以卵投石①
「我道征矢だ」
「……今更、何故名乗りを?」
「必要だろ。戦う前の名乗りは」
対するは、浮遊する氷の大剣を携える、黒瑪瑙の髪とドレスを纏う騎士。
決闘の前に、必要な礼儀があると判断したまで。
「良ければお前の名前も教えてくれよ」
軽口を叩きつつも、呼吸は乱さず。
人は呼吸の合間の隙を突かれるだけで容易く死ぬ生物だから。
「ぶっ飛ばした後、三日ぐらいは覚えてやるからよ」
「ふふ。思ったより……ずっと面白いお方」
建物の隙間から僅かに差し込む陽光が不自然な屈折を見せたと同時に、俺の体は女に背を向けて駆け出していた。
屈折する光の正体は、黒瑪瑙の女が振るい始めた浮遊する氷の大剣の軌道。
シュレッダーのような乱切りが、容赦無く俺に殺到し……紙一重のところで回避する。
「では、遅ればせながら名乗らせていただきましょう」
氷の大剣。氷の盾。氷の微笑。
絶対零度の殺意を統べる女王は、背中を向けて駆け出す俺に向けて、しかしドレスの端を摘み上げて優雅に悠長にカーテーシーをして名乗り上げる。
「私の名は、エリファ。エリファ・ルイ・コンスタン」
俺の背が受け取るは、優美高妙たる氷獄の神気。
雪原を舞う吹雪も凍てつく冰の絶技を持って、ドレスを着た悪魔が妖艶に笑う。
「革新派における女王……つまり、組織の頂点となります。
以後お見知り置きを、我道征矢さま?」
○●
「あーチクショウ!余計な見栄張るんじゃなかったぜ!」
ショッピングモールの連絡通路を飛び出し、外へ駆けながら悪態を叫ぶ。
どれだけ威勢よく叫んだって、俺が劣勢なのは変わりはしない。
おまけにあの能力の操作精度だ。
どんな必殺の隠し玉を持ってるかも分かりゃしない。
無理無謀無茶無策無碍__全力疾走と共にあらゆる諦めの言葉を嘆く俺の弱い心臓を、思いっきり殴りつける。
「だが、吐いた唾は飲み込め我道征矢!
やれるやれるお前は天才だからな!」
口では自分を熱く鼓舞しつつも、頭はあの女の異能にも負けないほど冷やす。
今一度、俺の勝利条件を整理しなければいけない。
「あの生きる災害をショッピングモールから引き剥がすのは絶対条件」
まずツェークに余計な心配をかけさせない事。
あのガキに自由を一秒でも長く謳歌させる為には、パニックの元であるコイツはどうにかショッピングモールから引き剥がさなければならない。
加えて俺は誘い込まれた形だ。
つまり、人間の作りとして負けている生物に対して陣地でも負けている形。
「つっても、必ずあの女を倒す必要はねぇか。
十分引き付けて逃げられりゃそれで良い」
幸い、エリファとか名乗った女は俺に興味を向けている。
つーか、ギラギラした目線がさっきから俺に注がれ続けてるのが背中越しにも分かる。
目線が痛いっていうのはこういう時の言葉じゃ無い気がするんだけどなぁ!
「が、俺にも勝ってる部分はある!
そのドレスじゃ満足に走れねぇだろ!」
モールの窓ガラスが不自然な光の反射を見せた瞬間、俺は消火栓ボックスの裏に滑り込む。
俺を目掛けて飛んできた八つの氷柱が赤い箱に突き刺さり、破壊されて吹き上がる水を針葉樹のように美しく凍結させてしまった。
「あら、殿方は女性のペースに合わせるのが一般的ですよ?」
「悪ぃな!デートプランなんて初めて組んだもんだから、時間がタイトでよ!」
曲がり角の向こうからエリファがドレスのロングスカートを揺らしながら歩いてくる。
その顔に汗の一つも無い。
どこまでも場違いに淑やかに、ヴァージンロードを歩く花嫁のようなゆったりした歩みだ。
舐められてんなこりゃ……仕方ねぇが。
「さて、どうしたもんか」
幸い、今日は平日の昼間。
加えてエリファが俺を誘い出したのは、ショッピングモールでも建物の間の連絡通路。
その更に奥まった場所。
破壊音があっても即座に騒ぎの上がらないショッピングモールの敷地を抜け出すのは、思いの外簡単だ。
道すがら、何か使えるものは無いかと辺りを見渡しながら駆ける。
「植木鉢……鉄パイプ……ははっ、まるで役に立つ気がしねぇな!」
諦めた笑いを浮かべながらショッピングモール外周を駆け抜けて敷地外に出る。
辺りの景色は、まだ営業時間外でシャッターの閉まった店ばかりの風俗街。
よし。まず騒ぎの起こりづらい第一条件クリア。
「あの女は……」
「こちらですよ、征矢さま」
すぐ真横から聞こえる声。
パーソナルスペースを鼻で笑うかのような吐息が耳に吹きかけられた瞬間、俺は全力で体を捻り、無理な姿勢で飛び退いていた。
「ッ、おォォォォ!?」
足の腱に嫌な痛みが走るが今はどうでも良い。
それまで俺の腕があった位置に、水晶のように美しいニ対の氷のギロチンが振り下ろされていたのだから。
「……っ」
頬を汗が伝う。
この背筋の冷たさは、決して氷結による温度低下のせいだけでは無い。
まだ十全に動く自分の両腕の感触を確かめながら、急襲者に対して視線を合わせる。
「……っざけんじゃねぇ。スケート選手にでもなってろってんだ」
「ふふ。我々のような人間は、公平性の観点から通常の競技には出場出来ませんので」
見れば、エリファの足元が凍結している。
それが今まで俺が移動した順路通りに続いている。
滑って移動してきたのだろう。
尖った靴は洒落の為じゃ無いのか。器用なこった。
「……また追いかけっこですか?釣れないお方」
「足の速い男子はモテるって習ったもんでね!」
足がまだ動く。ならば駆ける。
この風俗街より更に奥に奥に進む為。
今度は追いかけられる形では無く、スケート選手よろしく凍った地面を滑るエリファと並走する形の逃亡劇が幕を開ける。
それに伴って、彼女からの攻撃は激化する訳で。
「1-א-Alef」
地面から不規則に突き上がる氷柱を、走りながらステップを刻んで躱す。
「2-ב-Bet」
ダイヤモンド・ダストの煌めきがエリファを覆う。
細やかに美しく輝く光は、一粒一粒が人体の組織を正確に撃ち抜く氷の弾丸。
ショットガンのように一斉掃射されるそれを、膝の位置まで上体を下げて緊急回避。
「3-ג-Gimel」
屈んだ俺を狙うのは、自ら首を垂れた相手を断罪する半透明の騎士大剣。
氷消瓦解。巨人の質量をこの身に受ければ、俺の生命は呆気なく失せて消えるという事を容易に想像させる。
これは絶対に受けてはいけない。
だからこそ、最も回避が難しいタイミングで放たれた正確無比の必殺__!
「____これで終われるほど、安い命じゃねぇんだよ!」
イチかバチか、俺は屈んだ姿勢から両手を地面について、倒立の要領で下半身を持ち上げる。
続いて頭と足、天地が逆転した姿のまま、大剣の側面に蹴りを見舞う。
いわゆるブラジル流の蹴術、カポエイラの応用だ。
剣というのは構造上、刃で斬る物であって刀身の側面に衝撃を受ける事を想定されておらず、必然側面の殺傷力は皆無。
起死回生の一撃はなんとか死神の鎌の軌道を逸らす事に成功し、俺の頭の数センチ先の地面に鮮烈な斬撃痕が刻まれる。
「……いや全く、見事と言う他ありませんね征矢さまは!」
「褒め……てんのか?」
「えぇ、勿論」
きっと、周りから見て俺の今の姿は無様だろう。
啖呵を切った癖に逃げ回る一方で、服は泥だらけだ。
異能力者と無能力者の力の差も如何ともし難い。
エリファの振るう具現化した氷結の殺意の数々。
それらが一つでも直撃すれば、俺の体はきっと簡単に弾ける。
完全クリアしか許されない、ダンスゲームの最高難易度をプレイしてる気分だ。
「部下からは大した力の無い無能力者と聞いておりましたが、正直いまだに信じきれておりません」
「ハッ、皮肉かよ。アンタの前で無様に転げ回ってる男だぞ」
「真実ですよ?術者であれど、私の前に立った者でその無様を晒す段階に辿り着いた者を見た事がありません。本当に私の部下程度に殺されかけたのですか?」
こんな殺伐とした空間で、しかしエリファは可愛らしく小首を傾げていた。
頭に疑問符でも浮かせていそうな表情だ。
……まぁ、確かに単体の脅威という点ではこの女の方が恐ろしい。
全ての動作が必殺。強力無比。単騎無双。
だがそれは所詮、単騎の戦力には変わり無い。
目線も動きも全て単一の人間のもの。
一対一という形に持ち込めば、体術の天才の俺としては慣れ親しんだ試合形式になる。
加えて前回と違い今回はある程度自由に動ける。
肉体に戦闘力を依存している俺にとって、毒針を持った無数のアリより一匹の獅子の方がマシ。
そういうカラクリだ。
……あくまで、"マシ“という程度ではあるが。
「見てください」
エリファは背後……俺たちが通ってきた道の方向を指す。
「もう先ほどまでいたショッピングモールがあんなに遠くなってしまいました」
「……だな」
「走力を維持しつつ、私から長時間生き残る。
前者であれど後者であれど難題。貴方はそれを見事同時に成し得ました」
堂々とよそ見、か。
……実際そうだろう。
ただ逃げ回ってるだけで何一つ有効打を与えてこない相手を警戒する必要は無い。
「もう袋小路になってしまいましたが、恥じる必要はありません。寧ろ、誇りなさい」
背後は壁。逃げ回るうちに、気づけば歓楽街の路地裏。
……帰巣本能か?と内心自分を嘲笑う。
灰色の街のドブネズミが、昨日入り損ねた棺桶にまた入りにきたのかと。
「この一刀を持って鬼ごっこに幕を引きましょう
……殺しはしません。
ツェーク・ヘレムの適合者というだけで、貴方は貴重な存在なのですから」
挙句の果てはモルモット扱い。
街の隅で沙汰を待つ無能力者への当然の反応って訳か。
「良い、逢瀬でした」
氷の大剣が、俺に向かって振り下ろされる。
ここは路地裏。道の横幅は一人分が良いとこ。
故に何の衒いも無く振りかぶられた一刀を避ける術は無い。
「……はぁ、まったく」
もう良いだろう我道征矢。お前は十分頑張った。
革新派のトップだとか、俺が今まで会った中で最強の能力者だとか、そんな相手にお前はよく頑張った。
だから、もう、これで終わりにしよう。
……肉が削げる、湿った物が飛び散る音がした。
「__行儀の良いフリはやめだ」
だが、それだけだ。
氷の大剣の軌道は俺の体を僅かに逸れ、カウンターブローがエリファに迫る。
「…………へぇ」
拳はエリファの顔に届く寸前に音も無く現れた氷の盾によって阻まれる。
だが、透き通った隔ての向こうのエリファは、明確にその表情を変えていた。
……一泡吹かせた驚きでは無く、明らかに口角の上がった喜びの表情なのが俺にとっては不服だが。
「一体どうやって?」
「剣は、構造上側面からの運用を想定していない」
皮が擦り減った左腕を振る。
痛みはあるが____まだ十全に動く。
「剣の腹に腕を割り込ませて、軌道を逸らしただけだ」
路地裏。細道。横方向に逃げる術は絶無。
故にその剣撃の軌道は読みやすい。
「内心煮え繰り返ってたぜ。『何でこの俺が無抵抗の雑魚のフリしなきゃならねぇんだ』って」
「征矢さま……貴方は、本当に……」
エリファの半分閉じていた眠たげな目が、獰猛に開眼される。
纏う氷とは対照的な、灼熱の好奇心に満ちた目。
どうやら俺は眠れる獅子を起こしてしまったようだが……それも一興。
「やっと騒いでも問題無い場所まで来た。
待たせたな。第二ラウンドだぜお嬢さん?」
「……本当に面白い方っ!」
改めて拳を硬く握り締める。最強の敵を撃ち倒す為。




