女子生徒とコープス・ペイント
明蘭学園、体育祭当日。
空は澄み切り、まさに体育祭日和の日だ。
グランドには、明蘭学園高等部の全生徒が綺麗に整列しており、その後ろには学年ごとの教官が立っている。
グランドにある簡易な壇上で豊が暑苦しい挨拶をし、それから国防軍関係者の挨拶が続き、選手宣誓の挨拶で、二年の柾三郎が壇上へと立っている。
その姿を見てから、狼は辺りを見回した。
開会式で話を聞くだけの退屈な時間の為、生徒同士の小声で与太話でもしている所があるのかと思えば、皆が真面目に開会式に耳を傾けている。
こういう時だと皆真面目なんだなぁ。
と内心で狼が感心していると、辺りを見回していた狼の視界に、自分と同じ様に辺りを見回している小世美の姿が映った。
やはり、小世美も真面目な表情をした生徒を見ながら感心している様子だ。
自分とまったく同じ行動をしている小世美を見て、狼が苦笑を浮かべていると狼の真横に整列していた鳩子がジト目で狼を睨んできているのに、気づいた。
「何か僕、悪いことした?」
小声で鳩子にそう訊ねてみるが鳩子は狼の質問に答えず、そのまま視線を前へと戻してしまった。
何もした憶えがないのに腹を立てられていることを、理不尽に感じながら狼は首を傾げさせた。きっと、今すぐに聞きだそうとしても、怒っている理由を教えてもらえそうにない。
よし、ここは鳩子のほとぼりが冷めるのを待とう。
今までの経験から、狼はそう思った。
変に聞きだそうとしても、相手の怒りがヒートアップするだけで、良い結果にならない。
狼は一人で納得しながら頷いた。
「では、これより明蘭学園高等部の体育祭を開催いたします」
気づけば柾三郎による選手宣誓が終わっており、三年の教官主任である館成太陽が開会式を締めている所だった。
そして、早速体育祭が開催された。
体育祭が始まった途端に、まず学年ごとに学年主任の元に召集させられた。
すなわち、狼達は榊の元に召集することなのだが、その榊の顔はもう既に腹の虫が悪い顔をしている。
鳩子の次は榊の腹の虫が悪いのには困った。
そしてそんな榊の様子に気づいている生徒たちの気分は重く、出来るなら榊の元に集まりたくはないが、もしここで集まるのに時間をかけてしまえば、榊の腹の虫がさらに悪化するのは目に見えている。
こういう所を見ると、やはり榊と希沙樹は兄妹だと感じる。
人に有無を言わさず、自分の意見を通す所とか、人を押さえつけるときの威圧など二人の関係の事実を知ってしまえば、二人の性格は酷似しているという事に気づく。
けれど、やはり当の本人たちである希沙樹と榊の関係は依然として同じものだ。
ただ、希沙樹と榊の場合、前に希沙樹が言っていたとおり、今のこの関係で二人は完結しているため、これ以上お互いの関係を改善しようとは思っていないらしい。
だからこそ、真紘と結納の間に漂っていた気まずさが、希沙樹と榊の間にはまるでない。
その事に少し寂しい気もするが、真紘たちの時とはまた別の関係構築が二人の間には形成されてしまっている。
しかも、真紘も結納はお互いにお互いが気にし合っていている様子があった。
けれど、希沙樹にしても榊にしてもまったくその様子がない。
つまり、二人はこの関係で少なからず満足しているということだ。
なら、無理に波風立てる真似はしない方が良いだろう。
けど、その話は別としてどうしてもこうも、この兄妹は人に畏怖の念を抱かせるのが上手なのか? 狼はそう思いながら榊にバレないように溜息を吐いた。
そして、機嫌の悪い榊の元に一学年の生徒が円を描いて集まると、榊が凄みのある視線で一同を見回してから、口を開いた。
「お前らー! 召集されてからここに集まるまで時間が掛かり過ぎだ! 何の為の因子だ? いいか? 俺はお前らの教官であり、上官だ。つまり、お前らの移動時間なんかで上官を待たせるな!!」
榊からの怒号を受け、生徒たちの背筋が自然とピンと伸びる。
「よく聞け。この体育祭はどの学年よりも自分たちが優れている事を見せつける好機だ。力任せの三年と小手先の小技ばかりを駆使する二年の連中に、一泡吹かせてやれ!」
榊の勢いのある鬨の声に狼も含め、一年の生徒たちが呼応する。
だがそれは、一年だけではなく少し離れた所の二年からも似たような声が上がっていた。
まず少しハスキーの掛かった声で生徒を鼓舞しているのは、二年の学年主任である桐生刃宵という女性教官だ。
刃宵は女性にも関わらず、榊と同様の威圧を放ち、まるで生徒相手に啖呵を切っているかの様な声を張り上げさせている。
「去年もあたしらの学年が優勝をもぎ取ってんだ! だったら、今回も優勝以外は認めねぇから、そのつもりでいな! 只でさえ目立ちの悪い二年って言われてんだ。こんときくらい、他の学年を蹴落とすんだ!」
そんな言葉を刃宵が叫ぶと、普段の倍、盛り上がりを見せる二年の生徒が拳を上に突きあげている。
去年も優勝しているということで、生徒の方からもやる気が十分に伝わってくる。
そして一方の三年は、一年や二年と違い、活気のある威勢のいい声は聞こえてこない。
三年は学年主任でもある館成太陽が榊や刃宵の様な嶮しい顔や、生徒を威嚇するような表情はしておらず、むしろ優しく微笑んでいるくらいだ。
いいなぁ。向こうは平和そうで。
狼はつくづくそう思った。
それから、榊による規則で凡ミスによる得点の減少をさせた者には、後にペナルティが待っているらしい。
競技をやる前に、こういうプレッシャーを掛けないで欲しいと思うが、それを榊に訴えても無意味なことくらい、予想はできる。
狼はできるだけ意識せずに、頑張ろうと溜息を吐きながら考えた。
確か最初に出場する競技は……
狼は頭の中で自分が最初に出場する競技を思い出し、頭を重くさせた。
「おーい、黒樹。早く向こうに行って仮装決めのクジを引きに行こうぜ」
陽気な声で狼に声を掛けてきたのは、狼と一緒に仮装レースに出場する正義だ。
「そう、だね。行こうか、変な仮装のクジを引かない事を祈って」
「ああ、そうだな。走りにくい奴とか、前が見えにくい奴とかに当たったら最悪だもんな」
「いや、まぁそれもあるんだけど……」
いくら走りやすくても、自分の羞恥心を掻きたてるような仮装になった場合、狼はさっそく榊のペナルティを受ける羽目になるかもしれない。
だからこそ、狼は切におかしな仮装が当たらないことを祈った。
狼と正義の他にこの仮装レースに出るのは、季凛とセツナだ。狼たちはその二人にも声を掛けてクジを引く場所へと向かった。
クジは女子と男子で二列に別れて用意されている。
「あはっ。何か狼くんって見るからにクジ運なさそうだよね?」
「……そりゃあ、運ある方かって言われると無い方だけど……今からクジを引くんだからそういう不吉な事言うなよ」
笑顔で嫌な事を言ってくる季凛に、狼が眉を顰める。
「えー、それは仕方なくない? 狼くんが運無さそうなのは事実なんだし」
「自分はどうなんだよ?」
「あはっ。狼くん、小声で何か変な事言った? 小声で愚痴る男とか、本当にありえないよね? 器が小さすぎっていうか、女々しいっていうか……」
「あー、僕が悪かったです。すみません。ここで勘弁して下さい」
狼の小さき反抗のつもりだったが、容赦のない季凛に倍返しされてしまったため、狼は早々に頭を下げて降伏した。
駄目だ。やっぱり勝てる気がしない。
これまでに幾度となく季凛とこんな会話を繰り返し、その度に言い負かされてしまったことか分からない。
その事に少し不甲斐なさを感じながら、狼は肩をがっくりと落とした。
それから狼たちがクジを引く順番になった。
どうか、変な仮装が当たりませんように。
そういう願いを込めながら、クジが入った箱に狼は手を突っ込んだ。
箱の中に無数の紙があり、狼は最初に掴んだ紙を一枚、箱の中から勢いよく取り出した。
折りたたまれた紙を手に握りしめ、狼はクジを引く列から外れ、一人で自分が引いた紙に書かれた物に目を通した。
そして、狼は絶句した。
紙に書かれていたのは、ヘヴィメタルバンドと書かれている。
メ、メタル?
その言葉を聞いただけで、容易に嫌な想像が頭の中に浮かんできた。
そしてその紙を見ながら固まる狼に、体育委員の生徒が狼の元にやってきて、その生徒に半ば強引に特設の衣裳部屋へと連れて行かれてしまった。
そして衣装部屋で待機していた係りの生徒が狼の手に衣装を置いてきた。
「はい、こちらが今回の衣装となりまーす」
渡された衣装の中には、やはり長髪のカツラにギラギラとしたギター、鋲が打たれた衣類にスパイク、缶バッジをたくさんつけられたジャケットなどがある。
狼はその衣装を見ながら、気分が先ほどよりも悪化した気がした。
こんなの、ありえないだろ。
季凛の言う通り、本当に自分はクジ運がない。
狼が内心で辟易としながら溜息を吐いていると、この種目の係りで狼と同じ一年の女子生徒が狼の元へとやってきた。
「あ、そうそう。黒樹くん、その衣装に着替え終わったら、私に声かけて来てね。最後の仕上げをするから」
「うん……わかった」
係りの女子生徒にそう言われ、最後の仕上げ? と想いながら狼は渋々ヘヴィメタルの格好に着替えた。
こうなったら、早くこの悪魔の様なレースを終らせよう。
固く狼は自分の心にそう誓った。
そして狼はメタルの衣装に着替え終わり、先ほど狼の元へとやってきた女子生徒の元に行くと、そのまま椅子と机が置かれているテントの中へと腕を引っ張られ、分けも分からぬまま狼はテントにある椅子へと座らされた。
「え? え? いきなり、何ですか?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんとしっかり仕上げるからじっとしててね」
女子生徒の笑みに嫌な予感を感じ、狼は思わず生唾を呑んだ。
そして、そこから真の悪夢が狼を襲った。
「これは一体、何なんでしょう?」
狼は鏡に映った自分の姿に悲しくなった。
「え、ヘヴィメタルといったら、コープス・ペイントでしょ?」
満足そうに笑う女子生徒を見ながら、狼は思わず引き攣り笑いを浮かべた。
鏡に映った狼の顔は、肌を白く塗りたぐられ、目の周りと口元を黒く塗られている。もはや、この姿では誰かわからないくらいだ。けれど、残念な事に狼の額には、何故か『魔狼』という二文字が掛かれてしまっている。
これでは、誰もが狼だとわかってしまうだろう。
「こんなの拷問処刑にも程があるだろ……」
狼は頭を項垂れて、そうぼやいた。
「大丈夫。かなりの出来栄えだから。これならレース前の仮装評価得点で高得点を取れる気がする!」
ノリノリで狼にコープス・ペイントを施していた女子生徒が満足そうに頷いてきた。
けれどそんな女子生徒とは裏腹に狼の気分が下がって行くのは気のせいではないはずだ。
「黒樹くん、そんなにしょげずにレース前のライブを楽しんできて! イエーイ!」
「い、いえーぃ」
狼は、テンションの上がっている係りの女子生徒に乗せられるまま、力なく拳を上へと掲げた。




