少女は囚われの身となる
三年生との騎馬戦を終え、狼たちは席へと戻り、水分補給をしていた。
「大変だったー」
狼は椅子の背もたれに上半身を預けると、身体にある疲労感がぐっと重みを増して圧し掛かってくる。
騎馬戦での勝利もあり、一学年の体育祭での順位は最下位から二位となっており、一位である三年との得点の開きも僅差となった。
そんな得点表示を見ながら、狼は息を吐きながら項垂れる。
少しくらい休んでも良いよね?
前のグランドでは、もうすでに水中リレーという何とも大変そうな競技が行われている。
それに選ばれているのが、真紘、根津、アクレシアなのだが、あの騎馬戦の後だと、この水中リレーに出場する選手が不憫に思えて仕方ない。
それでも、真紘たちは一位と僅差という事もあり、『気を抜かず、高順位を狙う』と宣言していた。そんな真紘の言葉に即・賛同の根津が頷いたのに対し、アクレシアは少し嫌そうな顔をしていたが、体育祭において気迫十分の真紘と根津に、そんな顔をしても通用するはずもない。
「可哀想に……アクレシア」
一位を取りたいという真紘と根津の気持ちも理解できるが、さっきの騎馬戦の後だ。少しくらいそこはアクレシアも考慮して欲しいだろう。
でもそれを真紘と根津に言えば、二人から批判の嵐が殺到してしまう事もわかる。
あの二人が、どんな時でも勝負ごとには、全力投球で向かって行くタイプだからだ。
そんな水中リレーメンバーの事を考えていると、汗かいた顔を洗いたいと言って、水道へと向かった名莉たちが戻ってきた。
だがそこに小世美の姿がない。
確か四人で水道へと向かったはずだ。
「あれ? 小世美は?」
「小世美は、飲み物買ってから来るって、言ってた」
首を傾げた狼に名莉が答えてきた。
「そっか。じゃあ、僕も買いに行こうかな? さっき飲んで、なくなっちゃったし」
「じゃあ、鳩子ちゃんメロンソーダ」
「季凛は、紅茶。ミルクティーね」
立ち上がった狼に、鳩子と季凛がすかさず飲み物の注文を言い始めた。
そんな二人に狼は呆れた様に息を漏らす。
「まったく、体を動かしてるっていうのに、そんな甘い物系ばっか、選択するんだから……気持ち悪くなっても知らないからな。それでメイはどうする?」
狼が二人のように注文してこなかった名莉の方に向くと、名莉が少し驚いてから
「いちごミルク……」
と二人の様に、甘い物系の飲み物を言ってきた。
「メイも鳩子たちと同じく甘い物系なんだ……了解」
喉が渇いている時は、さっぱりとした味の物を飲みたい狼にとって、甘い物を頼んできた三人の気がしれないが、飲みたいのだから仕方ないのだろう。
狼は三人から離れ、自販機のある食堂の方に向かった。
やはり、体育祭ということもあって食堂の周りは閑散としていた。
いつもなら、食堂付近で屯している生徒たちもいるのだが、今日は体育祭だ。そんな光景は当然ない。
「えーっと……いちごミルクに、ミルクティー……メロンソーダなんてないけど……」
自販機の画面を見つめたまま狼は、少し唸った。
この自販機にメロンソーダが売っていない。
けれど、その売られていないメロンソーダの為に別の自販機を当たるのも、少々面倒だ。
けど、一人のだけ買ってかないわけにもいかないし。
むしろ、鳩子に『無かったから、買ってこなかった』なんて言ったら、かなり不機嫌になって、後々恨みを買われそうだ。
「鳩子なら、食べ物と飲み物の恨みは恐ろしいんだとか言ってきそうだしなぁ……」
自販機と睨み合いながら、狼は溜息を吐いた。
「……いいか。僕と一緒ので」
考えた末……狼は鳩子も自分と同じスポーツドリンクにした。
買った飲み物を手に取り、グランドに戻ろうとした狼の視界に、ふと自動販売機の隅に小世美のIDカードと未開封の飲み物が落ちているのが目に入った。
「これって……小世美のIDカードだ。なんでこんな所に落ちてるんだ?」
小世美のIDカードを拾い、狼は首を傾げさせた。
「落としたのかな? いや、でも小世美に限ってそんなことないよなぁ……」
しかも、狼はここに来るまでに小世美とすれ違った記憶もない。
もしグランドに戻るのなら、狼が来た道を行くのが一番近い。なら、狼と小世美がすれ違ってもおかしくはないはずだ。
狼は近くにあるベンチに飲み物を置き、小世美のIDカードと未開封の飲み物をみながら辺りを見回す。
もしかして何かに巻これたんじゃ……
お昼の時に感じた殺気の事もある。
狼は辺りを見回して可笑しなところがないか確認してみるが、特に目立ったところはない。
そこに、名莉たちがやってきた。
「狼くん、飲み物買うくらいで遅くない? あはっ、超使えないんですけど」
「そうだよー、狼」
季凛と鳩子が不満そうな声を漏らしてくるが、それに答えている余裕が狼にはない。
「狼、どうかしたの?」
狼の様子に気づいた名莉が、表情を硬くさせて訊いてきた。
「ここに、小世美のIDが落ちてたんだけど、小世美の姿が見えなくて。あのさ、飲み物買う他に、どこか行くとか言ってなかった?」
「特には言ってなかったと思う」
「なに、小世美ちゃんが行方知れずなの?」
季凛に真剣な表情で訊ねられ、狼は少し躊躇ってから頷いた。
「本当に小世美が行方知れずなのか、まだ分からないけど、こんな所に小世美のIDと開けられてない飲み物があるっておかしくないか?」
「確かに妙だね……でも、小世美って特定のBRVもないし、因子の特徴も分からないから、BEVを使って居場所を特定するのが難しいんだよね」
状況を聞いていた鳩子が顔を顰めさせている。
「やっぱり、何かに巻き込まれたのかな?」
「例えば?」
狼の言葉に季凛が硬い表情のまま聞き返してくる。
「それは、わかんないけどさ……お昼の事だってあるから、気のせいだって断言するには無理あるし」
「まぁ、もっともだ」
「攫われた可能性もあると思う」
鳩子が頷いてから、名莉が別の可能性を示唆してきた。
「攫われた? 一体、誰に?」
狼が眉を顰めながら訊ね返すと、名莉が苦渋の表情をしながら言葉を紡いできた。
「大城雄飛」
「え? 大城……」
狼は「大城」という言葉に思わず耳を疑いたくなった。
「それって、一体……」
頭の中が整理つかず、狼の聞き返す声は微かに震えていた。すると、名莉の横にいた鳩子が近づいてきて、端末に一枚の画像を狼の前で映し出してきた。
「これ……狼の御両親なんでしょ?」
鳩子から見せられた画像には、確かに狼の両親が映っていた。
高雄をも。
豊も。
そして真紘の父親と思われる忠紘も映っていた。
「前、保管庫行った時あったじゃん? その時に見つけた写真の画像……実物はあたしの部屋だからさ」
黙りこくる狼に鳩子が話を続ける。
「それで、この前その大城雄飛っていう奴がここに来て、狼の事を探してたみたいなんだよね……それで、狼と小世美に心配させまいと二人を抜いて、あたし、メイっち、ネズミちゃん、季凛とは、少し話し合ってたんだけどね。それもこれじゃあ水の泡だね。しかも向こうは狼に会うことを諦める様子はなかったから、狼の交友関係とか調べて、狼をおびき寄せるために小世美を攫ったっていうのは、可能性的にありえるね」
内心で動揺しながらも、狼は鳩子の言葉に頷いた。
今は動揺している場合じゃない。
もし本当に小世美が攫われたのなら助けないといけない。『大城』が関係していることも気になる。
「わかった。鳩子、教えてくれてありがとう。ちょっと、僕……小世美を探してみる」
「ちょい、待った!」
狼が小世美を探しに行こうとするのを、鳩子が腕を掴んで止めてきた。
「え、なに? どうかした?」
いきなり腕を掴んできた鳩子に狼が首を傾げさせると、鳩子がニヤリとした笑みを浮かべてきた。
「狼は大城雄飛の顔を知らないでしょ?」
「そうだけど……でもじっとなんて、してられないじゃないか」
「ふむふむ。その気持ちは分かるよ。でも闇雲に探すのは時間の無駄じゃない?」
「確かにそうだけど、でも闇雲に探す以外に方法なんてあるのか?」
「あのね、何のために情報操作士がいると思ってんの?」
困り顔を浮かべる狼を鳩子がジト目で見てきた。
「調べる方法でもあるのか? だって、鳩子もその大城雄飛のBRVも因子の特徴もわからないだろ?」
狼がそう聞くと、鳩子が狼の額にデコピンをしてきた。
「いたっ!」
「アホオオカミめ。あたしが調べられないのはBRVを所持してない人に因子の特徴も知らない人のこと! つまり、BRVさえ持っていれば、居場所を割り当てるくらい簡単にできるんです」
「それ本当?」
「鳩子ちゃんは、嘘つきませ~ん」
腰に両手を置いて胸を張る鳩子を、狼は改めてすごいと思った。
そしてそれを名莉や季凛も思ったのか、二人も感心した表情で鳩子を見ている。
「あはっ。鳩子ちゃんって地味にすごいよね」
「すごい……」
「ちょっと、季凛、地味ってなに? 地味って」
「あ、ごめーん。季凛うっかり本音を言っちゃった」
鳩子のもの言いたげな目に、季凛がいつもの調子で言い返している。
「カチーン。なにさ、ずっしーほっきーの癖に」
すると反撃といわんばかりに、鳩子が季凛にとってのブラックワードを呟いた。
鳩子の危険すぎる発言に、狼が顔を強張らせ、名莉が黙ったまま季凛の様子を窺っている。
「あはっ、耳圏外」
「……そう来たか」
季凛の対応に狼は思わず、感心してしまった。
しかし言い返された鳩子は、歯噛みして悔しそうにしている。
「まぁまぁ、落ち着いて、鳩子。それよりも早く小世美を見つけないと」
狼はベンチに置いていたスポーツドリンクを鳩子に渡し、落ち着かせる。
「これ、メロンソーダじゃないんですけど?」
「いやぁ、メロンソーダが無かったから、僕と同じのにしちゃったんだよね」
不機嫌な鳩子に口をヘの字にされた為、狼が苦笑を浮かべながら答えると、鳩子が狼に手渡された飲み物を見ながら、肩を竦めさせてきた。
「まっ、いっか。これでも」
そう呟きながら、鳩子が飲み物を口に運ぶのを見て、狼は胸を撫で下ろした。
飲み物を飲むと、少し機嫌が直ったのか鳩子がBRVを取り出し、雄飛の居場所を調べ始めた。
その様子を狼たちが固唾を飲んで見守っていると、そこに根津がやってきた。
「いたいた。席に戻っても誰もいないから探したじゃない……って、BRVなんて取り出して鳩子は何してるのよ? 小世美だっていないし」
「あはっ、実は小世美ちゃんが大城雄飛に攫われた疑惑が浮上中」
首を傾げさせていた根津に季凛が大雑把に状況を説明すると、今度は根津が目を丸くさせた。
根津が目を丸くさせて、数秒。今度は表情を怒りに変えてきた。
「男の癖に女子を攫うって何よ? やる事が女々しいにも程があるでしょーが? それで? 今鳩子がそいつの居場所を突き止めってるって事でいいの?」
「そう、そんな感じ」
名莉が根津からの視線を受け、頷いた。
「ああ、もう本当にありえない! 大事な体育祭の日に。少しは空気読みなさいよね? その男も」
「気にするとこ違くね? あはっ」
狼が内心で思ったことを、季凛が呟き声で口にするが怒りに満ちた根津には届いていない。
怒った根津から視線を鳩子に向けると、丁度鳩子と目が合った。
鳩子がニヤリと笑みを浮かべる。
「目標人物の居場所、判明。場所は校門裏前の中道付近」




