36 side:hiragi・makoto
翌日の昼休み、柊は気まずそうに誠の席の前に立っていた。
色と明には、早めにお弁当を済ませると、ちょっと麗君のお使いがあると言って逃げてきてしまっていた。それなのに、会いたいはずの人が教室にはいない。
「……どうしたんだ?」
途方に暮れる柊に声をかけて来たのは翔だった。
「……青柳君、知らない?」
「あぁ、部室に忘れ物したって、慌てて取りに戻ったけど」
「そう――」
と、柊はそう言って麗も言わずに俯いたまま教室を出て行った。
「……なんだ?」
そんな柊を見て、翔はよく分からないまま柊の後姿を見送ることとなった。
いっぽう柊は、サッカー部の部室へと足を速めていた。
ったく、どうして肝心な時に居ないのよ。
妙な苛立ちが、体中を駆け巡る。危うく人にぶつかりそうになっても、全く気づかないくらい周りを見る余裕もない。
そしてその勢いのまま、サッカー部の部室前に着くと、乱暴にそのドアをノックした。けれども中からは何の応答も無い。
「青柳君、いるの?」
と、また居ないのではないかと不安になった柊は、もう一度、今度は丁寧にノックする。
「青柳君?」
と、その時、
「……何だよ」
目の前の扉が急に開き、中から少し不機嫌そうな顔をした誠が出て来た。
「今、一人?」
「あぁ……」
「中、入っても良い?」
「……何で?」
「え――?」
「何で中に入る必要があるんだ?」
と、誠は柊を疑うような目つきで見ている。
「話したいことがあるの……」
あれだけ睨みつけた割には、柊のその一言で誠はあっさりと柊を部室の中に入れてくれた。
「で、話って――?」
誠はつまらなさそうにそう言って腕を組むと壁にもたれかかる。
男子更衣室独特の汗臭いにおいのする、何だか薄暗いそこに、柊は眉を寄せながらも辺りをきょろきょろと見まわし、口を開いた。
「……明日、私と一緒に麗君の所に行ってほしいの」
「……はぁ?」
柊のその言葉に、意味がわからないといったように誠は眉根を寄せた。
「麗君が、来てほしいって……」
「……何で?」
「な、何でって……」
柊は戸惑う。それもそのはずだ。柊にでさえどうして麗が誠を呼び出すのかがわからなかった。麗はそれに関して何も言っていなかった。そして、柊自身も聞いていなかったからだ。
「わ、わからない……。私も、聞いてないの」
「……そこに、お前の気持ちはあるのか?」
「…え?」
今度は柊が誠の聞いている質問の意味を理解できなかった。
「お前は、来てほしいと思ってるのか?」
「……私は、麗君の望みをかなえたい。」
そう言って、柊は真剣な瞳で誠を見つめ返す。
「……そうか」
誠はそれ以上何も言わない。何とも言えない沈黙が、柊には耐えられなかった。思わず、何か悪いことをしたわけでも無いのに俯いてしまう。
「き、来てくれるの?」
蚊の泣くような声で、柊はおずおずと顔を上げた。
そんな柊が見上げた視線の先には、誠のなんだか思いつめたような、辛そうな顔があった。その表情に、柊も思わず胸が痛む。体中の血が熱くなり、立っていられなくなるくらい、足が震えた。
本当は、あの告白の時以来、一切話す機会もなかった。教室が一緒とはいえ、同じ班であるわけじゃないし、接点なんて、自分で作ろうとしない限りないのだ。それなのに、そんな事すべてすっ飛ばして、いきなり二人で会うだけじゃなく、話までしなくてはならない。それがこんなにも緊張するものだとは、予想もしていなかった。それでも、柊は声を絞り出そうとする。
「お前、残酷だよな」
「え……?」
そんな中での突然の誠の発言に、柊は一瞬ぽかんとした表情で顔を見返してしまった。
「俺があれだけ真剣にお前の事が好きだって言ったのに、お前は簡単に、俺のその気持ちを利用して自分の彼氏に会ってほしいって懇願してくる。それがどんなに俺にとってつらいか、お前にわかるか?」
誠は、今にも叫び出しそうな自分を必死に堪えていた。
「なっ――!」
「サイッテーだよ、お前」
と、そう言って誠は苦しそうに微笑を浮かべる。
「わ、私だって麗君のお願いじゃなきゃ……」
「それがもっと残酷だっつってんだよ!」
刹那、麗は柊の腕を掴むと、その勢いで扉の横の壁に押しやった。手加減も無く押しやられ、ぶつけた背中に鈍い痛みを覚えるのか、柊が少し咳き込む。
「ちょっ――!」
「行くわけねえだろ?お前の頼みなら、なおさらな」
誠は至近距離で顔を近付けたまま、ものすごい形相で柊を睨みつける。
が、あっさりと柊から離れ、ドアノブに手をかけた。けれどもその手を、柊は慌てて両手で握り込んで止めてきた。
「……どうしたら来てくれるの?」
「はっ、どうやっても来ねぇよ」
「……お願い……」
柊の手は震えていた。誠に、その分だけ柊の緊張が伝わってくる。
そんな柊を、誠は思わず愛しいと思ってしまう。そしてそんな自分自身に、嫌気がさした。
誠が苛立ち紛れに蹴ったドアが、ガンっと鈍い音をたて、その一挙一動に、柊の肩が震える。
「……お前って、ホンっとにバカ正直だよな」
と、誠は観念した様にため息を吐いてその場に座り込む。
「え――?」
「普通自分を好きだって言ってる男に言うこと聞いてほしい時は、色仕掛け使えばイチコロなんだよ。なのに、お前はそれを使わずに真正面からぶつかってきやが――」
刹那、急に誠の言葉が途切れる。柊が身を乗り出して、誠と唇を重ねたのだ。柊の唇は、とても甘くて柔らかかった。そしてそれは、一瞬と言うにはとても長すぎた。
「……お前……」
ようやく口がきけるようになった誠は、呆然と柊を見やる。
「……絶対に来てね」
と、柊はそれだけ言い残すと、部室を後にした。
……サイテーなのは俺か……。
誠は思わず笑い出していた。そしてそのまま床に寝転がる。
部室の中に、誠の悲しい笑い声がこだましていた。
「ははっ……は……。バカじゃねえの……俺」
誠の頬を、いくつもの涙が流れ落ちる。
「うっ……」
苦しかった……悲しかった……。気持ちが彼女に伝わらない事が……彼女の気持ちがわからない事が……。悔しかった……。
「……何考えてんだ、あいつ……」
誠には意味がわからないのだ――。ホントに……。麗の望みを叶えたいと言ったその口で、誠にキスをした。どうしてそんな事をするのか……出来るのか?考え付く答えはどれも、自分に都合のいいものばかりで、本当の答えとはどうしても思えない。けれどそれ以外の答えもまた、思いつく事が出来ないのだ。
……惚れたものの弱み……か?
誠は一人、首をかしげる。
とりあえず、明日の事が悔しくてたまらなかった。このままいけば、自分は柊の思い通りに動く事になるだろう――。けれどそれが苦しくて、耐えられなかった……。このまま、柊の思い通りには動きたくなかった。
誠はその日一日、部活にも勉強にも身が入らず、一人、考え続けていた――。
自分と……柊のことを――。




