」
豊は自分を、紅い瞳で睨みつけるキリウスに笑みを浮かべていた。二人が居る場所は、衝突により海が割れ、露わとなった海底だ。そして豊の腕には眠ったままのバレンティーネが抱かれている。
割れた海は二人から放たれる因子によって、制御され二人を飲み込むことはない。
「……貴様と話す事など何もありはしない」
「んー、それは残念だ。君が倒れる前にもう少し話をしておきたかったんだけどね。例えば、君が大切にしているお姫様の好きな食べ物とか?」
笑みを浮かべる豊の言葉に、キリウスの表情に鋭さが増す。だが豊はそんなキリウスの表情を見ても、どこ吹く風という感じで、自分たちの頭上で戦いを繰り広げている、零部隊の者とキリウスが連れてきたナンバーズたちへと視線を向けた。
どちらの動きも隙がなく、一般人の目か見れば、光の交戦が飛び交っているという不可思議な光景に映るだろう。
「これを、因子を持たない者たちが見たら、宇宙から飛んできた宇宙船か、火の玉とでも思うのかな? それを考えると面白いと思わないかい?」
豊が視線を上へと向けたまま、キリウスに話しかけるが、やはりキリウスからの返事はない。そのかわりに、キリウスが豊へと瞬時に近づき、豊が視線を降ろした時には剣の穂先が、豊の顔面を貫こうとしている所だった。
けれど豊の顔はキリウスの剣によって風穴を開けられる前に、剣の方がボロボロと砂礫のように崩れて行く。
そのことに、キリウスが一瞬だけ動揺を奔らせたのが分かった。そんなキリウスの表情を見たためか、豊は物凄く愉快な気分になって、まるで鼻歌を歌うかのように呟いた。
「君は自分の強さを見誤りすぎだよ? そして君が強いからこそ君は私に勝てないんだ」
呟いた後に、キリウスを光の熱が包み込みながら、吹き飛ばす。
勢いよく吹き飛ばされたキリウスが割れた海の側面へと叩きつけられるように飲み込まれる。キリウスの因子の流れが消え、海水が露わになった海底へと流れ込む。
そのため、自分が立っている場所以外が海水に覆われて行く姿を見ながら、豊は息を吐き肩を竦ませた。
そうした理由は、自分に鏃を向けてきているイレブンスが見えたからだ。
「お姫様を助けに来た君は申し訳ないけどね……我々からしても、彼女を放っておくことはできないんだ。だから何もせず、帰ってくれると有り難いんだけどね。佐々倉出流君」
名前を呼ばれたイレブンスが不愉快そうに眉を顰めさせる。
「そう言われ、はい、わかりましたって引き下がる奴がどこに居るんだ?」
「それもそうなんだけど……君がそれの第一号になってくれると有り難いね」
「ふざけんな。早くそいつを返せ」
そう言って、イレブンスが持つ和弓から矢が飛ばしてきた。矢は風を切る音を鳴らしながら、豊へと勢いよく、飛翔する。
「出流君、せっかくの君からのプレゼントだけどね、今は受け取っている暇はないかな。お姫様を素敵なベッドに連れてかなくてはいけないからね」
そういって、豊の周りあった海水を押し留めていた見えない堰は消え、海水が一気に豊を飲み込む。
「なっ!」
「ははは、時には逃げるが勝ちとも言うだろ? 覚えておくといいよ~」
驚くイレブンスの声に被さる様に、笑い声を含んだ声で豊がそう言い残し、海の中へと消えて行った。




