静かなる怒り
セツナは怪我した選手が運ばれる医務室へと来ていた。
医務室には左右に二つずつのベッドが備え付けられており、セツナは部屋に入って、右の窓側にあるベッドへと向かった。
ベッドの前はカーテンで囲まれていて、そのカーテンをそっと開けるとベッドに横たわって眠っているフィデリオの姿があった。
フィデリオの容体を医療班にいる専門医に聞いたところ、怪我の具合的にはそれほどひどくはないそうだが、因子疲労が起こっており、仮に日本との試合に勝っていたとしても、次の試合に出られる可能性は怪しい所だったらしい。
今のフィデリオの状態は疲労回復進攻剤の投与や外部損傷の治療も終えていて、安静にしている状態だ。
そんな風にベッドで横たわるフィデリオを見て、セツナはとても自分が不甲斐なく感じた。
「フィデリオがこんな風になってるの……初めて見た」
ぼそりとそう呟いて、セツナは唇を強く噛む。
あの試合で真紘とフィデリオは、全力で戦っていた。その試合を見てセツナは二人のすごさを改めて実感したし、すごいと思った。
けれどそんな二人の試合を見ていて、セツナはどちらを応援すべきか、自分はどちらを応援したいのかが、わからなくなっていた。
これは、前にマルガとアクレシアに指摘されていたことだ。
あの時は、真紘が試合に出られない事実が受け止められなくて、この状況になった時の事を頭の片隅へと追いやってしまっていた。
だから、真紘がグランドに姿を現した時は本当に嬉しかった。
真紘が真紘らしい姿で試合に出てくれる事がセツナにとっても、一番望んでいる事だったからだ。それは、セツナの中に真紘が戦っている姿を見たいという強い想いがある。
それに加え、今のセツナは明蘭の生徒だ。
この事を考えるなら、例え戦う相手が母国だとしても応援すべきは、真紘の方だ。
けれどそれをするには、自分の中にあるフィデリオへの気持ちが邪魔をする。フィデリオが吹き飛ばされたり、怪我を負ったりするのは嫌だ。しかしだからといって、真紘が怪我していいとは思わない。
真紘にだって、フィデリオのときと同じような気持ちになる。
身動きが取れないというのは、こういう事を言うのだとセツナは思った。
試合に勝った真紘を見て、素直に喜べない。
試合に負けたフィデリオを見て、一緒に悔しがることはできない。
今の自分はどちらも出来ない状態で、そんな状態に気持ち悪ささえ感じてしまう。
自分と同じく試合を見ていたマルガとアクレシアは、真紘が勝ったことを素直に喜んでいた。きっと相手が知り合いだろうと、勝負は勝負で、今の自分の立場上、応援すべきは真紘だとわりきっているからだ。
私もマルガとアクレシアみたいに、上手く割り切れれば良かったのに。
心からセツナはそう思う。
だがそんな事を思っても、意味がないという事は自分でも十分、理解はしている。だがそれでも、やはり割り切れる二人が羨ましい。
「フィデリオ、ごめんね……」
眠っているフィデリオに対して、謝罪の言葉を吐く。
もしこんな優柔不断な自分をフィデリオが知ったら、なんて思うのだろう?
そう考えたセツナの頭の中に、困ったように苦笑を浮かべるフィデリオの表情が目に見えた。そしてそんな表情をするフィデリオがすごく、しっくりときてセツナは胸が痛んだ。
「どうしよう……こんなんじゃ嫌われちゃうよね?」
呟いてから自分の目頭が熱くなるのを感じ、セツナは慌てて両頬を叩き、自分を叱咤する。
今の自分が泣く権利なんてない。
そう思い、ぐっとセツナは涙を流すのを堪える。
「ちゃんとしなくちゃ……」
そう自分の中で決意し、セツナが踵を返して立ち去ろうとしていると、フィデリオが静かな声で呼びとめてきた。
セツナが再度、フィデリオの方へと顔を振り向く。するとまだうっすらとした視線で自分を見ているフィデリオと目が合った。
「あ、ごめんね、フィデリオ。私の所為で起きちゃったよね?」
セツナがそういうと、フィデリオが少し笑みを浮かべ頭を横に振ってきた。
「気にしなくて平気だよ。俺が勝手に起きただけだから。むしろ、セツナが帰る前に起きれて良かったかな」
「そう言ってもらえるなら、良かった。私が一人で呟いてたから、それで寝てるフィデリオを起しちゃったかと思った」
セツナが後ろ頭を押さえて苦笑を浮かべると、フィデリオがクスクスと笑ってきた。
「何か、私おかしな事でも言っちゃった?」
「ううん。別におかしな事言ってたわけじゃないんだけど、セツナが一人で呟いてたって聞いて、何かセツナらしいなぁって思って」
「私らしいって……私そんなに独り言してるかな?」
「うん。結構セツナは言ってるよ。あと鼻歌とかも歌ってるかな」
「えー! そうかな?」
「そうだよ。よく一緒に出かけたりしたときは、隣で鼻歌を歌ってることあるし。セツナがこっちの学校で練習試合する時の前に、よく独り言、呟いてたよ」
笑いながらフィデリオにそう言われたのと、自分では気づかない内にというのも相まって、セツナは無性に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「そうやって、自分の癖を気付いてない所、すごくセツナらしいよ」
「あはは。そうなの。私って気持ちだけ突っ走ちゃって、全然自分の事見えてないみたい。よくマルガとアクレシアに言われるし、マヒロにも言われる」
「そっか。まぁ、そこがセツナの良いところでもあると思うけどね。……セツナ、さっきの試合どうだった?」
「え?」
真剣な表情を見せるフィデリオにそう言われ、セツナは一瞬どう答えるべきか迷った。そんなセツナに気づいてか、フィデリオが苦笑しながら口を開き始めた。
「俺さ……同年代の人に負けるのって、これが初めてだったんだ」
「うん」
「だから、俺、自分が負ける可能性が出てきた時にすごく焦って、気づいた。自分の弱さに。何か上手く説明できる言葉が出てこないし、見っともないけど……多分、どこかで自分の素質に自信があったんだと思う。全部が全部ってわけじゃないけど。でもそれが自惚れだって事に気づかされて、悔しくなった」
ベッドのシーツの方に視線を下げ、静かな声で話すフィデリオを見て、セツナは思わず手を握っていた。
「セツナ……?」
「全然、自惚れなんかじゃない。フィデリオは自分に自惚れてなんかないよ。だって私はフィデリオが、すごく頑張って技を磨いてる事くらい知ってる。ううん。私だけじゃない。きっとフィデリオと一緒に頑張ってきた人なら、みんな知ってるよ。だから、フィデリオは自惚れて何かない!」
セツナがフィデリオの手を強く握って、フィデリオの言葉を否定する。
「さっき、フィデリオが私に聞いたでしょ? 試合どうだったかって。私、最初どう答えればいいか迷ったの。私自身がどっちの応援も出来なかったから。……でもね、私分かったの。フィデリオの話きいてて。私はきっと、フィデリオの事もマヒロの事もすごく憧れてるんだって。だから私からしたら、フィデリオもマヒロもすごくキラキラして見える。カッコいいなっておもう」
セツナは自分の気持ちを素直に話そうと思った。
フィデリオからどう思われてしまうかは分からない。
でも、フィデリオは自分にちゃんと自分の事を見っともないと言いながら、話してくれた。
「だから、私……」
次の言葉を言おうと決めたのに、緊張しているのか口が震えて言葉が出てこない。
そんな自分がじれったくなる。
そしてそんな自分の緊張がフィデリオにも伝わったのか、彼も自分と同じように緊張しているのが分かった。
「私ね!」
「おい、起きたか!? フィデリオ?」
意を決したセツナが口を開いた瞬間、セツナの後ろのカーテンが勢いよく開かれ、そこからデトレスがやってきた。
「あれ? なんだセツナも来てたのか……って、俺、何かすごいタイミング悪かったみたいだな」
自分より先にいたセツナを見て、デトレスが「しまった」という顔をした。後から来たデトレスも真っ赤な顔で苦笑を浮かべるセツナと、あからさまに肩を落とすフィデリオを見て、どういう状況だったのかを悟ったらしく、気まずそうに手で頭を掻いている。
「いいの、いいの。デトレスも気にしないで」
気まずそうにしているデトレスに気を使わせまいとセツナがそう言ったが、それでもデトレスはバツが悪そうにしている。
「えーっと、そういえばデトレスは怪我の方、どうなの? ほら、デトレスも試合で怪我してたでしょ?」
「あ、ああ。いや、俺の方は刺されたけど、まぁ、傷口も塞いだし、それ以外じゃ目立つ外傷もなかったからな。大丈夫だ」
「そうなんだ。じゃあ他の人達も?」
「まぁな。みんな一応の検査を受けてるだけで、フィデリオみたいに寝かされてる奴はいないかな。多分、もう少ししたら他の奴も来ると思う」
気まずさを払拭しようと、セツナとデトレスが今の状況に関係ない話を進めている中、押し黙っているフィデリオがいる。
デトレスはそんなフィデリオの方を気にしてか、セツナと会話しながらも時々フィデリオの方に視線を向けているのが、セツナにもわかった。
うーん、どうしようかな?
セツナは少し熱くなっていた頬を冷ます様に、手で頬を仰いだ。
「それにしても、フィデリオおまえ凄かったな。さっきの試合でおまえのファンになった奴もいるみたいだぞ?」
わざとおどけた笑いを浮かべて、デトレスがフィデリオに話を振る。
「そっか。それはすごく有り難いし嬉しいけど、今はそれを喜べる気分じゃないかな」
フィデリオの返事は、素っ気ない。
「そうだよな。今おまえ怪我もしてるし、因子疲労も起してるんだろ? だったら、変に気分を上げずに、安静にしている事が一番……あれ、俺の気のせいか? 何となくフィデリオから因子が放出されているような……」
「まさか。気のせいじゃない?」
「だよなー」
「そうそう。仮にデトレスが変なタイミングに入ってきたとしても、それは単なる偶然なんだだろうし。まぁ、偶然だとしてもタイミングは悪すぎたけど」
そう言いながら、フィデリオがにっこりと笑みを浮かべる。
その笑みに込められたフィデリオの静かなる怒りが感じられた。
フィデリオからの静かなる怒りを受けているデトレスが、身を一歩引いている。
そんな三人の元に、マルガとアクレシアの二人がやってきた。
「なに、どうかした?」
三人の間に流れる微妙な空気を読み取ったアクレシアが聞いてきた。
アクレシアとマルガからしてみれば、フィデリオの事もデトレスの事も昔からよく知る幼馴染だ。
だからこそ、三人から流れる微妙な空気を即座に気づいた。
「もしかして、デトレスが何か邪魔しちゃった?」
ニヤッとしながらマルガが、鋭い所を突いてきた。
そのため三人が口を開かず押し黙っていると、アクレシアが息を吐き出して
「フィデリオ、デトレスを攻撃して良し」
「はっ!? 何でそうなるんだよ?」
「だって、どうせデトレスがまたタイミング悪い事したんでしょ? だったらしょうがないんじゃない?」
「しょうがないって……、たまたまタイミング悪い時だってあるだろ」
「言いわけは無し! というわけでセツナを少し借りてくから、あとは二人でごゆっくり」
デトレスの訴えを一蹴したアクレシアが、セツナの背中を押してきた。
「え、アクレシア。ちょっと!」
いきなり背中を押され戸惑うセツナを余所に、後ろからアクレシアが、マルガが前からセツナの手を引いてセツナを医務室の外へと連れ出してしまった。
「どうしたの? 二人とも」
廊下へと連れ出されたセツナが、アクレシアとマルガに自分を外へと連れ出した理由を聞くと、二人が揃ってフィデリオとデトレスがいる医務室を指さした。
「へ?」
セツナがそんな声を漏らして、後ろを振り返ったのと同時に病室から小さな爆発音が聞こえてきた。
「セツナがいると、フィデリオ気持ちが治まらないだろうからねぇ」
そんなマルガの言葉に、セツナは二人が自分を医務室の外に連れ出した意味を理解して、苦笑いを浮かべるしかなかった。




