労いの抱擁
観客席に座っている生徒からの視線を間近で感じ、狼は早速、怖気づいていた。
けれどこの場に立ってしまった以上、後戻りはできない。
そんな当たり前のことを、目の前に叩きつけられ狼が思わず引き攣り笑いを漏らす。
すると今度は後ろから大音量で、ヘヴィメタル特有の豪快なメロディーが流れ始め、狼のアシスト役になっている生徒が、ギターを構え音楽に乗り始めた。
そんなメンバーの中で独りぽつんといるのは忍びない。完全に浮いてしまう。
狼は思い切って、真紘ファンの女の子の助言通り腰からのヘッドバンをすることにした。
もちろん手はギターを弾くふりして。
しかも狼に持たされたギターはよく玩具屋とかで売られている様な弾く真似をするだけで、かってに音を出してくれる物だ。
そのため、傍から見れば狼が激しいヘッドバンをしながら、華麗なヘヴィメタルの曲を演奏しているように見えるだろう。
だからなのか、さっきまでポカンとしていた観客席の生徒達が一斉に狼たちが引いているように見える音楽にノリ始めてきた。
すると周りのアシスト生徒は気分が上がって来たのか、過激なパフォーマンスをし始めている。観客に向けて中指を突き立ててみたり、自分の舌を出して狂人めいてみたり。
そんなアシストの生徒を横目でチラ見しながら、狼はヘッドバンを続けていた。
正直な所、ヘッドバンのやり過ぎて若干脳震盪を起こし始めているし、腰だって痛い。
けれど周りの生徒がやっているような事を狼は死んでもしたくなかった。
確かに今の観客席との一体感には、人の気分を上げてしまう魔力が込められているような気もするが、もしその熱から冷めて自分の素に戻った瞬間、狼は悶絶しながら死にたくなるに違いない。
そんな目に見えて分かる未来を脳震盪でクラクラする頭で想像し、狼は何とか理性を繋ぎ合わせていた。
周りはもうすでに熱に浮かされた半狂乱。
たった、二、三曲の時間でこんな事態になろうとは、狼は思ってもいなかった。
いや、観客席からみたら僕も半狂乱の一員なのか。
曲が始まってから、厭きもせずずっとヘッドバンをしまくっているのだから。
音楽が最後の一曲に入り、さらに周りの熱は上がって行く。音楽のリズムもパワーアップしている。
けれど、内心で狼は限界を迎えようとしていた。
もし今の状態でまともに歩こうとしても、歩ける気がしない。
いや、きっと無理だ。
けれど、もう用意された曲は最後の曲だ。
これを乗り越えれば、もうこの悪夢からも抜け出せる。
あとは走ればいい。そうだ、スタンディングスタートを見事に決め、もう脱兎の如くゴールまで走り抜こう。
一応、走りには自信があるし、ここで誰かからの妨害を受けたとしても、狼はそれを諸共せず走り抜ける覚悟があった。
そんな事を狼が考えている中、曲が止まる。
狼は脳震盪を起こしながらも、心から安堵していた。
だが……
あまり見た事ない似非バンドのライブに興奮しきった観客席からは、拍手喝采と共にありがた迷惑なアンコールが叫ばれている。
やばい、この流れは非常に駄目な奴だ。
狼はそう思い、観客から叫ばれているアンコールを無視して後ろに戻ろうとすると、アシストの生徒から肩を掴まれた。
え?
「おまえにも見えるだろ? 俺たちを求める観客たちの声……あの声に答えないわけにはいかねぇー。だから、だから……もう一曲に俺たちのヘヴィで超絶クールな熱をアイツらに撃ち込んでやろうぜ」
「え、ちょと、やめろ……って」
嫌がる狼のことなど丸無視て、アシストの生徒が額から汗を滝の様に流しながら、観客へと手を振り、狼をステージの真ん中へと押し戻す。
なんて、ありがた迷惑な。
最悪にもほどがある。
しかもそんな狼のダークサイドに陥った気分に拍車をかけるかのように観客たちからは、『魔狼、魔狼、魔狼―!!』という掛け声まで、叫ばれている。
もう本当に嫌だあああああああああ!
狼は内心であらん限りそう叫んだ。
本当は声に出して叫びたかったが、もう激しい音楽が始まっていて観客もノリに乗っている。
そんな現状の中で自分ひとりだけ遺憾の意を伝える事は、狼にはできなかった。
だからこそ、狼は涙を流したい気持ちを抑え、ヘッドバンを再開していた。
もう全てがどうでもいい。
もう今は、やりきろう。この似非ライブを。
そう考えなおして、狼はアンコール曲、二曲をやり切った。
狼はクラクラとする頭を抑えながら、やっとの思いでステージ裏に戻ると、真紘ファンの女の子が目を輝かせながらグッドサインを狼へと向けてきた。
「黒樹くん、さっきの凄い良かったよ。本当に。もしかすると、メタルの才が備わってるかも」
「いらないから! そんな才能」
目を輝かせる女子生徒にそう返して、狼が用意されていたパイプ椅子になだれ込むように座り、深く溜息を吐いた。
ああ、早くこの化粧と衣装から着替えたい。
疲れよりも、狼の頭の中はそれでいっぱいになっていた。
そしてそのまま椅子に項垂れる事、数分。
狼はある事に気づいた。
「何か、やけに静かだな」
ステージの方を向きながら、狼はそう呟いた。
狼たちヘヴィメタルチームが引いて、次に入るはずの季凛がもうステージに上がっているはずだ。それにも関わらず、シーンと静まり返っている。
「もしや、あんなシュールな着ぐるみが出てきた所為で、皆の気分が下がったのか?」
狼はパイプ椅子から勢いよく立ちあがり、ステージ裏からステージの方を覗き見た。
あ、あれは……!!
狼の視界が捉えたのは、ステージ前でどす黒いオーラを放ちながら突っ立っている季凛と、そんな季凛に圧倒されて押し黙る観客たちの姿だった。
観客たちは茫然としながら、季凛のずっしーほっきーの姿を食い入るように見ている。
すると季凛が後ろに置いてあったプラカードを持ち、それを観客の前に突き出した。
突き出されたプラカードを見ると、そこには赤い文字で『こっち、見んな!!』という文字が書かれている。
「……シュール過ぎる」
狼は季凛のシュールさに思わず口をあんぐりと開いた。
「はい、皆さん初めまして。この子のお名前はずっしほっきーというゆるキャラです。基本的に何を考えているかわかりませんが、時に四つん這いになりながら「ホキホキホキ」という珍声も上げます」
突っ立っているだけの季凛を煽るように、雪乃がニコニコとしたスマイルでそんなナレーションをつけてきた。
あれじゃあ、まるで「今からやりますから」と遠回しに言っているようなものだ。
季凛にもそんな雪乃の意図が伝わったのか、小刻みに体を震わせている。
さすがに季凛もやらないだろう。
狼が内心でそう思っていた矢先に、季凛が四つん這いになって歩き始めた。
しかも結構なスピードで。
「ええ、嘘だろ? 季凛が……」
予想を裏切る季凛の行動に、狼は思わず声を上げて驚く。
絶対に季凛が嫌がる様な行動であるはずなのに、ステージの上に立っている季凛はそれを頑張ってやり遂げている。
やっぱり季凛でも、高得点を取りたいって気持ちがあるのかも。
頑張る季凛を見て一瞬でもそう思ったが、狼は観客の最前列へとやってきた真紘を見て考えを改めた。
観客席に居る真紘は、ずっしーほっきーになっている季凛に期待の眼差しを向けている。
そうか。季凛はきっと真紘からの期待に応えるために……
妙に納得しながら、狼は少し悔しい気持ちにもなっていた。
先ほど自分があれだけ見事なヘッドバンをして、脳震盪を起こしながら観客席を盛り上げたというのに、そんな狼の与えたインパクトを全て呑みこんでしまうかのように、季凛が観客に与えたインパクトの方が強かった。いや、強すぎた。
そのため一瞬で観客の興味を季凛に持っていかれた事に狼は、ヘヴィメタルチームとしてはとても複雑な心境だ。
けれど、ステージの上にいるあのシュールなキャラを見返して、やはりあのインパクトには勝てないとも思ってしまう。
悔しいけど、僕の負けかな。
あのインパクトには誰も勝てないだろうし。
狼は苦笑しながら、今の季凛の凄さを静かに認めた。
そしてそれは、狼だけではない。
季凛の前にステージに立った全ての者が、どこか諦めたような顔をしている。
それから季凛のずっしーほっきーがステージ裏に戻ってくると、観客席の方で物凄い反響の声が聞こえてきた。
けれど、その反響の声など聞こえていないように、季凛が自分の衣装部屋の方に入り込んでしまった。
あの様子だとレースの順番が回ってくるまで、あそこから出てこないだろうな。
そして今度こそ狼の予想はあたり、季凛は自分の走る番が来るまで衣装部屋から出てこなかった。
勿論、レースは正義にセツナ、狼や季凛が一位を取り、季凛の大活躍だったステージ得点も合わせて、この競技の最高得点は文句なしに一学年の物となった。
狼と季凛がそそくさと、衣装を脱ぎ棄て普段の体操着に着替え衣装部屋から出ると、そこに笑いを堪えている鳩子、根津、小世美と労いの表情を見せる名莉のいつものメンバーの他に、希沙樹や真紘に陽向、棗の面々が待っていた。
まず、満足そうな真紘が季凛の肩に手を置いて口を開いた。
「蜂須賀、さっきの活躍は凄かったぞ。他の学年も舌を巻くほどの点数の差だった。そしてそれは蜂須賀のおかげだ」
「そうそう。今回の種目は季凛のおかげで勝てたんだし、真紘も一年の総代表として、季凛に労いの抱擁でもしてあげれば?」
鳩子がニヤリと笑みを浮かべながら真紘にそう提案すると、真紘は少し首を傾げたが頷いて季凛を抱擁した。
「蜂須賀、御苦労だったな」
抱擁されながら真紘にそう言われ、さっきまでやさぐれていた季凛も満更でもない表情を浮かべている。
真紘と共にやってきた希沙樹も表情を曇らせてはいるが、言及するつもりはないらしい。
きっと総代表としてという建前と、先ほどの季凛の活躍を少なからず認めているからだろう。
なにはともあれ、先ほどまでの最悪だった季凛の腹の虫が治まって良かったと、狼は心の中で胸を撫で下ろした。




