33 side:mei
最後のほうに少しだけ麗に描写が変わります。
麗の手術予定日まで後三日。気づけば麗が最初に倒れてからずいぶんと時間がたっていた。
そんな中、明は一人、麗の病室を訪れていた。柊と色にはもちろん話していない。この日は一人で麗と話したかったのだ。明は病室のドアの前で立ち止まると、大きく深呼吸をしてノックをした。
「はい」
中からは入院する前と全く変わらない麗の声がする。それだけで、明は心満たされる。
「失礼します」
明はゆっくりとドアを開けると柊や色にもめったに見せないような笑顔を麗に見せた。
「こんにちは、麗先輩。これ、お見舞いです」
と、明は小さな花束を渡す。
「明ちゃん。久しぶりだね、ありがとう。どこに置こうかな……?」
麗はあたりをきょろきょろ見回した後、諦めたように取り敢えず隣にある小さな冷蔵庫の上に花束を置いて明に向き直った。
「ずいぶん見ないうちに何だか女らしくなってるね」
「そりゃあ、日々成長してますもん。私もう中学三年生なんですよ?」
「うん、知ってる。でも柊はあんまり変わってないよね」
と、そう言いながらも麗はしぐさで自分の隣に置いてある椅子に座るように明をうながした。
「それは麗先輩がほとんど毎日柊と一緒にいるせいですよ」
明は素直に椅子に座りながらも答える。
「柊だって、同じくらい成長してるんですよ?ちゃんと同年代や下級生の男の子たちに陰のファンくらいいるんですから」
そこで下級生と来るのが柊らしいと言えば、柊らしいのだろう。明は思わずそっと笑ってしまう。
「え――、そうなの?」
「そうですよ」
少し驚いて困ったような顔をする麗を見て、明はクスクスと笑う。
「柊は美人だから。でも、麗先輩というカッコいい彼氏がいるから、今のところ柊にアタックしようなんて馬鹿な男はいないけど――」
「そう……なの?」
「そうですよ。もっと自分に自信持ってくださいよ?柊だって麗先輩を信じるって決意してるんですから。麗先輩が先に折れちゃだめです」
と、拗ねたようにそっぽを向く明を見て、麗は笑っていた。
「激励に来てくれたの?」
「……三日後、手術だって聞いたから」
と、明の顔が曇る。その視線は逸らしたまま、決して麗を見ようとはしない。
「うん……」
「柊を、泣かせないでくださいよ?」
「鋭意、努力してみるよ」
と、麗はまだ笑っている。
そんな麗に、明は思わず目線を戻してしまった。
「……知ってました?麗先輩。柊は麗先輩のことが大好きなんですよ」
明が、今度は真剣な表情で麗を見つめる。
「……うん、知ってるよ」
「……知ってました?麗先輩。私は麗先輩のことが大好きなんですよ」
明のその言葉に、麗は何も言い返せなかった。ただ、明から目を反らす事が出来ない。
明は変わらず、真剣な表情のまま麗を見ている。
頬に、一筋の涙を流しながら――。
「……知ってました?麗先輩。麗先輩は柊のことが大好きなんですよ」
明はそのまま話し続ける。
「……知ってました?麗先輩。青柳君は、柊のことが大好きなんですよ」
学校帰りに寄ったため、あたりはもう薄暗くなろうとしていた。赤い日差しが容赦なく二人の肌を朱に染め上げる。そして、二人の影をゆっくりと時間をかけて長く伸ばしていく。
「……知ってました?麗先輩。柊はそれでも麗先輩を選んだんですよ」
「明ちゃん……」
「知ってました?麗先輩。麗先輩は思ってるほど一人じゃないんです」
そこで明は唇を止めた。ボロボロと涙を流しながら、制服のスカートを両手で握りしめる。その姿はとても愛らしくて美しいと麗は思った。
「ごめんなさい……」
明は震える声でそう呟く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
顔をくしゃくしゃにして、それでも麗から視線を外そうとはしない。
「どうして謝るの――?」
「大事な時なのに……安静にしておかなくちゃいけないときなのに……こんなこと――」
「こんなことじゃないよ」
と、麗は優しく言った。
「こんなことじゃない」
明の視線の先には、困ったように笑う麗がいた。
「大切な事だったんでしょ?俺もそう思う。でも……ごめんね……」
麗は本当に申し訳なさそうにしている。
「俺は柊のこと……」
「わかってます」
麗の言葉を遮り、明も、負けたように笑っている。
「でも、伝えたかったんです」
「柊は知ってるの?そのこと……」
「いいえ。ここにきていることも多分知らないと思います」
「たぶん?」
「柊は感がいいから」
と、明はそう言って悪戯っぽく笑うと、スッと姿勢よく椅子から立ち上がる。
「それじゃあ私はこれで……」
「大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。あんまり心配しないでください。わたし、小学生の子供じゃないんですから」
明はそう言いながらも困ったようにクスクス笑う。
「うん。お見舞いありがとう、激励もね」
「いいえ。それじゃあ……」
「うん」
明は病室を出ようとドアノブに手を伸ばした。けれど明はもう一度麗の方に振り返ると、入って来たときと同じような笑顔で麗を見た。
「麗先輩。信じてるのは、柊だけじゃないんですからね?」
「え――?」
「私も信じてます。麗先輩がきっと帰って来てくれるって。ずっと……ずっと、待ってます」
「うん……ありがとう」
麗のその答えに明はにっこり微笑んだ後、静かに病室を出て行った。
麗だけになった病室には、夕方特有の赤く淡い光に包みこまれている。その色に、儚さに、静けさに、心が締め付けられるようだった。
「……ごめんね」
誰もいないその部屋で、麗はそっと呟いた。心からそう思うからこそ、簡単には答えられなかった。
どれだけの想いが、そこにはあったんだろう。明の目を見ていると、自分は知らないうちに、多くの人を悲しませていたのではないだろうかという錯覚に陥ってしまう。それだけ、彼女の思いの深さが伝わってきた。
あの手を取ることはできないけれど、幸せを願うことはできる。安っぽいと思われるかもしれないけれど、今の麗には本当にそれだけしかできないから――。
麗は、心から明の幸せを願った。
麗の病室から出てしばらく歩いた後、家への帰り道の途中で明は崩れるようにしてその場に座り込んだ。
あたりはすでにもう薄暗く、道には人の影すらも無い。今にも切れそうな街灯が、その薄明りでチカチカと明を照らす。その声は、誰にも届かない。抑え込むような泣き声――。
自分の精一杯を伝えた。それを、麗は真面目に返してくれた……。それだけで、もう他には何も言う事はなかった。その涙は、柊への、色への、そして麗への感謝だった。
ありがとう……ありがとう――。何も聞かずにいてくれて……何も、疑問に思ってくれなくて……。そして、すべてを聞いてくれて……。
その日の押し殺すような明の鳴き声が、誰かに聞かれることはなかった。
明はただ、気の治まるまでそこで泣き続けた。
自分自身のこれからのために――。




