浴衣の女に浴衣の男
「これは一体、どういうことかしら?」
「ええーっと、これは……」
狼たちは、都内の一等地にあるとは思えないほど広々とした数奇屋造りの屋敷に狼と小世美、デンメンバーに、正義、陽向、棗、それとセツナたちが招かれ、浴衣姿でかなり怒っていると見られる希沙樹により、畳の上で正座をさせられていた。
ここは紛れもない真紘の実家で、狼たちは夏祭りに行く前の集合場所として真紘の家にお邪魔することになっていた。
まさか、そこで鬼の様な形相の希沙樹に出迎えられるなど、ここに来るまでの狼は毛頭予想はしていない。
「黒樹くん、私の予定だと今日ここにいるはずなのは、私だけのはずなんだけれど?」
「あ、はい……」
「あはっ。自分だけ真紘くんと夏祭りに行くとかそんなの普通に行かせるわけ、ないでしょ?」
「おい、季凛!!」
威圧をかけてくる希沙樹に、季凛が臆することなく立ち上がる。そして希沙樹と火花を散らさせる季凛を狼が必死に宥めようとするが、季凛の耳にはまったく届いていない。
まさか、真紘が希沙樹を誘っているとは夢にも思っていなかった。
そう思いながら、狼は頭をがっくりと落としたくなった。
狼がこの夏祭りに行く事になったのは、小世美と出かけたあの日に都内で行われる祭りのポスターを見かけ、皆で行かないかという話になったのだが、良かれとセツナたちや真紘たちも誘ったのだが、それが不味かった。
狼が端末から真紘へと連絡を取り、祭りに誘うと『丁度、その祭りに行こうと思っていた』という返事を貰い、真紘の家に集合となったのだが、まさか、真紘が祭りを行こうとしていた相手が希沙樹だけとは思ってなかった。
今支度をしている真紘は、先ほど「どうせ、大人数になるのなら正義たちにも声を掛けた」と、爽やかな笑みを残し部屋を後にしてしまっている。
そして真紘が部屋から出て行った瞬間、希沙樹の怒りが頂点に達して、狼たちを有無も言わさず正座をさせている。
「せっかく、せっかく……真紘と二人だけで行けると思って楽しみにしてたのに……」
希沙樹が恨みの籠った目で、季凛と狼たちを睨んできた。
「まっ、人生そんな上手く行かないもんだから」
物凄く落胆した様子の希沙樹に、季凛がけろっとした言葉をかけながら、笑みを浮かべている。
そして、その笑みにしてやったりという表情が目に見えて、狼は女子同士の戦いの恐ろしさを垣間見た気がした。
「わかったわ……ここは私も大人になりましょう。確かに真紘も大人数で祭りに行くのを楽しみにしているようだし。けど、真紘の隣をキープするのは私よ」
綺麗な浴衣姿の希沙樹が、目の前にいる季凛を指さしながら宣戦布告を叩きつける。すると季凛がニヤリと笑って、
「あはっ。そんなこと言われても季凛が引くわけないからね? むしろ、こんな風に挑発されると燃えるタイプ」
「ええ、いいわ。貴女如きじゃ私に敵わないってこと、しっかり教えてあげる」
「えー、私もマヒロと回りたいなぁ……」
季凛と希沙樹のやりとりを聞いていた、セツナがぼそりと呟くと、鬼の二人がゆっくりとセツナの方に顔を向ける。
「あら、金髪の悪魔……何を出すぎた事を言ってるのかしら?」
「あはっ。そうだよ、セツナちゃん。セツナちゃんがそんなこと言ったら、フィデリオくんが悲しんじゃうよ?」
「そんなぁ……」
恐ろしい二人に畳み掛けられ、セツナが正座したまま身体を小さくさせる。そんなセツナの肩を両端にいるマルガとアクレシアがセツナを励ます様に手で叩いた。
「なぁなぁ、黒樹、やっぱり女子って、祭りなんかは少人数で行く方が良いのか?」
小声で狼の耳に耳打ちしてきたのは、後ろで狼と同じ様に正座させられている正義だ。
「うーん、僕にもよく分からないけど、五月女さんは真紘の事好きだし、季凛だってあの様子だと、五月女さんと同じだから、真紘と二人きりで行きたいんじゃないかな?」
「ふーん。そっかぁ。俺にはまだその辺りよく分かんないけどな。じゃあ……羊蹄たちも黒樹と二人で行きたいんじゃないか?」
正義が二カッと笑いながら、けろっとそんな事を言って来たため、狼は思わず言葉を詰まらせた。
「……まさかぁ~。そんなわけないよ。むしろ、僕と二人で行ったって楽しくないかもしれないと思うし」
狼が少しオーバーリアクションで笑い飛ばすと、正義が小首を傾げて疑問符を浮かべてきた。
「いや、俺が見た感じそんな事ないと思うけどな。むしろ嬉しがるんじゃないか? 羊蹄とか黒樹といると笑うし」
「いや、それは僕だから笑うってわけじゃないし、メイは他の人にだって笑うって」
「んー、そうか。何か俺はてっきり、羊蹄は黒樹のこと好きだと思ってたんだけどなぁ」
どこかしっくりとしていないように、正義が正座から胡坐に足を組み直し、腕を組んで唸っている。
そんな正義に狼が苦笑を零していると、襖が開き、深緑色の浴衣を着た真紘が部屋に入ってきた。
浴衣姿の真紘を見て、今迄殺伐とした空気を流していた希沙樹と季凛が一変し、真紘の浴衣姿を見て満足そうにしている。
とりあえず、空気が緩和して良かった。
狼がそう思いながら安堵していると、真紘の後ろから何人かの女中の人が何種類かの浴衣を持って部屋に入ってきた。
「折角だ。皆も浴衣に着替えたらどうだ?」
「わぁー、浴衣だ!」
「いいね。浴衣。鳩子ちゃんたちが本領発揮出来る奴だ」
「あはっ。胸がない人の方が、浴衣似合うもんねー」
浴衣を見て喜ぶ小世美と鳩子に、季凛が容赦ない言葉を突き付け、二人が自分の胸元を抑えながら、ショックを受けている。
似合うと言われても素直に喜べないというのは、まさにこの事だろう。と狼は思う。
「まぁまぁ、僕たちの為に真紘が用意してくれたんだし、浴衣着て祭りに行こうよ」
狼が落ち込む二人の気分を上げる様に声を掛けると、二人はコクンと頷いてきた。
「よし、もうここは気を取り直して、可愛い浴衣を選ぶとしますか」
「うん、そうだね! ハトちゃん」
鳩子と小世美の意見が一致したらしく、二人は気合いの籠った目で浴衣の柄を吟味しはじめた。そしてその二人に続く様に、目を輝かせたセツナが浴衣を凝視して嬉しそうにしている。
「私も、お母さんが浴衣を着てる写真見て、着たいなぁって思ってたの」
「そうだったのか? なら丁度良かった」
喜ぶセツナに真紘がニコリと微笑むと、セツナが恥ずかしそうに顔を赤らめさせた。
「……Danke、マヒロ」
「いや、礼には及ばない。好きなのを選んでくれ」
「あはっ。やっぱセツナちゃんって伏兵~」
「こういう所で、日本文化に興味ある外人です感を出すんだから、あの女、やっぱり計算高いわ」
微笑み合う真紘とセツナの姿を見て、季凛と希沙樹が妬みの炎を燃やしている。
そんな二人を恐ろしく思いながら、狼や正義たちの男性陣はすんなりと浴衣を選び、真紘の案内で別の部屋へと移動した。
セツナ、大丈夫かな?
狼は男性陣、特に真紘がいなくなった後の修羅場を頭の中で想像し、少し身震いをさせた。
駄目だ。なんというか……最悪な地獄図しか思い浮かばない。
けれど、鬼と化した希沙樹と季凛を狼が何とか鎮めるということもできるはずもないため、狼はやむを得ず、セツナの無事を祈るしかなかった。
ごめん、セツナ。
あの二人を鎮めることが出来るのは、真紘しかいないんだ。
友人であるセツナの不運に心を痛めながら、狼たちは真紘に案内された一室で、早々と浴衣に着替えた。
狼は紺色の浴衣に袖を通して着替えていると、丁度狼の目が棗の目と合った。
「でも、陽向的には良かったんじゃない? 根津美咲の浴衣姿が見られて」
狼と視線が合った棗がニヤリと笑った後、何故か陽向に向かってそんな事を口にした。
「なっ、貴様、いきなり何を言い出すんだ?」
「別に今さら隠す事ないでしょ? むしろ、敵にこういう情報を言っといた方が後々いいカモよ?」
そういう棗が何故か、狼を見てニヤリと笑ってきた。
「なんで。僕を見て笑うんだよ?」
ニヤリと棗に笑われた意味が分からず、狼が首を傾げる。
「そうだ。棗。黒樹なんて見たって仕方ないだろう」
狼と陽向を交互に見てしたり顔で笑う棗に、陽向が妙に焦っている様子を見せている。
「いや、だってさ……やっぱり黒樹は根津とクラスでもデンの活動中も一緒だし、やっぱり気になるかなって。ほら、友達って言っても男女だし、一緒に居る内に色々あるかもしれないじゃん?」
「……そうなのか? 黒~樹~?」
棗の余計な言葉の所為で、腹の底から怒気を吐き出す陽向。
「ちょっと、待てって。別に僕とネズミはそんなこと……あっ」
あるわけないと否定しようと思ったが、狼は思わず口を噤んだ。
事故とはいえ、ないわけではないからだ。
いやでも、事故は事故だし。根津だって気にしていない様に見えた。
なら、断言して否定すべきだ。
狼がそう思い、口を開こうとした瞬間にはもう遅かった。
いきなり言葉を切り、狼が口を噤んだことでこいつは黒と判断した陽向が怒りの籠った視線で狼を睨み、両手にはトンファーを手にしていた。
「え、ちょっと待った! 落ち着こう!」
「落ち着いていられるか! 貴様が非常に黒い事は、貴様の態度でもう分かった……覚悟しろ! この不埒者―!」
「いや、だから人の話を聞けよー!」
狼は必死の訴えを叫んだが、怒りに満ちた陽向にはまるで、聞き入れてもらえなかった。
「あー、最悪だ。何で祭りに行く前から疲れないといけないんだろう?」
狼はぐったりとしながら、女子たちが待つ部屋へと向かった。
部屋を開けると、女子たちは色取り取りの柄の浴衣を着た女子たちが、机の上に置かれた華やかな和菓子に舌鼓を打っていた。
「やけに時間掛かってたわね?」
女子より遅れて来た男子に根津が訝しんだ視線を向けてきた。
「はは。まぁね……」
遅れた理由の原因にもなっている本人に、本当の事も言えず狼は愛想笑いで返した。
「狼……浴衣似合ってる」
狼から一番近い所に座っていた名莉が、微かに微笑みを浮かべてきた。
「ありがとう、メイ。メイもすごい浴衣似合ってるよ」
狼がニコリと笑って、金魚の絵柄が描かれた浴衣を着ている名莉を褒めると、名莉が嬉しそうにはにかんできた。
まさか……なぁ……
狼は名莉の表情を見ながら、首を横に振った。
「どうかしたの? 狼?」
「ううん。どうもしないよ」
狼が名莉にそう言って笑うと、名莉はそれ以上聞いてこなかった。そこに狼は安堵と名莉に対して少し罪悪感はあるが、変に話をややこしくしたくない。狼は素直にそう思った。
「では、皆の支度も出来た事だし、そろそろ行くか」




