9
長くなってしまったので、二回に分けます…
「少し、寒くなって来たね」
ようやく練習がすべて終わって、麗の試合を見に行っていた柊はふたりで帰りの道を並んで歩いていた。
「寒いって言いながらどうしてそんなに嬉しそうなの?」
柊は理解できない思いで眉間にしわを寄せる。
「俺、冬って好きなんだよね。いっぱいイベントがあるだろ?」
「麗君って、そういうとこなんだか今どきの男の子って感じがするよ」
と、柊はクスクスそう言って笑った。部活中の麗は、いつもと違い少し大人びて見える。
「俺、普段今どきの男の子って感じしないのか?」
「うん。何だか他の人よりは落ち着いて見えるよ」
「……そう?」
「優花ねぇの前では、男の子って言うより、弟だもん。何か違うんだ」
柊はそう言うと、優しい顔をして目を細め、遠くを見つめた。
あまり外でははしゃぐことのない麗も、優花の前ではただの弟なのだ。毎度優花に軽くあしらわれてしまっている麗を見るのが、柊は割と好きだった。
「そうなんだ……。自分ではあんま変わって無いと思ってたんだけどな」
「うん。何か、学校ではあんまり麗君っぽくない。知らない男の人みたい」
「柊には、普通の男として見てほしいんだけどね」
「え……、麗君は普通の男の子じゃないの?」
柊にはその言葉の意味が全くわかっていなかった。
麗が、何を思ってそう言ったのかを――。
「いいよ、柊はいつも通りで。俺が本当の自分になれるのは、多分、家族と柊と、真咲先輩の前くらいだろうから」
麗のその言葉で、柊は優花と緑の事を思い出した。
「そう言えばあの二人、どうなったんだろうね?」
あの後別れたまま、優花からは何の連絡も来ていない。普段なら、柊にだけは心配させまいと簡単なメールを送ってくれるはずなのに……。
「……確かに。流石にもう話し終わってるとは思うんだけど」
柊はなんとなく不安になって、家には戻らずそのまま麗の家へと少し早足で一緒に帰った。
「ただいま」
麗はいつも通り、自分の家の敷居をまたぐ。
と、その瞬間、麗が玄関を入ったところで急に立ち止まった。柊はそんな麗の背中に思いっきり顔を打ち付けてしまった。
「ちょ、麗君、いきなり立ち止まったりしないでよ」
と、柊はぶつけた鼻を手で押さえながら涙目で麗を見上げる。が、麗はそんな柊に、返事を返してはくれなかった。
「……麗君?」
何かがおかしいと感じ取り、自分よりもずっと背が高い麗の横から玄関先を覗き込んだ。
「……姉さん?」
二人の視線の先には、さっきまで外で一緒に話していた人とは思えないような、いつもとは別人の優花の姿があった。
優花は玄関先で座り込んだまま、憔悴しきっている。二人が見えているのかどうかすらはっきりしないような表情で、呆けている。
「優花ねぇ……!」
柊は思わず優花に駆け寄った。
「どうしたの?何があったの?」
柊がどんなに揺さぶっても、何を聞いても反応がない。
「緑ちゃんと何かあったの?」
優花はその質問にようやく力ない反応を示した。
「……あら、柊。どうしたの?」
「どうしたのはこっちの台詞だよ!こんなに力ない、魂の抜けたような、いたって普通な優花ねぇ初めて見るよ!」
と、柊は自分の言っている事がハチャメチャである事に気づいていない。
「柊……何言ってんの?」
後ろで首をかしげる麗の言葉も、まったく耳にはいってこなかった。
「緑にね、別れようって切りだしたの」
「えぇ!?」
どうしてそんな状況になったのかがまったくわからない柊としては、ただ驚く事しかできない。
優花の方を見ると、ただ呆然としたまま淡々と話している。その光景のほうが、柊には怖く感じる。
「……これだけ長く付き合ってきたんだもの。私が何を考えてそう言っているのか、全てお見通しだって顔して、何も言わずに出て行ったわ」
その言葉を、柊と麗はあんぐりと口を開けたまま聞いている。
「……別れようって言ったの?緑ちゃんに?……何で?」
柊はなんとか優花の言った事を理解しようと頭をフル回転させている。けれども優花はと言えば、柊の質問にただうんと頷くだけだ。
「うんって――。それじゃわかんないよ、優花ねぇ……」
「うん……」
優花は俯いたままそれだけを繰り返し、何を聞いてもそれ以上話そうとはしなかった。
「優花ねぇ……?」
柊はやはり状況がつかめないままおろおろすることしかできなかった。
どうして別れたの?あんなに仲が良かったのに。あんなに笑ってたのに。……あんなに、幸せそうだったのに……。
原因を見つけようにも優花は何も答えず、今までの二人の記憶を思い起こしても、楽しそうに笑っている光景しか頭に浮かばない。
「姉さん、兎に角自分の部屋に戻ろう?ここにじっとしてても、何も変わらないよ。取りあえず、上にあがろうよ」
優花の腕を優しく引きながら、麗は姉を促した。
その動きに吊られてゆっくりと立ち上がった優花は、麗に支えられながら、自分の部屋へと歩き始める。
柊も、取りあえずその場はそれに続いた。
「……それで、姉さんはどうして真咲先輩と別れようなんて思ったの?」
三人で優花の部屋に入り優花をベッドに促がして座らせると、一度部屋から出て行った麗が三人分のカップを持って戻ってきて、もう一度聞いた。カップの中身は、温かいホットココアだった。
優花は差しだされたココアをゆっくりと口に含み、ホッとしたように息をついた。そしてようやく普段のように微笑み、話し始めた。
「……緑ね、私といると、安心するんだって」
「……んぇ?」
優花の返答に戸惑ったのか、麗は素っ頓狂な声を出して首をかしげている。けれどもそんな麗に構わず優花は話し続ける。
「私ね、そう言ってもらえた時、凄く嬉しかったの。でも、少ししてその違和感に気づいちゃって……。良く考えてみたの。安心するって、どういう事なんだろうって。違うんじゃないかって……。考えてみて?恋をするって、安心するものなの?」
優花のその問いに、柊と麗は固まった。
柊にとって恋とは、困難なものでしかない。その中に安心など、まったく感じた事などなかった。
「違うでしょう?だって、恋愛って、もっとわくわくしたり、そわそわしたりするものなんじゃないの?安心なんて、そんな簡単にできないわよ。少なくとも、私はそうだった」
そう言う優花の手は、震えていた。力いっぱい自分のスカートの裾を掴んで、血が止まるんじゃないかと思うほど、握りしめていた。