稽古に向けられる視線
狼とセツナが稽古場に入ると、中にはもうすでに左京と誠の姿があり、その横には笑顔で手を振ってくる操生がいた。
「あれ? 今日は杜若教官も来ていたんですか?」
「まぁね。左京君たちから仕事が終わった後で稽古をしているって聞いたから、私も見学させてもらおうと思ってね」
「わかりました。なら、私も稽古を見にきてくれた教官のためにも頑張らないと」
操生の言葉にセツナが明るい声でそう答えると、操生が満足そうに笑みを作っている。
「遅れてすまない」
丁度そのとき、もう既に袴に着替えた真紘がやってきた。
「謝らなくても平気だよ。僕たちも今来た所だし。真紘の方は体育祭の用事は済んだの?」
「ああ、一通りはな」
「そっか。なら良かった。それと今日の稽古に杜若教官も見に来てるんだ」
狼が操生の方を見ると、真紘が操生の方に頭を下げた。
「御丁寧に。でもあんまり私の事は気にしないで良いよ。自然体の稽古風景が見たいからね」
「そうですか。わかりました」
真紘が生真面目な口調で答えると、操生が肩をすぼめて苦笑してきた。
「君は本当に根から真面目みたいだね」
操生の言葉に真紘が少し首を傾げてから、稽古が開始された。
いつもの習慣的に皆が型の練習をしてから、二人一組になって討ち合いをするのが普段の流れだ。
狼は型の練習をしてから、真紘との討ち合いをしていると誰かから見られているような気配を背中に感じた。操生かとも思ったが、操生は狼と真紘の討ち合いを横で見ていた左京と何か話していて、狼たちの方に顔すら向けていない。
そして狼が感じた自分たちを凝視するような視線を真紘も感じたのか、真紘は手を止め周囲を睨むように見ている。
「やっぱり、真紘も気づいた?」
「ああ。誰かに見られているな」
「うん。でも誰だろう?」
真紘に訊ねてみたが、真紘は苦い表情のまま答えない。
心当たりでもあるのだろうか?
「真紘?」
「ああ、いや、なんでもない。気にするな。討ち合いを続けよう」
もう一度狼が真紘に声を掛けると、真紘が頭を振ってそう言ってきた。少し気になる気もするが、真紘が稽古を続けると言ったのなら、今の所危害はないのだろう。
狼はそう思い直し、真紘との討ち合いを再開した。
そして真紘との討ち合いに一区切りつき、狼が壁にもたれ掛る様に座り込んだ。
真紘はというと、休みを入れずセツナとの討ち合いを始めている。
タフだなぁ。
狼は討ち合いをする真紘を見ながら、しみじみと思う。
早朝から稽古をして、学校に通い、クラスの学級委員を務めながらの生徒会業務。そして夕方には狼たちの稽古までやってくれている。
これでは、セツナや他の女子が真紘に好意を持ってしまうのも致し方ない。
「黒樹くんは、一体何を一人で納得してるのかな?」
狼が一人で頷いていると、稽古の風景を見ていた操生が声を掛けてきた。
「あ、いえ、なんか真紘を見てると、同じ高校生だとは思えないなぁって」
「ほうほう、なるほどね。まぁ確かに彼はしっかり者だよね。実技も勉学も成績優秀で、美少年ときてるしね」
「そうなんですよ……まぁそれで妬まれたりもするみたいなんで大変だなとは思いますけど」
主に秀作たちの様な男子生徒から。
狼は一瞬頭の中でその男子たちを思い浮かべ苦笑を浮かべた。
「妬みを持つのは仕方ないことだよ。誰しも持つ物だからね」
「確かにそうですよね。でも何かそう言ってる杜若教官は誰かに妬んだりとかしなさそうですよね」
「どうかな? 私だってそれなりに誰かを妬んだりはするよ。例えば意中の相手といい感じになっている人を見たらね」
操生がどこか遠くを見る様にそう言ってきた。
「いるんですか? そういう人」
「好きな人ってことかな?」
「え、ああ、まぁ……」
馴れ馴れしい質問だったかもしれないと思い、狼が声を小さくして答えると操生が愉快そうに笑ってきた。そのおかげで狼もほっと胸を撫で下ろすことができた。
「答えを言うならイエスだね」
「へぇー、杜若教官くらい綺麗な人に思われてるなら、その人も嬉しいですよ。きっと」
狼がへらりと笑いながらそう言うと、操生が少し困った表情で苦笑を浮かべてきた。
なんかまずいことでも言ったかな? 僕。
後ろ頭を掻きながら、狼が次の言葉を考えていると操生が口を開いてきた。
「どうなんだろうね。私的にはそうであって欲しいけど。そればっかりは相手じゃないとわからないからね。それはそうと、黒樹くんは気になる女の子とかいないのかな? 君の周りには結構可愛い女の子が多いじゃないか」
操生が目を細めてニヤリと笑ってきた。
「いや、それは……」
狼は操生の視線から逃れる様に慌てて視線を下に向けた。
どう答えよう?
「黒樹様、次は私と討ち合いをしましょう」
頭の中で悩んでいた狼に、前で左京と討ち合っていた誠から声が掛かった。
狼が慌てて誠の方に向いたため、誠も少し驚いた様な顔を浮かべている。
「どうかしましたか?」
「いえ! 別になんでもないです」
気遣いの言葉を掛けてきた誠に狼がそう答え立ち上がると、横から独り言のような操生の言葉が聞こえてきた。
「否定をしないと言うことは、気になる子でもいるのかな?」
狼は少し足を止めそうになったが、構わず誠が待っている方へと足を進めた。
けれどそんな狼の頭の中は、どうしようもない渦が巻いている様な気分だった。
操生の言う通り、狼は操生の質問に対して否定の言葉を言わなかった。
何故だろう?
自分自身に問い掛ける。
操生は言っていた。
否定しないのならば、狼の中に気になる女子がいるのではないかと。
その言葉を聞いて、狼は素直に焦りを感じた。
それはどうしてなのか?
自分の中にある答えを狼はまるで、砂に埋もれた化石を発掘するかのように慎重に掘り進めようとした。
けれど、狼はそれを途中で止めた。
今は稽古中だ。
「黒樹様、本当に大丈夫ですか? もし万全でない様ならまだ休んでいても……」
「いえ、大丈夫です。少しぼーっとしてて、すみません」
「それなら良いんですが、あまり無理はしないで下さいね」
「わかりました。ありがとうございます」
心配してくれた誠に狼がぺこっと頭を下げながら、狼は誠との討ち合いを開始した。
セツナとの討ち合いに区切りをつけ、真紘は休む素振りをしながら周囲を窺っていた。
自分と狼が討ち合っていた時に感じた視線。
一瞬、大城の関係者かと思ったが違うと判断した。
大城だったら黙視などはせずに、堂々と稽古場に入ってくるはずだ。
そしてそれを考えた時に、思い当るのは雪村の家の関係者というのも考えられる。
「真紘様、先ほどから周囲を気にされていますが、どうなさいました?」
そう声を掛けて来たのは、セツナとの討ち合いを一時中断した左京だ。
「いや、少し気になる気配があってな」
真紘がそう言うと、左京が少し表情を硬くさせた。
「実は私も先ほど、何者かに見られている様な気配を感じました」
「そうか。やはり見られているな」
「ええ、ですが大城の者ではないと思います」
雄飛が明蘭に来た事はすでに、左京と誠には伝えてある。
「ああ、俺もそう思う。俺の考えでは雪村の関係者かもしれないと思っているが……」
「雪村ですか……確かに雪村の家ならば瞬時に姿を暗ますことも可能でしょうね」
「ああ、やはり気になるな。きっと大城の事だ。雪村に黒樹の事を話す可能性は低い。つまり、もしさっきの気配が雪村の者だとしたら、雪村に黒樹の事を話した者がいるということだ。そして、俺の考えだと大城に黒樹がここにいる事を話したのもその者だろう」
真紘がそう言うと、左京も顔を顰めながら黙考している。
大城と雪村の家に告げ口した者。
きっとその者は大城の家とも雪村の家とも前から面識があった者に違いない。
そうでなければ、大城と雪村の二家が耳を傾けるはずがない。
それを踏まえて、狼がここに居る事を知っている者を考えると、二家に告げ口した者はごく限られてくる。
情報を知っていて、尚且つ二家と面識があるのは、自分も含め、宇摩、齋彬、黒樹の四家。
それを考えて、真紘は顔を渋面させた。
この中で告げ口をしそうな者が思い当らないからだ。
いや、待てよ。
真紘は大城と雪村の現当主と面識がありそうで、尚且つ事態をややこしくさせそうな人物を頭に思い浮かべた。
その人物は、狼の義理の叔父である黒樹和臣。あの男だ。
しかも黒樹和臣は、自分にとって打つべき仇と言う事を、夏の間に直接輝崎の家に足を運んできた重蔵から聞かされた事実だ。
そして黒樹和臣がどういう人物なのかも聞いた。重蔵の話を黙って聞いていた真紘の内心は苦々しい気持ちにはなったものの、重蔵に当たるのも筋違いだ。
だからこそ、真紘は重蔵の話を黙って聞いた。
そして重蔵の話を聞き終わったとき、真紘は重蔵に向けこう言ったのだ。
「亡き父、忠紘の仇は必ず取らせて頂きます」と。
真紘が重蔵の目を真っ直ぐに見つめ、そう言い切ると重蔵は悲しむでも怒るでもなく、ましてや仕方ないと諦めるわけでもなく、ただただ納得した様に頷いてきた。
それを思いだし、真紘は再び固く決意した。
あの男の好きな様にはさせはしない。
「左京、この稽古が終わり次第、誠と共に学園の周りを巡回してくれ。もし万が一、大城か雪村の関係者らしき者がいたら、随時俺に知らせて欲しい」
「承知しました」
左京がしっかりと首を頷かせてきた。
「それと、もしかすると雪村でも大城の関係者でもない第三者だった場合、その時は無闇な戦闘は避け、人物特定にだけ専念してくれ」
真紘が付け足した事項にも、左京はしっかり頷き、中断していたセツナとの打ち合いを開始した。
真紘が打ち合いをしている二組から視線を逸らすと、稽古を見学している操生と目が合った。
自分と目が合った操生は、何故か肩をすぼめてから、口を開いてきた。
「輝崎くん、君は4っていう数字と相性が悪そうだから気を付けた方が良いよ。これでも私の実家は由緒ある神社の家でね、占い事とか変な勘みたいな物が働くんだよ」
「わかりました。肝に銘じておきます」
操生に真紘がそう答えると、操生が少し満足そうな表情を浮かべてきた。
何故か満足そうにしている操生の顔にはてな? と思ったが真紘は深く言及はしなかった。
今の真紘からしてみれば、考えるべき件が多すぎたからだ。




