31
「優花ねえ!」
柊が優花に携帯で伝えられた場所は近くの市立病院で、慌てて病院に駆け込んだとき、優花はケータイを手に握りしめたまま手術室の前に立ち竦んでいた。
「ひ、柊――」
「おじさんたちは?連絡したの?」
「ええ……。でもすぐには来られないみたい。会社はもう出ているのだけど、道が混んでるらしくて――」
「おばさんも一緒なの?」
優花は何も言わずにうなずいた。目は充血して肩はガクガクと震えている。
「お、落ち着いて、優花ねえ……」
そう言う柊も、手に汗を握って顔がこわばっていた。と、その時、手術室の点灯ランプが消えて中から医師と思われる人が出て来た。
「せ、先生!麗は……麗は!」
優花はすぐさま医師に駆け寄った。柊もその後を追って詰め寄る。
「取りあえず、一命は取り留めました」
「――優花ねえ!」
医師のその一言に、優花はいきなり柊の前に崩れ落ちた。
「……良かった……良かった!」
「優花ねえ……」
柊は優しく優花の肩を抱く。
「ところでご両親はいらっしゃいますか?少しお話があるんですが……」
「あ……両親は今」
「ここにいます」
優花が答えようとした時、今まさに病院に着いた笈川両親が不安顔で医師に近づく。と、その時、麗が手術室から出て来た。
「麗!」
「今はまだ麻酔で眠っています。取りあえず、ご両親はこちらに……」
と、医師は笈川両親を連れて奥に引っ込んで行った。
柊と優花は、病室で麗の目が覚めるのを待つことにした。病室はシンとしていて、あまりにも綺麗すぎていた。その綺麗さが、柊は逆に落ちつかない。
「優花ねえ、麗君、どうしたの?」
柊はただ麗が倒れて今病院にいるとしか電話で聞いていなかった。詳しいことは何も分からず、ただ急いで麗のもとに行くことしか考えていなかったため、原因が何なのかも聞いていなかったことを思い出す。
「わからないの。私が家に帰ると、麗がキッチンに倒れてたんだもの。慌てて駆け寄ったんだけど、どれだけ声をかけても何の反応もしてくれなくて……。不安になって救急車を呼んだの。気が動転していて、とりあえず柊に連絡したのよ。それから両親に連絡してないのを思い出して……」
優花が連絡の順番を間違えるなんて、よっぽどのことだった。普通は弟の彼女よりもまず両親に連絡するのが優花なのに、それよりも先ほどまで会っていたからという理由で、柊に連絡したのだ。
「でも、とりあえず一命を取り留めたって先生も……」
「とりあえず、でしょう。まだ何かあるのよ。とても……とても嫌な予感がするの――」
目を空けない麗の隣に座る優花は、麗の手を握りしめたまま絶対に放そうとはしない。その隣に居る柊も、麗の顔を食い入るように見つめたまま、それ以上何も言う事はなかった。
「優花……」
それからどのくらいたったのか、笈川両親が静かに病室に入って来た。心なしか、深刻な面持ちだ。
「お母さん!先生は何て――?」
優花が立ち上がって両親に駆け寄ろうとした時――。
「……ん――」
と、ベッドから声がした。その場にいた誰もが目を見張る。
「……柊」
優花がその場を離れていたため、麗が起きた時に一番近くに……一番最初に目にした人物は柊だった。
「麗君……」
柊は泣きそうな顔で麗を見つめる。
「どうして……そんなに泣きそうな顔してるの……?」
麗はゆっくりとした動作で柊の頬にそっと触れる。
「まだ起きちゃだめだよ!それに、私だけじゃないんだよ」
柊は優花たちのいるドア近くを見上げた。麗もその視線の先を追う。
「父さん……?母さんまで。どうしたの?」
「どうしたのって……」
笈川両親は戸惑っている。まさか今、麗が目覚めるとは思っていなかったのだろう。柊自身、もう少し麻酔が効いたままの状態でいると思っていた。
「麗、倒れたのよ。……覚えてないの?」
優花はおぼつかない足取りで麗に歩み寄った。
「倒れた……俺が?どうして?」
「それは……」
と、優花は両親の方を振り返る。
「麗、起きたばかりで申し訳ないんだけれど、大事な話なの。……真剣に聞いてくれる?」
と、麗の母、楓は泣きそうな顔で麗を見つめる。実際に泣いていたのだろう、目がすでに赤く、はれぼったくなっている。
「……何?」
「わ、私、出て行きますね」
慌てて柊は立ち上がり、その場をあとにしようとした。
「いいえ、柊ちゃん。あなたにもいてほしいの」
「え……?どうしてですか」
「麗が、あなたと離れる事を望んでいないからよ。それに、いずれ知ることになるのだから今も後も一緒でしょう?」
柊は何も言えなかった。ただ、黙って今まで座っていた椅子に座りなおす。
「麗、お前の頭の中には、血腫があるんだ」
麗の父、春陽は真剣な瞳で麗を見つめている。
「けっしゅ……?」
麗はいまいちわからないといった様に首を傾げる。
「血の塊のようなものだよ。それが脳を圧迫して倒れたんだ」
「……それはもう取り除けたの?」
優花は心配そうに胸の前に手をかさねて聞いた。
「いや……。それがとても難しいところにあるんだそうだ。麗……成功確率は五十%。例えそれが成功したとしても、何らかの後遺症が現れるだろうって……」
「後遺症……?」
「もしかしたら、もう二度とサッカーが出来ない体になる」
春陽のその言葉に、麗も柊も、優花もその場に凍りついた。
「サッカーが……二度とできない?」
「あぁ」
「そんな……!」
柊は思わず立ち上がって抗議する。
「でも、手術しない限り何度でも今日みたいに倒れる。いや、倒れるだけでは済まないんだ。麗……命を落とすかも知れないんだよ」
春陽の隣で楓はこらえきれないように自分の着ているワンピースの裾を手が白くなるほど握りしめている。そんな楓の肩を、春陽は優しく支える。
「……麗、俺たちは可能性に賭けたい。お前を……死なせるわけにはいかないんだ」
どうしても麗を死なせたくないといった二人の想いが、その表情を通してひしひしと伝わってくる。
「……俺は、負けたりしないよ」
麗は柊がびっくりするほど柔らかく笑っていた。その表情に、両親も目を丸くして驚いている。
「俺は負けない。絶対に、生き残ってみせるよ」
「麗君……」
「柊……」
麗はぎこちない動きでなんとか少し起き上がると、優しく柊の頬をつたう雫に触れて見つめ合う。
「手術を……受けてくれるのか?」
そんな二人を見ながらも、春陽は真剣な顔で麗に問いかける。
「うん。俺は死んだりしない。サッカーだって、簡単には捨てたりしないよ」
「麗、後遺症が残るかもしれないのよ?」
楓は目に涙をためて麗を見つめる。
「うん、わかってる」
「……覚悟は出来ているのね?」
それまで黙りこんでいた優花が、鋭い目で麗を睨みつけた。けれど麗は相も変わらず柊だけを見つめ続けている。
「出来てるよ――」
その瞬間、楓も、優花までもが涙を流した。
「柊……」
麗は柊の手を掴むと、真剣な表情で見つめてきた。
「信じていてくれる?俺が絶対に戻ってくるって……」
「……うん、信じてるよ。絶対に戻ってくるって、信じてる」
柊は泣きながら見つめ返しそう言うと、麗は安心したように淋しく微笑み、疲れていたのか柊の手を握ったままもう一度眠りについてしまった。
「柊……いいの?」
「何が?」
「麗を選ぶことになるのよ……?あなたは夕方、青柳君と麗、どちらを選ぶつもりだったの――?」
あれだけ悩んで出した答えだった。それは、優花にもまだ伝えていなかった想い。
「……どっちでもよかったの」
と、柊は苦い顔をして笑う。
「ホントは比べること自体嫌だった。でも、よく考えてみると、答えは決まってたんだ」
「……誰なの?」
優花がそう問いかけると、柊は優花を見上げて笑ったまま答えようとはしなかった。
心はもう、決まってたんだよ……麗君。
柊のその選択に迷いはなかった。自分を信じていたからだ。
麗君の事も信じてるからね――。
だから、負けないで……。
必ず、生きて帰ってきてね?
注)病気等に関しましては作者の浅知恵程度でしかありません。
また、このような間面により気分を悪くさせてしまったりなどされた方々に、深く謝罪をさせていただきます。




