君が、貴方が、大好きだ
「疲れた」
稽古場から二軍男子寮に帰る途中の道で、狼は脱力しながら呟いた。お腹もかなり空いている。
今日のおかずは確かから揚げのはずだ。
寮のおばさんが作るから揚げは、生徒たちからも人気が高く迂闊にうかうかとしていると、なくなってしまう可能性もある人気メニューで、狼も寮で出される好きなおかずの上位ランクだ。
でもなぁ、疲れすぎて寮まで走る元気もないんだよなぁ。
自分よりも技量のある真紘たちとの討ち合いを続けているのだから、疲れるのは当然なのだが、今日の疲れはそれだけの物ではなかった。
討ち合いに集中しようとしても、頭の片隅で操生から言われた一言が妙に引っかかり、上手く集中が出来なかったというのもある。
「あー、何やってんだろ? 僕」
懺悔でもするかのように狼が暗くなった空へと顔を上げていると、前から人の近づいて来る気配があった。
しかもその気配は、あまり友好的な物ではない事が分かる。
狼は固唾をのむ様に、暗がりの中にある人影を見ようと目を凝らした。
「そんなに、ピリピリと神経を尖らせなくても良いでしょうが?」
軽佻な言葉を吐きながら、狼の前に現れたのはここに居るはずもないフォースだ。
見たところ、フォースはBRVを復元している様子はない。
けれど、相手が相手なだけに身構えるなと言う方が無理な話だ。
「……もしかして、さっき稽古を見てたのもあなたなのか?」
狼がフォースを睨むと、フォースが口をヘの字にして肩をすぼめてきた。
この様子だと、稽古場で感じた視線はフォースの物だったらしい。
でも何のために自分たちをフォースが見ていたのかが分からない。
分からないからこそ、狼はイザナギを復元し身構える。
「あーあ、せっかく甥っ子に会いに来たっていうのに、叔父さんも嫌われたもんだねぇ。まっ、血の繋がりはないんだけどさっ」
血の繋がりはないという部分に、狼は思わず眉を顰めた。
「あれ? そんな顔を曇らせちゃって……俺は何か間違ったことでも言ったかな?」
フォースの言葉に狼は黙ったまま、拳を握り締める。
言い返せない自分が惨めで悔しい。
「ほらほら、あんまり怒ると因子が漏れちゃうよ? お父さん譲りで因子の量も多いんだからさ」
フォースのわざとらしい言葉にむしゃくしゃとする。
その所為か、狼の口調は自然と荒々しくなる。
「さっきから、僕を怒らせるようにわざと言ってのかよ?」
「いやいや、怒らせたいわけじゃないよ。俺は事実を言っているだけでね。むしろ、お前は憶えてるのか? 自分の親父の事を、さ」
「憶えてるわけないだろ。僕が小さいころに死んでるんだから」
「憶えてないなんて随分薄情な息子を持ったもんだね。大城晴人も。色々面倒な事からお前を守ってたみたいなのに」
「どう言う事だよ? それ?」
「どう言う事? じゃないだろ。大城も雪村も九卿家なんだから、面倒なお家問題が発生してもおかしくない。でも、今迄それに巻き込まれなかったのは、お前の両親がお前の存在を大城と雪村の家に隠してたからに決まってんだろ? だからこそ、因子の事も、自分たちがアストライヤーってことも息子であるお前に言ってなかったんだから。そんで、その二人の意思を尊重して俺の馬鹿兄貴も宇摩が現れるまで、お前に何も教えなかったと」
「そんなこと今更だ。僕はあの二人を親だなんて認めない。僕の親は黒樹高雄だ」
喉に引っ掛かる違和感を無視して、狼が言葉を振り絞る。
「ありゃまー。偉く嫌ってるもんだ。まぁ、俺も親なんて吐き気がする存在ってことには、同意するけどね」
「あんたと僕を一緒にするな!」
狼がフォースを睨みながらそう叫ぶ。
けれど、フォースはそんな狼を面白がるように下卑な笑いを浮かべているだけだ。
「一緒だろーが。親を嫌いってことには。それがどんな理由であれ」
「もう止してくれよ。こんな事今更僕に言ってどうるんだよ?」
「そんな気を落とすなって。俺はただ話しの流れ的に親の話を出しただけだろ? それよりも今は、別の事に注意を払った方がいいと思うよ? なんせ、おじさんがうっかりしゃべっちゃったんだよねぇー、君の親族の人達に。大城晴人さんと雪村春花のお子さんが明蘭に通ってますよ! ってね。そしたら大城さんなんて、すごく興味ありそうな雰囲気を出してたから、そろそろアプローチが掛かる頃だと思うわけよ。つまり、それを確認しにわざわざおじさんも足を運んだわけ」
フォースの言葉を聞いて、狼は眉を顰めた。
かつて自分が名乗っていた“大城”という名前に嫌な気分になる。
はっきり言って、狼は大城の家がどういう家かなんて知らない。大城と雪村が九卿家である事自体、フォースの話で知った事だ。
いや、もうこれで狼の中にあった疑問が、払拭された気がした。
豊が自分を知っていた理由も。高雄がどうして本島ではなく離島で暮らしていた理由も、そして真紘が自分を知っていた理由も。全てだ。
全ては自分の両親で繋がっていた。
そしてその繋がりによって、また妙な事が起ころうとしているのが何となく理解できる。
フォースが何かを企てて、わざと自分の事を大城の家に話したに違いないからだ。
どうして、僕の周りにはこうも勝手な大人が多いんだ?
狼はその事に辟易した。
しかも今の自分は黒樹を名乗っているのだから、大城の家とはもう関係ないはずだ。
「大城の家がどう動こうが僕には関係ないんだ。だから、あんたも変な期待をするなよ」
狼が再びフォースを睨みながらそう言うと、フォースが頭を掻きながら頷いてきた。
「はいはい。そんな怖い顔されちゃあね。おじさんはもう退散しますよ」
どこまでも、軽佻な口調を崩さないフォースに嫌気を感じながらも、すんなりこの場から姿を消してくれた事に、狼はほっとした。
それでも狼の中に鉛がずっしりと沈んでいる。
みんなして、なんなんだよ?
狼は顔を苦悶で歪めながら、頭を抱えてしゃがみ込み溜息を吐いた。
ひどく疲れた。
今は何も考えたくないし、何も聞かれたくない。
ひどく気分が重い。
どうすればこの重い気分から解放されるのだろう?
そうふと考えた時、狼は明蘭に来たときの事を思い出した。
あの時も、自分はこんな居た堪れない気持ちになっていた。あの時と今の状況は違う。けれど狼は今この場から逃げ出したくて堪らなくなっている。
でもそれは誰も許しはしない。自分ですらそれをすることを許さなくなっている。
自分は深入りしすぎて、馴れてしまったのだろうか?
そうかもしれない。
このアストライヤーという制度を中心に回る世界に。因子を駆使して相手に武器を向けることに。
最初はそのことに少し戸惑いを感じていた。
でもいつからか、向かって来る相手に武器を向けることを自然にする様になっていた。いつからかも分からない内に。
これは狼に起きた大きな変化だ。
それを以前、小世美に指摘された。けれど狼はそれを否定した。
自分が変わっていると言われるのが、受け入れられなかった。自分が変わってしまったら自分が不変であって欲しいと思っている物が壊れてしまう様な恐怖感があったからだ。
けれどそんな狼の恐怖心を見透かした様に、皆が狼に変化を求めて来る。
誰かに特別な感情を抱くにしても、他人に武器を向け敵意を剝きだす事も、自分がずっと目を背けていた事に目を向けることも、全てが変化だ。
ああ、これではもう否定しきれない。
認めないといけない。
だがしかし、狼は深い溜息を吐いた。
狼が溜息を吐いた時、自分の元に近寄ってくる足音に気づいた。
「オオちゃん? こんな所でどうしたの?」
狼に声を掛けて来たのは、部屋着姿の小世美だった。
「小世美……」
小世美の名前を呼んだ自分の声がすごく情けない様な気がして、狼は頭を下げた。
こんな変な所ばかりを小世美に見せてしまう。
狼がそう頭を下げて項垂れていると、小世美が優しく狼の頭を撫でてきた。
「ほーら、こんな所で座り込んでたら、寮のおばさんにオオちゃんのご飯、片付けられちゃうよ?」
「うん……わかってる。お腹も空いたし、早く食べないとな」
小世美の言葉に狼は、苦笑混じりに頷く。
けれど、小世美に頷いた割に狼のお腹はフォースに会うまでの空腹感が嘘の様に無くなっていた。
これでは、せっかくのご飯のおかずである鶏のから揚げが、喉を通りそうもない。
あのから揚げにんにくが効いてて、好きなんだけどな。
ぼんやりとした思考で狼がそう考えていると、小世美が不意に座り込んでいる狼を抱きしめてきた。
「今、オオちゃんは何かで悩んでるんだよね? きっとどうしようもなく。でも私は前も言った通り、オオちゃんだったらきっと乗り越えられるって信じてるよ」
予想もしてなかった小世美の言葉に狼は思わず、顔を上げ小世美を見た。
視線が合った小世美はすごく、優しく狼に笑い掛けてきている。
そんな小世美の笑みに、狼は胸を締め付けられる。
やっぱり、小世美は分かってしまうんだ。狼がどんなに隠そうとしても。
敵わない。
心の底から狼はそう思う。
「小世美、僕はきっと小世美の言った通り変わってるんだと思う。ただそれを受け入れるのが情けないことに、少し怖くてさ。ずっと否定してた。でもそれを認めないといけないって、本当は分かってるから、だから僕は少しずつこの変化を受け入れるよ。小世美、小世美は自分の変化を受け入れて変わる僕を受け入れてくれるかな?」
苦笑交じりに狼が小世美にそう訊ねると、小世美は少し目を見開いてから頷いた。
「うん。私はどんなオオちゃんでも大好きだよ」
「僕もだよ。僕も……小世美の事が大好きだ」
狼の口から素直に出た言葉だった。
小世美はどんな時でも自分と一緒にいてくれた。
その事がどれだけ狼を救ってくれたかわからない。だからこそ、狼も小世美とずっと一緒に居たいと思っている。
狼と小世美の視線が重なり、自然と唇が重なった。
まるで強張っていた狼の気持ちを解す様な、そんな優しいキスだった。




