自虐的な笑み
狼は自分の置かれた状況に眉を顰めていた。
「あのさ、文句を言いたいわけじゃないんだけど……何でこうなるんだ?」
「へ? 何って変装でしょ?」
「いや、だから……」
「狼君、超・似合ってるよ。あはっ」
ケロッとした鳩子と満面な笑みの季凛。
狼はそんな二人に溜息を吐いた。だがそんな狼たちの元に亜樹菜に連れられた名莉と根津がやって来た。二人の格好は季凛と鳩子と同じ女中用の着物を身に着けている。着物の中には、特殊繊維で出来た明蘭の制服に着替えていて、何があっても動きやすいようになっている。
そして狼は……と言うと、長い真っ黒の髪のウィッグをつけ、デンメンバープラス亜樹菜によってやりたい放題にメイクを施されて、名莉たちと同じく、制服の上から女中用の着物を着せられていた。
この前はコープス・ペイントをし、今は女装メイクをされてしまっている。
「仕方ないって。貴方の顔は晴人叔父さまの顔にそっくりなんだもん。もし、あのままこの屋敷内をうろちょろしてたら、あっという間に私の父の耳にも入るでしょうね」
「それはわかるんだけど……」
納得できない。
確かに自分の容姿がここでは目立ってしまうというのは、わかる。だからこそ、変装しなければならないことも。
けれど女装を受け入れることは、やはり出来るはずもない。
「あはっ。でもさ、大城雄飛にしても亜樹菜さんにしても大人っぽい顔してるのに、狼君って幼いよね?」
「えーっと、それはつまり?」
「ガキっぽいってこと」
「ほっとけよ!! むしろ今顔のこと関係ないし」
季凛からのいらぬ言葉に狼が声を張り上げていると、亜樹菜が愉快そうに笑ってきた。その笑い声に狼ははっとして、口を噤む。
「晴人叔父さまと顔はそっくりなのに、性格は違うのね」
「そうなんですか?」
亜樹菜の言葉に狼が首を傾げると、亜樹菜が首を頷かせてきた。
「小さい頃の記憶だから少し曖昧な所もあるけど……貴方みたいに声を張り上げたりはしてなかったわね。どちらかというと、いつも温厚そうな笑顔でニコニコ笑ってたっていうイメージかも」
「あはっ。なんかボケてそうだね」
季凛の間隙ないコメントが自分と同じ意見だった所為もあり、狼が何も言えないでいると名莉が口を開いてきた。
「すごく優しそう」
「まぁ、確かに写真を見ただけでも優しそうな人だったわよね」
名莉の言葉に根津が頷く。
二人の言葉を聞いて狼は何とも言えない気持になった。そんな気持ちを拭うため、狼は亜樹菜の方へと向き直り、別の話題を切り出すことにした。
「あの、協力してもらってこれを聞くのもあれなんですけど……どうして、僕たちに協力してくれたんですか? もし、手伝ったなんて言ったら、後で大変なのは亜樹菜さんの方だし」
「うーん、それは私が自分の父親が嫌いだから」
「えっ?」
亜樹菜の返答に虚を突かれた狼が、思わず驚き声をもらすと、亜樹菜が自虐的な笑みを浮かべてきた。
「貴方だって少し考えて見てよ? いくら、強い人材を次期当主にしたいからって、自分の子供たちを競わせる? むしろ大前提に正妻の他に沢山妾もいるのよ? 普通の常識的に可笑しいでしょ? どこの大奥よ?」
「そう、ですか……何か言いにくいこと訊いてすみませんでした」
狼が申し訳なさそうに視線を下に向けると、亜樹菜が溜息を吐いてきた。
「別に気にしなくていいわよ。本当の事だし。ちなみに私は正妻との子供で雄飛は妾との子ね。まっ、私の母は私が当主争いから退くって聞いた時、荒れ狂ってたけど。今は諦めたみたい。だから、晴人叔父さんがこの家から出て行ったのも頷けるわよ」
亜樹菜の言葉からは自分の家に対しての不満が滲み出ていて、狼は改めて自分が恵まれていた事を思い知った。
生まれた時からすでに優劣をつけるために、競わされる生活を考えて、狼はこの家に流れる重苦しい空気が頷ける気がした。
「だから、雄飛の奴も必死なんじゃない? 唯でさえ自分は妾との子供なんだし、自分の存在を認められようって」
亜樹菜の言葉を聞いて、狼は少し眉を顰める。
「でも、どんな理由があれ、小世美を攫ったことと、皆に怪我を負わせたことには変わらない。だから、僕は大城雄飛を許すことはできない」
狼が固い声でそう言うと、亜樹菜が苦笑を浮かべてきた。
「まっ、良いんじゃない? 周りが見えなくなってるあれにお灸を据えるってことで。さて、変装も終えたみたいだし、探しにいきましょうか」
そう言って亜樹菜が襖を開け、狼たちを手招きしてきた。狼たちは亜樹菜に続いて部屋を出て畳み廊下となっている廊下を歩く。
「こんな立派な畳み廊下見てると、本当に時代劇に入ったみたいで良い感じだよね」
「そう? 慣れてる人からしてみればそうでもないわよ。畳の張替の時とかかなり大変だし」
畳み廊下に感動している鳩子に亜樹菜が辟易とした様子で首を振った。
「まぁ、これだけ広ければ大掃除も大変そうですよね。僕の家でも父さんが中々手伝ってくれないから、僕のもう一人の子でやるしかなくて、すごく大変なんですよ。海風吹くと寒いし」
狼は寒さと時間の戦いを強いられる、大掃除の風景を思い出しながら一瞬だけ感慨に浸った。狼と小世美はいつもより時間を掛けて床磨きをし、換気扇の掃除に続いて電気の上の埃を取り、ドアの取っ手などを隅から隅までふき取る。そして古ぼけた洋風建築のくせして畳みの部屋もあるため、そこの畳を干したり物置の整理などを行う。
高雄も力仕事などは手伝うが、あとの細々とした掃除を手伝わないため、よく狼が怒鳴ったものだ。
「ねぇ、私も詳しい事情は知らないんだけど、貴方は誰と今迄暮らしてたわけ?」
「あ、そっか。えーっと……今まで僕が暮らしてたのは、黒樹高雄って人と今ここに連れ去られた小世美に僕の三人で、本島から少し離れた島で暮らしてたんです」
狼が頬を掻きながら亜樹菜に言うと、亜樹菜が小首を傾げてきた。
「黒樹高雄って、確か……黒樹の次期当主って言われてた方よね? まぁ、確か晴人叔父さんは黒樹の次期当主と仲がすごく良かったって聞いた事があるから……死んだ友人の代わりに息子を育ててるっていうのは、何となく理解できるんだけど……理解できないのは、どうしてそこに雪村の次期当主であった雪村春香さんがいないかよね。貴方はどうして自分の母親が居ないのか知ってるの?」
自分の方を振り返ってきた亜樹菜に狼は首を横に振った。
「さぁ……僕もちょっとわからないですね」
「ふーん。そうなの。やっぱりいきなり自分の夫である晴人叔父さんが死んで、逃げたくなっちゃったのかしら?」
「……そうかもしれませんね」
狼は少し渋い顔で答えた。
「でも、狼君のお母さんを写真で見たけど、相当美人だったよね? あはっ。狼君ってやっぱりドンマイ」
「だから、いちいちそこはツッこまなくて良いから!」
「あー、確かに。雪村家の女性って美人が多いのよね。今の当主である藤華さんも綺麗だし。前に聞いた話だと、初代アストライヤーの中でマドンナ的存在だったって聞いたことがあるけど」
「そうなんですか? ってことは、狼のお父さん二人に、変わり者の理事長と真紘のお父さんも狼のお母さんの事好きだったってことですか?」
鳩子が興味津々で亜樹菜の顔を覗き込んでいる。すると亜樹菜がニヤリと笑みを浮かべた。
「聞いた話によるとね」
「ほおー、ってことは……一人の女を巡る仁義なき男のバトルがあったわけね」
仁義なき男のバトル……
鳩子の言葉を聞きながら狼は頭の中でその場面を想像してみた。自分の母親である女を巡って、戦う高雄たち……ないないない。絶対にない!!
狼は想像してみて、そんな事はありえないと否定した。
「狼どうかしたの?」
根津が首を振る狼を見て、疑問符を浮かべてきた。
「いや、少し絶対にあり得そうにない光景を浮かべて、つい」
「そう。なら良いけど」
狼の言葉を根津が軽く流し、そのまま口を閉じた。
「多分、この中にいると思う」
亜樹菜がそう言って、一枚の襖を開けるとそこには下へと続く階段が現れた。階段がある場所は淡い橙色の灯籠照明があるだけで、薄暗くなっている。
「ここの下に座敷牢があるのよ。多分そこに入れられてると思う」
「わかりました」
狼が頷き、薄暗くなっている階段を下りていく。折り返し階段となっている木板の階段を下りていくと、そこには重々しい威圧感を放つ座敷牢があった。
座敷牢の中は暗くてよく見えない。
「うわっ、何かこの座敷牢からの威圧凄いんですけど。これはきっと左京さんじゃ入れないね」
鳩子が巨大な座敷牢を前にして、驚嘆の声を上げている。しかしそこで左京の名前が挙がるのかと思ったが、狼は左京のオカルト嫌いを思い出し納得した。
確かに左京さんだったら、行きたがらないかも。
狼がそんな感想を内心で思っていると、亜樹菜が黙ったまま座敷牢の中へと入っていき、狼たちもそれに続いた。
「小世美!! ここに居る!?」
暗い座敷牢の中で狼が小世美の名前を呼ぶ。
だがしかし、小世美からの返事はない。狼とデンメンバーが少し座敷牢の中を歩きながら再び名前を呼ぶが、座敷牢の中は静まり返っている。
「小世美は、ここに居ないってこと?」
「返事がないってことは、そういう事でしょうね」
鳩子の言葉に根津が頷いた。
「じゃあ、もっと別の場所を探して……」
狼がそう言った瞬間、座敷牢の扉が閉まり、鍵のかかる音がした。急いで狼たちが扉の方を見ると、座敷牢から一人出た亜樹菜が狼たちを冷たい視線で見ていた。
「えっ、これは一体どういうことですか?」
狼が瞳目しながら亜樹菜を見ると、亜樹菜が肩を竦めさせてきた。
「ごめんなさい。でも、まんまと引っ掛かってくれて有難う。きっと夜になれば、現当主である大城時臣が貴方の顔を見にここへ来ると思うわ。だからそれまで大人しくしててね。それと、この座敷牢を因子使って壊そうとしても無駄よ。ここの座敷牢はBRVと同じ素材で出来ていて、因子のエネルギーを外に拡散して逃がしてしまうから。それじゃあ」
「ちょっと待って下さい。一体どうして!?」
慌てて狼が亜樹菜に訊ねる。すると亜樹菜は眉間に眉を顰めさせながら口を開いた。
「別に、貴方には関係ないわ」
亜樹菜が動揺する狼にそう冷たく一蹴すると、踵を返して上へと上がって行ってしまった。
「嘘だろ……」
狼の呟きが暗い座敷牢の中で小さく響く。




