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柊はただぼうっと、あたりを見回していた。
いつもの通りを通って、毎日通っている病院を通り過ぎて、もう少し行った坂の上の丘で、小さな自分たちの町を見下ろしていた。そこはちょっとした高台になっていて、ちょうど柊の首の高さほどある緑色のフェンスのからは、ミニチュアほどに小さい町が見下ろせる、地元の人のみぞ知る穴場だった。自分以外に人はいない。
柊は一年前から何かある度、ここに来ては町を見下ろしていた。息を切らして上った坂の上にあるからこそ、ここに来たくなるのかもしれない。後悔してもしきれないほど、柊は悩み続けて来たのだ。どんなにこれまでの選択を間違っていないと自分で自分に言い聞かせても、楽にはなれなかった。鉛のように重い胸の内を、ここだけは寛大に受け入れてくれるような気がするからこそ坂を必死に柊は上る。それでも、上りきった充実感以外には何もなくて、自分を支えてくれる人なんて誰もいないのだという真実をつきつけられてしまう度に、溢れる涙を抑えきれなかった。自分は一人なのだと実感させられるこの場所が、大好きで、大嫌いだった。
冷たい風が吹く中、柊の短い髪がさらさらとなびく。先ほどから何度もケータイがなっている事に、柊は気づいていた。けれど、柊はその電話を取ることが出来なかった。今の自分を、誰にも知ってほしくはなかった。こんなにもボロボロな自分が恥ずかしかったのだ。けれどそれでも、柊の意思に関係なくその電話は鳴り続ける。柊は一息ついてから、諦めてその電話に出た。
「……もしもし」
『柊?今何してるの?何処に居るの……?何度鳴らしても出ないんだもの……。今すぐ病院に来れるかしら?麗が目を覚ましたのよ。すぐに来てほしいの』
優花は柊が電話に出た瞬間、発砲された弾丸のように止まることなく話し続けた。柊が口をはさむ隙などなかった。それよりも、柊は麗が目を覚ましたという事実に驚き、思わず手からケータイを滑り落としてしまっていた。ケータイがカラカラと足元で転がる。
『柊?柊――?どうしたの、柊?』
そのケータイの向こう側で優花は話し続けていた。
それをよそに、柊はフラフラとおぼつかない足取りでフェンスを背に寄りかかった。その衝撃に、少しさびれたフェンスがガシャガシャとうるさく音をたてる。
また……また私は選択を間違えてしまったの……?今度は麗君の……大事な時だったのに……。
柊は今度こそ、その場に泣き崩れた。少しも声を出すことは出来なかった。ただ、静かに泣き続ける。
私は……何のために毎日麗君の所に通っていたの?
思わず手にしていたデンファレを、地面に叩きつけた。その白い花弁は、力を失ってしまったかのように重い首をもたげてしおれていた。
何がお似合いの二人よ……魅惑よ……有能よ!また私は麗君の大事な時に傍に居る事が出来なかったくせに……。これじゃあ私一人だけがただ我が儘なだけじゃない……。
あたりはもうすでに薄暗くなってきていた。雲ひとつない空には、我先にと星たちがいち早く輝き始めている。そんな中、柊は一人、その場で泣き続けた。誰にも知られることもないのに、その声を押し殺したまま――。




