決死の想い
「早く私の質問に答えてもらえると嬉しいのだけど?」
しばらく狼が黙っていると、自分の予想が当たっていることを確信している希沙樹が狼を急かしてきた。
これはもう言い逃れできないのでは?
諦めという言葉が狼の脳裏を掠め去って行く。
一息狼が息を吐き、全てを言う決心を固める。
「実は……」
「希沙樹。悪い、待たせたな」
全てを打ち明けようとしていた狼の言葉を遮ったのは、俊樹とどこかへ行っていた真紘だった。
「気にしないで、真紘。思っていたより早かったのね」
「ああ」
先ほどの得意げな笑顔から、うっとりとした笑顔を真紘に向ける希沙樹に、真紘はにっこりと微笑んだ。
そしてそんな真紘たちを見ながら、狼は確かに真紘の戻りが早いと感じた。
「もしかして……有無をいわさずやられたか……」
不吉な事をイレブンスが吐き棄てる様に呟いた。思わず狼は背筋をぞくっとさせた。そして頭の中で思い浮かべてしまった。
混乱する俊樹が妹想いの兄たる真紘から、怒りの洗礼を受ける様を。
「おい、狼。俺たちの役目は終わったし、向こうに行くぞ」
「いいのかな?」
「いいんだよ。ちゃんと俺たちは言われた通りに手伝ったんだから」
「まぁ、そうだけど。少し不憫じゃないか?」
「そうか? 俺はまったく」
「まぁ、出流からしたら今日あったばっかりの人だから無理もないけど、少し気の毒だろ」
「まったく。狼、おまえは気にしすぎなんだよ。いくらバカ殿だって、命取るまでのことはしないだろ?」
「まぁ、確かに。真紘って、いつもは冷静なのに結納ちゃんの事になると我を忘れるんだよな……」
狼は結納に対して過保護になっている真紘の事を思い、肩を竦めた。そしてそんな真紘に対して、希沙樹はどう思っているのだろう? やはり妹という立場にある結納を気にするのは、仕方ないと看過してるいのだろうか?
どうも、恋する乙女のセーフラインがどんな基準になっているのか、狼にはまったく見当がつかない。まさに未知なるラインという感じだ。
そして戻ってきた真紘と楽しそうに話す希沙樹から、「邪魔だから、早く消えて」という無言の威圧をかけられたため、狼も仕方なくイレブンスと共に真紘と希沙樹の元から離れた。
そしてそのまま、太陽の熱でじんわりと熱くなった砂浜を歩く。
少しパラソルの所に戻って、休もうかな?
狼がそんな事を考えていると、前を歩いていたイレブンスがくるっと後ろを向いて、にやっと笑みを作った。
「それにしても、上手くいったもんだ」
「何が?」
「おまえ、やっぱり気づいてなかったんだな」
「だから何がだよ?」
狼がイレブンスの言っている事の意味が分からず、首を傾げるとイレブンスが溜息を吐いてきた。
「駄目だな、おまえ。あれはバカ殿の偽物に決まってるだろ」
「偽物……えっ、ってことは、さっきのって三田先輩?」
「だろうな」
「……まったく気づかなかった。出流、よくわかったね。あれが三田先輩の変装だって」
「当たり前だろ。俺の観察力なめるなよ? それに、だ。さっきの方見てみ? 俺じゃなくてもあれが偽物だってわかると思うぞ?」
イレブンスにそう言われ、狼は希沙樹と奈緒が扮した真紘の方に視線を向け、そして愕然とした。
う、嘘だろ?
狼の視界に映っていたのは、浅瀬でイチャイチャカップルの様に水遊びを楽しむ希沙樹と真紘の姿があった。
絶対に真紘が浮かべないような笑みを浮かべ、希沙樹に水を掛ける真紘に、それを無邪気に返す希沙樹。
「恋は人を盲目にさせるっていうけど、あれは重度だな」
イレブンスが呆れた様に目を細めながら、そう呟いた。
「いや、でもあれ普通に分かるだろ? 真紘じゃないくらい!」
「暑さに当てられたんじゃん?」
「いやいやいや、当てられ過ぎだろ。僕が五月女さんの立場でも普通に気づくよ!!」
「別に気にすんな。俺たちがあんなバカ丸出しの変装されてるわけでもないし、あの女だって嬉しそうなんだから、それを邪魔する方が野暮ってもんだろ」
「いや、そうだけど……」
もしこのことが希沙樹と真紘にバレたりでもしたら……
それこそ大惨事だと、狼は思った。
「まぁ、そんな心配すんなって。あの変装に気づいてないのはあの女だけじゃないみたいだぜ?」
「えっ、嘘だろ?」
「ほれ」
イレブンスの言葉に半信半疑になっていると、イレブンスが親指で少し離れた所を指差した。
狼はイレブンスが指した方向を見ると、そこに信じられないと言う顔で、希沙樹と真紘を見つめるセツナと誠や左京の姿があった。
そして、セツナの表情には少し羨ましいと言わんばかりの、表情が見え隠れしているのもわかった。
「なっ? アホばっかだろ」
誰にでも分かられてしまいそうなのに、真実を知る物以外に気づかれない奈緒の変装に狼は素直に感心と恐怖を覚えた。
万が一、自分が真紘と同じことをされたらと思うと、気分が滅入る。
「それで、本物の真紘はどうしてんだろうね?」
「さぁな。まだ尋問でもしてんじゃん。アイツがシスコンっていうのには驚いたけど」
そう言いながらイレブンスが苦笑した。
「でも、それは出流も同じだろ? さっきの話だと誠さんの事好きだったみたいだし」
狼が何の躊躇いもなくさらっと、そう言うとイレブンスが狼の頭をがしっと手で鷲掴みしてきた。鬼の形相で。
「おい、誰がシスコンだって?」
低い声で訊ねてきたイレブンスに、狼は首を横に振る。
「違います。間違えました。ごめんなさい」
狼が早口でそう言うと、イレブンスが分かれば良しという感じで狼から手を離した。
それに狼が安堵していると、イレブンスがジロッと狼の方を向いてきた。
「今度は何だよ?」
ジロッと睨んで来るイレブンスに狼が身構えると、イレブンスが狼から視線を外し、口を開いてきた。
「まっ、昔はそうだったかもな。自分でも引くくらい」
いきなり、否定していたことを肯定され狼は虚を突かれた。
「俺は、小さい頃にアイツに拾われたんだ。誠の奴、昔から拾い癖があるみたいだからな。本人は自覚してないだろうけど。だから、俺はアイツに絶対に返せない恩があるのも確かなんだ。まっ、そんな綺麗事言っても、今やってることはそれに矛盾してるけどな」
狼はそんなイレブンスの言葉を聞き、半々な気持ちになった。
恩人を大切に思ってしまう事は、理解出来る。
しかもそれが異性なら、その大切さの形が恋慕に変わってもおかしくない。
そう、まったくおかしいことではない。
ただ、それなら何故、佐々倉出流という人物はそんな人と敵対してまで、トゥレイターという組織にいるのか? 狼は無性にそこが気になった。
「昔はって言ってたけど、今は?」
狼がそう言うと、イレブンスは少し間を置いてから苦笑を溢した。
結局、狼は何に対してイレブンスが苦笑したのかは聞かなかった。きっと答えてくれないという事がわかったからかもしれない。
困った。
海で意見が合ったのか、万姫と競泳している根津を見ながら、陽向煬は顔を顰めた。
根津と海に来れて嬉しくないといわれれば、嘘になる。だがまだ海に一緒に来ただけだ。しかも、二人きりというわけでもなく、大人数の頭数の一つという形で。
だからこそ、そう易々と喜ぶことはなしない。
それなら、少しでも距離を縮めるように話しかけたりすればいい。そうすれば話は速い。
頭ではそう理解している。
むしろ、いつもの様に根津を挑発して構うくらいなら出来る。
けれど。
「それが逆効果だったとはな……」
自分はただ少しでも、根津に意識してもらいたくてからかっていただけだが、それが根津に嫌悪感を抱かせていたとは、この前デンの情報操作士担当である鳩子から聞くまで、まったく気づいていなかった。そう、自分の感情で精一杯だった。
そんな自分の愚かさに、頭を抱えたくなる。
しかも、その所為で黒樹狼という奴が出てきてしまった。
鳩子曰く、「きっとネズミちゃんも狼のこと気にしている」とさえ言ってきた。
そんな事を聞かされれば、何が何でも行動を起こさなければならない事くらい、重々わかっている。
「今さらどうすればいいんだ?」
根津の中で、自分と言う存在は「昔から知っている奴」という認識しかない。いや、もっと最悪な事に「嫌な奴」という認識になってしまっているかもしれない。
その認識をどうにかして、改善していかなければならないが、陽向はどうも女子に優しく話しかけるという事ができない。
自分の性に合っていないとさえ思う。
だが今そんな悠長なことを言ってもいられない。
敵はもう目の前に居る。
そう思った瞬間、たまたま狼が呑気な顔で砂浜を歩く狼の姿が見えた。
狼のどこか間抜けな面が、陽向をイラッとさせた。
よくも抜け抜けと。
今の陽向には、ただ普通に砂浜を歩く狼の顔が憎々しい悪魔に見えて仕方がない。
絶対に俺なんかより、アイツの方が「嫌な奴」に決まっている!
陽向は狼を睨みながら、内心でそう豪語した。
あんな間抜けな面をした狩人は、根津を含め周りにいる女子たちを侍らせ、内心で浮かれているに違いない。いや、その侍らせている女子の中に根津が含まれていないのなら、陽向にとって何の問題もないのだが、現実はそうではない。
これは物凄い大問題だ。
奴は獲物に近づき懐奥深くに入り込んでいる。
この問題を打開するには、自分の行動に変革を起こさないといけない。
しかし……
やはりそれには自分自身の性格が邪魔をする。
自分が変に女子に優しくしている姿など、寒いにも程がある。
自分がいる所から少し離れた場所で、水遊びを楽しむ真紘と希沙樹を見て嫌気が指した。
「なにやってるんだ? アイツらは」
あんな馬鹿らしい醜態をさらしたくはない。
「だがこのままでは……」
奴に狩られる。
それはだけは何とかしたい。奴に狩られる前に早期対策を打ち出さなければならない。
陽向がそう思いながら、目を瞑り考え込むように唸っていると不意に人の気配を感じたため、目を開けると、そこには先ほどまで万姫と競泳していた根津の姿が合った。
予想もしていなかった人物が目の前に現れ、陽向は声も上げられず、内心で混乱する余りオーバーヒートを起こした。
「アンタ、何でこんな所に一人で考え込んでるのよ?」
混乱している根津が目を細めながら、不思議そうに陽向を見てきた。そのため陽向も自分の混乱を隠すように、一回咳払いしてから気持ちを整え、口を開いた。
「別に考え込んでなどいない。根津、おまえの方こそ中国の候補生と泳いでたんじゃないのか?」
「ふーん。まっ、良いけど。あたしの方は少しの休憩よ。泳ぎっぱなしって疲れるし。それにしても、よくあたしが万姫と泳いでたって知ってるわね?」
「た、たまたまだ。そうたまたま。決して貴様を見ていたわけじゃない。勘違いするな!」
「勘違いって……別にそういう意味で言ったわけじゃないわよ。まったく、休憩がてら海から上がったら、珍しくアンタが考え込んでるから来てあげたのに、何か損した」
少し脱力気味にそう文句を言った根津を見て、陽向は胸中で身体を跳ねあがらせるくらい、喜びを感じた。
少しでも根津が自分を気に掛けてくれた事が嬉しい。
「……アンタ、何ニヤけてるのよ?」
嬉しくてつい無意識の内に口元を緩ませていた所を、根津に見られ陽向は慌てて口元を引き締める。
俺としたことが、変な所を見せてしまった。
その事が少し悔しくもあり、陽向が口を噤んだまま黙っていると、根津が苦笑してきた。
「アンタって、本当に変なとこプライド高いわよね」
「知ったような口するな」
「あー、はいはい」
軽く流され、これもまた悔しい気もするが別に悪い気はしない。
また口元が緩みそうになり、陽向は口元を手で押さえた。
何度も変な姿を見せたくはない。
単純で小さい男子のプライドだ。
だがそれでも。
たまには素直になっても良いと思う。
「おい、根津」
腕を伸ばして身体を解していた根津に話しかけ、根津の返事も待たずに陽向は言葉を続ける。
「その水着……似合ってるぞ」
「あれー? ネズミと陽向。そこで何してるの?」
決死の思いで根津の事を褒めたのに、大きい声で呼んできた狼の声に掻き消された。
しかも、目の前にいる根津は狼に呼ばれ、狼の方へと顔を向けてしまっている。
せっかく、人が決死の覚悟を決めたっていうのに。
「く~ろ~き~、貴様はやはり海の藻屑にしなければならないらしい」
呑気な顔で近寄ってくる狼に、殺気を放ち即座に両手にトンファーを握る。
「え? え? ちょっと待った! いきなりそんなもの構えるなよ! むしろ何でそんなに怒ってるのか、意味わかんないし!」
「黙れ! 貴様に説明などいらん!」
「ええええええええええ!」
陽向の事情など知らない狼の叫び声と、海の水飛沫が大きく上がる音が浜辺に響いた。




