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責務

 グランドから少し離れた芝生の上で、狼たちはお昼にしようとしていた。

 芝生の上にはピクニック用のシートが敷かれ、その上には小世美と狼で作ったお弁当が並べられている。

 そしてその綺麗に彩られた大量のお弁当を見ながら、デンメンバーが渋い顔をしていた。

「このお弁当……二人で作ったの?」

 根津が狼と小世美を、顔の頬を少しばかり顔をひくつかせながら、見て来た。

「うん、そうだよ! 頑張った皆にいっぱい食べて貰おうと思って、私とオオちゃんで昨日から仕込みに仕込んで頑張りました!」

「すごいわね。美味しそうだけど……」

「このお弁当を見ると、小世美と狼の家事力をありありと見せつけられた感じだよね」

「……確かに」

 にこにことした笑みで、答える小世美に根津、鳩子、名莉が脱力しながらも感嘆の声を上げている。

 狼はそれを見ながら、苦笑を浮かべた。

「まぁ、僕たちの場合、父さんが家事やらなかったからやってただけで、皆だってやるようになれば、このくらいすぐ出来る様になるよ」

「あはっ、武器くらいしか刃物を持ったことない女子に、すぐに料理が出来るとは思えないけどね」

 へらりと笑いながら、デンメンバーを励ました狼の横で、季凛が澄まし顔で毒を吐いてきた。そしてそんな季凛の言葉が、見事に胸に突き刺さったデンメンバーたちが、悔しそうに表情を歪ませている。

「そういう季凛はどうなのさ?」

 反撃といわんばかりに、鳩子が目を眇めながら季凛に訊ねる。すると季凛は食べていた一口サイズの海苔で巻かれたおむすびを小皿に置き、にこりと鳩子たちに微笑んできた。

「あはっ、季凛元々、自炊生活してたから鳩子ちゃんたちよりは家事スキル高いと思うよ?」

 今度こそ鳩子は反論が返せなくなって、口をわななかせている。

「まぁまぁ。ほら、はとちゃん達もお弁当食べて、食べて」

「むぅ」

 季凛に言い返せない悔しさを漏らしながら、鳩子が小世美から小皿を受け取り、お弁当を食べ始めた。

 そしてようやく、落ち着いてご飯を食べ始めた所で根津が溜息を吐いた。

「ネズミ、溜息なんて吐いてどうかした?」

 狼が溜息を吐き始めた根津に首を傾げると、根津は箸でグランドにあるモニターに映された得点順位を指した。

「ああ。順位のことか。午前の最後で三年に抜かれたからね」

 狼が苦笑を浮かべる。

「まさか得点の低い競技で抜かれるとは思ってもいなかったわ」

「ごめんね。私もビリになっちゃったし……」

 先ほどリレーに出ていた小世美が申し訳なさそうに頭を下げると、その頭を根津が軽く叩いた。

「別に小世美を責めてるわけじゃないのよ。小世美だけじゃなくて、他の人もあんまり良い順位にはなってなかったし。それに、あたしと真紘もこのリレーの落とし穴に気づけなかったのも事実だしね」

「落とし穴?」

 根津に叩かれた頭を両手で押さえながら、小世美が根津に視線を向ける。

「そっ。あのリレーは因子禁止の純粋なリレーだから。基礎能力が高い人を選出すべきだったのよ。勿論、この学校は基礎運動能力アップのカリキュラムを中等部までで、徹底的にやらされるから、ある程度、基礎運動能力は高いけど、やっぱりそれにも伸びがあるでしょ? 因子を使う場合ならそれを因子で補うことも可能だけど、今回のリレーはそういうことが出来ないから、本当に純粋な基礎運動能力が物を言うってこと」

「なるほど」

 小世美が口元に握り拳の形にした手を当て、納得したように頷いている。

 そしてそれは、小世美の隣にいた狼もまた然りだ。

 華奢な外見で何となく運動が苦手そうなイメージを持たれてしまう小世美だが、そこはイメージと違って、割と運動神経は良い方で中学時代でもリレーの選手に選ばれて、一位を取っていたりしたのだが、やはりそこは一般的な運動能力だ。

 特殊な運動能力を持った明蘭の生徒に敵うはずもない。

 だから、小世美が気にする必要もないのだが……

 小世美の口からは溜息が洩れている。

 やはり、どんな理由があろうと、三年に逆転されてしまった。その事実を目の当たりにして、小世美の皆に対する自責の念に拍車がかかっているのだろう。

「大丈夫だよ、小世美。まだ午前の部が終わったばっかりなんだし、午後の競技でまた逆転すれば良いんだけなんだから」

 狼が小世美を励ますように笑みを浮かべると、小世美も少し明るい表情で頷いてきた。

「やっぱり、狼って小世美にはすごく甘いよね……」

 ぼそりとした声で鳩子が呟く。

 その声に狼と小世美が周りを見ると、鳩子と根津が細めで狼を見ていて、名莉は視線を少し下へと落としている。

「いや、甘いも何も励ましてただけなんだし、他の人にも同じなような気がするんだけど」

「他の人とは何かが違う、そういう微細な所を見向くのが女子の洞察力って奴かな。あはっ。狼君にはわからないかな?」

 狼の反論を季凛が一蹴する。

 そして、そんな狼に根津と鳩子が零下の視線を送ってくる。

 冷たい視線で見られている狼の横では、小世美が照れ臭そうにしながらも微かな笑みを浮かべているのが見えた。

「あはっ。狼くんピンチ」

 満面の笑みで季凛が、狼の内心をずばっと言い当ててくる。

 そう、確かに今の狼は言い知れぬ危機感を味わっている。

 暖気と寒気が狼を境に衝突しているような感覚。

 それを今狼は身を持って味わっていた。

 この状況をどうすれば抜けられるのか?

 狼は背中に冷や汗を感じながら、この状況のからの脱出法を考えている狼に、殺気を帯びた視線が向けられている気配を感じた。

 気配を感じたのは一瞬だ。

 そのためどこから狼に殺気を飛ばしてきたのかも分からない。

 一体、どこから?

 狼があたりを見回していると、狼と同じ様に気配に気づいたデンメンバーも辺りを睥睨している。

 殺気を感じて警戒をしているのは分かるが、狼以外のデンメンバーには狼よりも鬼気迫る者が瞳の中に込められている気がする。

 そんなメンバーに狼は、小首を傾げながらも再び辺りを見渡す。

 けれどもうすでに、狼やデンメンバーが感じた殺気は辺りから霧散してしまったかのように消えていた。

「さっきの気配……なんだったんだろう?」

 狼がそう呟くが、用心深げに辺りを見回しているメンバーからの返事はない。

 そんなメンバーを見ながら狼が眉を顰めていると、何が起こったのかさえ分かっていない小世美が不安そうに顔を歪めているのが見えた。

 狼が小世美の肩に手を置くと、小世美は一瞬身体を震わせてから、狼と視線を合わせてきた。

「オオちゃん、皆が怖い顔をしてるけど……何かあったの?」

 何が起きたかは分からなくても、周りの表情を見れば何か不吉な事があったことくらいは察しれる。小世美の瞳にはそういう色があった。

 だからこそ、狼は小世美に本当の事を言うべきか逡巡(しゅんじゅん)した。

 こちらに殺気は放たれていたものの、何か起きたわけではない。なら、下手に変な事を言うよりは、黙っていた方が小世美の為には、良いのだろうとも狼は思う。

 だがしかし、小世美の瞳には狼の瞞着(まんちゃく)を拒否する意思があった。

 そのため、狼は決意を固めた様に一度息を吐いてから、口を開いた。

「正直に言うけど、さっき誰かから敵意を向けられてたんだ。でも、その敵意がどこから向けられたのかも分からなくなっちゃったから、どうすることも出来ないんだけど……」

 狼が苦顔を作りながらも、今の状況を小世美に説明すると、小世美がゆっくりと頷いてきた。

「そっか。それで皆怖い顔してるんだね」

 そう言葉を吐いた小世美の顔に、先ほどの不安そうな表情はなく、むしろさっぱりとした表情をしていた。

「怖くないの?」

 小世美の予想外の表情に虚を突かれた狼がそう訊ねると、小世美が首を横に振ってきた。

「それはやっぱり怖いよ。でも、さっきみたいに何が起こったのかも分からないままの方が怖かったから。それに、もうその気配はどこかに行っちゃったんだよね?」

「うん、まぁ……」

 狼が後ろ頭を掻きながら曖昧な返事をすると、小世美が笑顔を向けてきた。

「なら、大丈夫! はいっ、皆もせっかくの休憩なんだから怖い顔はやめてお弁当を食べちゃおう!」

 辺りを警戒していた根津たちに小世美が声を掛け、根津たちも少しだけたじろいでいたが、すぐに気分を変え、頷いてきた。

「それもそうね」

 根津がそう言いながら、箸を取りお弁当を食べ始める。

 するとそれにつられるように、季凛と鳩子もお弁当を食べ始めた。

「小世美は心配しなくても平気。何かあったら私たちが守るから」

「メイちゃん……うん、ありがとう」

 名莉の言葉に小世美が再び笑みを浮かべる。

 それを見て名莉も微かに笑みを浮かべ、箸を取った。




 真紘は教官たちと共に居た豊をここでは話せない話があると言って、豊と共に校舎内にある理事長室に来ていた。

「さてさて、私に話とは何かな?」

 豊がわざとらしく口元を弧に描いた笑みを浮かべてきた。

 真紘はそんな豊の笑みを無視し、口火を切る。

「知っているのだろう? トゥレイターの者がこの学園に入っているのを。いや、むしろ知っていながら招き入れているのか?」

 ここに来るまでに頭の中で立てた推測を真紘は、眼前で笑みを浮かべる豊に叩き込む。

 すると豊は、いつもの軽い調子で肩を竦めさせてきた。

「どんな画策があれ、ここで学べる権利を持つ者が、ここで学びたいという願望を抱いているのなら、それを応諾(おうだく)するのも私の責務だと思っているんだけどね」

「それがこちらに害を成す者でもか?」

「はは、害か。でも彼女はまだ何もしていないだろう? それに実を言うと彼女は二重スパイをやってもらっているんだよ」

「二重スパイ?」

 豊の言葉に真紘があからさまに眉を顰めさせた。

「そうさ。二重スパイ。でも、ある意味それをさせているのは私と言うよりは君の方なんだけどね」

 笑みを浮かべた豊の言葉には、真紘に対する皮肉が込められていた。

「彼女が君に執着しているということは、知っているだろう? 彼女は君の傍にいられるのなら、自分が所属する組織ですら平気で裏切る。そう、彼女は自身の愛に対してすごく実直なんだよ。だからこそ、彼女は私の言葉に賛同してくれたんだからね」

 引き続き豊の口から紡がれた言葉は、真紘が納得するには十分だった。

 もう既に雪乃が自分に対して、執拗なまでの執着心を持っているのは先ほどの会話で垣間見れた。

 なら、今豊が話しているのは本当の事なのだろう。

 そして彼の話が本当なのなら、雪乃単体が可笑しな行動をする可能性は低い。もし動いたとしてもそれは真紘個人に対する物であって、甚大な被害になる害ではないはずだ。

 だがしかし……

「二重スパイをさせるのには、それなりの理由があるはずだ」

 真紘は確固たる視線を豊に向けた。もうこれは推測の域ではない。確定の域に来ている。そしてそれは、豊の作った満面の笑みで分かった。


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