微笑む少女の視線の先に
「君の担当は、一年生の一軍・二軍両方の現代文と危険察知能力を高める実践実技の二科目の補助で良いかな」
操生が明蘭学園の理事長である宇摩豊にそう言われたのは、つい先週の事だ。
勿論、操生てきにどの教科の担当になろうと構わなかったため、異論なく頷いた。
「まったく。見るからに厄介そうな人物だよ……」
操生は宇摩豊のどこか、全てを見透かしている様な視線を思い出しながら息を吐き出す。
けど、そんな理事長の事を考えていても仕様がない。
操生に与えられたターゲットは、まだあと三人いるのだから。
そして、その三人の生徒が楽しい夏休みを終え、この明蘭学園に戻ってくる。
操生は新任の補助講師として、本日行われる始業式で挨拶をすることになっていた。
そういえば、何て挨拶すればいいのか考えていなかった事に、操生は気づいた。
うっかりしてたね。
どうしようか?
操生は少しの間、黙考して始業式での挨拶を考えていると、後ろから肩をポンと軽く叩かれた。
操生は考えるのを止め、肩を叩いてきた方に視線を向けると、操生は思わず目を見開いた。操生の方を叩いてきたのは、左京だ。その後ろには誠もいる。
二人と会うのは初めてだが、事前準備で明蘭にいる講師の一覧は目にしていたし、左京のことも誠もことも出流から聞いている。
こうして会うのは初めてだというのに、その人物について大よその事は知っているというのも妙な感じだ。
けれど、初対面は初対面だ。
操生は出来るだけ内心の動揺を漏らさない様に気を付けながら、口を開いた。
「えーっと、私に何か用かな?」
初対面らしいぎこちない笑みで、操生が左京に訊ね返すと、左京は感じの良い笑みを見せきた。
「用ってことではないのですが、初めての挨拶で緊張していると思って、気になったので声をかけたんです」
「ああ、それは御親切にどうも。ですが、大丈夫ですよ。私は本番に強いタイプなので」
操生がやや軽い口調で答えると、左京は満足そうに笑ってきた。
「そうですか。なら良かったです。後ろにいる佐々倉なんて最初は緊張のあまり、身体が固くなってたくらいですから」
そう言って、左京が後ろにいる誠に視線を向けた。
「恥ずかしいことですが、私は貴女と違って本番に弱くて。そこを克服しようとは思っているんですが……まだまだ精進が必要みたいです」
左京に視線を向けられた誠は、苦笑を浮かべながら優しい声音で操生にそう言ってきた。
そんな二人からの励ましを受け、操生は内心で困り果ててしまった。
まったくもって、微妙だね。
特に……
操生は自分の視線を、苦笑しながら自分たちが初めて挨拶したときの事を左京と話し始める誠へと向けた。
二人の印象は、まったくもって出流から聞いていた通りの物だった。
左京は、どことなく自分に自信があり素直に物を言えるタイプで、世話焼き。
誠は、左京とは反対に自分に対して自信がなく後ろ向きなタイプだが、根本的に人に親切だ。
もし、操生が左京はともかく、誠のことを知らずにいて、ここで会っていたら、普通に好感を持ってしまうだろう。
けれど、人生そんな上手くは行かないもんだよね。
はっきりいって、私と出流の破局理由が彼女にあるわけだし。
それを考え、操生は嫌気が指し溜息を短く吐いた。
そうしていると、学生ホールの座席にぞろぞろと雑談をしながら、ざわついている生徒たちが続々と学生ホールへと入り、クラスごとの席について行くのが見える。
そして一通りの生徒が席に着くと、照明が少しだけ暗くなり始業式が開始された。
始業式が開始されると、生徒、教員も皆静かになり、淡々と始業式が行われている。
うーん、こう黙ったまま自分の順番を持つというのも、なかなか緊張するものだね。
操生は内心で、妙な緊張感に襲われながら自分が紹介される番を、黙って待っていた。
一種の拷問と思えるほどのじれったさを操生が味わっていると、操生の順番の前に生徒会長の挨拶があり、その項目へと式が進行すると、シャギの入った長い綺麗な黒髪で、端整な顔立ちの女子生徒が威風堂々と壇上にある演台の前に立った。
だがその女子生徒はすぐにそこから立ち退くと、代わりにしっかりとした雰囲気を持つ男子生徒が現れ、代わりに生徒会長の言葉を述べ始めている。
こんなんで本当に大丈夫なのか? と操生は少し思ったが、自分以外で周りに今の現状に何か異論を感じている素振りを見せる者はおらず、平然と式を受けている。
なるほど。
この光景は、この学園にとって通常の光景ないのかもしれない。
そう思ってしまえば、操生も別に気にならなくなった。
生徒会長に対しての既視感以外は。
綾芽が出流の双子とは知る由もない操生は、綾芽にある出流の面影を感じ、首を少し傾げさせていた。
「それでは、次に今学期から新しく補助教官となった方をご紹介いたします」
式の司会進行係でもあった真紘が、マイクを使いそう言いながら、操生の方へと一礼してきた。
ふんふん。あれがターゲットの一人、輝崎真紘君だね。かなりの美少年君じゃないか。しかも優等生の鏡とも言える感じの好青年。
真紘をそんな風に観察しながら、操生は壇上の真ん中に立つと、礼儀正しくお辞儀をした。
「皆さん、初めまして。私はこの度補助教官として就任致します。杜若操生と申します。担当教科は一年生の皆さんの現代文と危険察知能力を高める実践実技の補助です。不慣れな事で皆さんにご迷惑をかけてしまうかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。また二年生、三年生の方とは関わる機会が少ないかもしれませんが、校内で見かけましたら気がれなく声をかけてください」
操生が当たり障りのない挨拶をしてから一礼すると、一定の拍手が送られ操生は早々に一歩後ろへと下がった。すると一年の学年主任である榊が、補足説明としてトゥレイターが用意した操生の経歴を話している。
操生はそれを聞きながら、トゥレイターの用意周到さに感心していた。
それから始業式も終え、操生は左京と誠の案内で補助教官室に来ていた。
「ここが我々の使う補助教官室です。もう杜若教官のデスクも用意されていますが、何か不足している物があったら申して下さい」
左京にそう説明されながら、操生もう既に用意されていたデスクを見回す。
デスクの上には、仕事上で使うのに必要な物は全て整えられていて、不足な所が見つからない。
確かこの二人は、補助教官でもあり輝崎の家に使える懐刀でもあるから、ギリギリまで真紘の警護の方を行っていたはずだ。
つまり、学校に戻ってきたのは昨日くらいに戻ってきたことになる。
それから、自分たちの身支度の整理もしただろうし、今日の打ち合わせもあったはずだ。
いつの間に、私の場所を用意しとく時間があったのやら。
操生は内心で感心してしまった。
でも、やはりこんな事をやってもらっても、操生の中で蟠りが消えるはずもない。
操生の中で蟠りが消えない以上、親切にされると返って途方もない気持ちになってしまう。
「いや、完璧に用意してもらっている様だから、不自由なことはないよ。ありがとう」
とりあえず、操生は用意されている物が完璧というのを、左京と誠に伝えた。
すると、二人は満足そうな表情をして、何やら色々な書類に目を通したり、学校の情報端末に打ち込む作業をし始めた。
働き者の二人に囲まれ、操生は少しの焦燥感を感じていた。
二人は少し前からここにいるため、何かしらの仕事を見つけて、作業に入れるが、今日の今日で就任したての操生にそんなことは出来ない。
操生が左京に「何かやることは?」と訊ねると、「まだ仕事らしい仕事がないからのんびりしていて下さい」と返されてしまったため、もうお手上げするしかない。
仕方ないから、私は本命の仕事に勤しむとしようかな。
「じゃあ、私は少し校内を見て回ることにするよ。この前も事務員の人に案内は受けたんだけど、この学園は広いからね。もっとじっくり見る事にするよ」
「そうですか。なら、もし何かありましたら端末の方に連絡を入れますので、端末のIDを教えてもらえますか?」
左京の言葉に操生も頷き、端末のIDを左京と誠に教えた。
それからすぐに操生は教官室から出て、中庭の方へと向かった。
「さて、輝崎君は確認したことだし……あとは二人を確認しないとね」
操生はぼそりと呟きながら中庭を通ると、そこである一人の女子生徒に目が止まった。
その女子生徒は中庭にあるテラス席で、にっこりと微笑みながらこちらを見ている。
見られているのなら行くしかないと、操生はその女子生徒の元へと近づき声をかけた。
「久しぶりだね、Ⅳ(フォース)。元気にしてたかい?」
「ええ、まぁ。それなりに元気にしてましたよ? それにしても、どうしてⅤ(フィフス)がここに? ああ、今は杜若教官と呼んだ方がよろしいですね」
口元を上品に抑えながらⅣが面白そうに、笑っている。
「そんなにおかしな事をしてるつもりはないんだけどね。まぁ、言ってしまうと、向こうの幹部から頼まれた特務命令だよ」
「特務命令ですか。Ⅴにとっては、好都合でしたね。日本での特務なんて」
「本当だよ。君は私より先に上からの任務でここに来てるんだろ? せっかくのバディ同士で再開を果たしたんだから、任務の進捗具合を教えてもらおうじゃないか」
「進捗具合と言われましても、私はまだ何も任務を行っていないので……進行度はまだ全然ですよ」
「君も相変わらず、マイペースだね。それで上から怒られないのかい? これは悲報だけど、君が向こうに居ない間、私も少しやらかしてしまってね。だから私のバディである君の行動にも上は目を光らせていると思うよ?」
操生がⅣに肩をすぼめながら話すと、Ⅳは素知らぬ顔で操生ではない方を見ながら返事をしてきた。
「大丈夫ですよ。私の任務はあちら側の人がこの学園に入りやすくするための手引き役ですから、向こうからの連絡が来るまで待機なんです。それにしても何故、Ⅴは真紘くんを見ていたんですか? 気に入っちゃいました?」
Ⅳの言葉に操生は、首を横に振った。
「勘違いしないでくれ、Ⅳ。私は出流一筋だと前から言ってると思うけどね。輝崎君を見てたのは、彼が私の任務で観察対象者だからだよ」
「そうなんですか。真紘君が観察対象に入っているとは少し驚きです。私はてっきりここの理事長とか、この間のWVAでかなり目立った條逢先輩あたりを見て来いと言われたのかと思いましたが、違ったんですね」
やはり、Ⅳはそう話しながらも視線は別の場所へと向かっている。
「いや、理事長は観察対象だけど、二番目の子は違うね。まぁ、本命はここの理事長みたいだけど、輝崎くんとあと二人は幹部の私情が入っているみたいだからね」
「なるほど。そうですか。……なら、真紘君の観察は私がしますよ。彼の観察なら私、得意ですよ?」
そう言って、Ⅳが怪しく笑っている。
怪しく笑うⅣを見て、操生は内心で呆れた。
「そう、みたいだね……私と話しているのに、君の目には輝崎君しか映らないみたいだからね」
操生は少しの皮肉をⅣに言いながら、Ⅳが見ている方へと自分も視線を向けた。
Ⅳの視線の先には、友人と何かを話している真紘の姿が見える。
「もしかして、彼がいるところに君ありきってわけじゃないだろうね?」
「ええ、そうですよ」
冗談半分で言った事を素直に頷かれてしまい、操生はほとほと愛想を尽かすしかない。
前々から今回のバディは変わっていると思ってたけど、これは筋金入りだね。
操生は諦めの境地で、息を吐いた。
「なら、彼の観察は君が適任だね。ってことで、私は他の二人を見に行くよ。それと、ここでは君を何て呼べばいいかな? まだ生徒名簿を全員分見てなかったのを忘れてたよ」
操生が立ち去り際にⅣに訊ねると、Ⅳはニヤリと笑って
「如月雪乃という名前なので、お好きな方で呼んでもらって構いません」
と言って来た。
「わかったよ。如月くんだね。じゃあそう言う事で。それと輝崎君観察は程々にするんだよ」
操生は雪乃の方を見ずに、手を振りその場を後にした。




