奇怪な可愛さ
仮装レースの選手が控えている場所は、異様な雰囲気のものとなっていた。
割と恥ずかしくない仮装に当たった生徒は、周りの友人とふざけ合っているが、それすらも出来ない生徒は地面に座りながら、顔を俯かせ静かに自分の番を待っていた。
無論、狼もその内の一人だ。
九月に入ったとはいえ、まだ残暑が厳しい。
だからこそ、今の狼が当たってしまった格好は、物凄く暑苦しくて座っているだけでも汗が噴き出してくるほどだ。
暑い。
何でこんな恥ずかしくて、暑苦しいのに当たってしまったんだろう?
しかも、この後変なステージで出し物をやれといわれたが、何をやっていいのか分からない。
ただ係の女子に言われた事は、激しいヘッドバンキングをやりながら、持たされたギターを弾く真似をしろというだけだ。
「まぁー、何か歌えって言われなかっただけマシな方か……」
独り言を呟いて、狼は考えを改めた。
もうこの恥ずかしすぎる格好をしている時点で、マシとは言えないからだ。
いっその事泣いて逃げ出したい気持ちを抑え、狼は目立たない様に辺りを見回した。
少し離れた所では、テレビに映る様なチェック柄のフワッとしたスカートを穿いているセツナが恥ずかしそうな顔でアクレシアやマルガと話している。
そんなセツナたちから少し離れた所では、戦隊ヒーローのレッド姿の正義が、頭のヘルメットを外して、周りの男子と楽しそうにしているのが見えた。
いいなぁ。二人は。
狼は切にそう思った。
セツナは恥ずかしがっているが、明るいセツナに可愛らしいアイドル姿は、どこぞのライブに飛び入り参加しても許されてしまうくらい似合っているし、正義の戦隊服なんて、色んな学校などで使われているからメジャーな衣装だ。
それに比べて自分の衣装は……
自分の柄に合ってないにも程がある。しかもやる気ある係員の女子生徒の頑張りでかなりの高クオリティーな仕上りだ。
本当に額の「魔狼」という赤い文字がなければ、誰もこのヘヴィメタルのミュージシャンを狼だとは思わないだろう。
だがこの仮装レースのルール上、誰がどの仮装をしているかを明確にしないといけない。そのため嫌な仮装に当たってしまった者にとっては、とても鬼畜なルールだ。
だからこそ、狼にこのメイクを施してくれた女子生徒も顔に名前をペイントして、メイクに一切の妥協もせず、ルール規範上も問題ないようにしたのだ。
でもだからって、こんな目立つ赤色で書かなくとも……
狼が内心でそんな事を考えながら、溜息を吐いた。
こんな体育祭が嫌になったの、今迄で始めてかも。
狼がそう思っていると、狼の情報端末に鳩子からのメッセージが届いているのに気づいた。
メッセージの内容に嫌な予感を感じつつ、狼がその内容を開く。
『もうどんな仮装になったか、決まった?』
やっぱり。
狼は予想済みの内容にガックリと頭を垂れた。
よし、鳩子には悪いけど見なかった事にしよう。
狼はそう決意して、端末の画面を閉じようとしたときに、ふと狼と同じ内容が送られている人物の中に季凛の名前を見つけた。
そういえば、季凛の仮装って何だろう?
狼はそう思い、辺りを見渡す。
けれどそこに季凛の姿が見当たらない。
狼や季凛と共に、同じメッセージが送られているセツナと正義は近くに居るが、季凛の姿はどこにもない。
どこに行ったんだろう?
もうすぐ、仮装レースのオープニングが始まってしまう頃合いだ。
あんまりこの格好で歩きたくないけど、仕方ないか。
狼はすくっと立ち上がり、季凛を探しに行く事にした。
季凛がどんな仮装に当たったのかは分からないが、ルールの都合上、季凛だと判別がつくようにはなっているだろう。
とりあえず、狼は特設の衣装部屋へと向かい季凛を探すことにした。
探すのに時間を費やすだろうと踏んでいた狼だったが、季凛はあっさりと見つかった。
いや、本人の姿自体は目視していないが、少し遠くで季凛の衣装係を務めていた女子生徒が衣装部屋の前で季凛の名前を呼びながら、困り果てているのを発見した。
この格好で話し掛けるのも、嫌な気分だがここは背に腹は代えられない。
「大丈夫ですよ。私的には可愛いと思いますよ? その格好。なんというか斬新的な意味合いで」
衣装部屋に籠っていると見られる季凛にそう声を掛けていたのは、片手で自分の頬を抑えている雪乃だった。
「季凛の衣装係って如月さんだったんだ」
「その声にそのお顔の文字……ああ、黒樹君ですか」
「うん、まぁ」
「その格好、なかなか素敵ですよ?」
「あ、ありがとう。如月さん……」
屈託のない笑顔を見せる雪乃に、今のとんでもない格好を褒められてしまい、狼は内心で悲しくなった。
「それで、どうして季凛はこの中から出てこないの?」
気を取り直して狼が雪乃に季凛の事を訊ねると、雪乃が少し考える様な素振りをしてから小首を傾げさせた。
「私的には、とても可愛らしいと思うんですけど、御本人がここから出るのを拒否していて……」
「へぇー。そうだったんだ」
可愛らしい格好って……季凛にも恥じらいってものがあったんだなぁ。
頭の中でセツナが着ているような格好を想像しながら、衣装部屋に立てこもる季凛に声をかけた。
「季凛、仮装している姿を人前で見せるのは恥ずかしいっていう気持ちはわかるけどさ、ここは優勝を狙ってる皆のためにも頑張ろうよ。季凛の姿は見てないけど僕よりはマシだと思うんだ。如月さんも可愛いって言ってくれてるし」
狼が部屋の向こうにいる季凛にそう声を掛けると、部屋のカーテンがほんの少しだけ開かれた。
「あ、季凛良かった。出て来てくれる気になったん……だ……」
笑いかけながらそう声を掛けた狼に、隙間から怖いくらいに座った目をした季凛の肩目とカーテンから突き出された片手が、狼に向かって「死ね」というポーズと共に殺気を向けていた。
「え、え、え?」
いきなり季凛からの殺気に対応しきれず、狼が背中に冷や汗を掻きながら狼狽える。
自分は何か可笑しな事を言ってしまっただろうか?
いや、言ってないはずだ。少なからず今のこの場では言っていない。
「あのさ、僕……怒らせるような事言ってた?」
カーテンの方を指さし、狼が戸惑いながら隣に居る雪乃に訊ねると、雪乃はさも可笑しい様に肩を揺らしながら完璧に笑っていた。
「え、ちょっと……何で、笑ってるの?」
「いえ、あまりにも可笑しくて……思わず笑ってしまいました。ええ、そうですね、黒樹君は何も悪い事は言っていないと思います」
「そっか。なら良いんだけど」
笑われている所為なのか、それともあの強烈な季凛からの殺気の所為なのかは分からないが、妙に自分の言っていることに自信がなくなる。
どうしようかな?
これ以上、自分が何か下手な事を言って季凛の逆鱗に触れるのは避けたいし、かといってこのまま放っておく事もできない。
狼がそんな事を考え、頭を悩ませていると隣にいた雪乃が季凛に向け、口を開いた。
「知ってましたか? 輝崎君ってホッキ貝が好きだそうですよ」
口を開いた雪乃の声は、説得すると言うより本当にぼそりと呟くような声だった。
「ちょっと、如月さん、今のこの状況に真紘がホッキ貝を好きなのとじゃ無関係にも程があるだろ」
いきなりカーテンの向こうにいる季凛に向けて、真紘がホッキ貝を好きな事を言い始めた雪乃に狼が首を傾げていると、勢いよく衣装ベアのカーテンが開かれた。
狼が慌てて季凛の方に視線を向ける。
そして絶句してしまった。
「え? 季凛……その格好……」
狼が口を無造作に動かしながら、恐る恐る季凛に声を掛けると季凛が鋭い視線を狼に向けたまま口を開いてきた。
「ずっしーほっきー」
「ずっしーほっきー? えっと、そんなキャラいたっけ?」
狼が苦笑混じりに季凛に訊ねると、季凛が嫌悪感たっぷりの表情と共に舌打ちをしてきた。
舌打ちをしてきた季凛の仮装である、ずっしーほっきーというキャラクターの姿はホッキ貝の握り寿司に目と口と手足がついただけとう姿をしている。
そして季凛の顔は丁度、そのキャラクターの顔の下のご飯の部分に丸く開いた所に出ている。
シュールなキャラの顔と、げんなりしきった季凛の顔が相まって何とも言えない黒いオーラを醸し出している。
やばい、今の季凛はやばい。
言葉も返してくれないほどやさぐれている。
ずっしーほっきーとなった季凛に掛ける言葉が見つからず、狼が困惑しているのに対し、さして季凛の様子を気にしていない雪乃が、季凛と狼に特設ステージに向かう様に促してきた。
そのため、狼は仕方なく黒いオーラを放つ季凛と共に、特設ステージにまで足を運んだ。
できるだけ、季凛と目を合わせない様にしながら。
そして狼と季凛が特設ステージの裏まで来ると、もうすでに他の生徒たちはステージの前で整列し始めている。
狼たちも列の最後尾に並び、急いでステージの前へと整列した。
ただその際もやはり、狼の後ろにいる季凛は人目を引くようで同じ仮装に出る生徒からも奇異の目で見られている。
しかもその視線の所為で、どんどん季凛から放たれる黒いオーラがどんどん濃度を増していく気配が狼の背中越しに伝わってきて、かなり恐ろしい事になっているのが後ろを振り向かなくとも感じ取れた。
出し物をやる前の整列が終り、そそくさとステージ裏に戻った狼と季凛に係の生徒から数字の書かれた紙切れが渡された。
「えーっと、僕の番号は17番目か。季凛は?」
狼が後ろに居る季凛に振り返りながら訊ねると、季凛が無言のまま18と書かれた紙きれを突き出してきた。
「そ、そっか。じゃあ僕の次だね」
無言の季凛にそう返しながら、狼はすぐに前へと振り向きなおした。
今は、季凛をそっとしておこう。
きっとそれが今の一番の最善策だ。
狼はそう思い、気持ちを整えるために深呼吸をした。
そして少し経つと、三年、二年と出し物が終了していき、一年の番になった。
まずトップバッターは、セツナによるアイドルライブだ。
セツナのアイドルライブは、一部の男子からかなりの人気があり、どこから持ち出した分からないペンライトが観客席から眩いくらいに光っている。
す、すごい。
即興で歌を歌えと言われたセツナは、日本の音楽を知らないらしくドイツでの歌を歌いながら即興のダンスをしている。
ドイツ語での歌ではあったが、セツナの瑞々しい踊りと愛らしい表情のおかげで、会場は大いに盛り上がった。
それに続いて正義の戦隊ショーもなかなかの盛り上がりを見せたが、これでは他の学年とあまり大差ない盛り上がりだ。
そんな中、とうとう狼の出番がきた。
「黒樹君、頑張って!」
狼にコープス・ペイントを施してくれた女子生徒がそう声を掛けてきたので、狼は力強く頷く。
すると、その女子生徒の後ろから狼と似たペイントを施された数名の生徒が現れた。
「え……この人たちは?」
狼が数名の生徒を指差しながら、女子生徒に訊ねると
「たった一名のライブなんて、つまらないでしょ?」
そう言って狼に向けウィンクをしてきた。
ライブ……確かに狼一人だけでライブを成し遂げるのは、難しい。
けれど、狼がこんな個性の強い化粧をしている人たちを引きつれるのは、少し気が重い気もする。
そんな狼の内心を読み取ったかのように、女子生徒がこう助言をしてきた。
「黒樹君、貴方はただギターを弾く真似して見事なヘッドバンを決めてればいいの。それで……お願い、輝崎君のために高得点を叩き出して!」
前半はすごく優しい助言だったのに、後半はもう自分の願いになっていた。
この子、真紘のファンだったのか。
新たな発見をし、狼は精神的な疲れを感じ溜息を吐いた。
けれど一応、助言もしてもらったためお礼を言ってから狼はステージの上へと立った。
ここまで来たら、もう何も怖くない。
何故だが狼はそんな気分になったのだが……
やっぱり、無理だ。
観客席に座っている生徒からの視線を間近で感じ、狼は早速、怖気づいていた。




