来る日
日本がフランスに勝利を収め、歓喜極まる会場内で一際笑い声を上げている初老がいた。
九卿家の一人 黒樹重蔵。
「見たか?帯刀、儂の孫が大活躍だ」
「なぁー、オジキ。その言葉試合中に何回言ったんだよ? さすがの俺でも耳に蛸ができるって」
試合中に自分の孫である狼が活躍するたびに、重蔵は九卿家という立場を忘れ、大喜びの声を上げていたのだ。
「まったく、おまえは分かってないな。爺の楽しみは孫の成長を見るだけなんじゃよ」
帯刀の薄い反応に不満があるらしく、重蔵が落胆の息を吐いている。
「孫を期待する前に自分の息子を何とかしたら、どうなんだ?」
「ふん、あんな馬鹿共はどうでもいいわ。儂が小さき頃から鍛錬してきてやったというのに・・・
あの馬鹿息子はどうしようもない」
また始まった。
帯刀は、内心で辟易としながらも、懐刀である以上、主人の愚痴に付き合うしかない。黒樹の家は、はっきり言って、他の九卿家と違い強力な技という物をもっていない。だがそれにも関わらず、黒樹という家が代々公家に使えて来たのは、紛れもない身体能力の高さと戦闘技術にある。九卿家の中で最も目立つといえば、輝崎、大城、雪村、黒樹、宇摩の五家だろう。なにせ、この五家は初代アストライヤーを排出した家だからだ。九卿家の中でも最大の因子量を誇る大城。因子の質で最高を極める雪村。そしてその両方のバランスを取る輝崎。特出した因子能力を駆使する宇摩。そして絶対的な身体能力、戦闘技術を持ち合わせているのが黒樹なのだ。
そして黒樹はその自分たちの戦闘技術を惜し気もなく、他の九卿家に提供している。これは、ただ単にお人好しでもボランティアでもない。黒樹は過信しているのだ。他の家に自分たちの技術を提供しようと自分たちの技術を全て極めることは出来ないと。
そして他の九卿家も黒樹の戦闘技術の高さを知っているからこそ、他の九卿及びその懐刀たちも黒樹の剣術を学びに来る。
そのため、因子なしの戦いでは黒樹という家に敵うものはいないだろう。それくらい黒樹の戦闘技術は卓越しているのだ。
だがそんな黒樹の当主である重蔵の頭を抱えさせているのは、紛れ間もない次期当主となっていた黒樹高雄ともう一人だ。
重蔵はこの二人に幼い頃からずっと鍛錬をつけていた。今ではどこにでもいる様な、大柄な態度の初老だが、昔は物凄く厳格な性格をしていた。
帯刀も実際ならば、次期当主の高雄の懐刀になるはずだったのだが、その高雄がある日突然、『次期当主になるの、やめるわ』と言い出して、どこかへ姿を消してしまったため、帯刀は仕方なく自分の父から世代交代をされ、重蔵の懐刀についているのだ。
そして重蔵の頭を痛ませているもう一人の人物、それが黒樹和臣だ。黒樹和臣は、黒樹高雄が当主を止めると言い出す前から、既に家からは出て行ってしまっていたのだ。
だが重蔵の技術を全て修めているのがこの二人しかいない。その事も重蔵の頭を痛ませているのだろう。
だからこそ、重蔵が黒樹狼の存在を輝崎と齋彬の当主から耳にした際に、驚愕し歓喜していたのを覚えている。
あの時の重蔵のはしゃぎっぷりには、さすがの帯刀も重蔵がぎっくり腰にならないか、心配になったくらいだ。
「で?オジキは孫に顔合わせするのか?」
一通り、自分の息子たちへの愚痴を溢し終えた、重蔵に帯刀が訊ねると重蔵がニヤリとした笑みを浮かべた。
「ほっほ。機会があればの」
「はぁー、オジキ、家中の目を盗んで老人ホームなんかに言ってるから、前より爺さん臭くなってるんじゃないか? やめてくれよ? 老朽化が進んで、ぎっくり腰とかで戦えなくなるの。まだ当主なんだから」
「馬鹿者。儂はまだまだ現役じゃぞ?そんなそんじょそこらの爺みたいに、ぎっくり腰で戦えなくなるか」
そう言いながら、重蔵が持っていた杖で帯刀の頭を叩いてきた。これが片手で振り下ろしてきた割には、スピードもパワーもあってかなり痛い。
そんな杖での打撃を受けた帯刀が頭を擦っていると、自分の横に一人の人物が近づいてきた。
「久しぶりじゃの? ……相変わらず宇摩、貴様は変わらんな」
目を細めた重蔵の元にやってきた宇摩の当主である豊へと帯刀は視線を向けた。視線を向けた宇摩はニコニコと笑みを浮かべている。
「いやいや、実にお久しぶりですねー、黒樹の当主? こんなに元気だったら、天に召される日もまだまだ遠い様で何より! それでどうでした? 黒樹くんの活躍振りは?」
「そんなの、聞かんでもわかっとるくせに、貴様も白々しい男だの~。それに貴様の息子も試合に出ていたみたいじゃが、あれは天才としか言えんな」
「はははは。重蔵さんにそう言われてしまったら、僕としては光栄ですなー。まさに重蔵さんは高雄を始め、僕ら五人の親分的存在でしたからね。いや、実に懐かしい」
「何が、親分じゃ。貴様は碌に鍛錬も受けてなかっただろ」
「まぁ、それは私の能力からして鍛錬は不必要ですからね」
「まったく、ふざけた能力じゃよ。貴様のは」
「いえいえ、それと、高雄の居場所は突き止めたとして、和臣くんがある組織に入って、大変な事をやらかしたみたいなんですが、その事は御存じでしょうか?」
宇摩にそう訊ねられた重蔵は、少しの溜息を漏らした。
「輝崎の奴を殺めたのは、和臣か……」
「残念ながら、そのようですね。そのことはまだ高雄は知らないみたいですが」
そんな二人の会話を聞きながら帯刀は眉を潜めた。
先代の輝崎の当主である忠紘が、家臣の家である蔵前の者に謀反を起こされ、命を落としたという事は知っていたが、まさかその事に黒樹和臣まで関わっていたとは思わなかった。
だがこれで忠紘が殺された理由に一歩近づいた気もした。
帯刀自身、忠紘の強さは良く知っている。間違いなく高雄や和臣を抜かせば、一番黒樹の技術を習得していたのも彼だろう。
そんな忠紘が殺されたと聞いた時、帯刀は信じられない事を聞いている気分だった。そしてそれは家臣の蔵前の者に闇討ちされたと聞いても、まだ信じられなかったのだ。
忠紘が家臣の家の者に闇討ちだからと言って、やられるはずがないと思ったからだ。
だがそれに和臣も加わっていたのなら、話は別だ。
確かに和臣一人では忠紘は倒せない。だが忠紘の動きを止める事は可能だろう。そして和臣が忠紘の動きを止めている隙に、蔵前の家臣の者が襲ってきたのならば、忠紘が殺されたというのも頷ける。
「まったく、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、あれはどう仕様もない愚か者だ。だがそんな愚か者にしてしまったのには、儂にも非があろうな。……さて、どうする? 宇摩よ。この事を輝崎の若造に言って、儂の首を刎ねさせるか?」
「おい、オジキ! それはまた別の話だぜ? もし、輝崎の当主がオジキの首を取るっていうんなら、俺はそれを止めさせてもらう。その間に輝崎んとこの懐刀が来ようが輝崎の当主が来ようが、変わりなねぇ」
「馬鹿者。誰がそう簡単に首を刎ねさせるか? 儂の首はそこらへんの爺の首とは違うわい」
「そりゃあ、そうだ」
重蔵の言葉に、宇摩豊が笑いながら同意している。
「まぁ、この件は輝崎に話してから、奴がどう動くかじゃな。……それと、ちと話は変わるが、宇摩、貴様はここにトゥイレイターの者が来ているのを知っているな? 何故、それを野放しにしている?」
重蔵の言葉に宇摩豊がわざとらしく目を見開いた。だがすぐいつもの様な笑みを見せると、あっけらかんとした口調で答えてきた。
「そんなの当然ではありませんか。彼らは我々に刃さえ向けても、我々と同じく因子を持つ同志ですからね。その同志がどんな理由であれ、明蘭に来たいというのなら、それを拒む理由が私にはないんですよ」
「ほう。随分の慈善家じゃの。では、もう一つ訊こう。何故貴様はアストライヤーになれる資格を持たされるはずの者たちを世には出さず、一つの所に掻き集めている?」
「はは。そんな事もお気づきでしたか?」
「ふん、あんなへっぴり腰のダミーで儂らの目が欺けるとでも思ったか? それにダミーだからこそ、公家からの認可が貰えず、世界とのやり取りを絶っているのだろう?」
「何をへっぴり腰とは言っても、彼らも優秀なんですよ? それに彼らを端から世界の選手と戦わせる気はありませんからね。彼らはただ単に国防軍の方への建前として、明蘭から次期アストライヤーとして見せているだけに過ぎませんから。それに世界だってそう簡単にアストライヤーは持ち出しませんよ。彼らは飽く迄、国際交渉の最終手段。彼らを使うという事は自国の外交レベルが低いと露見してしまいますからねぇ」
重蔵と宇摩の話す会話が、何を言っているのか分からず帯刀は首を傾げた。
帯刀が学生時代の頃には、勿論明蘭のような施設はない。
そのため因子などの鍛錬は、九卿家がそれぞれの鍛錬の方法を編み出し、それを家臣に手解きをするという形だった。
だからこそ、九卿家が公家直属の護衛役になっているという事もある。
そしてそこから、初代アストライヤーが生まれ、宇摩豊が新設した明蘭学園が出来た。もっと因子の持つ者の可能性を膨らませ、日本のアストライヤーを強化するという名目でた。
とはいえ、明蘭から排出されるアストライヤーは、まったくと言って良いほど外交場面には登場しない。一見すれば、それは日本が他国との外交でアストライヤーを出すまでの縺れを見せていないとも取れるが、それでも、世界に対して自国のアストライヤーをまったく誇示しないというのもおかしい話だ。帯刀はずっとそこを疑問に思いながらも、公家がアストライヤーを世界に示す事を、政府に対して認可していないだけだと思っていた。
だが今この重蔵と豊の話を聞く限り、そうではなさそうだ。
むしろ、この二人の話を聞く限りでは、初代のアストライヤーが退いてから、日本にはアストライヤーがいないと言っているようにしか聞こえない。
それは長年、黒樹の懐刀をしている帯刀にとっても驚愕の事実だった。
「では、再度訊こう。宇摩、貴様は何の為に本物のアストライヤーとなるべき者たちを使い、何しようとしている?」
重蔵の言葉には重と威圧があった。
だがそんな重蔵の言葉を前に、宇摩は宇摩らしい笑みを浮かべた。
「はは、来る日の為ですよ」
そう言って、宇摩の姿が黒い霧へと変わり、姿を消してしまった。
「まったく、肝心な所で逃げられてしまったのう」
「ったく、オジキたちもこんな場所で危うい話するなよな」
「なに、誰も聞いてなどおらん。だからこそ、話続けてたじゃ。それに奴が言っていた来る日というのも、もう近いかもしれん」
「どういうことだ、それ?」
「まっ、直にわかるじゃろ」
そう言って、重蔵は観客席から席を立ち上がり、それに続けて帯刀も立ち上がった。




