写真
「いっ、たたたたた!」
「ちょっと、たんま!」
医務室では根津と季凛の悲痛な叫びが響いていた。二人は今、医務室で治療を受けようとしているのだが、医療班が少し身体を動かしただけで、悶絶してしまうような痛みに襲われていた。
医療班曰く、WVAでは後半になればなるほど、選手たちの過激さはグレートアップし、因子疲労や重度な筋肉痛、それに全身打撲を起こす者が後を絶たないらしい。
そしてそれは、先ほどの試合で無茶をしていた根津と季凛も例外になるはずもない。
「季凛たち怪我人なんだから、もっと優しく治療してくれない?」
季凛が少し涙目になりながら、医療班に文句を言っている。だが、医療班からは『叫ぶ余裕があるならまだ軽度です』というもっともな言葉を返されてしまっている。
筋肉痛を抑える塗り薬と、因子疲労の薬を注射器などで投与されている、二人は悲鳴にもならない短い声を上げているのが狼の耳に聞こえてきた。
そんなカーテン越しの向こうで行われているやりとりを聞きながら、狼も試合中に負った傷の治療を受け終り、医務室にあるベンチに腰かけているところだ。
「二人とも大変だな。……その分、僕たちは傷の手当だけで済んで良かったね」
狼は苦笑を浮かべながら、隣に座り狼と同じように治療を受けている名莉に顔を向ける。すると、名莉がコクンと頷いてきた。
そんな名莉の片頬には、大きなガーゼが張られている。
狼は自然とガーゼが張られている名莉の頬に手を当てていた。
んー、なんかメイが顔にガーゼって、他の人より痛々しく見えるよな。なんでだろう? 美少女にガーゼっていう組み合わせなのかな?
内心でそんな事を考えていると、ふと名莉の身体が強張っているのに気付いた。
「ああ! ごめん」
狼が慌てて名莉の頬から手を離して、謝った。
すると、名莉が首を横に振ってから口を開いた。
「……大丈夫。驚いただけ」
「そう? なら良かった。僕が何も考えずに……」
「あはっ。セクハラしちゃった?」
「なっ!」
カーテンを少し開いて、季凛が悪質な笑みを浮かべながら狼たちを見ている。
「別にセクハラなんてしてないだろ!?」
「セクハラした本人はそう思ってても、された人はセクハラって思ってるんだよ? あはっ、それちゃんと分かってる?」
季凛の言葉に狼は衝撃を受け、狼は頭を抱え込む。
するとそんな狼に追撃を加えるかのように、
「人が痛がってる時に、女子にセクハラなんて……サイッテー」
季凛のように根津がカーテンから少し顔を覗かせ、目を細めている。
「いや、だから……別に、変な下心を持ってたわけじゃなくて……」
しどろもどろになりながら、狼が三人の女子に弁明するが、狼を軽視する季凛と根津の視線を向ける二人と、何故だか顔を下へと俯かせている名莉には、まったく通じていない。
どうしよう?
狼の治療自体は終わっているため、この場を離れる事も可能だ。だがそれをしたら、後々さらなる批判を女性陣から受けかねない。それにここにはいない小世美や鳩子まで加わったら、狼はもうお手上げ状態になる。
そのため狼は黙ったまま肩を落としているしかない。
三人の熱りが冷めるまで、黙ってよう。いやむしろそうする道以外の打開策が、狼には浮かんでこない。
「あはっ。もしかして狼くん、黙ってればいいとか思ってる?」
ぎくり。
「図星って感じかぁ~。どうする、メイちゃん? 狼くんは自分がセクハラしといて謝る気ないみたいだよ。人として最悪じゃない? むしろ女の敵じゃない?」
「ちょっと、待った! 僕最初にちゃんと謝ってただろ?」
「えー、季凛ちゃんその場面見てなーい」
「絶対、嘘だ!」
「本当だもん。それとも、狼くんは大切な仲間を嘘つき呼ばわりするんだぁ」
ニヤニヤとした季凛の顔が今の狼にとって、悪意ある顔としか見えない。だが、そんな季凛よりも殺気が籠っている様な視線を向けてくるのが、沈黙を保つ根津だ。
季凛からは人をおちょくっている様なニュアンスが含まれているが、根津から放たれる殺気は本物の様にしか感じない。
そんな根津からの殺気に背筋を凍らせていると、そこに助け舟がやってきた。
「黒樹、もう治療は済んだか?」
医務室のドアを開いてきたのは、真紘だった。
「……ん? 何かあったのか?」
「何って、何もない何もない。それより、どうかした? 話なら向こうで聞くからさ」
狼は半ば無理矢理に話を進め、狼が医務室を後にする。
これからは、下手な事しないように気を付けようと心に誓いながら。
「まったく。狼のやつ。まんまと逃げたわね」
真紘の話を聞くという建前を見つけた狼を、名莉の横で治療を終えた根津がぶつぶつと文句を言っている。
医務室で狼が戻るのを待ちながら、名莉は狼に触れられた頬に手を当てた。
狼に触れられた時の感触を思い出し、名莉は顔を赤らめる。
触れられた瞬間、緊張が体中を支配して息すら止めてしまう程だった。だがそこに不快感というものはない。今にして思えばもっと触れていて欲しかった気さえする。
「メイちゃん……嬉しそう~」
自分の様子に気づいたのか、季凛がニヤニヤとした笑みを浮かべながら、こっちを見ていた。
「うん。嬉しい……」
季凛の言葉に名莉が素直に頷くと、季凛が少し残念そうに肩を落としてきた。季凛が肩を落とした理由がわかならい名莉は、首を傾げる。
「んー、メイちゃんは素直だから、からかい甲斐がないなー。あはっ。もっと、どこぞのツンデレキャラのネズミちゃんみたいに、良い反応見せてくれると季凛も嬉しいんだけどなー」
「そうなの?」
「そうそう」
「ちょっと、誰がツンデレキャラなのよ!?」
季凛の言葉に根津が、むすっとした表情を見せている。
「ネズミちゃんに決まってるじゃん。あはっ。もしかして、自分で認識出来てなかった?」
「認識も何も、アタシはそんな安そうなキャラじゃないから」
「えっ……十分に安いキャラしてると思うけど?」
「なんですってぇぇぇ」
「そう、こんな風に怒っちゃうあたりとか。あはっ、物凄く安いキャラだよね?」
「な、季凛、あんたに言われたくないわよ。アンタだって、人に毒吐いてるだけじゃない」
「あはっ。季凛はコレでいいんです。むしろ、季凛はこれだから需要があるんだもん」
「誰に需要があるのよ?」
「んー、マゾっぽい、キモヲタ共に」
「あんた……それ確実にファン減るわよ?」
名莉の隣にいる根津が、口元を引きつらせながら呆れている。だがこれはこれで、すごく彼女らしいと名莉は思う。
名莉を挟んでの二人の会話は、まだ続いている。
それを名莉は、楽しい気持ちになりながら見守っていると、医務室のドアが開いた。
狼が戻ってきたのかと思い、名莉がベンチから立ち上がると、そこには怒りに肩を震わせている鳩子とそれを宥めている小世美の姿があった。
ドアが開いたのと同時に会話を中断させていた根津と季凛も、顔を見合わせながら首を傾げあっている。
鳩子の隣にいる小世美も、困ったように苦笑を浮かべていた。
「鳩子、どうしたの?」
名莉がそう訊ねると、怒った様子の鳩子の代わりに小世美が口を開いた。
「さっきハトちゃんと私でここに向かう途中、棗くんと條逢先輩に会ったの。それで、少し、ね」
小世美の口ぶりに名莉たちは、鳩子に何があったのか大体予想がついた。
「鳩子ちゃん、また條逢先輩たちにからかわれちゃったの?」
季凛に笑いながら、そう言われた鳩子が手の指を無造作に動かして、吠えた。
「あ――――――――、もう腹立つ。棗に條逢の野郎。あの二人あたしになんて言ったと思う?」
「さぁ? なんて言われたのよ?」
目をギンギンにしている鳩子に引いた様子の根津が訊ねている。
「棗には、『さっきのって、どうせまぐれでしょ? 多分、二回目はないね』とかいう言い逃げをされたし、條逢の奴には『大酉も因子経路にアクセスして相手のBRVを乗っ取る事できたんだ。そこまで大酉が成長してるとは知らなかったなぁ。けっこうアレ大変なんだよね。さすがの俺でも2分はかかるかな』とか、笑顔で言ってきやがった。ああもう、本当にあの二人死ねばいいのに」
鳩子が苛々しながら、地団駄を踏みながら、煮えたぎる憤怒を抑えきれないのか身悶えしている。
「ちょっと、鳩子落ち着きなさいよ。確かに棗は嫌味言って来たけど、條逢先輩は普通じゃない?」
根津がそう言うと、季凛が指を振ってきた。
「チッチッチッ。分かってないなー。ネズミちゃんは」
「どういう意味よ?」
季凛の言葉に首を傾げているネズミの肩を今度は、不気味に目を座らせている鳩子が掴んできた。
「鳩子ちゃんが分かりやすく意訳してあげる。アイツはね、あの條逢慶吾とかいう鬼畜はね、こう言いたいの。おまえがあれだけ辛そうにやってた全因子経路にアクセスするのを、俺だったら二分で出来るけどね、って言いたいわけ。あの鬼畜は――――――!! 本当に何なの? あいつ。人間の皮を被った下衆の塊でしかない。あんなのは、地球に立つこと許されちゃいけないんだよ? ああ、そうさ。あたしはアイツが二分で出来ることが、時間かけないと出来ませんよ。でもそれがどうした? 全世界にいる情報操作士があたしと同じこと出来る奴がどこにいる奴がどんくらいだか知ってんのか? 相手の全BRVを乗っ取るなんて世界でも手で数えられる程しかいないっつーの。それを二分で出来る方が人間止めてんだよ――――!!」
鳩子の怒りが爆発した。鳩子の因子が漏れだし、医療系機械が一斉に機械の異常を伝えるエラー音が鳴り響き始めた。
騒々しい機械音のため、名莉も含め鳩子以外の三人が耳を塞いでいる。
このままだと情報操作士特有の機械システムの干渉に特化した因子の影響を受け、この部屋にある機械が全て駄目になってしまう。
「ハトちゃん、落ち着いて。平常心、平常心」
鳩子の近くに居る小世美が何とか鳩子を宥めようとするが、怒りで頭をパンクさせている鳩子には届いていない。
きっと鳩子の頭の中は、どうにかして自分に嫌味を言ってきた二人に痛い目を、見せようかしか考えていないのだろう。
そんな鳩子に普通の言葉が届くはずもない。
なんとかして、鳩子を止めないと。
名莉が黙ったままそう考えていると、隣で耳を塞いでいた季凛が口を開いた。
「さすが、鳩子ちゃん。あの最低ヤローの悪口を言いながら、私すごいっしょ! アピールも忘れないね。あはっ。それとそんな凄い鳩子ちゃんには、狼くんの隠し撮り写真をプレゼントしちゃうね」
季凛がそう言うと、鳩子から流れていた因子が沈静化し、機械からけたたましく鳴っていたエラー音が静かになる。
「季凛……それ本当?」
「あはっ。本当本当。実はあの馬鹿高坂たちが真紘くんとか、狼くんの寝顔とかの隠し撮り写真を裏で女子に売りつけてるんだよねぇ。だから、そこから鳩子ちゃんにプレゼントしてあげる」
「え―――、ちょっと待って。オオちゃんの隠し撮り写真なんて売られてるの?」
「隠し撮りって、あの先輩たち、何してんのよ? ウチの副部長で」
「まぁまぁ、小世美もネズミちゃんも落ち着いて。確かに高坂先輩たちの行為は盗撮だけど、女子たちの癒しを提供してると思えばさぁ」
小世美と根津が驚いたように批判の声を上げるのに対して、季凛から貰える鳩子は満面の笑みで二人を宥めている。
「……狼の欲しい」
名莉が一言そう呟くと、黙ったまま他の四人が名莉の顔を凝視してきた。
「うん、わかった。……メイちゃんのも頼んどいて上げるね」
「ちょっと、盗撮の写真買ってどうすんのよ?」
「うーん、盗撮されたオオちゃんの写真ってどういうのだろう? 気になりますな」
「ちょっと、小世美まで何言ってるのよ!!」
小世美の思わぬ鞍替えに、根津が声を張り上げる。
「あーれ? そんな事言って、どうせネズミちゃんも欲しいでしょ? だったら、素直になるべきなんじゃない?」
「ううっ」
季凛の言葉に恐懼された根津が小さく呻く。
「でも、一番のベストショットを頂くのは、今回大活躍した鳩子ちゃんね」
鳩子が季凛の提案ですっかり、気分がよくなったのか嬉しそうに黄色い声を上げている。
その瞬間に、医務室に取り付けられたスピーカーから、WVAの閉会セレモニー開催の連絡が流れた。




