疑問
「まさか、私が誰にも当たらないだろうと見込んで書いた『ねりけし(ヨーグルトの香り)』に当たってしまう生徒がいたなんてね」
操生が苦笑交じりにそう呟くと、隣に座っていた左京も苦笑を零してきた。
「ああ、あれは、二年の久保俊樹だったか……なんとも不憫なものだったな」
第三走者目のレースが終わり、第四走者目がすぐにスタートされたのだが、そこで続々と難易度が高い借りものクジを引く生徒が続出し、一時レースが進まないという状況になってしまったのだ。
そしてその難易度の高い借り物の中に操生が書きこんだ「ねりけし(ヨーグルトの香り)」があり、それを俊樹が見事に引いてしまったのだ。
そのクジを引いた瞬間、俊樹は絶望の淵に立たされたように落ち込み、さすがの慶吾も肩を竦める有様だった。
誰がどのクジを書き込んだのかは、クジを引いた相手には分からない様になっているため、俊樹は操生が書き込んだものとは、露知らず、クジに対する不満や罵詈雑言を吐いていた。
「ねりけしってなんだよ~? しかもヨーグルトの香りとかレベル高すぎだし、こんなのありえないだろ」とか「もっと考えてクジの内容を書き込めよ」とか、様々な不満を言いながら走り、最後には半泣き状態で探し回っていた。
「でも、まぁ、最後には香りつき消しゴムにしてもらえたんだから、良かったよ」
「本当だな。しかもその香りつき消しゴムも、普通の消しゴムに女子生徒が持っていた香水を吹きかけただけっていうのも、何とも微妙だったな」
「そう、だね。私も安易に変なお題は書き込まないことにするよ」
操生が困り顔をしながら、隣にいる左京にそう言っていると、操生の端末にメッセージが届いた。
メッセージの送り主は、欧州にいるはずのⅪだ。
操生はそれを確認してから、静かに席から立ち上がった。
「杜若、どうかしたのか?」
いきなり立ち上がった操生に対して、左京が首を傾げながら訊ねてきた。
「ちょっと、教官室に飲み物を置き忘れたから取りに行ってくるよ」
操生がそう言うと、左京もすぐに興味がなくなったのか「そうか」と言って顔を前にあるグランドへと戻した。
操生はそのまま、グランドから離れ人気のない校舎裏へと向かう。
それからすぐにⅪからのメッセージを確認した。
『À cherMisao!NousarrivonsàJapondans troisjours(操生、私たちは3日後、日本に着きまーす)』
短い文でそう書かれていた。
つまり、この日本にキリウスが来るまであと3日。
それを知って、操生は小さく唸った。
この任務を操生に言い渡してきた幹部から、キリウスが日本に兵器を持ち込もうと言う思案があるのは知らされていた。
だから、このⅪからのメッセージは本当の事だろう。
そしてⅪを含め、欧州地区のナンバーズのなかで操生が東京で別任務を行っているという事は既知の情報だ。
そして東京にいる操生にわざわざ自分たちがいつ頃東京に来るという事を教えるのは、いささか奇妙にも感じる。
操生は元々別任務で日本に来ている。つまり、Ⅺたちが取っている任務とは関係ない所にいると言っても過言ではない。
しかも、操生は唯でさえこの前の騒ぎの時に謀反を起こした出流に加担している。
そんな自分にこの情報を与えるのは、餌の少ない池の魚に餌を与える様なものだ。
一体、何を考えているのか?
操生は自然と眉を潜ませた。
そんな操生に追加のメッセージが届いた。
やはりⅪからだ。
『Une place est Yokosuka. Le temps est secret(横須賀に着くからね。時間までは内緒よ)』
わざわざ、細かい到着地点まで知らせて来るとは。
怪しさが増したね。
Ⅺからのメッセージを見ながら、操生は溜息を吐いた。
これを出流に言うべきか否か。
操生は少しの間考えた。
出流に言ったらどうなるかは、目に見えて分かる。
今の東アジア地区のナンバーズは、次の指令があるまで待機、演習に従事することとなっているが、大人しくしていろということだろう。
そこまでしといて、何故こんな情報をこちらに寄こすのか? 操生からしてみたらそこが不思議でならない。
「……謎だね」
首を傾げながら、操生がそう呟く。
けれどいくらこんな校舎裏で首を傾げていた所で、謎が解けるわけでもない。
とりあえず、この情報を出流に流すかまだ検討中ということにしておこう。いや、その前に東アジア地区の様子を見に行ってからの方がいい。
操生はそう考えてから、自分自身で納得した。
「そうだ、どこかで飲み物を買わないとね」
左京に飲み物を取ってくると言ってしまったため、さすがに手ぶらというのも気が引ける。操生は少し校舎裏から、食堂がある方にある自販機へと向かった。
午前の部に行われる種目が着々と行われていた。借りもの競争のあとに、ナイスシュートがあり、狼たちペアは三位、名莉たちペアが一位となった。
そして次に行われた出勤5分前では、予想通り柾三郎率いる二年が点数を荒稼ぎし、高得点を叩き出したのが、スタート直前に根津に活を入れられた陽向だけだった。
次の綱引きでは、力の三年と称される三年が一年・二年を瞬殺し、点数を決めている。
「予想通りといえば、予想どおりだが……」
これまでの成績を見ながら、真紘は短く息を吐いた。
真紘が居るのは、生徒会員が控えているテントだ。今のところここにいるのは、真紘しかいない。他の生徒会メンバーは、種目に出ている者や、別の委員会に運営の指示などを出しに言っている。
真紘は体育委員の生徒に午後の一番で行われる氷リレーの準備状況を確認して、テントへと戻って来ていた。
午前の部であと残っているのは、通常のリレーだけだ。
このリレーは、因子の使用を禁止したごくごく普通のリレーなのだが、このリレーでは高順位を得られたとしても入る得点的には少ない。
明蘭学園の体育祭では、やはり因子を使用する競技の方が高得点分類のため、出来れば因子を使用する午後の一大種目、騎馬戦をどうしても勝ち取らなければならない。
今のところ、得点での一位が一年、二位が三年、三位が二年という順位になっているが、その差はどれも僅差でしかない。
「やはり、騎馬戦が勝負の要となるか」
真紘がそう呟いていると、そこに後ろから人が近づいて来る気配を感じた。
「誰だ?」
真紘が後ろを振り返ることなく訊ねると、後ろに立っていた少女が静かに声を漏らしながら、笑って来た。
「輝崎君、いえ真紘君……やっとゆっくりお話できますね?」
「如月か。俺と貴様が話す事は何もないと思うが?」
冷たい口調で真紘がそう言い放つと、雪乃が然もおかしいと言わんばかりに肩を揺らして笑っている。
真紘がそんな雪乃に顔を顰めると雪乃が笑うのを止めて、口を開いた。
「真紘君は、ちゃんと理解しましたか? 私のことを?」
「理解するも何も、貴様と俺には接点がない」
「ふふ。まぁ、私と真紘君で考えると有りませんが、私の父と真紘君の父親は接点がお有りでしょう?」
雪乃の言葉に真紘はさらに眉を潜ませた。
WVAが終ってから、真紘は雪乃について調べていた。
そして調べてから、あっさりと雪乃がどのような存在なのかは判明した。
雪乃は九卿家となりうる家の一つにある如月家の者だ。
九卿家は九つに分かれている公家がそれぞれ、ある一定の力を保持する家系の中から選出する。そして選ばれた九つの家を九卿家と称している。
如月家はその選出の中で九卿家に選ばれなかった家系だ。
そしてその如月家の本家に鎮座していた雪乃の父親である、如月芳隆を殺したのは、紛れもない真紘の父、輝崎忠紘だ。
忠紘が雪乃の父である芳隆を殺した事は、九卿家の中では公然の物となっている。
いや、現九卿家の家が集まっている中で忠紘が如月芳隆を切り捨てたからだ。
切り捨てられる前の如月芳隆は荒れていた。
荒れている理由は一つだ。九卿家という括りに入る事ができなかったという屈辱のためだ。
ある時、公家の七条の当主が自分の護衛を変えるという話になったのだ。そのため、九卿家になりうる力量を保持する家系が、一斉に競い合った。
その中に如月家も入っていたのだが、結局選ばれたのは御厨の家だった。
だがその結果を良しとしなかった芳隆は悔しさの渦に意識が撹拌されたに違いない。だからこそ、芳隆は九卿家が集まる席に乱入し、半狂乱となって無差別に刀を振り回したのだ。
その際に真紘の父が手を下したのは、唯の偶然に過ぎない。
けれどその偶然が真紘と雪乃の因縁になっている。
「確かに父は貴様の父を手に掛けている。けれどそれは貴様の父にも非があるようだが?」
「ええ、そうですね。確かに私の父にも非があります。けれど父を殺してしまったのは、真紘君の父親の非です。なら、真紘君が私に償いをするのは当然のことだと思いませんか?」
「償いか。つまり、貴様は俺で父の敵討ちがしたいということか?」
真紘が視線を鋭くさせながら訊ねると、雪乃は静かに首を横に振ってきた。
「いいえ。それは違います。私は以前にも真紘君には言ったと思いますよ? 私は貴方を気に入りました、と。なので、私は真紘君を殺すなんて事は考えてないんです」
「では、貴様の望みはなんだ?」
「はい、私の望みは、真紘君の中に私を刻み付けるということです」
「刻み付ける?」
よく分からない雪乃の言葉に、真紘が首を傾げる。
訝しみながら首を傾げる真紘に、雪乃が何故かうっとりとした表情を浮かべてきた。
「ああ、やっぱり良いですね。真紘君が苦悶している表情は。すごく私の欲望を掻きたててくれます。そうですね、そうです。遠回しの言い方はなしにしましょう。私が欲しい物は、真紘君との子供です」
何の躊躇いもなく紡がれた雪乃の言葉に、真紘は今度こそ目を見開いて驚愕する。
驚愕のあまり、上手く言葉が出てこない。
目の前で熱に浮かされた少女が何を考えているのかが分からない。
子供? 自分との?
混乱が一気に自分の中へと押し寄せてくるような感覚を、真紘は手に力を込め、息を吐きながら宥める。
「冗談も大概にしろ」
やっと出した真紘の言葉に雪乃が、今度は首を傾げさせてきた。
「冗談ではありませんよ? 私は本当に心から真紘君との子供を望んでいます。むしろ、真紘君が私を好きになる事はないと思いますので、なら、せめて子供だけでもと考えているんです」
「ふざけるなっ! 貴様のそのような世迷言に付き合っている暇はない」
「そんなに怒らないで下さい。別に私は難しい事を強要していないと思いますよ? それに真紘君が私の欲しい物をくれれば、私はその引き換えに今、怪しい動きをしているトゥレイターの動きをお教えしますよ?」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味です。私は欧州地区のナンバーズですので、トゥレイターの動きは割と入ってくるんですよ。ですから、その情報を真紘君たちに横流ししても良いと言ってるんです」
真紘は雪乃の言葉を聞きながら、腹の底から湧き上がる憤りを感じていた。
「下らない世迷言の次は、浅墓にも自分はトゥレイターの者だと? ならば、俺がここで貴様に攻撃を仕掛けたとしても、何の問題もないということだな?」
腹の底に湧き上がる憤りとは背反して、語調はすごくゆっくりしたものだ。
けれど真紘からは、雪乃に対する殺気が放たれていた。
雪乃が少しでも動けば、瞬時に喉元に刃を突き立てる。
その勢いで雪乃へと殺気を放つ。
「うふふ。今の私は真紘君に殺されるわけには行きません。私は貴方との子を宿さなければならないのですから。それに……本当にやってきますよ? 真紘君でも敵わない相手が海を越えて」
目を細めながら雪乃がそう言い放つと、可笑しそうに笑い声を上げながら、踵を返して去って行ってしまった。
そして丁度その時に、視野外で行われていたリレーが終了し、僅差で一位となっていた一年の順位が、三年へと奪われていた。
だがしかし、そんな結果にも目をくれず、宇摩豊の元へと向かった。明蘭学園の生徒としてではなく、九卿家である輝崎の当主として。




