揺動作戦
第二走者目には、真紘の姿が見える。
「さてさて、真紘はどんなクジに当たるのかね?」
「鳩子、何でそんなにウキウキしてるんだよ?」
何故かはしゃいでいる様子を見せる鳩子に狼が首を傾げると、鳩子がニヤニヤ顔のまま、狼の方へと向いてきた。
「だって考えてみてよ? 借りもの競争なんて運がないと、いくら足が早くてもゴールまでたどり着けないんだよ? つまり、真紘のクジ運が悪ければゴールまでたどり着けず、慌てふためく真紘の姿が見られるというわけ」
「つまり、鳩子は真紘が慌てふためく姿を見たいだけか」
「まっ、そういうこと」
呆れる狼を余所に、鳩子が楽しそうな笑みを浮かべながらグランドの方を凝視している。
二走者目である真紘は、スタートの合図があったのと同時に走り出し希沙樹と同様に、一番にクジを引くポイントまでたどり着くと、早々に端末を弄り始めた。
そしてクジを引けたのか、真紘が迷わず走り出す。
あの様子を見ると、もう既に借りる物の場所が特定出来ているようだ。
そして真紘が慌てふためく姿を楽しみにしていた鳩子は不服らしく、がっかりとした溜息を吐いている。
「まぁ、自分の思い描いてた通りには中々進まないからね」
残念そうにしている鳩子に狼がそう慰めると、鳩子がぼそりとした声で呟いてきた。
「はぁー、狼はちゃんと鳩子ちゃんを楽しませてくれたっていうのに、やっぱ真紘はダメか……」
返答の返しづらい鳩子の呟きに、狼は思わず顔を鳩子からグランドの方へと戻した。
楽しんでもらえた事自体は良い事なのだが、やはり狼は嬉しくない。
むしろ、早く皆の記憶からなくなってしまえと思う程だ。
そんな事を思いながら見つめるグランドの先では、真紘が教官たちの居るテントの所から誠と何かを話してから、手を握りゴールまで走って行くのが見えた。
『おおーっと、ここでもう一年の輝崎選手、借りものを見つけて一位をもぎ取ろうとしている。しかも教官勢の中で男子生徒から人気を誇る佐々倉教官と手を繋ぎながら、ゴールなんて……なんて羨ましいんだ。むしろ、死ね。死んでしまえー』
実況役の男子生徒がそんな悪態を吐くと、それに呼応した男子たちから一気にブーイングが飛び交い始める。
けれどそんな男子からの惨めな僻みなどを気にする様子もなく真紘が誠とゴールへと走る。
そんな真紘をかなりの勢いで追走する人物がいた。
その人物は紛れもない二軍生男子寮長でもある秀作だ。
しかもその手は、いつも怒っている様な表情をしている榊の腕を掴んでいる。
そのためだろうか?
秀作の目に運という目に見えない物に対する理不尽さが浮かんでいるように見えるのは。
いいや、違う。
これは様にではなく、浮かべているんだ。
狼自身、クジと言う名の博打のせいで、痛い目にあった。
マシなクジを引いていた正義やセツナに対して、妬ましく思ってしまうくらいに自分の不運さを嘆いたからだ。
だからこそ、今の秀作の気持ちが分かる。
きっと彼はこう思っているはずだ。
何故、自分は掴みたくもない借りたくもない榊の腕を掴みながら走り、普段から女子にちやほやされている真紘が美人と手を繋ぎながら走っているのだと。
だからこそ、秀作が負け犬の意地を見せた。
『すごい、すごいぞ。三年男子、高坂秀作!! 俺たち男子の積年の恨みを晴らすべく、輝崎真紘との距離を一気に詰めていく!! これはすごい。すごいぞ。秀作。さすが被害者の会会長のことだけはある! やってくれるぜ!』
内容としては実に下らないナレーションを男子生徒が白熱とした声で叫んでいる。
そんな実況と眉を吊り上げて距離を詰めてくる秀作に、誠と共に走る真紘が怪訝そうな表情をしている。
そしてその間にもどんどん、秀作と真紘との距離はどんどん詰められていく。
真紘も走るスピードを上げるが、負け地と秀作もスピードを上げ、ついには真紘を抜いた。
真紘が抜かれた瞬間、学年問わず男子からの嬉々なる声と、女子からの非難の声が上る。
秀作に抜かされてしまった真紘も再び追い抜かそうと走るが、真紘を抜いて男子の英雄となった秀作は意地が何でも、という顔で走り抜ける。
真紘と秀作が二人でカーブを切り、一度は秀作も真紘に抜かされるが再び真紘を追い抜く。
そんな二人が繰り出す手汗を握る見事なレースに生徒たちが固唾を呑みながら見守る。
負け犬の意地が勝るか。一年の総代表としての責を果たそうとする真紘が勝るか。
理由は違えど、二人とも同じくらいの気迫は持っている。
だからこそ、皆が大声で思い思いの声援を送っている。
狼も勿論、声援を送った。
勿論、真紘に。
確かに自分と同じく不運なクジを引いてしまった秀作を応援したくなる気持ちもあるが、でもここはやはり、正当に友人で味方でもある真紘を応援するのが筋だ。
皆の大きな声援を受け、真紘と秀作がほぼ同時にゴールへと辿り着いた。
そしてすぐさま行われた映像判定の結果……
少しの僅差で秀作が先にゴールの線を越えているのが判明した。
秀作が勝ったことにより、ほぼ男子たちからの歓喜の声が叫ばれる。
きっと大概は被害者の会のメンバーだろう。
二位になってしまった真紘は悔しそうにしながらも、やや満足げな表情をしていた。
「まさか、この借りもの競争でこんなレースが見られるとは思ってなかったな」
「確かに。鳩子ちゃんもまさか高坂先輩が真紘に食いついて、逆転勝利するとは思わなかったよ」
「でも、まーくんも先輩もどっちも凄かったよね」
「うん。良いレースだったと思う」
観客席で見ていた狼たちがそれぞれ、先ほどのレースの感想を述べている間に、借り物のクジ内容確認に入る。
まず一位となった秀作のクジ内容は『教官で嫌な奴』という内容で、審査員からは承認されたのだが、クジの内容を知らなかった榊が額に青筋を立てながら、秀作に向け恐ろしい笑みを浮かべている。
「おい、高坂……おまえ、いい度胸だな?」
地獄の底から聞こえてきそうな声を出しながら榊が秀作の首元を鷲掴みにしている。
「いや、榊教官、落ち着いて下さいよ? これは……ほら、あれっすよ! 榊教官の事はスゲー尊敬してるんですけど、一年の教官だから今は敵じゃないですか。だからっすよ。なんでそこに深い意味は籠められてないっていうか」
青筋を立てる榊に秀作がそんな苦しい言いわけをし始めている中、次に真紘のクジ内容が発表された。
『次まして二位着となった輝崎選手の借りもの内容なんですが……え、嘘? マジ?』
そんな言葉を言いながら実況担当の男子が目を丸くさせている。
その為、榊に冷や汗を掻いていた秀作も、思わずナレーションへと視線を向けている。
なんだ? そんなに驚くくらいの内容だったのか?
今もなお驚き続ける男子生徒を見ながら、狼を含めた観客たちが首を傾げていると、意を決した男子生徒が口を開いた。
『輝崎選手の借りもの内容は異性として好感が有る人です!!』
男子生徒から紡がれた衝撃の言葉に一同騒然となる。
女子にいたっては泣きだすものや、男子からも悲嘆の声が聞こえてくる。そしてクジ内容を知らなかった誠が目を見開いて、顔を真っ赤にさせている。
そして一同騒然とさせた真紘も何故か物凄く驚いた顔をしていた。
狼がそんな真紘を見て、不思議に思うよりも先に秀作が真紘の肩を掴み激しく揺さぶっていた。
「おい、輝崎。おまえまで佐々倉教官を狙ってたなんて初知りだぞ?」
「いや、ちょっと待て。俺が引いたクジはこんな内容では……」
「この期に及んで白を切るな。情報端末で引いたクジなんだから内容が変わるわけないだろう。何照れ隠ししてるんだ? ああ?」
「だから照れ隠しなどではなく、本当に……」
真紘がそんな弁解をしているが、もう横溢となっている生徒たちの騒ぎは止まりようがない。
ただ審査員の方は、目を丸くしながらも承認のしているため、二位という位置づけは決定となった。けれど今の真紘にとってそこよりもどうこの騒ぎが収まるのかという方に頭を悩ませていることだろう。
「こんなことで、ビービー騒いでないでさっさと次のレースを開始しなっ!!」
二年の学年主任である桐生の言葉で、次の第三走者目がスタート地点に立つ。
だがやはり、そこに立っている生徒たちも先ほどの衝撃がまだ沈静化していないのか落ち着きのない雰囲気を醸し出している。
そしてそんな中にマルガが立っていた。
マルガもマルガでそわそわとした落ち着きのない感じだ。
「まさか、こんな事態になるとは……やられたね」
隣にいる鳩子が頭を抱えながらそんな事を言って来た。
「鳩子、それどういう事?」
鳩子の言葉に反応した名莉が訊ねる。
すると鳩子が悔しそうに溜息を吐いた。
「これは、きっと條逢慶吾の仕業。あいつがきっと真紘が引いたクジに仕掛けをして、内容をすり替えたんだよ。今のこの状況を作り出すために。だから見て。第三走者目の中に沙希先輩がいるけど、平然としてる」
見れば動揺をしている三走者目の生徒の中で、沙希だけがいくらか落ち着きがあるように見える。
「でも、きっと棗もそれに気づいたようだからすぐに一年の選手の動揺を宥める作業には入ったみたい」
「そっか。なら良かったけど」
「どうだろうね。一回動揺した人の心は持ち直すのに、幾分の時間はかかるからね。しかも第三走者目は女子だから、さっきの動揺作戦はかなり効き目があったと思うしね」
「まーくん、女の子から人気だもんね」
「そう、その乙女殺しの真紘の人気を利用した作戦ってわけ。むしろ、あの條逢の奴が真紘をからかって楽しんだだけっていうのもあるんだろうけど」
慶吾ならあり得そうだなと狼も内心で鳩子の言葉に同意した。
自分の学年のために他の学年を動揺させたというより、ただ自分の楽しみの為にやったと言われた方が納得いく。
「まったく乙女の純粋な気持ちを弄ぶなんて、外道のあいつらしい」
「はは。確かに」
そして第三走者では、沙希が一番最初にクジを引いている。
「負けてたまるか!」
マルガが沙希に追いすがるように、二番目にクジを引いた。
すると何に当たったのか、マルガが頭を抱えながらドイツ語らしき言葉を発しながら、頭を揺らしている。
何が当たったんだろう?
頭を抱えていたマルガに棗からの指示が飛んだらしく、マルガが動き出す。
マルガが動き出した方向は、学校の校舎の方だ。




