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自分らしさ

 きっと、どうしようもないことなのかもしれない。

 ドイツの代表であるヤーナ・アイクは楽しそうにセツナと会話するフィデリオを見てそう思った。

 二人の楽しそうな姿を見るのが辛い。双方の気持ちを知っている。いや、残酷なまでの偶然によって知ってしまった。フィデリオと彼が恋する彼女の気持ち。

 その現実はフィデリオに恋をするヤーナにとって、胸が引き裂かれる程の物だ。

 ヤーナがその現実を知ったのは、WVAで日本と試合をする前の事だ。



 あの時ヤーナは試合前の簡易なメディカルチェックを受け終わり、ベッドが設置されている医務室の前を通り、選手控室へと戻ろうとしていた。

 そしてその時ヤーナの耳に聞こえてしまった。フィデリオが自分や周りの人たちとは違う視線を送っていた女の子の話声が。

 もしその内容が、親しい友人との他愛もない話だったら、どれほど良かったか。ヤーナは強くそう思う。だが彼女たちが話していたことは、ヤーナからしてみれば絶対に聞き逃すことのできないフィデリオについての話だった。

 いつものヤーナなら、他人の話を盗み聞きするなんていう行動は、自身の気弱さ故にできやしない。けれど今のヤーナは、この場を立ち去ることは出来なかった。まるで足に強力な引力に足が引っ張れている様に、その場から動くことができない。

 しかもその会話中、彼女がフィデリオを好きだということが会話の中でわかってしまった。その事実にヤーナは身体が震えた。

 セツナがフィデリオを好き。

 なんて恐ろしい言葉なんだろう。

 ヤーナはそう思った。

 もしセツナがフィデリオにたった二文字の言葉を伝えてしまったら、フィデリオの特別は彼女になってしまう。それがすごく怖い。

「どうして……?」

 蚊の鳴くような声でヤーナは呟いた。

 どうして、自分とフィデリオが一緒にいる姿は、上手く想像できないのに、セツナと幸せそうにする彼はいとも簡単に想像できてしまうのだろう?

 そしてそれは、どこまでも頭の中で再生されてしまう。

 その事に、ヤーナは動揺した。

 だがその動揺はヤーナを無視して続けられる会話でさらに激しくなる。

 彼女は自分と同じ気持ちを一人の人に向けているのにも関わらず、別の人を想っている様な会話もしている。

 ヤーナはそんな会話を聞いて、怒りと共に愕然とした。

 フィデリオがセツナに対して好意を抱いているのは、すぐに気づいた。

 彼が向ける彼女への視線は、まるっきり自分が彼に向ける物と同じ物だったからだ。

 そして、彼女も。けれど彼女は自分とも彼ともまた違う。

 彼女は彼にだけその視線を向けているのではなく、彼以外の人にも同じ視線を向けているからだ。

 そのとき甘露で卑しい考えがヤーナの中に(ひし)めいた。

 自分の中に生まれた考えにヤーナは思わず愕然として、自然と身を医務室とは反対側の壁の方へと身を後ずらせ、自分を自分で否定する。

 だがその行為こそ自分に対するただの倒錯でしかない。

「……あのヤーナって子、絶対にフィデリオに気があると思うのよね」

 不意に自分の事が話題に上がり、ヤーナは身体を一気に強張らせた。

 そして何故だか、セツナに自分の気持ちを知られてしまうことに嫌悪感と不快感が沸き起こった。自分でも何故なのかはわからない。

 だがもうあの時のヤーナは、その場に居る事が苦になった。今まで床に張り付いていたかのような足は、もう動く。

 ヤーナは自分の手で耳を塞ぎながら勢いよく走り、その場を立ち去った。

 そのときに、壁際に置かれていた花瓶を思い切り落としたが、それに気を置く余裕もないまま、ヤーナは逃げる様に選手控室へと走り続けた。



 あの時の事を思い出して、ヤーナに陰りがさす。

 このままではいけないと思うのと同時に、自分なんかではセツナに勝てるわけがないと思ってしまう臆病さが生まれてくる。

「なに、暗い顔してるの?」

「え? あ、アデーレ」

 自分の不甲斐なさに押し潰されそうになっていたヤーナの横にアデーレがやってきた。

「なるほどね」

 横にいたアデーレが納得して頷く。

 アデーレの視線の先には、海辺で遊ぶフィデリオたちがいる。

 決してフィデリオとセツナが二人だけで遊んでいるわけではないが、ヤーナの気持ちを知っているアデーレは、すぐにフィデリオ絡みの事だと理解したらしい。

「それで? ヤーナはあの中に入っていかなくていいわけ?」

「それは……そうなんだけど。なんか、勇気が持てなくて」

「ふーん。じゃあ、フィデリオがあのセツナって子に取られてもいいわけ?」

 アデーレの言葉に、ヤーナは首を横に強く振った。

 取られて良いわけがない。

 良いわけがないはずなのだが、小心者の自分が前に出る足を踏みとどめさせている。

「確かにヤーナが自分からグイグイ進んでアプローチを掛けるタイプじゃない事は、知ってるけど……今は、その殻を破る時なんじゃない? はっきり言って、あたしたちみたいなアストライヤー関係者の人って自尊心が一般の人より強いから、誰かに自分をアピールすることを躊躇わないのは、ヤーナだって分かってるでしょ?」

「うん。それはもう……」

「だったら、首だけ振ってる駄々っ子になってないで、ちゃんとライバルと戦ってきなさいよ。ヤーナらしさを保ちつつ、ね?」

 自分らしく。

 そんなアデーレの言葉が弱気なヤーナを叱咤し、鼓舞してくれる。

「私らしく……」

 声に出してそう呟きながら、ヤーナは自分の心に改めて決意する。

 勝負は終わったわけじゃないと。




「あはっ。マジ胸糞わりぃ~」

 季凛は狼が立てたパラソルの中でソーダ味のアイスを口元に運びながら、いつまでも真紘から離れようとしない希沙樹に苛立ちを感じていた。

 はっきりいわずとも、自分にとっての一番の障害物は希沙樹だ。

 今の所、セツナはフィデリオがキープしているため急激な接近はないだろうし、いつも真紘の周りをうろちょろとしている懐刀の二人は、競泳をし始めている。

 こんな周壁が少ない絶好のチャンスにも、関わらず一番の障害が崩れない。

「……使え無さそうだけど、何もやらないよりはいいか」

 ソーダ味のアイスの甘さを口の中に感じながら、季凛は徐にパラソルから出て砂浜を歩く。

 ナンパ目的の男子からの声を丸無視し、どんどん砂浜を進んで行く。

 そして、ゴツゴツとした岩肌の岩場近くで足を止めた季凛が、ニカッと笑う。

「あはっ。隠れても無駄だからね? 盗撮変態トリオ。もし、返答なかったら佐々倉教官と蔵前教官に変な輩に盗撮されてますよ? って教えちゃうからね?」

 季凛が岩場でしれっとした口調でそう言うと、岩陰から秀作、俊樹、瞬の三人がカメラを片手に現れた。

 あはっ、やっぱりコイツら水着を撮りについて来てたか。

 内心で季凛がそんな事を思っていると、秀作が水着のポケットから何かを取り出してきた。

「お嬢さん、これは口止め料だ。持っていきな」

 昔の大衆映画の様な台詞を吐きながら、秀作が取り出してきたのは、色々なアングルから取られている真紘の写真だった。

「通常三〇〇円は、取る代物だぜ」

 それでも金持ちの息子かよ? コイツら時化てるな。

 季凛がそんな冷ややかな視線を秀作たちに送っていると、流石の三人も気づいたのか空気を変えようと、わざとらしい咳払いをしている。

「あはっ。その咳払いわざとらしくて、すごい耳触りなんですけど? ウザいからやめてもらえる?」

 季凛が笑顔でそう言うと、三人が見るからに肩を落としてショックを受けていた。

「高坂先輩、もう俺心が挫けそうっす」

「馬鹿っ! こんなの季凛ちゃんからしたら序の口だぞ。こんなことでめげたら駄目だ」

「そうだぞ、俊樹。高坂先輩の言う通りだ。女に言葉で負けても心で負けるなって、師匠、二人が言ってただろーが」

「男の慰め合いって……あはっ。超寂しい。だから女子にモテないんじゃないですか? しかもそんなダサい格言を言う馬鹿師匠を持ってるなんて……もうアンタら終わりじゃね?」

 慰め合う男子たち三人に、季凛が容赦ない言葉で追い詰める。

「うっ、もう止せよ。俺の後輩たちを弄り殺しにするのはっ! おまえの目的は一体なんなんだ!?」

 これまた安い映画の台詞を口にする秀作に、季凛が冷たい視線で辟易しながら溜息を吐く。

「ううっ、無言の訴え……俺の心にデスキッス」

 うざっ。

 秀作のビジュアルバンド風の物言いに、季凛が苛立ち秀作たちを一睨みする。

「先輩、今の季凛ちゃんを怒らせたらまずいっすよ」

「そうですよ。この暑さで元々苛立ってるんですから」

「おお、そうだな。苛々してる女子のヒステリックの怖いし、面倒だからな。よし、ここは穏便に事を済ませようか」

 季凛の睨みに畏縮した高坂たちがそんな事を呟き合っている。

「それで、俺たちに何か用でも?」

 完全に季凛の睨みに畏縮した秀作たちが腰を低くして、手をすり合わせている。

「あはっ。当たり前じゃん。用がなかったら先輩たちの所なんかに来ませんし。まぁ、単刀直入に言うと、あの五月女の気を真紘くんから外して欲しいんだよね?」

「五月女の意識を輝崎から外すのって、なかなか至難の業だよなぁ~」

 秀作が後ろ頭を掻きながら、唸る。

「あはっ。今こそ先輩たちの攻撃性が薄いBRVの活躍場面じゃないですか? 久保先輩のスノボーで強制退場させるとか」

「なるほど。その手があったか。じゃあ俊樹言って来い!」

「ええ、俺だけ? ちょっと待って下さいよ。確かに強制退場させること出来そうですけど、そのあと俺が五月女から氷漬けにされるじゃないですか。さすがに嫌っすよ。それだったら、瞬のスモールライトでも良いわけだし」

 俊樹が一人だけひどい目に遭うのは御免と、瞬を一蓮托生にしようとしている。

「いや、残念だな~。俺のBRVってほら、一日フル充電しないと使えないじゃん? だからいきなり使うってなっても、使えないわけ」

「うっわ、汚ねぇー。……高坂先輩、じゃあ先輩も一緒にやって下さいよ」

「おい、馬鹿。さっき季凛ちゃんが言ったのは、攻撃性の薄いBRVを選抜してきたんだぞ? なら、俺のは除外対象だろう」

「いやいや、何言ってんすか? あの木偶だって使いようによっては攻撃性薄いっすよ」

「俊樹、おまえも無理なこというな~」

「え、全然無理じゃないですって」

 秀作と俊樹でそんな醜い押し問答を開始し始めたため、季凛は沈黙したままBRVを復元し、三人に向け、クロスボウの矢を投擲した。

「「「ひぃいいいいい」」」

 三人の悲鳴を聞きながら季凛は笑顔で

「つべこべ言わず、さっさとやれ!」

 そう言い放つのだった。


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