婚約破棄ですか? 残念ですが私、最初から殿下の婚約者ではありません ~勘違い逆ハーレムに付きまとわれた悪役令嬢は最強魔導士の妻でした~
「マリアベル・エルバート! 貴様との婚約を破棄する!」
聖アリアーデ魔法皇立学園の大講堂。
きらびやかなシャンデリアの光が降り注ぐ卒業パーティーの最中、壇上で胸を張る第一王子・ルキウスの声が響き渡った。
その隣には、悲劇のヒロインを気取ってうるうると瞳を潤ませている聖女候補、リリアの姿がある。
周囲の貴族生徒たちは「ついにやったか」「ざまぁみろ」と言いたげな、歪んだ好奇の視線を私に投げかけている。
――うん。知ってた。
知ってたよ。だってここ、前世で私が暇つぶしに読んだことのあるネット小説『聖女のきらめきは夜空を舞う』の世界だもんね。
私は生まれた瞬間から前世の記憶がある。自分が異世界に転生したこと、そしてここが乙女ゲームかウェブ小説のような世界であることには、物心ついた時には気づいていた。
原作の「マリアベル」は、ルキウス王子の婚約者として傲慢に振る舞い、純朴なヒロイン・リリアをいじめた挙句、この卒業式で婚約破棄されて一族もろとも破滅する悪役令嬢だ。
でもね。
一つだけ、ものすごく根本的なことを言わせてもらうわ。
「……あの、ルキウス殿下。大変申し上げにくいのですが」
私は扇で口元を隠すことすら忘れ、深いため息を吐き出しながら言った。
「私と殿下は、最初から一秒たりとも婚約などしておりません」
「見苦しいぞマリアベル! そうやっていつも罪を認めず、リリアを虐げて……何だと?」
ルキウス王子が、間抜けに目を見開いた。
周囲の野次馬たちも、一瞬で水を打ったように静まり返る。
ああ、本当に頭が痛い。
この学園での三年間、私は何十回、何百回と「私は王子の婚約者じゃない」と言い続けてきた。それなのに、どいつもこいつも私の話を一切聞かず、自分たちの脳内妄想ストーリーを突っ走ってきたのだ。
これから、私がこの三年間どれほど不条理でウザい「勘違い男たち」に悩まされてきたか、そしてなぜ殿下の婚約者ではないのか、そのすべての真実を説明してあげよう。
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私が公爵家の長女として生まれた時、脳内は完全に日本の成人女性のそれだった。
赤ん坊の体で「おぎゃあ」と泣きながらも、「あ、これ転生モノだ」と察した時のシュールさは今でも忘れない。
成長するにつれ、我がエルバート公爵家が国屈指の魔導名門であり、自分が『聖女のきらめきは夜空を舞う』の悪役令嬢であることを把握した。
原作のマリアベルは、王太子の婚約者という立場に溺れ、平民上がりの聖女ヒロイン・リリアに嫌がらせを繰り返す。
(よし、関わらないようにしよう)
それが私の基本方針だった。王家からの婚約打診が来たら、全力で断る。そもそも、原作のマリアベルが王子に執着したのは、親の教育と彼女自身のプライドのせいだ。前世の精神年齢を持った私からすれば、十代前半のクソガキ王子になど、これっぽっちの魅力も感じない。
実際、私が十歳の頃、王家から「ルキウス王子の婚約者候補に」という打診が正式に来た。
私は父である公爵に、きっぱりと言った。
『お父様、私は王室という籠の鳥になる気はありません。それに、ルキウス殿下とは性格が合いませんわ』
父は元々私を溺愛していたし、公爵家としても王家と無理に結びつく必要はないほど力を持っていたため、『マリアベルが嫌なら断ろう』と、王家への打診を正式に辞退した。王家側も『候補の一人』として声をかけただけだったので、「左様か」とあっさり引き下がった。
そう、ここで「マリアベルと王子の婚約」というルートは完全に消滅したのだ。
しかし、世間は狭く、そして噂話は都合よくねじ曲がる。
「公爵家の令嬢と王子の間で、婚姻に関する話し合いが行われた」という事実だけが一人歩きし、なぜか社交界では「マリアベルは王子の婚約者(内定)」という認識が定着してしまった。
私がどれだけ夜会で「違いますわ、婚約はしておりません」と言っても、周囲の貴族たちは「まぁ、お上手ですこと。まだ正式発表前だから隠してらっしゃるのね」と、生暖かい目で微笑むだけ。
挙句の果てに、ルキウス王子本人までが、周囲から「マリアベル様があなたの将来のお妃様ですよ」と吹き込まれ続けたらしく、私を「自分の婚約者(仮)」として扱うようになった。
『ふん、マリアベル。お前が将来、僕の妻になることは決まっている。だが、あまり調子に乗るなよ』
学園の入学式の日、すれ違いざまにそう囁いてきたルキウス王子に、私は真顔で返したのを覚えている。
『殿下、私の話をよくお聞きください。私はあなたと婚約していませんし、する予定もありません。すでに辞退の書状が王宮に受理されています。ご確認いただけますか?』
『ははっ、照れるな。僕への愛を隠すために、そんな態度を取っているのだろう?』
……こいつ、耳に重篤な疾患でもあるのだろうか?
それとも、王族特有の「全人類が自分を愛している」という認知歪みのせいか?
他人の言葉を自分の都合の良いように変換するフィルターが、彼の脳内には常時展開されているようだった。
そして、この「話を聞かない病」に罹っているのは、王子だけではなかったのだ。
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学園に入学すると、原作のヒロインであるリリアが入学してきた。
彼女は平民でありながら聖属性の魔法が使える特異体質で、特待生として入学。その純朴さと庇護欲をそそる態度で、瞬く間に学園の権力者たちの心を掴んでいった。
それはいい。勝手に恋愛シミュレーションをやってくれ。
問題は、なぜか私に群がってきた、通称「逆ハーレム候補」の男たちだ。
彼らは私を「王子の婚約者という立場に縛られ、愛のない結婚に絶望し、本当の自分を見失っている悲劇の悪役令嬢」だと勝手に定義した。
そして、「自分だけは君の理解者だよ」風な、激しくウザいアプローチを仕掛けてきたのだ。
勘違いその1:宰相の息子・インテリ眼鏡のレイノルド
ある日、私が図書室で魔導書の解読をしていた時のことだ。
突然、影が差したと思ったら、学園の生徒副会長であり、宰相の息子であるレイノルドが私の前の席に座った。彼は眼鏡のブリッジを指でクイッと上げながら、哀れみのこもった視線を向けてきた。
「マリアベル様。無理をしなくてもいいんですよ」
「……は? 何のことでしょうか」
私は純粋に、古代ルーン文字の文法について考えていただけだ。
「ルキウス殿下との政略結婚……。公爵家のために、自分の心を殺して従う。君ほどの聡明な女性が、あのような我が儘な王子に尽くさねばならない不条理、僕にはよく分かります」
「いえ、ですから、私は殿下と婚約して――」
「言わなくていい」
レイノルドは私の言葉を遮り、優しく私の手に自分の手を重ねてきた。ゾワッと鳥肌が立つ。
「君の立場上、それを否定せざるを得ないのは分かっている。だが、僕の前では強がらなくていいんだ。僕なら、君のその孤独な心を癒やしてあげられる。王子の目を盗んで、僕の胸で泣けばいい」
「手を離してください。非常に不愉快です。あと、私は強がっていません。日本語……じゃなくて、大陸共通語が理解できませんか? 婚約していないと言っているのです」
「ふっ、頑なだね。だが、そういうプライドの高い君も嫌いじゃない。僕が君を、その呪縛から救い出してあげるからね」
そう言って、彼は満足げな笑みを浮かべて去っていった。
……なんなの? 難聴なの? それとも精神障害?
私が言った「婚約していない」という言葉が、どうして「私を救って」に変換されるのか、現代科学の粋を集めても解明できないレベルの怪奇現象だった。
勘違いその2:騎士団長の息子・熱血脳筋のガイル
またある日は、中庭の木陰で涼んでいると、学園の剣術特待生であるガイルが、汗を飛び散らせながら木刀を持って現れた。
「マリアベル! 今日も一人でそんな寂しそうな顔をして!」
「ただ涼んでいるだけですが」
「隠すなよ! ルキウスの奴、最近あの特待生の女ばかり構って、お前を放置してるんだろ? お前が王子の婚約者として、どれだけ耐え忍んでいるか、俺には全部見えてるぜ!」
ガイルはドサッと私の隣に座り、自慢の筋肉を誇示するように腕を組んだ。暑苦しいから距離を取った。
「俺はルキウスみたいに、お前を泣かせたりしない。お前がどれだけ我が儘を言っても、俺のこの腕で受け止めてやる! 公爵家だの王家だののしがらみなんて、俺が剣で断ち切ってやるよ!」
「ガイル様、私は泣いていません。それに、何度も言っていますが、私は王子の婚約者ではありません」
「ははっ! お前はいつもそうやって、自分の弱みを見せまいとするよな! 王子の婚約者っていう重荷を、一人で背負い込もうとする。だがな、俺の前では一人の女に戻っていいんだぜ? 俺がお前の『本当の騎士』になってやる!」
「結構です。私には守っていただく必要はありませんし、あなたに守れるほど私の人生は軽くありません」
「くうぅ、冷たい態度! でも、それがお前の照れ隠しなんだろ? 分かってるって!」
分かってない。一ミリも分かってない。
なぜ私のすべての拒絶が、乙女ゲームの「ツンデレ」仕様に自動翻訳されてしまうのか。彼らの脳内フィルターは、国家機密レベルの強力な妨害電波を発しているに違いない。
勘違いその3:大司教の甥・病み気味癒やし系のフェリクス
さらにタチが悪いのは、学園の聖歌隊に所属する、儚げな美少年フェリクスだった。
彼は私が学園の庭園でハーブを摘んでいると、ふらりと現れて涙を浮かべた。
「マリアベル様……かわいそうなマリアベル様……」
「……フェリクス様、どうかされましたか?」
「ルキウス殿下は、リリアさんに夢中で、マリアベル様の心を深く傷つけている。それなのに、マリアベル様は王家の婚約者としての誇りを守るために、微笑んでいらっしゃる……。ああっ、神よ、なぜこれほど美しい魂に試練をお与えになるのですか!」
「いや、私はただ、このハーブで新しいお茶を淹れようと考えていただけですが。あと、婚約者の件は――」
「分かっています、分かっていますとも! 僕があなたの痛みをすべて引き受けます。あなたが夜、一人で枕を濡らす時、僕がその涙を舐めとってあげたい……。僕たち、似ていますね。地位や名誉に縛られ、本当の愛を知らない。さあ、僕と一緒に、神の御前で本当の愛を誓いましょう……」
「近寄らないでください、衛兵を呼びますよ」
「ああ、その拒絶の眼差しも、僕への愛の裏返しですね。分かります、狂おしいほどに……」
……ストーカー予備軍である。
誰か彼に精神安定剤を処方してあげてほしい。
彼ら「勘違い男たち」は、口を揃えて私にこう言った。
「ルキウスよりも、僕の方が君を分かっている」
「君の本当の笑顔を取り戻してあげる」
やかましいわ。
私の本当の笑顔は、家に帰って、大好きな旦那様の手料理を食べている時に、もうすでに完全開花しているわよ。
そう。
彼らが最大の、そして致命的に見落としている事実。
それは、私が「すでに人妻である」ということだ。
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時計の針を、私が学園に入学する数ヶ月前に巻き戻そう。
私が十五歳の時、我がエルバート公爵家は、ある一つの重大な婚姻を結んだ。
お相手は、若くして国の最高魔導士の称号を持ち、魔導院の若き院長を務める、五歳年上の男性。
名を、アルヴィス・ラングレイ。
彼は没落寸前だった伯爵家の出身だが、その圧倒的な魔法の才能と、新魔法を次々と開発する天才的な頭脳によって、一代で公爵家に匹敵する富と名声を手に入れた男だ。
我が公爵家は魔導の名門。アルヴィスの才能を身内に取り込みたい父と、研究のための強固な後ろ盾と膨大な魔導書ライブラリを欲していたアルヴィスの利害が一致した。
いわゆる、純然たる「政略結婚」だった。
……はずだった。
「初めまして、マリアベルお嬢様。私があなたの夫となる、アルヴィスです」
婚約の顔合わせの席で初めて会った彼は、夜空を溶かしたような深い紺色の髪に、冷徹さと知性を湛えた氷晶のような青い瞳を持つ、息をのむほどの美青年だった。
前世の記憶がある私は、大人の精神年齢を持っていたため、同年代の子供たち(王子など)には全く興味が持てなかったが、二十歳なのに成熟した大人の魅力を放つアルヴィスには、一目で不覚にも不整脈を起こしそうになった。
「初めまして、アルヴィス様。マリアベルです。……あの、私のような子供が妻で、不満ではありませんか?」
私がそう尋ねると、アルヴィスは感情の読めない無表情のまま、じっと私を見つめた。そして、私の前に膝をつき、その大きな手で私の手をそっと包み込んだ。
「不満など、滅相もない。私は、あなたという『世界で最も美しい謎』を解き明かす権利を得られたことを、神に感謝しているほどです」
「え……?」
「マリアベル様。あなたは、ご自分が思っている以上に、その瞳に深い知識と、この世界の誰も持たない『異質』を宿している。私は魔導士だ。真理を求める者として、あなた以上に魅力的な女性は、この世に存在しません」
その瞬間、私は理解した。
この人は、私の「前世の記憶」そのものには気づいていなくとも、私の精神が普通の十五歳ではないこと、その思考の深さや異質さを見抜いているのだと。
結婚式は、私の学園入学前に、親族だけでひっそりと執り行われた。
「学園在学中は、無用な混乱を避けるために既婚であることを公にしない」という、公爵家と魔導院の間での取り決めがあったため、社交界には積極的な発表はされなかった。これが、後の王子の勘違いを加速させる原因になるのだが、当時の私たちはそんなことは気にしていなかった。
そして、結婚式の夜。いわゆる「初夜」である。
私は前世の記憶があるとはいえ、実戦経験はゼロの純情乙女だ。
豪奢な天蓋付きのベッドの上で、シルクのネグリジェを着て緊張をしていた。
そこへ、お風呂上がりの、心なしか色気が三割増しになったアルヴィスが入ってきた。彼は眼鏡を外し、濡れた髪を無造作に払う。その姿があまりにも格好良すぎて、私は心臓が口から飛び出そうだった。
「マリアベル。怖いですか?」
アルヴィスはベッドの端に腰掛け、私の頬を優しく撫でた。彼の指先はいつも魔力を練っているせいか、心地よい熱を帯びている。
「こ、怖くはありません。ただ、その……私はまだ子供ですし、アルヴィス様を満足させられるかどうか……」
私がうつむくと、アルヴィスは低く、愉しげに笑った。
「満足、ですか。私は、あなたがそこにいてくれるだけで、理性が消し飛びそうなほど満たされているのですがね」
「えっ……」
「あなたが学園に通う三年間、私はあなたを他の男たちの視線から隠しておけないことが、今から忌々しくてならない。……だから、今夜は、あなたが完全に『私のもの』であることを、その身体に深く刻み込ませてください」
その後のことは、思い出すだけでも顔から火が出そうだ。
普段は冷静沈着で、感情を表に出さない天才魔導士が、ベッドの上では驚くほど情熱的で、執着に満ちた目で私を貪った。
彼の紡ぐ呪文のような甘い囁きと、容赦のない愛撫に、私は一晩中翻弄され続け、自分が前世で大人だったことなんて、完全に忘れてただの「恋する雌」にされてしまったのだ。
翌朝、腰の激痛と共に目覚めた私は、私を愛おしそうに抱きしめたまま眠る夫の寝顔を見て、誓った。
(学園でどんなクソイベントが起きようとも、私の心も身体も、このアルヴィス様だけのものだ。あいつらガキどもの相手をしてる暇なんて、一秒もないわ!)
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という熱烈な背景があったからこそ、学園での三年間、私は他の男たちからのアプローチを「うざい」「邪魔」「視界に入るな」としか思わなかった。
私は毎日、学園が終わると速攻で馬車に乗り込み、アルヴィスと暮らす邸宅へ帰宅していた。
家では、忙しいはずのアルヴィスが私のために(魔法を応用した超効率的な方法で)美味しい夕食を作って待ってくれている。
二人で並んで食事をし、今日学園であったこと(主に授業内容や魔導の理論について。男たちのウザい愚痴は、アルヴィスの精神衛生上、また彼らの命の安全のために伏せておいた)を語り合う。
そして夜は、相変わらず独占欲の強い夫にたっぷりと愛される。
これが私の、完璧に満たされた日常だった。
それなのに、学園での私は「ルキウス王子に無視され、寂しく邸宅へ直帰する、哀れな婚約者」と噂されていたのだから、人間の認知能力の可能性(悪い意味での)を感じざるを得ない。
さらに、原作のヒロイン・リリアによる「悪役令嬢への嫌がらせ捏造イベント」も定期的に発生した。
『マリアベル様! 私が平民だからって、教科書を破くなんてひどいです!』
学園の廊下で、リリアが涙ながらに私を告発した。
周囲には、ルキウス王子、レイノルド、ガイル、フェリクスという、いわゆる「リリア親衛隊(兼・私の勘違いストーカーたち)」が勢揃いしている。
私は、手元にある魔導論文から目を離さずに冷ややかに言った。
『リリア様。私はその時間、高等魔導物理学の特別講義に出ていました。教授と他の生徒三十人が証人です。あと、あなたの教科書を破いたのは、そちらにいるルキウス殿下のファンの令嬢たちですよ。犯行現場の魔力残滓を測定すれば、一発で彼女たちの固有魔力が出ますが、今ここで測定しましょうか?』
私は懐から、アルヴィス特製の魔力測定器(見た目はスマートな水晶の懐中時計)を取り出した。
これには、リリアも王子たちもギクリとした。
『マ、マリアベル……。お前、そうやって理屈をこねて、自分の罪を他人に擦り付ける気か!』
ルキウス王子が怒鳴る。
『殿下。理屈ではなく事実です。あと、私はあなたと――』
『分かっている、マリアベル!』
ここでレイノルドが前に出る。
『君はそうやって、理性的であることでしか、嫉妬に狂う自分を保てないんだね。本当はリリアが羨ましくて、王子の愛を取り戻したくて、そんな冷徹な仮面を被っている。可哀想に……』
『違う、レイノルド! マリアベルは強がってるだけだ!』
ガイルが割り込む。
『お前、本当はそんな魔力測定器なんて使いたくないんだろ? 俺を頼れよ! 俺が全部丸く収めてやるから!』
『ああ、マリアベル様……。あなたの心が怒りで汚れていく……。僕がその穢れを、祈りで浄化してあげます……』
フェリクスが天を仰ぐ。
私は、そっと魔力測定器をポケットに仕舞い、深いため息をついた。
(ダメだ。こいつら、日本語……じゃなくて大陸共通語の文法は合ってるのに、理解力がサル以下だ。会話が成立しない)
リリアはリリアで、
『ルキウス様は私のものなんだから、諦めてくださいね(ボソッ)』
と、私にしか聞こえない声でマウンティングを仕掛けてくる。
(いや、どうぞどうぞ。差し上げますから、二度と私に近づけないように鎖で繋いでおいてちょうだい)
こんな不毛なやり取りを、三年間、飽きもせず繰り返してきたのだ。
私はただ、学園の優秀な図書資産を利用し、アルヴィスとの研究に役立つ知識を仕入れたかっただけなのに。
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そして、物語は冒頭の「卒業式の婚約破棄イベント」へと戻る。
「マリアベル・エルバート! 貴様との婚約を破棄する!」
大講堂の壇上から、勝ち誇った顔で私を見下ろすルキウス王子。
彼の周りには、レイノルド、ガイル、フェリクスが、リリアを守るように固めている。
彼らの顔には「ついにこの時が来た」「これで彼女は解放される(あるいは破滅する)」といった、様々な独りよがりの感情が浮かんでいた。
私は周囲の静寂の中、堂々と、しかし心底呆れ果てた調子で言い放った。
「……あの、ルキウス殿下。大変申し上げにくいのですが。私と殿下は、最初から一秒たりとも婚約などしておりません」
「往苦しいぞマリアベル! そうやっていつも罪を認めず、リリアを虐げて……何だと?」
ルキウス王子の動きが止まる。
レイノルドが眼鏡を押し上げ、眉をひそめた。
「マリアベルお嬢様。往時を隠すための嘘としては、あまりにも無理があります。君が王子の婚約者であることは、社交界の共通認識――」
「それは、あなた方が勝手に作り上げた『共通認識(妄想)』でしょう?」
私は冷ややかに言い放ち、ドレスのポケットから、一通の魔導刻印が押された書状を取り出した。
それは、王宮の侍従長および国王の署名が入った、十年前の『婚約打診に対する辞退受理書』の複写だ。
「ご覧なさい。これは我がエルバート公爵家が、王家からの婚約打診を正式に断り、王家側もそれを了承したという証拠です。私は一度も『ルキウス殿下の婚約者』になったことはありません」
私は風の魔法を少しだけ使い、その書状をルキウスの元へ飛ばした。
ルキウスは慌ててそれをキャッチし、内容に目を通す。彼の顔から、急速に血の気が引いていくのが分かった。
「な……何だこれは……? 国王印が押されている……? じゃあ、マリアベルは、僕の婚約者では、なかった……?」
「ええ。三年間、私が『違います』と言い続けてきたのを、すべて無視したのはどなたですか?」
「そんな……っ! じゃあ、僕が今まで、君に対して『婚約者として相応しくない』とか『調子に乗るな』と言っていたのは……」
「ただの、痛々しい勘違いお一人様芝居ですわ。お恥ずかしい限りですね」
ルキウス王子はガタガタと震え出し、その場に膝をついた。
周囲の貴族たちからも、「え? じゃあ、マリアベル様は本当に婚約者じゃなかったの?」「王子の一人相撲?」という、引きつった囁きが漏れ始める。
すかさず、レイノルドが焦ったように叫んだ。
「だ、だがマリアベル! 君が王子の婚約者でないなら、なぜ今までそれを強く否定しなかった! 君が孤独を装い、僕たちに助けを求めるような態度を取っていたから、僕たちは――」
「強く否定していました。毎回、はっきりと『違う』と言いました。それを『照れ隠し』だの『強がり』だのと言って、自分の都合の良いように脳内変換したのはあなた方です。レイノルド様、あなたの素晴らしい頭脳は、他人の言葉を理解する機能が欠落しているのですか?」
「くっ……!」
レイノルドが絶句する。
「マリアベル!」
今度はガイルが長剣(なぜかパーティーに持ってきたらしい)を握りしめて一歩前に出た。
「じゃあ、お前がいつも一人で帰っていくのは、俺たちに心配をかけるためじゃなかったのか!? 俺のこの腕で、お前を縛り付けるしがらみから救ってやろうと――」
「しがらみなんて最初からありません。私が速攻で帰宅していたのは、愛する夫が家で待っているからです。あなた方の暑苦しい顔を見ているより、夫と過ごす一秒の方が、私にとっては万倍の価値がありますので」
「……は?」
ガイルの脳細胞が、ついに思考を停止した。
「おっ……夫……!?」
その言葉に、大講堂全体が激震した。
「夫!?」「マリアベル様は、すでに結婚されているのか!?」
フェリクスが顔を青ざめさせ、胸の十字架を握りしめる。
「嘘だ……嘘だマリアベル様! 神の御前で、あなたが他の男にその純潔を捧げたなどと……! あなたは僕の祈りによって救われるべき、清らかな……」
「清らかでも何でもありません。私は既婚者であり、夫とはすでに初夜も、その後の夜も、大変熱烈に、数え切れないほど経験しております。あなたのようなストーカー紛いの男に、私の神聖な夫婦生活を汚されたくありませんわ」
「ひっ……!」
フェリクスはショックのあまり、白目を剥いてその場に卒倒した。
リリアはと言えば、自分が「悪役令嬢を成敗するヒロイン」としてのスポットライトを浴びるはずだったのに、完全に蚊帳の外に置かれ、ただの間抜けな背景と化している。彼女の計算高い顔が、今や恐怖で引きつっていた。
「さあ、殿下、ならびにそちらの勘違い男性諸氏。これで満足いたしましたか? 私は元よりあなた方に何の恨みもありませんが、あまりにも私の平穏な学園生活を邪魔され続けました。本日のこの無礼な『婚約破棄(失笑)』の茶番劇を含め、我がエルバート公爵家、ならびに私の夫の家系から、正式に抗議と慰謝料の請求をさせていただきます」
私がそう告げると、ルキウス王子は完全に魂が抜けたような顔で、床を見つめてぶつぶつと「僕の……婚約者じゃ……なかった……」と呟き続けていた。
その時。
大講堂の重厚な扉が、音もなく、しかし圧倒的な威圧感と共に開かれた。
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「――私の妻が、ずいぶんと賑やかなお見送りをされているようですね」
その、低く、冷徹でありながら、酷く心地よい声音が響き渡った瞬間、会場の空気が一変した。
入ってきたのは、漆黒の魔導礼装を身にまとった美青年。
紺色の髪を端正に整え、氷晶のような青い瞳に、底知れない魔力と冷ややかな怒りを宿した男。
「アルヴィス・ラングレイ閣下……!」
誰かが恐怖に満ちた声でその名を呼んだ。
最高魔導士であり、魔導院の院長。国家の軍事バランスをも左右する天才が、なぜこの学園の卒業パーティーに現れたのか。
アルヴィスは、周囲の貴族たちが割った道の中央を、堂々とした足取りで歩いてきた。彼の視線は、壇上の王子たちには一瞥もくれず、ただ真っ直ぐに私だけを捉えている。
「アルヴィス様……どうしてここに?」
私が驚いて尋ねると、アルヴィスは私の前まで来ると、いつものように優しく、しかしどこか独占欲を誇示するように私の腰を抱き寄せた。
「妻の晴れ舞台ですからね。少し仕事が早く片付いたので、迎えに来ました。……しかし、不届きな羽虫たちが、私の愛しいマリアベルを囲んで、不快な言葉を囁いていたようだ」
アルヴィスの瞳が、壇上の男たちを冷たく射抜く。
その瞬間、ルキウス王子も、レイノルドも、ガイルも、その圧倒的な「格の違い」と魔力のプレッシャーに気圧され、一歩も動けなくなった。
「ラ、ラングレイ院長……。マリアベル様は、あなたの……」
レイノルドが、震える声で尋ねる。
「私の、最愛の妻だ」
アルヴィスはきっぱりと言い放った。
「彼女が学園のルールに則り、既婚であることを大々的に触れ回らなかったのをいいことに、随分と不躾な妄想を押し付けてくれたようだな。宰相の息子、騎士団長の息子……。お前たちの父親には、明日、魔導院からの支援の打ち切りと、私と公爵家からの正式な抗議書が届くと思え」
「な……っ!」
「そして、ルキウス殿下」
アルヴィスは、未だに床にへたり込んでいる王子を見下ろした。
「我が妻に対し、婚約してもいないのに『婚約破棄』という公然の侮辱を行った罪、国王陛下に直接、その王位継承権の是非も含めてお話しさせていただきます」
「あ……あ、あ……」
ルキウス王子は、もはや言葉にもならない悲鳴を上げ、完全に絶望の淵に叩き落とされた。
リリアは、アルヴィスの放つ凄まじい魔圧の前に、恐怖でガタガタと震え、声も出せない。
「さあ、行こうか、マリアベル。こんな下らない茶番に、君の貴重な時間をこれ以上割く必要はない」
アルヴィスは私に向き直ると、それまでの氷のような表情を一変させ、酷く甘く、優しい微笑みを浮かべた。
「ええ、アルヴィス様。早くお家に帰りましょう。今日の夕食は何かしら?」
「君の好きな、東方のスパイスを使った煮込み料理を用意してある。……それと、三年間、学園で羽虫たちに言い寄られていた分の『お仕置き』と『充電』も、今夜はたっぷりとさせてもらうよ」
アルヴィスが私の耳元で、周囲には聞こえない低い声でそう囁いた。
その声に含まれた圧倒的な独占欲と情熱に、私の心臓はまたしても跳ね上がる。
「……お手柔らかにお願いしますね、旦那様」
私が赤くなりながらそう答えると、彼は満足そうに微笑み、私の手を引いて歩き出した。
背後では、崩壊した王子たちと、呆然と立ち尽くす貴族たちの騒然とした声が響いていたが、私たちには関係のないことだ。
私の「悪役令嬢としての破滅ルート」なんて、最初から存在しなかった。
だって、私には、私を誰よりも理解し、愛してくれる、世界一の旦那様がいるのだから。
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学園を卒業した翌日、王宮は大騒ぎになったらしい。
ルキウス王子は、公爵家と魔導院を同時に敵に回したこと、そして「存在しない婚約」を勝手に妄想して公衆の面前で破棄するという、王族として前代未聞の醜態を晒したことで、正式に王位継承権を剥奪され、辺境の修道院へ送られることが決定した。
ヒロインだったはずのリリアも、聖女としての素質を疑われ、平民へと逆戻り。
レイノルド、ガイル、フェリクスの実家も、公爵家と魔導院からの経済的・政治的圧力を受け、彼らはそれぞれの実家から事実上の勘当、あるいは厳しい幽閉処分を下されたという。
「……本当に、自業自得ね」
私は、ラングレイ邸の広大なバルコニーで、アルヴィスが淹れてくれたハーブティーを飲みながら、届けられた新聞の端に載っている小さな記事を眺めていた。
「まだそんなものを見ているのですか、マリアベル」
背後から、温かい体温が押し寄せ、私の身体がすっぽりと大きな腕の中に収められた。
アルヴィスが私の肩に顎を乗せ、不満そうに私から新聞を取り上げる。
「もう学園の奴らのことはどうでもいいでしょう。あなたはこれから、私の助手として、そして私の妻として、永遠に私のそばにいるのだから」
「ふふ、そうですね。アルヴィス様。でも、これでようやく、誰にも邪魔されずに研究に没頭できますわ」
「研究、ですか」
アルヴィスは私の首筋に、ちりと熱いキスを落とした。
「確かに、私も今夜は、君という『未知』をさらに深く研究したいと考えていました」
「あ、アルヴィス様、まだ昼間ですよ……っ」
「関係ありません。三年間、君を学園という獣たちの檻に貸し出していた反動が、まだ私の中で収まっていないのです。……覚悟してくださいね、マリアベル」
氷の天才魔導士の瞳に、私を溶かし尽くさんばかりの、熱い炎が灯る。
前世の記憶があろうとなかろうと、この人の愛の前では、私はただの、彼に溺れる一人の少女でしかなかった。
私は新聞を完全に床へ落とし、夫の首に手を回した。
私たちの本当の物語は、この「卒業式」から、新しく始まるのだから。




