挑発
「あーあ、だから狼くんにはちゃんと季凛から忠告しといてあげたのに」
真紘と狼の戦いを名莉が見ていると、横にいた季凛がそう呟いている。
「忠告?」
名莉が季凛の呟きに聞き返すと、季凛がいつもの彼女らしい笑みで笑ってきた。
「うん。季凛言ってあげたんだよね。もし、狼くんが人情深い事したら、真紘くんと戦うことになるかもよって。あはっ、そしたら本当に戦ってるからウケるよねー」
「でも、狼は間違った事なんてしてない」
「あはっ。確かに狼くんの行動って人としては間違ってないけど、だからって、真紘くんの行動も間違ってはいないよね? だって、真紘くんはただ単純に妹を助けたいから、敵に対して武器を向けてるだけなんだし。でもまぁ、あの焦り様はダサいけど」
名莉は季凛の言葉を聞いて、視線を俯かせた。
季凛が言っている事は正しい。
目の前で戦ってる狼と真紘でどちらが間違っているというのは一概に言えないという事は、名莉だって分かっている。
はっきり言って真紘は結納の家である一条家に仕える家だ。その家の当主として結納を誘拐した者たちに矛を向ける事自体は、間違っている事ではないのかもしれない。
だがしかし、今の真紘のやり方は好きにはなれないのも事実だ。
「ねぇねぇ、季凛一つ噂で聞いたんだけど、メイちゃんって、真紘くんの許嫁なんでしょ?」
「……うん、でもそれは両親が昔決めた事だから、私も真紘もそんな話は意識してなかった。ただ、両親と一緒に昔から真紘の家に行ってたから仲良かったけど、真紘に妹がいるってことは知らなかった」
「あはっ。なるほどね。それだったら、メイちゃんが許嫁ってなってても、希沙樹ちゃんが怒らないわけだ。でも、小さい頃から家に行ってたメイちゃんが妹ちゃんの存在に気づかないっていうのも、驚きだよね?」
季凛の言葉に名莉はコクンと同意の意で頷いた。
真紘が運ばれたという病室で、結納に自分が真紘の妹だと言われた時、驚きと共に自分の中で、しっかりとパズルのピースが当て嵌まるかのような納得感が名莉の中で起きていた。
結納が妹だと知って、名莉は結納に真紘の父親である忠紘の面影がある事に気づいたからだ。自分でも、何故今まで気づかなかったのかと思ってしまう程に結納には忠紘の面影がある。それなのに、自分は気づけなかった。
もしかしたら、真紘はずっと自分と同じ一人っ子だという固定概念を自分の中に置いてしまっていた為に、いくら忠紘の面影を残す結納を見ても、気づけなかったのかもしれない。
そして、驚きが冷めたのと同時に疑問は沸き起こった。
何故、真紘は自分や希沙樹に結納の事を教えてくれなかったのかだ。名莉自身も希沙樹と同様に、真紘が結納を疎ましく思っていることはありえないと思う。むしろ真紘だったら、たとえ結納が良い因子を持っていなかったとしても、気にせず大切にして自分たちに紹介してもおかしくはないはずだ。
「もしかして……」
名莉がある考えが思い浮かんだ瞬間、再び盛大に水飛沫が辺りに舞った。名莉が思考の中から一気に水飛沫を上げた狼と真紘へと視覚と意識を持っていく。
「あはっ。男って馬鹿ばっかだよねぇ」
隣にいる季凛がその水飛沫を上げて戦っている狼と真紘に向かって毒づき、もう片方隣にいる鳩子から新しい報せが届いた。
「さっき鳩子ちゃんが左京さんに向かって連絡を入れたら、良いニュースが入ったよ。たった今、左京さんが人工島の端にある工場内で気絶している一条様を発見して無事保護したって」
「あはっ。それ本当? じゃあ、あの二人が戦っている意味ないじゃん」
季凛がそう言うと、季凛の隣にいた希沙樹が短く息を吐いた。
「いえ、意味ならあるわ。真紘を反省させるという意味がね」
希沙樹がそんな言葉を言った瞬間、先ほどより大きな水飛沫が上がり、イザナギとイザナミが狼たちの手から離れ宙に吹き飛ばされたのが名莉たちの視界に映った。
イザナギを持っていた手が、ビリビリと痛む。
だがそれは真紘も同じだろう。真紘の手からもイザナミが失われ、真紘が苦い顔をしながら自分を睨んできている。
きっと純粋な剣術の戦いなら、狼は真紘に勝てるわけがない。そんな事は端から分かり切っていることだ。真紘はずっと、狼が平凡的な生活をしている時に己の剣を磨いていたのだ。そんな真紘に、剣を持ち始めてまだ間もない狼が普通にやりあえるはずがない。
だがそれでも狼には、真紘を凌駕することができる。
真紘とやり合う為に狼の未熟な剣術を補うのは、紛れもない狼が持つ因子だ。
因子だけの力比べならば、狼は真紘を凌駕している。そしてその事は、真紘だって分かっている。だからこそ、真紘は狼の苦手な剣術を駆使して闘うのだ。
「はぁあ」
真紘が雄叫びを上げ、狼へと斬り込みにかかる。イザナミが斬り込んでくるスピードは狼では避けきれず、横腹が裂けた。
痛みがますます、狼の戦闘速度を鈍らせる。
だが、避けきれなかったと言ってもまともに斬り込まれたわけではない。そのため、斬られた横腹は比較的に浅い。
だからこそ、狼は傷口を止血のみに留める。
本当に、真紘って戦闘になると容赦ないな。
狼は内心でそう思いながら、斬り込まれた際に崩してしまった体制を整えて、一旦真紘との距離を取るために、工場が立っている方へと跳ぶ。
それでも真紘は狼との距離を詰め、一気に終わらせようと肉薄してくる。
「仕方ないか」
狼はそう呟き、イザナギに因子を奔らせた。
大神刀技 天之尾羽張
イザナギの刀身が蒼く光りだし、刀身全てに狼の因子が行き渡る。
そして、狼へと斬り込んできた真紘のイザナミと刃が交えた際に、爆発が起きその衝撃が真紘を宙へと吹き飛ばした。
吹き飛ばされた真紘が宙で身を翻し、そのままイザナミを構える。
「舐めるな」
大神刀技 朝霧
イザナミから放たれる高熱の一閃が狼へと襲い掛かる。その一閃の周囲に荒れ狂う爆風が狼の視界と動きを封じてくる。
このままだと、あの強烈な一閃をまともに受けてしまう。
狼は出来るだけ因子を充満させたイザナギを構え、自分に向かって来る朝霧の一閃を迎え撃つ体制に入る。
この技は前に真紘がトゥレイターのフォースと戦っていた時に出した強力な技だ。
まさか、この技を自分が受ける事になるとは思いもしなかった。
だがそんな悠長な事を考えても、意味はない。
もう既に真紘からこの技は狼に向け、放たれている。
身構える狼の周囲は、イザナギから放たれる因子の熱と真紘が放った熱で外気が物凄く温度を上がっている。そのため狼は肌から汗が噴き出し、異様に喉も渇く。
狼は出来るだけ意識をイザナギへと持っていく。真紘からの攻撃を防ぐために因子を練り上げる事に集中するためだ。
朝霧の爆風で視界が見えない。そのため狼の中で極度の緊張が身体を固くさせる。真紘はどれくらい宙に吹き飛ばされた? そして自分に向かって来る技の速度はどれほどだったか? 視界が塞がれてしまっている狼にとって、大切な情報がどちらも曖昧な物となってしまっている。
だがそんな考えを無駄にする様に、真紘が放った朝霧がイザナギの刀身と衝突し、物凄い衝撃が狼の身体を襲う。一瞬自分の身体に何が起きているのか分からなくなる程だ。
そして気がつけば、狼は後ろにあった工場の壁へと吹き飛ばされ、壁を突き破り仰向けの体勢で倒れ込んでいた。
「げほっ……うわっ、ありえないだろー」
狼はうっすらと目を開けて、砂埃が舞っている辺りを見渡す。
きっと真紘なら、止めを刺すまでには行かずとも狼を完全に動けなくなるまでは、攻撃をしてくるに違いない。
狼が辺りを見回していると、上から砂埃が落ちてきた。反射的に狼は身体を跳び起こし、その場から離れると、その瞬間に物凄い勢いで工場の天井が抜け落ちた。
その砂埃の中で紅いイザナミの刀身がうっすらと光っているのが見えた。
来る。
狼がそう思った瞬間に、真紘が自分の目の前に疾駆し、イザナギの刃とイザナミの刃が交叉していた。
「黒樹、貴様が甘い事は知っていたが、こんな状況になっても敵に情けを掛けるとは思ってなかった」
「当然だろ! それは真紘からしたら妹さんを誘拐されたから怒るのは当然だと思うけど、敵って言っても人なんだ。こんな事して良いはずがない」
「一条様が俺の妹だと、誰から聞いた?」
刃越しに真紘が低い声で訊ねてきた。
だがそんな真紘に臆する必要はないと狼は思った。
「一条様から直接聞いたんだ。真紘は彼女にとって、すごく大事な兄だって」
狼が真紘の目を見ながら、そう言うと真紘は目を見開いて驚いている。
「だから、今回の真紘が取ったやり方で助け出されても一条様が喜ぶはずがないんだ」
「分かったような口を利くな! そんな物は黒樹の勝手な憶測だ」
「憶測なわけじゃない。むしろ、家族の事なのに、こんなことも分かんない真紘の方がおかしいだろ」
「何? ならば、黒樹、貴様は自分の家族の事をしっかりと理解しているのか? 違うだろ」
「今は僕の事なんてどうでもいいはずだ!」
「はっ。俺に大口を叩いといて逃げるのか?」
真紘がそう言いながら、狼を挑発する様に嘲笑してきた。それに、狼はカッと頭に血が上るのを感じた。
そしてすぐさま、イザナギとイザナミの刃での討ち合いとなるが、やはりその分は真紘の方にあった。そのため、狼はどんどん後ろへと後退させられ、なかなか反撃が出来ない。
狼が苦虫を噛む様に、どうすれば真紘への反撃が可能になるかを考えている間にも、真紘からの強烈な袈裟を狙う様な斬り込みが続いている。
このまま討ち合いを受けているだけでは、一向に反撃する隙を見つける事は不可能だ。そのため、狼は思いっきり地面を蹴り、背後にある海へと潜った。
海の中に潜りながら、狼は再びイザナギへと因子を巡らせ、そして水中から水面へと向けて斬撃を放つ。
すると狼が放った斬撃が海を裂く様に、水面に見える真紘の影へと向かって行く。だがそれと同時に真紘が狼に向かって、斬撃を放っていた。
狼は自分に向かって来る斬撃を避け、海中にあるゴツゴツとした岩を思いっきり蹴り、勢いよく水中から大気中へと跳躍した。
狼が水面から出ると、人工島の地面を蹴りこちらに向かって来る真紘がいた。
このまま真紘が自分へと向かって技を放つという予想を立て、狼はイザナギの刀身を蒼く染める。
大神刀技 千光白夜
大神刀技 志那都比古
二人が技を放ったのは、ほぼ同時だ。そして二人が放った攻撃の余波で、海の水面が大きく波立ち、狼と真紘の周囲の空気が吹き荒れる。
狼は自分に向かって伸びる、風の刃をイザナギで受け止めたが真紘が放った志那都比古が狼たちの周りで吹き荒れる空気を吸収し、風の刃を拡大させそのまま狼の手からイザナギを吹き飛ばした。
だが狼の手からイザナギが吹き飛ばされた時に、真紘へと狼が放った白い斬撃が真紘の持つイザナミを吹き飛ばしていた。




