以卵投石②
路地裏の細い道で、二人が睨み合う。
片や泥だらけで拳を構え、澱んだ目をして汚い言葉遣いの都会の灰色ドブネズミ。
片や瀟洒なドレスを身に纏い、宙に浮いた半透明に煌めく氷の大剣を操る絶氷の令嬢。
性別が違う。住む世界が違う。操る技も違う。
白と黒。表と裏。美と醜。
それでもたった一つだけ、俺たちには共通する物があった。
お互いを斃すという、その一点においては。
「行くぞ」
「いつでも」
一歩。それだけでエリファの懐に飛び込む。
息を吸って吐くという起こりを省略し、相手の視線から突然外れるように動く足捌き。
脳天を揺らす為、エリファの端正な顔に容赦なく拳を撃ち込もうとするが……。
「あら、乙女の顔を傷物にしようなんて、乱暴なお方」
「まぁそう簡単にヒットは貰えねぇよな!」
拳は今日何度も見てきた氷の防壁に阻まれる。
ならば、と二、三発追加で殴りつけてみるが、ヒビすら入る気配もない。
「単純な力押しは無理か」
「あら、一人踊って満足しないでくださいまし」
西陽を受けて煌めく氷の騎士大剣が、お返しとばかりに振りかぶられる。
その刃の斬れ味は散々見てきた。
触れれば絶死。その軌道を逸らす事でのみ受けを成立させる死神の断頭。
「悪ぃなお嬢さん。この距離でそれは悪手だ」
「……まぁ!」
氷の大剣が重力という単純かつ強力な力に任せて振り下ろされる直後、左腕を自分から凍刃に叩きつけ、その勢いを殺す。
当然肉は裂ける。
血は……剣から流れ出す冷気によって止血される。
だが、骨を破砕し腕を両断するまでには至っていない。
「剣っつーのは、斬れる場所が決まってる」
「それが分かっていたとしても……」
「分かっているなら、命を賭けるには十分すぎる理由だぜ」
より柄に近い位置。振り下ろしの初速の段階。
人体で剣を受け止めるのに色々と条件はあるが、どんな形にせよ剣で人の体を骨ごと両断するのは様々な要因を必要とする。
加えてエリファの一刀は超絶技巧の代物だ。
コンクリートに刻まれたその切断痕は、周囲にヒビすら残さない完璧な力加減。
だが、完璧な調整とは一転、外部から力を加えてやるだけで思うよりも簡単に崩れ……結果として斬撃の威力を激減させるに至る。
全長が200cm程度もある超重量剣を受けては、質量だけで骨に損傷が入るが……致命傷で無ければ次に繋がる!
「顔……貰ったァ!」
「ですが、私には届きません」
一瞬のうちにエリファの顔の前に生成される氷の防壁。
それは今日何度も見てきた、彼女を守護する絶対の盾。
半透明の氷越しに見える彼女の顔を、しかし俺の拳が捉える事は出来ない。
「ンな事ァ承知済みよ!」
これだけ繰り返せばその絶対性は嫌でも分かる。
だから本命は……足!
拳を振り抜くにあたり、大きく踏み込んだ足で、そのままガードの甘いエリファの足を踏み潰す!
「成程」
足の甲の骨を粉砕するつもりで踏みつけた。
今まさに靴の裏から伝わる感触は、女性らしさだけで形容し難い柔らかい感覚。
粉砕骨折による激痛が襲いかかってる筈。
「痛み分けですね」
「こっちにまで痛みを押し付けるんじゃねぇよ!」
氷の猛襲はその勢いを落とす事はない。
宇宙の星々にも似たダイヤモンドダストの煌めきがエリファを覆ったのは、俺が踏み込んだとほぼ同時。
一つ一つが極低温の弾丸。
無数のそれを例えるなら、氷のショットガン。
細かい銃撃は、大剣の一撃のように逸らすのは不可能。
腕を盾にしても腕が蜂の巣になる。
加えて、左腕は大剣を受け止めるのに肉のクッションとなって塞がっている。
ここで右腕を差し出そうものなら、仮に奇跡的な確率で致死に至らないとしても、損傷した両腕ではその後の試合展開に大きな予後不良を起こす。
故にこの攻撃は正真正銘絶対不可避。
無傷で躱すという選択は不可能。
「テメェの能力の欠点は」
だが、それだけで俺は止まる気はない。
更に一歩、足を前に出す。
「能力の精度が高すぎる事だ!」
体をエリファとほぼ零距離で密着するように突っ込む。
同時に、ダイヤモンドダストのショットガンがグラスを鳴らす氷にも似た音でばら撒かれる。
上体を低く落とし、頭は更に低くする事で放たれた弾丸全てが直撃することは無いが、数十……数百?
それ程の氷の礫が俺の背中をズタズタに引き裂く。
「なる、ほど__!」
だというのに、エリファの顔は予想通りに驚愕していた。
「テメェの能力は強すぎるんだ。
簡単に体を貫き、どんなものでも凍らせる」
昨日、脚を撃たれた幻痛を思い出す。
同じように銃弾に貫かれた痛みを。
「体内に銃弾が残らず、傷をつけてもご丁寧に凍らせて止血してくれる。
そんなんを銃弾にしても、欠陥品なんだよ__ッ!」
それでもショットガンに撃たれたのと変わらない傷だ。
腕を振れば連動して、傷ついた背筋が悲鳴を上げる。
加えて、傷を直接凍らせる程の凍気だ。
見た目こそ出血していないが、肌の下はどうなってるか、皮膚の下が凍って長時間動いたらとうなるかは想像もしたく無い。
つまるところ、強がっては見せたが俺の容体は極めてよろしく無い。
だからこその短期速攻__!
「そこまで能力を鍛錬してるんだ。体を鍛える時間なんざ大してねぇだろ!」
「……ご明察!」
これで俺とエリファの彼我の距離は限りなく零。
もう少しでその整った顔にキスでも出来そうな間合い。
氷の大剣の斬撃を凌ぎ、盾を越えて懐に潜り、ダイヤモンドダストのショットガンは妥協可能なダメージに抑え込んだ。
『能力者と正面から戦うのは下策』それは異能力犯罪者をしょっぴき続けて得た俺の経験則。
ただし額面通りじゃなく、相手の強みを潰し、奇策を回し、最後に正面張らせて貰うのもまた経験則____!
ここからは、最初で最後の俺の手番だ。
「この距離この位置この一撃。躱すも受けるも、やれるもんならやって、みやがれッ!」
「……見事。お見事です征矢さま」
既に拳はエリファの鳩尾を捉えた。
その間に氷の障壁が入り込む余地は無い。
あとはえぐり込むように、振り抜くだけ。
「貴方は見事、氷天の試練を越えて見せました」
何処までも上から目線なエリファは、しかし目を閉じ俺の拳を受け入れ……
「____落ちろ雷霆」
後から思うと、俺を目掛けて降り注いだ時速72万kmの天の怒りの回避に成功したのは、本当に偶然だった。
左手で受け止めたエリファの氷の大剣に不自然に折り曲がった閃光が見え、反射的に後退していたのだ。
いわゆるステップスターリーダーという奴か。
「ご無事ですか、女王様」
「……えぇ、まぁ」
エリファを守るように現れたのは、見覚えのある服装の男。
男の手は今も尚帯電しており、コイツが俺たちの逢瀬を割った間男の正体だと容易に予想がつく。
対して窮地を助け出された筈のエリファはどうにも不満げだ。
今の俺には女性の気を甲斐性が無い為、その理由を推し量る事は出来ないが。
「さて。我道征矢、だったな」
「……たった一日の間に名が売れて光栄だぜ」
「そうか。では手に入れた栄誉を冥土の土産に、ここで果てろ」
黒服の男は帯電した体を弾丸のように打ち出して突っ込んでくる。
……正直俺一人ではもう打つ手は無い。
エリファという女は過去最強の亜人だった。
そんな彼女をショッピングモールから引き離し、時間稼ぎをして、最終的に倒す。
この3ステップを乗り越えるだけで、無能力者の隙間を埋める為に後先考えず全ての手を打った。
それが、気づけば新しい異能力者の登場?バカ言うなよ。
対策を打つ時間も、そもそもまともに体を動かす体力も残っちゃいねぇ。
なんなら、亜人を同時に相手取るなど、万全の状態かつ相手が"そこそこ"の連中でも難しい。
つまりこれで終了。チェックメイト。
あぁ、クソッタレ。
「……悪り。カッコつけるのミスったわ」
『____呼ぶのが遅いわバカ者がぁ!』
だから、ようやく鬼札を切る。
相手もそうしたように、俺も盤外の一手を打つ。
瞬間、頭の中に響く声と共に、世界の全てが鉛の海に沈んだように鈍化した。
『世界精神、擬似接続。
見えよ、奇跡の光』
さて、このガキは束の間の自由を楽しめたのだろうか。
それが気がかりでならない。
せっかく格好つけたんだ。ちゃんと苦労した意味が無きゃ困る。
『____光渦祥瑞・峻厳たる第五の鉄騎』
体が朱鷺色に燃え盛る。
「んじゃまぁ……格好だけつけた恥晒しのケツを拭くとするか」
鈍化した世界を拳で殴りつけてブチ壊す。
____否。
俺についてこれない世界を置き去りにしたまま、黒服の顔面に拳を振り下ろして、第三ラウンドがスタートした。




