27 side:makoto
翌朝、誠が目を覚ますと、隣では寝ぞうの悪い翔が気持ちよさそうに寝息をたてていた。タオルケットから足が飛び出し、大口を開けてソファに身を預けている。
――どういう状況だ?
誠はどうして翔が自分の隣で寝ているのかを必死で思いだそうとした――。その時、今度は翔とは反対側の自分の隣で、麗が寝ている事に気がついた。
……な、何だ?どうして男三人で川の字になって寝てるんだ――?しかもソファなんかで……。
誠はわけがわからない。
「あら、誠君、目が覚めたの?」
と、優花が呑気な声で三人のいるリビングへと入って来た。
「……優花先輩?」
「……まだ寝惚けてるのね?さっさと顔洗ってきなさい」
「……はぁ……」
ここ、俺の家だよな……。などと考えながらも、取りあえず誠は優花の言う事を聞く事にした。
顔を洗い終わると、歯をみがき始める。――そして、だんだん思いだしてきた。昨日の夜、帰ろうとした柊を優花と麗が引きとめたのだ。明日は――もうすでに今日だが――休みなのだから、せっかくなら泊って行こうと、優花が言いだした。そして、それに麗はあっさり同意したのだ。それは流石にダメだろうと帰ろうとした柊を、二人はなかば強引に引きとめ、結局今に至る、というわけだ。
「……誠君、おはよう」
「あ、あぁ――、おはよう」
誠がキッチンに戻ると、柊は朝食の準備をしながらおずおずと誠に頭を下げる。
「ごめんね、お部屋借りちゃって――」
昨晩は流石に、女の子に雑魚寝をさせるわけにはいかないという男性陣の意見で、誠は自分の部屋を優花と柊に貸してあげたのだ。そして、男どもはリビングのソファで川の字、というわけだ――。
「いや、いいよ。うちのソファ、背もたれ倒せるやつだし、倒せば普通に大きめのベットになるから」
「でも、流石に三人は狭かったんじゃ――」
「とても苦しそうに寝てたわね、三人とも」
と、優花はクスクスと笑っている。
「笑わないでよ、姉さん。ホントに苦しかったんだから……」
「麗君、起きたの?」
「うん。おはよう、柊」
と、麗はぼさぼさの頭のまま柊に笑顔を見せる。
「早く顔洗ってきなさいな」
優花はあきれ顔で麗を促がす。
「うん」
麗がリビングを出て行ったところで、優花は腰に手をあてて眉根を寄せてソファのほうを睨んだ。
「さて――。そこにいるバカはまだ起きないつもりかしら?早くしないと柊の朝食食べられなくなるわよ?」
「優花ねえ……。青柳君、翔君起こしてくれる?」
「あ、あぁ……」
と、誠は素直に翔を起こしに行った。
「おい、翔、そろそろ起きろよ!朝飯食いっぱぐれるぞ!」
誠はそう言いながらも容赦なく翔をバシバシと叩く。
「あら、そんなに強く叩いてもいいの?」
「ええ。こうしないとこいつ、起きないんですよ。相当低血圧で……」
と、誠は説明しながら翔の首元をひっつかんで前後にぶんぶん振り回す。
「ほら、いつまで寝てんだよ!いい加減にしろ!」
と、ついには投げ飛ばした。
「――痛って……」
翔はようやく投げられたときにぶつけたのであろう頭をさすりながら起きて来る。
「ったく、どんだけ低血圧なのよ。あれだけやられても起きない人、私、初めて見たわ」
と、優花は違うところで感心している。
「俺だってどうにかしたいんすよ。修学旅行の度に部屋が違ってもこいつがどつきにくるんですから」
「え、来るの?わざわざ?」
「だって苦情が俺のとこに来るんですよ。毎回毎回――。俺のせいじゃないのに……」
誠は呆れたようにため息をついている。
「大変ね……」
優花は心底、誠に同情していた。
「さ、できたよ、みんな!」
と、そこで柊がキッチンから顔を出した。
嬉しそうにトレイをもってリビングの机まで運んでくる。
「おいしそうな匂いだね」
「うん。ちょっと頑張っちゃった」
いつの間に戻って来たのであろうか、麗が微笑みながら後ろから覗き込んでいると、柊は得意げに言う。
「麗君、運ぶの手伝ってくれる?」
「お安いご用」
二人はせっせと楽しそうに机に朝食を並べはじめた。
「これ食べたら、取りあえず今日はお暇しましょうか。流石に私だって、これ以上はわがまま言えないわ」
優花はと言えば、人数分のコップにお茶を入れている。
「今日は和食なんだ?」
翔が柊の上から声をかけて来た。
「うん。私、朝はご飯のほうが落ち着くから。パンのほうが良かった?」
「いや、俺もご飯のほうがいい」
と、さっさと顔を洗って戻って来た翔は、席についてにやりと笑う。
「良かった」
「柊、この後どうするの?」
ようやく全員そろって食べ始めたころ、優花は朝食を口にしながら聞いた。
「この後?何もないよ?」
「あら、そうなの?」
「うん。でも、少し家でゆっくりしたいな」
と、柊はお茶を手にして笑う。
「姉さんはバイト?」
「えぇ。働けるときに働いておかないといけないもの」
「俺らは今から部活なんだよね」
「そうなの?」
と、柊はびっくりした様に目を丸くして翔を見た。
「あぁ。昼からだけど」
「大変ねぇ――」
と、優花はあまり気にしていないように聞いた。
「じゃあ二人ともそろそろ帰らないといけないんじゃない?」
「うん。だから、これ食べ終わったら帰るよ」
「俺も、そろそろ帰る」
と、五人はそう言ってさっさと朝食を済ませると、簡単に片づけをしてからもう一度玄関に集まった。
「お邪魔しました」
と、柊が丁寧に頭を下げて麗と優花の二人と帰ろうとした時、誠が麗を呼び止めた。
「麗先輩。」
「――ん?どうした?」
「ちょっとだけ麗先輩にお話があるんですけど……。もう少し、いいですか?」
と、誠はためらいがちに麗を見つめる。
「――あぁ」
麗はよくわからないまま、翔と共に誠の家に残った。
ソファで三人、向き合ったまま一瞬の沈黙が走る。
「……で、何なの?」
と、麗はその沈黙を破って口を開いた。
「――麗先輩は、本気で伊吹の事を大切にしてるから、俺もきちんとしておきたくて」
と、誠は目を泳がせている。
「……よく意味がわからないんだけど?」
麗がそう言って小首を傾げると、誠は意を決した様に麗に向き直って正面から麗を見つめた。
「――俺が本当に好きなのは、伊吹です」
誠の表情は、真剣そのものだった。麗は、誠のその言葉に嘘が無いのだと、すぐにわかった。
「……それで?」
「伊吹が好きなのは、ずっと麗先輩なんだと思ってたから、何も言えなかったんです。でも、もう隠すのはやめにします」
「本気で柊を奪いに来るって事?」
「はい」
誠の瞳からは、その気持ちがどれだけ本気なのかが見てわかる。
「……色ちゃんはどうするの?」
「きちんとけじめをつけてきます。」
「俺に勝てると?」
「可能性は、ゼロじゃありませんから」
と、ここで誠は力なく笑った。
限りなくゼロに近いと言っても、ゼロじゃない。人の気持ちは変わるものだから――。
「……絶対に、諦めません。例えその相手が麗先輩であっても」
「俺だって、そうやすやすと横から奪われるつもりなんてないよ」
「自信があるんですね」
「ねぇよ。――でも、決めるのは柊だ」
「……はい」
ずっと見て来た。嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も、辛い時も……。その度にいつも頭に浮かぶのは、伊吹だった。本当は、ずっと隣に居てほしかった。自分の隣で笑っていてほしかった……。でも、伊吹が笑って隣にいるのはいつも、麗先輩だった――。それが悔しくて、辛かった。いつも胸が張り裂けそうで、居てもたってもいられなくて。一人よりも、二人のほうが楽だったから、色を手放そうとしなかったんだ。でも、もうそれも出来ない。自分の気持ちがわかってしまったから。と言うよりも、立ち向かう勇気が出来たから。これ以上、色を頼るわけにはいかない。恨まれても、憎まれても、俺は伊吹を手に入れたい。伊吹の頭の中を、俺で占領してしまいたい――。
「俺、お前が柊の事が好きだって、なんとなくわかってたんだ」
「え――?」
麗の一言に、誠は目を丸くして驚いた。
「だって、柊を見る目が違ってたから。色ちゃんを見る目とは全然違ってた」
「確かに。お前って、わかりやすいよな」
と、翔も頷く。
「だから、お前が色ちゃんと付き合うことになった時、俺の勘違いなんだって、安心したんだ。……でも違ってた。やっぱりお前は、要注意人物だったってわけだな」
そう言うと、麗はにやりと笑って立ち上がった。
「俺からは何も言わねぇよ。お前は、正々堂々と俺にぶつかって来たんだからな。でも、色ちゃんとの事を先に片づけてからにしろよ?でないと、あの子も、柊だって可哀そうだ」
そう思われること自体、色も柊も嫌がりそうだけど……。
誠はついそう思って苦笑いをしてしまう。
「はい……」
「じゃ、俺も帰るわ」
翔もそう言って立ち上がると、すたすたと玄関のほうへと歩き出す。
「楽しみにしてますよ、お二人の女の取り合いを」
「趣味悪いな、お前」
翔の一言に、麗も苦い顔だ。
「人の不幸は蜜の味ってね。ま、どちらかは幸せになるんだろうけど、どう転んだって、泥沼なのは確定だし」
「的確な表現をありがとう」
麗はこれでもかという笑顔で翔を見る。
「取りあえず、頑張ってくださいよ」
翔はそう言ってさっさと出て行ってしまった。
「じゃ、またあとでな」
と、麗もそれに続いて出ていく。
ここからが、本当のはじまり。でもその前に……。
と、誠はポケットからケータイを取り出した。
「話さないとな」
そう独り言を呟いて、通話ボタンを押す。相手は三回目のコールが鳴り終わるとすぐにでた。
『――もしもし?』
「俺。話したいことがあんだけど、明日あいてる?」
『うん、大丈夫だけど。どうかしたの?』
「明日話すよ。じゃ、取り敢えず、一時に例の喫茶店で」
『……わかった』
「――ありがと」
『……ホントにどうしたの?』
「いや――、じゃあまた明日」
『うん、明日――』
電話はそこで切れた。と言うよりも、切った。本当の修羅場は明日――。誠はケータイを握りしめた。
「……ごめん」
誰に謝るでもなく、誠はそう呟いていた。ただ、自分の携帯を握りしめたまま……。
心はもう決まっている。でも、それでも胸に残るのは、今まで優しく傍に居てくれた彼女への罪悪感――。
それを思うと、誠はとてつもなく気が遠くなるのを感じた。




