少年は悔しさを覚える
狼とデンメンバーは明蘭学園にある医療室にあるベッドの上で横たわっていた。
日にちは体育祭から一日が過ぎている。けれど……ここに小世美の姿はなかった。狼たちは雄飛から小世美を取り返すことに失敗したのだ。
狼は雄飛からの斬撃を打ち破ることは、できた。問題はそこからだ。斬撃を打ち破った狼はすぐに雄飛への反撃を開始した。
雄飛に近づき、狼はイザナギに因子を流し、天之尾羽張を繰り出したが、それでもすぐに雄飛に往なされ、まったく歯が立たなかった。
そして気づけば、狼と名莉も他のメンバーと同じ様に気絶させられ、異変に気づき後からやってきた真紘によって医療室に運ばれていた。
狼は小世美を取り返すことはおろか、雄飛に傷一つつけられなかった。
その事実に狼は、精神的にショックを受けていた。
「少しは、戦えるようになったと思ってたんだけどな……」
ベッドに顔を俯かせて、狼は苦い顔を浮かべる。狼は雄飛と対峙する前まで、気が緩んでいたように思う。勿論、小世美が連れ去られたかもしれないという事には焦っていたが、誰かと戦う事に関してそこまでの焦りを感じていなかった。
それは何故か?
答えは簡単だ。自分に対して、少なからずの自負心が狼の中にあったからだ。確かに狼だって自分が未熟だってことも分かっているし、負けたことだってある。稽古では真紘や左京たちに敵うはずなどないし、デンでの稽古でも負けることはある。試合でなら綾芽にだって負けた。
けれどそれらは全て実戦ではない。
狼は実戦において、深く考えずとも何とかなってきていた。周りの手助けもあってか、何とかできていたのだ。これまでは。
雄飛は確かに強い。それは一目見ただけですぐに分かった。けれど相手は一人だ。それに致して狼たちは、五人。数だけでいえば、勝算は狼たちの方にあった。
しかし、そんな机上の空論は雄飛の強さによって、いともたやすく覆されてしまった。
季凛と根津がやられ、鳩子がやられた。
そしてその後、名莉と狼の二人がかりで雄飛に応戦したが、まったく意味がなかった。
「罰があたったんだ……」
狼は溜息を洩らして。ベッドのシーツに顔をうずめ込んだ。
あの時もっと考えながら動けていれば……もっと自分がしっかりしてれば……
素直に狼はそう思う。
もしそうする事ができていれば、デンのメンバーも怪我することなく、小世美がここにいたかもしれないのに。それを考えただけで、狼は自分自身に対する憤怒が沸き起こってくる。
狼が自分自身への怒りに奥歯を噛んでいると、そこで病室の扉が開いた。
開いた病室の方に視線を向けると、そこには真紘が立っていた。
「真紘……」
「怪我をしているのに悪いな。邪魔をする」
真紘がそう言って、狼のベッドの方へと近づいてきた。
「他の皆の様子とか分かる?」
「ああ、先ほど別の部屋にいる名莉たちの所にも行ってきた。まだ包帯は取れれていないが、四人とも大丈夫そうだったぞ? 多少、気分は落ち込んでいたが……」
「そっか……」
真紘の言葉に狼は静かに息をついた。
やはり、他のメンバーも小世美を助けられなかったことに責任を感じてしまっているのだろう。
「あれは、僕の失態なんだ。だから皆が責任を感じる事もないのに……」
狼が俯きながら眉を顰めさせると、真紘が首を横へと振ってきた。
「黒樹、それは違うと思うぞ。彼女を助けられなかったのは、黒樹だけの落ち度ではない。大城雄飛が何かしらの動きを見せている事を知っていながら、何も出来なかった俺にも非はあるし、黒樹と同じ様に奴を止められなかった名莉たちにも落ち度がある。そうじゃないのか?」
「でも……」
「……彼女を助けたかったのは黒樹だけではない」
言葉を言い淀んでいた狼は、真紘の言葉ではっとした。そして真紘の方に視線を向けると、真紘は真剣な表情のまま狼を見ていた。
「皆、彼女を友人だと思っている。ならば、それだけで皆に彼女を助ける理由がある」
狼はそれを聞いて静かに頷いた。
確かに真紘の言う通りだ。小世美はもうここの生徒で、デンメンバーにとっても、真紘にとっても友達だ。
なら、皆がそれぞれ小世美を助けたいと思っているのは当然のことだ。
「何か勝手に独りよがりで落ち込んで……馬鹿だな、自分」
狼がそう言いながら苦笑を浮かべると、真紘も同じく苦笑を浮かべてきた。
「それに今気づいただけ、黒樹はまだマシだ。俺はこの前の件までそのことに気づけなかったんだからな」
「はは、確かに」
「だろ? それに黒樹がここで独りよがりをしていたという事は、向こうの四人に話さないでおく」
「うん。そうして貰えると助かる……きっと、僕が一人で責任を感じてたなんて言ったら、四人から怒られそうだからね」
「ああ、そうだな」
「本当に……心配するんじゃなくて、本気で怒り出すから性質が悪いよな」
狼が冗談混じりにそう言うと、真紘が失笑を零した。
「だが、そこが皆の良い所だ」
「まぁね。何か矛盾してるようにも感じるけど」
狼と真紘でそう言い合いながら笑う。
そして笑うのをやめると、真紘が真剣な表示に戻した。
「それで、黒樹……これからやることは決まってるのか?」
「いや、小世美を助けに行きたいとは思ってるけど……僕は大城の家がどこにあるか知らない。だから、まずはそこを調べないと」
「それは調べる必要はないぞ。大城家の場所なら俺が知っている」
「本当に?」
「ああ、まだ父が生きていた頃に行った事がある。場所は仙台だ」
「仙台!?」
「そうだ」
狼は真紘の言葉に目を丸くさせた。多少、遠いところにあるだろうと思っていたが、まさか仙台くらい、遠いとは思ってもいなかった。
「けど……行くしかないよな。あのさ真紘、大城の家が仙台のどこにあるか、教えてもらえるかな?」
「無論だ。本来なら俺も付いて行ければいいのだが……さすがに輝崎の当主という立場上、同じ九卿家である大城家に押し入ることは、難しいからな。俺が出来るのは黒樹たちに場所を教える事くらいだ」
真紘がそう言って、少し申し訳なさそうな表情を浮かべてきた。
「真紘が気にする事ないよ。真紘にだって守らないといけない立場もあるし……真紘にばっかり頼ってもいられないからさ。むしろ場所を教えてもらえるだけでも助かるよ」
「そうか。そう言って貰えると俺としても助かる」
狼がへらりと笑みを返すと、真紘も少し安堵した様な表情を浮かべてきた。
「でもなぁ……今度はちゃんと考えて動かないと」
狼が病室の天上の方を見ながら、雄飛の強さを思い出し困り顔を浮かべた。もう一度雄飛と対峙したとしても、勝てるわけがない。
しかしそれが分かっていても、今の狼に雄飛に打ち勝つ得策が思い浮かんでいないのも事実だ。技巧も向こうの方が段違いに高い。かといって、因子の力技をしようとしても、向こうも因子の量は豊富に有している。なら、やはり勝つためには因子の質を向こうよりも練るしかないのだが……向こうがその隙を与えてくれるかも怪しい。
どうしよう? 本当に困った。
狼は口には出さないものの、頭の中で行き詰っていた。
するとそんな狼の様子を察したように、真紘が口を開いてきた。
「確かに、大城雄飛に今の黒樹たちでは勝てないだろうな。大城家は九卿家の中でも分家が多い。その数多くいる血筋の者同士で競わせ、当主を決めるのが大城家のやり方だ。そして、黒樹と対峙した大城雄飛の実力は大城家の中でも、群を抜いて高いらしい」
「うわっ、何か聞きたくない情報だったかも……」
狼が真紘の話を聞いて、思わず口元を引き攣らせる。すると真紘がそれを見て苦笑を浮かべてきた。
「案ずるな、黒樹。俺に策がないわけでもない。ただこの策が絶対とは限らないだけでな」
「策?」
「ああ。確かに黒樹が己の持つ力を上手く使いこなせれば、大城雄飛に勝つ事も可能だろう。だが、今の現状はそうなっていない。そのため、黒樹は出来るだけ大城雄飛との対峙するのは、まず避けた方が良いのは確かだ。そのため、俺が知っている大城の者に協力してもらえないか、話を掛けあってみる」
「え? それ、本当?」
「ああ、その者は当主争いから退いているらしいからな。きっと黒樹たちの力にはなってくれるだろう。だから、黒樹たちが向こうに向かう日にちだけ決めてくれればいい」
「わかった。多分、明日にはここを出られると思うから、そしたら……準備して向こうに行くって感じかな」
狼が真紘に頷いてから答えると、真紘も頷き返してきた。
「では、先に話だけは向こうに伝えておく」
「頼んだ。あっ、それと体育祭の結果ってどうなった?」
狼が踵を返して病室から立ち去ろうとしている、真紘に昨日の体育祭の事を訊ねた。昨日は雄飛にやられてから、ここにそのまま運ばれたため体育祭の事など頭に入っていなかった。
確か狼が憶えている限りだと、最下位からは脱していたはずだ。
「結果はあと一歩のところで、三年の得点を抜けず二位になってしまった。残念だけどな」
「そっか……まぁ、仕方ないよな。向こうも強かったし。教えてくれてありがとう」
苦笑を浮かべながら、狼が真紘にお礼を言うと、真紘も残念そうな顔をしたまま、病室を出て行った。
「小世美が聞いたら、残念がるだろうなぁ……」
一人になった病室で狼はそう呟いた。呟きながら思い浮かぶのは、騎馬戦が終了した後の小世美が嬉し泣きしていた光景だ。
あのときの小世美は本当に嬉しそうだった。そしてだからこそ、小世美も最後まで体育祭を見届けたかっただろうと思う。それを考えると狼は、雄飛から小世美を取り返せなかったことを悔しく感じる。
「もっと、強くならないと……」
悔しがっているばかりではいられない。ちゃんとそこから自分を変えていかなければならない。もう狼は決めたのだ。変化していく自分を受け入れると。
なら、今からもっと変わらなければならない。
もうこんな悔しい気持ちにならないために。
小世美のことを、皆の事を守れるように。
狼は今までよりも強くそう思った。




