奈辺な身空
その判断は正しかった。
白い霧状となった冷気が辺りに霧散すると、亜樹菜の傍らには巨大な氷塊の山が出来ており、しかも見る見る内に、氷が名莉の足下にまで及んでいる。
名莉は高く跳躍し、離れの瓦屋根へと着地する。下はまるでアイススケート場のように氷で覆われていて、亜樹菜に有利なフィールドになってしまっている。
そのため、名莉は地上戦から空中戦へと戦法を切り替える事にした。名莉は屋根から跳び、真上から亜樹菜を守るかのように連なっている氷塊へと銃弾を放つ。氷塊を砕いたのと同時に、氷塊の中央に立っていた亜樹菜への追撃の弾も打ち込む。
亜樹菜は自分へと飛んでくる銃弾を見ながら、笑みを浮かべて来た。その笑みを名莉は訝しみながら、怯むことなく相手の急所へと攻撃を続ける。
すると笑みを浮かべて来た亜樹菜が、刀を上段に構えながら名莉へと跳躍する。
「今私は貴女たちのおかげで、すごくいい気分よ」
刀を名莉に振り下ろしながら亜樹菜が意気揚々とした声を上げて来た。名莉はその刀を左手で持った銃の銃身で受け止めながら、眉を潜めさせる。
「どうして?」
「それは、そうよ。私は今ね、チャンスを掴んだんだから」
「チャンス?」
「ふふ。それを知るために私を倒したいんでしょう?」
亜樹菜がそう言って名莉に受け止められていた刀を離し、真下へと降りて行く。名莉がその様子を視線で追っていると、亜樹菜が地面に着地して斬撃を名莉に向かって放ってきた。
結氷刀技 氷斬
冷気を包含した斬撃が瓦屋根を一部吹き飛ばしながら、名莉へと向かってくる。名莉はその攻撃を銃弾で払拭し防ぐ。防いだ際に起きた爆発に飲まれ、名莉は屋根から落ちるが宙返りをし、そのまま亜樹菜への攻撃を続行する。
二丁の銃であらゆる角度から斉射し、亜樹菜の防御を崩させる。亜樹菜が防御態勢を崩した一瞬の隙を見逃さず、名莉はそこに火力を増加させた銃弾を撃ち込む。
火炎爆技 炎弾
隙を作った亜樹菜の横腹を名莉の放った炎の銃弾が貫通する。
「まだまだ……」
亜樹菜が口から血を流しながら名莉を凝視し、手に持って垂れ下げていた刀を真上に払う。するとその動きに呼応した氷の地面が反応を見せ、名莉の立っていた位置に鋭い氷の氷柱が出来あがる。名莉はその氷柱により高く宙へと吹き飛ばされる。しかも氷柱に衝突した右半身の至る所から血が溢れだし、ビリビリとした痛みが名莉を襲う。
けれど傷は見た目ほど深くない。そのため名莉は怪我を気にすることなく、吹き飛ばされてしまった右手の銃を復元し直す。その瞬間に亜樹菜による剣戟が名莉へと向かってくる。
怪我をし、血を流した為だろうか? さっきより亜樹菜の剣戟による重みが増している様な気がする。そして名莉は剣戟を受け止めた時の衝撃で地面に叩きつけられるように、吹き飛ばされた。
身体に走る痛みで名莉は悶絶する。
そんな名莉の元に亜樹菜が、ゆっくりとした足取りで近づいて来るのが分かる。だが名莉の身体は痺れ、思う様に動けない。
「どうやら、私の勝ちのようね……」
仰向けに倒れた名莉を亜樹菜が見下ろしてきた。そして、刀を両手で持ち、真上から名莉に止めをさす形で穂先を名莉の喉元へと向ける。
「さようなら」
抑揚のない声で唾棄される言葉。
名莉が悔悟をかみしめる。
亜樹菜が刀を振り下ろした。
だが、その穂先が名莉の喉元を突き刺すことはなかった。代わりに亜樹菜の刀が突き刺したのは、名莉と亜樹菜の間に割って入ってきた手だ。
「どうして……何で母様が私を止めるの?」
狼狽して顔を歪めた亜樹菜が、手を伸ばして悲しそうな顔をしている女性に訊ねる。すると亜樹菜が母様と呼んでいた女性が、静かに首を横に振った。
「亜樹菜……もう私の為に無理はしなくて良いの。だからこんな事は止めなさい」
「待って下さい。良いのですか? 私がちゃんと父様に認めて貰わなければ……母様がまた回りの者たちから悪く言われてしまいます! そんなの私には耐えられません」
胸に溜まった鬱憤を吐き出しながら、亜樹菜の身体は微かに震えていた。そんな亜樹菜を苦しげに見つめた亜樹菜の母親が、名莉の方へと向き直ってきた。
「申し遅れました。亜樹菜の母、大城桜子と申します。娘が多大な難事を引き起こしてしまい、申し訳ありません。娘がこの様な事態を引き起こしたのも全て私の所為です」
そう言って、桜子が倒れている名莉の傍に膝をつき、傷を負った場所に手をあててきた。
すると桜子が手を当てた場所がほのかに暖かくなる。
「私の力は治癒と予知夢です。それ故に、私は貴女たちがここに来る事を事前に知っていました。それを時臣様に言伝した所を、亜樹菜が聞いていたのでしょう」
静かに語る桜子に、表情を曇らせながら押し黙っていた亜樹菜が言葉を絞り出すように、開いてきた。
「どうしてですか? きっとこの状況は父様だって分かっているはずです。なら、雄飛よりも先にこの者たちに勝てば、父様だって私たちを認めてくれる。そしたら、正妻という身空にある母様だって、下々の者から陰口を叩かれることもなくなるんですよ?」
母である桜子を説得するように、亜樹菜が声を荒げさせる。しかし、桜子は憫笑を返すだけで、亜樹菜の言葉に頷く様子はない。
そんな母親の姿に亜樹菜が信じられないというように立ち尽くしている。すると名莉の手当てを終えた桜子が口を開いた。
「私は例え周りの者から何を言われても、構いません。私は、自分の娘がここまで追い詰められている事を見抜けなかった、無能な母親です」
「違います! 母様が無能ではありません。私がもっと強ければ……母様が周りから悪く言われる事も、恥を掻く事もなかった」
そう言って、亜樹菜が俯き涙を流している。
「顔を上げなさい。私は貴女が理由で恥を掻いた事なんて一度もありません。むしろ、貴女が幼き頃から頑張る姿勢は……私の誇りです」
静かに顔を上げた亜樹菜を立ちあがった桜子が優しく抱き寄せる。すると亜樹菜は堰が切れた様に桜子の胸で泣きじゃくっている。
それを見ながら名莉はゆっくりと立ち上がった。
「私はこれから、大切な友達を助けに行きます。傷を治して頂いてありがとうございました」
「待って!」
立ち去ろうとした名莉を、亜樹菜が呼び止めてきた。名莉が黙ったまま振り返ると亜樹菜が眉を顰めながら、口を開いてきた。
「いいの? 私は貴女たちを騙して、ひどいことしたのに……そんな私を放っておいて」
「別にいい。亜樹菜さんからはもう戦意を感じない。それに私はここに亜樹菜さんと戦いに来たわけじゃないから」
名莉は亜樹菜にそう告げると背を向け、小世美を探し出すために足を走らせた。
雄飛と衝突を繰り返している狼は疲弊していた。最初よりは鎧武者の勢いを摩耗することには成功しているが、倒したわけではない。
「一応、気骨はあるようだな」
「一応かよ」
自分が疲弊している事を相手に気づかせないために、狼は雄飛の言葉に反駁して返す。けれど、そんな狼の魂胆などお見通しかのように、雄飛が鼻を鳴らしてきた。
そしてそのまま、狼を斬撃で吹き飛ばす。狼は吹き飛ばされながら態勢を整え、斬撃を雄飛へと返した。
しかし狼が放った斬撃は、雄飛を庇うようにして出された鎧武者の腕に着いた籠手と衝突し、鎧武者の腕を弾き飛ばす。
狼はそれを見ながらすぐさま、鎧武者と雄飛へと肉薄する。もう何度似たような事をしているだろうか? 狼は内心で目の前にいる雄飛たちを見て辟易とした。
どんなに技を放っても倒れない敵の存在は、やはり精神的に来る。自分はこのまま疲れ果てて敵を倒せないまま、倒れるのではないか? そう思うと士気が下がる。
「駄目だ」
この言葉は諦めの言葉ではない。
諦めかけていた自分に対する叱咤の言葉だ。
諦めるのは簡単だ。誰にだって出来る。けれど狼がそれを選択することない。雄飛と戦っている時でも別の場所で、デンメンバーが皆それぞれ諦めずに戦っていることくらい、分かる。だからこそ、狼も諦めず頑張れる。
狼は奔る速度を上げ、イザナギで雄飛へと衝突する。イザナギを刀で受け止めた雄飛の気迫が間近に感じる。それに押されない様に狼は因子の熱を上げる。
ぶつかり合う刃同士が火花を散らせ、因子同士がぶつかり、狼と雄飛が互いに後ろへと押し戻される。しかも狼の場合、追撃として鎧武者の拳が加わるのだ。狼はその拳をイザナギで受け止め、さらに奥へと飛ばされる。そして庭園に植わっていた黒松の幹に激突し、幹を圧し折りながら、ようやく静止した。
『狼、大丈夫? 派手に吹き飛ばされてるけど』
「あんまり……大丈夫じゃないかも。かなり背中を強打して痛いし」
『だろうね。でもずっとそこで痛がってるわけにはいかないよ。もう新しい攻撃が真上から来てる』
鳩子の言葉に合わせて狼が視線を上へと向ける。すると真上から鎧武者の持つ巨大な大太刀の穂先が狼へと向けられていた。
狼は言葉も発することさえ出来ずにいると、勢いよく鎧武者の大太刀が狼の頭上へと落ちた。
『狼!!』
思わず鳩子が叫ぶ。
辺りに舞い上がっている砂埃が治まり、地面深くに突き刺さる鎧武者の大太刀の刃が見え始めた。そんな刃の横に、危機一髪といわんばかりに真横に転がっている狼がいる。
『さすがに、さっきのは……焦った』
本気で焦った声の鳩子に狼も頷く。
「うん。僕も本気で死ぬかと思った」
立ち上がりながら狼はイザナギを構え、助かった余韻に浸る事もなく、目の前から雄飛の斬撃が飛んで来ている。次から次へと自分を襲撃する相手の攻撃に、狼は慷嘆する暇もなくイザナギで雄飛の斬撃を斬り捨てる。斬り捨ててから真上へと跳躍し、連続できていた攻撃を躱す。
本当にこのままでは埒が明かない。
次の一撃でまず、あの鎧武者を倒す。
鎧武者も先ほど、狼が吹き飛ばした腕すら再復することが出来ていない。そんな状態にある鎧武者なら倒せるはずだ。
狼は身体に流していた因子をイザナミへと奔流させた。




