良点の墓穴
今根津と鳩子はグランドにある観客テントの中で座っていた。目の前には仮装レースの特設ステージで行われる、オープニングらしきものの準備が行われていた。
仮装レースのオープニングには、仮装をした生徒たちがその仮装にあった、ちょっとした出し物を見せて、仮装ポイントを競う。そのため、レース自体に自信がない者はこの仮装ポイントで得点を上げようとするため、どこの学年の選手もかなり凝って仮装するのだ。
先ほど、鳩子が狼と季凛たちにどの仮装に決まったのかをメールで聞いたのだが、二人からは返事は貰えず、そのかわり同じ種目に出場するセツナと正義からは返事が来た。
セツナの仮装はアイドルで、即興の歌を歌わされるといって不安そうな返事で、正義は戦隊ヒーローという返事が来た。
確かに、セツナの即興で歌を歌わされるっていうのも、苦痛ね。正義はなんかあってる気もするけど。
二人の返信内容を見ながら、根津が苦笑を漏らしていると、隣にいる鳩子からため息がもれた。
「なんか、狼の気分が良いような気がする」
唸りながらの鳩子の声に、根津は内心でどきりとした。
それは、根津自身も思っていた事だからだ。
何故そう見えるのかはわからない。新学期が始まってからの狼に別段変わったことは起きていないはずだ。勿論、大城雄飛などの気になる問題はあるが、その問題に何らかの動きがないのだから、普段通りの狼のはずだ。
それなのに、今の狼は浮かれているとまでは行かないが、どこか気分が揚々としている気がする。
「狼に何かあったのかしら?」
「さぁ。あたし的にはメイっちと何かあったとは思うんだけど……それが原因なのかは、はっきりしてないし」
「名莉と?」
「そっ。鳩子ちゃんの女の勘でしかないけどね」
「……そう」
鳩子にそう言われて、これまでの狼と名莉を思い返して見た。
思い返して見て、確かに新学期が始まったばかりの二人には、少し気まずそうな雰囲気が流れていた様な気はするが、今は普通だと感じている。
そう新学期始まる前の以前の二人だ。
「でもなぁ~、最近のあの二人は前と同じなんだよねぇ」
「やっぱり、鳩子も思ってたの?」
根津が驚いて鳩子の顔を見ると、鳩子は肩を竦めて頷いてきた。
「まぁね、一時はさすがの鳩子ちゃんも焦ったけど、今の感じ見てると関係に進展しましたっていう感じには見えないし」
「そ、そうよね」
鳩子の言葉を聞いて、根津は内心で胸を撫で下ろしていた。
自分が狼のことでこんなやきもきさせられている事が、少し悔しい気もするがそれをすごく嫌悪しているわけでもない自分自身に気づいて、根津は複雑な気持ちになった。
そのため、根津が少し口をヘの字にしていると、鳩子がジト目で根津の方を見ているのに気付いた。
「なによ?」
根津が鳩子の視線に後退りするようにして訊ねると、鳩子がそっぽを向いてきた。
「別に、ネズミちゃんがニヤニヤしてるから、ついね。つい」
「ニヤニヤなんてしてないわよ。失礼な」
「えー、鳩子ちゃんにはすっごい、ニヤニヤしてるようにしか見えなかったんだけど? まるで今あたしは恋してます、きゃぴ! みたいな」
「きゃぴなんてしてないでしょ。変な事言うの止めなさいよ」
「ふーん。別に良いけどね。鳩子ちゃんはちゃんと夏の思い出を作れたし」
そう言いながら、鳩子が口元をニヤリとさせ勝ち誇ったような笑みを見せてきた。
根津に向かって勝ち誇った笑みを浮かべてくる鳩子の顔が妙に、気になる。
だからこそ、根津は思わず聞いてしまった。
「夏の思い出って、もしかして狼と?」
いつもなら、強がってこんな質問はしない。
けれど今の根津には気になって気になって、自分の強がりなどはどうでもよく思える。
そんな根津の様子を珍しく思ったのか、鳩子が少しだけ驚いた様な表情を見せてきた。
「ご名答。でも何か意外だったなぁー。ネズミちゃんが自らこっちの方面で訊ね返してくるとは……恋の力って偉大だよね」
「ちょっと、声に出して恋とか言わないでよ! 誰かに聞かれてたら恥ずかしいでしょ」
「ああ、そうだね。ある一人には致命傷になっちゃうもんね」
「ある一人?」
「あはは。いいの、いいの。さっきのは鳩子ちゃんの独り言だと思ってくれれば。それで? 本当にネズミちゃんは、気になるの? 鳩子ちゃんが作った夏の思い出」
鳩子の意地悪そうな笑みに根津は、コクンと首を縦に動かした。
「よしよし、珍しく素直なネズミちゃんに免じて教えてあげよう。実は……ムフフ」
教えて上げようと言ってたわりに、鳩子は両手で口元を抑えて、まるで子供のように足をバタつかせている。
口元を両手で覆っている鳩子の顔からは、いつもの鳩子からは想像しにくい女の子らしい笑みを浮かべている。
その表情から本当に嬉しい事があったのだという事が手に取るように伝わってきた。
だからこそ、根津は内心で身構えた。
きっと鳩子の表情からして、狼と嬉しい出来事があったのは明白だ。
そんな無言の事実に、根津は焦りを感じる。
こんなことなら、自分ももっと夏に頑張っておけば良かったと思う。
そして今もなお、嬉しそうにしている鳩子を見ながら聞きだすのは無理かもしれないと、根津が諦めて溜息を吐いた瞬間に、鳩子からの言葉が届いた。
「狼とキスしたんだ」
その言葉に根津は目を見開いて、鳩子の顔を見る。
そして少し顔を赤らめる鳩子と目が合った。根津は心臓が跳ねた様な気がした。
「あたしの初めてのキスの相手は狼くんになったのでした」
口元に笑みを浮かべてそういう鳩子の顔は、すごく満足そうな顔だ。
そしてそんな鳩子の顔を見て、根津はどうしようかと困惑した。
キスといえば、自分だって狼としたことはある。
勿論、あれは歴とした事故だ。
事故だからこそ、声を上げて自分も狼とキスをしたという事が言えない。
根津は言えない事が少し悔しくなって、俯きながら唇を噛んだ。
自分だって事故ではないキスを狼としたい。内心で根津はそう思った。
「……素直に羨ましいって思うわね」
苦笑しながら根津は、鳩子にそう返事した。
「本当にネズミちゃんにしては、素直すぎて鳩子ちゃん怖いんだけど……」
「あんたねぇ……そうね、本当に羨ましい過ぎて嫉妬するわね」
自分の胸にあるモヤモヤを言葉にしてみて、根津はすごくしっくりしてしまった。
ああ、今自分は鳩子に素直に嫉妬してるのだと分かる。
自分が狼に恋してるというのに気付いて、胸の中にこんなドロっとした苦い感情があったのだと驚く。
でも、こんな感情も誰かを強く想い、欲しているということならば仕方ないのかもしれない。
「女の嫉妬か。何かその響きすごく怖いんですけど。でもまっ、あたしも一歩も退く気ないから、別に良いけどね」
「言うわね」
「そりゃあ、言うよ」
「でも、逆に言って貰った方が楽よね」
「まぁね。ネズミちゃんはもっとウジウジと自分の気持ちを隠してくるタイプかと思ったけど、そうでもないみたいね」
「ふん、元来あたしはウジウジしてるのは嫌いなのよ。そんなの柄に合わないし、不意打ちに右ストレートを決められるよりは良いでしょ?」
根津がそう言って、鳩子に苦笑を溢すと鳩子も苦笑を返してきた。
「まぁね。でも最初に言っとくけど、あたしはどこかで抜けがけする気満々だから、そこんとこよろしく」
「抜け抜けと言うわ。でも、それが分かっててそんな事はさせないけど」
「一応、肝には銘じておくね。それにあたし達の敵はまだ他にもいるんだし」
「そこが問題よね」
「問題だよ。小言が多くて、細かい癖に変な所で優しいからねぇ」
「そう、そこよ。狼の卑怯な所は。普段は抜けてる癖に変な所で頼りになるから……」
鳩子とそんな事を言い合いながら、地味に狼の良い所を言っている自分に気づき、根津は顔を赤らめさせた。
自分とした事が不覚。
そしてそう思ったのは、自分だけではないらしく鳩子も自分と似た様な顔をしている。
「ねぇ、鳩子」
「なに?」
「あたしたち……完全に墓穴掘ったわよね」
「うん、地味にね」
「でも、本人に訊かれてなかったから良しって事にしときましょう」
「だね」
お互い自分の気恥ずかしさが拭い切れない為か、鳩子と微妙な空気のまま会話が切れた。
そしてそのまま暫く、二人の間に沈黙があったあとは再び鳩子が口を開いた。
「そういえば、狼と季凛の仮装って何だったと思う?」
「さぁ。二人から返事が返ってこないから見当がつかないのよね。でも、もうすぐ種目が始まるみたいだし、その時にわかるんじゃない?」
「確かに、そうかも」
そういう話を二人でしていると、丁度グランドに種目開始の放送が入った。
「はい、これより第一種目である仮装レースを開始します。まずはレースの前に特設ステージでの仮装コンテストをお楽しみ下さい」
グランドにあるスピーカーから慶吾によるそんな放送が流れた。
「やっとね」
「條逢の放送っていうのが難点だけどね」
「鳩子、あんたも揺るがないわよね。こんな時にまで條逢先輩に噛みつくのは、止めたら?」
苦笑しながら根津が鳩子にそう言うと、鳩子は根津へと人差し指を突き出し、舌打ちを打った。
「ネズミちゃん、それは無理があるよ。あたしら情報操作士にとって、アイツは憎むべき敵にしかならないんだから」
「……絶対、尊敬対象にはならないわけね」
「当たり前でしょ。むしろ、あの男を尊敬している奴の顔を見たいくらい」
そこまで周りから嫌われる慶吾に対して、根津はある意味感心した。
確かに、慶吾の性格に多少の問題はあるかもしれないが、彼の技量は尊敬に値する物だと根津は思っている。
けれど、それは飽く迄情報操作士という分類に属していない自分だからこそ、そう思ってしまうのかもしれない。
鳩子もなんだかんだ、負けず嫌いだし。
内心で根津が可笑しくなって、笑みを零していると鳩子から肩を叩かれた。
「ねぇ、ネズミちゃん……」
「なによ?」
「もしかして、狼と季凛ってあれ?」
そう言って鳩子が指差したステージの上には、思わず見ている者を絶句させてしまう狼と季凛の姿が合った。
「嘘でしょう?」




