嫣然一笑
「どーっすっかなぁ……」
平日の昼間。
人もまばらなショッピングモール。
その片隅のベンチで俺は項垂れていた。
ツェークに遊興費を渡したはいいが、肝心の俺の財布が随分と薄くなってしまった。
暇潰しに店を見るにしても、冷やかしぐらいしか出来そうに無い。
直接追手を警戒するにしても、遠くから眺めていればストーカーとして通報されかねない。
そもそも、ツェークの能力の都合上、付き添い続ける意味も無い。
「あんな顔で喜んでた奴を過保護にし過ぎるのも悪い気はするしなぁ……」
さて、どう暇を潰した物かと悩んでいると。
「あら、すみませんそこのお方」
背後から声がかけられる。
「なんすか。携帯のプラン変更も新装開店の飲食店も俺には間に合って……」
人の少ないショッピングモールで暇そうな相手に話しかける人間だ。
大概は複合施設のいずれかの店員だろうと目星を付けて振り返る。
"あぁ、嫌だ嫌だ。
金の無い時に限って、商いって奴は嫌味を言うように伺いを立ててくるんだ"
そんな捻くれた言葉を心の中で口ずさみながら。
「お休みのところ申し訳ありません。
不躾な頼みではありますが、道を教えていただきたく……」
「……」
呼吸が止まった。
振り返った先にいたのは、天女に見紛う程の麗人であったからだ。
月を海月越しに透かして見たようだと言えば良いだろうか。
藍を基調とした瀟洒なドレスが、空気に溶けて消える朧の存在を現世に留めているようだ。
髪はまるで黒を基調とした瑪瑙のよう。
深淵の黒に混じり、視点を変えれば赤青緑黄と色を変えるアクセントカラーは、まるで広大な宇宙の闇とそれを照らす小さな星々の如き煌めきだ。
そのような、ある種人外の美しさを持つ女性を前に取る行動など一つだった。
「喜んでお受けしますよ、レディ」
胡散臭い敬語で返答に至るまでの時間は、一秒も要らなかった。
○●
聞けば、ドレスの彼女は日本に来て間もないのだとか。
成程。随分と現実離れした美貌の人だと思ったが、外国人さんなら見慣れなくて当然だ。
「そこ段差になってるんで気をつけてください」
「あら、お気遣い感謝いたします」
エスコートしながら大型ショッピングモールの外周を回るように二人移動する。
彼女の一挙手一投足は、揺らめく幽鬼のようにも舞い散る花のようにも……いずれにしろ儚げな雰囲気を醸し出す。
その超然とした雰囲気に、すれ違う者の殆どは振り返っていた。
「住む世界が違うってこういう事を言うのか……」
「あら?何か粗相をしてしまったでしょうか?」
「いやいや。俺が俗っぽすぎるだけっすよ」
はははと笑って内心の緊張をほぐす。
さて、この我道征矢。
ダイヤモンドリングを渡すべく様々な女性にアタックをしてたが、このように女性と横に並んで談笑した事など一度たりとも無い。
普段からデートでカレンダーの予約がいっぱいのプレイボーイなら訳なく話すのだろうが、認めよう。
今の俺は童貞野郎には違いない。
考えろ我道征矢。彼女を飽きさせない会話を。
お前はやれる。天才なのだから。
「「あの」」
しまった。話出しが丁度被ってしまった。
それにお互いに驚き、お互いに苦笑する。
「ふふっ、申し訳ありません。
是非貴方のお話をお聞かせください?」
「いや!俺は特に大した事じゃないから大丈夫です!
寧ろ、こっちが貴方の話に興味あるっつーか……」
"ショッピングモールで花屋なんて珍しい場所を探してますね"
と聞こうとしただけだし、よく考えれば人の趣味に対してこんな言い方は無礼だったかもしれない。
サンキュー黒瑪瑙の髪のお嬢さん。
被せて貰って助かったぜ。
「そうですか?ではお言葉に甘えて」
彼女は軽く頭を下げ、人差し指を唇の付近まで持ってきて「話出しを考えてますよ」とでも言いたげな動作をする。
な、なんださっきからこの……箱入りのお嬢様って感じの所作は。
「私、花の交配が趣味でして……今案内していただいているフラワーショップも、新しい株を探す為ですの」
「花の交配っすか……なんか難しそうですね」
奇しくも、質問しようとした内容と同じ話を聞き出せてしまった。
何だか、さっきからやけに波長が合うな、と思うのは自惚だろうか。
「ふふ、そうですね。
一代や二代で簡単に結果を得られるものでも無いですし、同じ品種でも株ごとにタネができやすい、できにくい、発芽しやすい、しにくいなどの違いもあります」
月並みだが、気の遠くなる作業だと思った。
花粉やめしべをピンセットで丁寧に扱い、実験する……中学生の時だかに理科の授業か何かでやった覚えがある。
ようはそれの延長線だろう。
小さないつ結果が出るかも分からない作業をコツコツと。
それを趣味とする黒瑪瑙の彼女は、きっと時間にゆとりを持った人間なのだろう。
「ですが、交配が上手くいった時の喜びもひとしおです」
「やっぱ、綺麗な花が咲くんですか?」
「花は皆美しいと思っておりますが、そうですね。
色や形、そういったものが期待通り……それ以上に鮮やかに輝く時、今までの努力が報われたような感覚がするんです」
「……あー、ちょっと分かるかも。
努力した過程が結果に結びついた時、よっしゃー!ってなりますもん」
「ふふっ、そうですね」
片手を口許に当てて、上品な笑いを浮かべている。
そんな様子を見ると、こちらも上手く話せていると思わないのは嘘になる。
社交辞令や上手く俺に合わせてるかもしれないが、まぁそれは一旦考えないでおこう。
「っと、話してる最中に目的の場所につきましたよ」
「まぁ!ありがとうございます!」
適当に抜いてきたショッピングモールのパンフレットを開き、そこに載っている地図上の一角を指差す。
黒瑪瑙の彼女の為に指差していた場所と、俺たちの現在地は重なっていた。
俺がよほどの方向音痴でも無ければ、これでエスコートは終了、という訳だ。
「しっかし、花屋を開くには随分と寂しい場所だ」
辺りを見回す。
ここはショッピングモール内部ではなく、その連絡通路の外れに位置する場所だ。
駐車場なんかが横手に見え、太陽も完全には当たらずやや薄暗い。
まぁ、花屋って何となくショッピングモール内より外にありそうってイメージはある。
しかし、こんな暗くてそもそも店を開く事を想定していないような建物と建物の間みたいな場所に、人なんて誰も入らないんじゃないのか?
「改めてお礼を言います、征矢さま」
「いやいや、この程度なら遠慮しなくても___」
だから。
いつもの路地裏と何となく似ている薄暗い建物の間だから、感覚が研ぎ澄まされたのだろうか。
「____俺、名前名乗りましたっけ?」
口に出した疑問よりも早く足がサイドステップを刻んだ。
俺が元々立っていた場所に、凍氷のギロチンが振り下ろされる。
飛び散る瓦礫すら無い。
混凝土の地面には、一つのひび割れもない美しい切断痕のみが残されていた。
それに一瞥する事もなく、俺は黒瑪瑙の女から視線を離さない。
「お見事ですね。それなりにしっかり斬ったのですが」
「……何の真似だ」
空気が凍る。比喩だけでは無い。
物理的に、黒瑪瑙の女が絶対零度の白煙を纏う。
美しい主人を守護するように、半透明の氷の剣が浮かび、剣舞う。
「私、花の交配が趣味なんです」
「はァ?今そんなのは関係ねぇだろ」
「いいえ。最近私、とても綺麗な花の交配に躍起になってましたの。
残念ながら、その全てが失敗に終わってしまいましたが」
「だから……」
話が通じない。
ペラペラと、自分の事ばかりよく喋る。
黒瑪瑙の女からは、俺の沸点を超えそうな苛立ちを、自らが纏う絶対零度の妖気を持って宥めるような雰囲気すら感じる。
「ですが、つい昨日、成功例が現れたのです」
俺の胸に向け、指を指す。
心臓が、彼女の黄金に揺れる瞳を射竦められたような錯覚を覚えた。
「……ようやく話が理解出来たぜ」
「聡明な方は好きですよ」
つい先ほどのように、女は口許に手を当てて上品に笑う。
だが今の俺から見ればそれは嘲笑にしか見えず……。
「テメェ、革新派の連中だな」
「ご名答」
ようは、あの黒服の連中の仲間。
ツェークを護衛するにあたって、目下の最重要警戒対象。
つまり、やる事は決まってる。
「俺に敵対すんならよ。美人だろうが容赦なく、殴るぜ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
拳を構え、臨戦体制に入る。
対して女は顎に手を当て、気取ったポーズを決めてこちらを観察するように黄金の目を細めている。
女の側には刀身が2mはある氷の大剣が浮かぶ。
先ほどの氷のギロチンの斬れ味を見るに、撫でられただけて体が千切れるのは必至。
だが、それはそれとして。
「シッ!」
石畳を強く踏み締め、一歩大きく踏み出す。
それは八極拳における震脚と呼ばれる動作。
踏み込み足が接地する瞬間、足を捻り込み、相手と足甲が平行になるよう動き、力を十全に伝える歩方。
……というのが、偽装
「……あら、砂煙」
踏み込むのではなく、爪先で地面を蹴り上げる動作を行う。
本当の狙いは砂による目眩し。
前方に舞い上がった砂塵が相手の目を傷つけ、一時的に視力を損傷させる。
異能力とは身体能力の延長。
五感……それも視力を失えば、異能力の制御精度は格段に下がる!
蹴り上げた砂と瓦礫の破片がショットガンのように黒瑪瑙の女の顔に容赦無く襲いかかり……
「……ダメだなこりゃ」
迅速に後退の判断を下し、飛び退く。
飛び退く前の俺がいた位置には氷の大剣が振り下ろされ、大地がまるで包丁で切られた豆腐のように美しくヒビ一つなく裂ける。
あぁクソッタレ。操作精度から薄々勘付いてはいたが、良く無い方だ。
「……クスクス。女性をお誘いするにしては随分と乱暴ではなくて?」
「生憎、俺の命を狙ってくる異能力者を同じ人間の女に括れるほど心が広くねぇんだ俺は」
嘲笑の主は、全身鏡のように展開された氷の壁に護られていた。
当然、下賤の下作など下天にすら届く事もなく、ドレスを汚す事すら叶わない。
「(……さて、どうする)」
考える。死の間際、脳を極限まで回転させて考える。
……俺は十八歳だ。
この歳で一人暮らしを続け、ダイヤの指輪を買う程までに稼ぐ収入源は何処か。
それは異能力犯罪者を捕らえる事による報奨金が主な収入源だった。
そして、純血の無能力者である俺が異能力者と戦い続けて得た一つの確実な結論がある。
無能力者は異能力者と正面から戦ってはいけないという事だ。
勿論、例外もある。
猫騙しや先ほどの目潰し等による不意打ちが効くならば問題ない。
所詮体の構造は人間。
急所を攻撃して即座に鎮圧すれば良い。
しかし目の前の黒瑪瑙の髪の女のように、不意打ちに対して危なげなく、それも自分の等身大の氷の壁を発生させるような手練れには話が変わる。
加えて、この女は氷の大剣なんて代物も同時操作してると来た。
総評を言えば。
「(戦ってきた中で歴代最強の能力者。
こんなお淑やかな見た目しておいて場慣れもしてる。正直やべぇな)」
俺は天才だ。それは間違いない。だからこそ分かる。
お互いに卓越した実力を持つならば、無能力者と異能力者の差は獅子と猫だ。
それを正面から挑まないのが卑怯?バカ言え。
それは勇気では無く自殺というものであり、無能力者からしてみれば向こうの方が反則のオンパレードだ。
「(今の俺は誘い出された形だ。
能力やアドバンテージに加え、地形的にも事前準備の観点でも負けている)」
つまり、ここで俺が出すべき決断は、ツェークを呼ぶ事に他ならない。
俺一人では打開不可。
能力者と無能力者の雲泥の差。
それを埋めるには、ツェークと合体する事による淡い赤色の……アストラル体だったか?が必要不可欠。
「(強く願えば、何処にいても俺の声はツェークに届く。
さっさと呼んで、さっさと逃げて体制を立て直す)」
俺は頭にツェークの顔を思い浮かべ……
______ありがとう。
「___」
だが不思議と、脳裏に浮かぶのは助けを求める俺の声じゃ無く、別の人間の笑顔で。
_____始めてなんだ。ここまでの自由を与えて貰って、裏表の無い純粋な善意を受け取るのは
____だから、ありがとう。
「……バカか俺は」
あらん限りの力を込めて、自分の頬を殴りつける。
だらし無く歪んだバカのアホ面を。
血を吐く俺を見て、黒瑪瑙の女は初めて淑やかな表情を驚きに変えた。
あぁ、そうだろうよ。嘲笑われなければいけない。こんな奴は。
こんな、我が身可愛さに一瞬でも一人のガキの時間を奪い取ろうとした愚か者の事なんざ_______ッ!
「待たせたな。続けようぜ、異能力者」
「……彼女の力は使わないの?」
「ハッ、バカ言え」
地に向けた親指を勢いよく下げて、見せつけてやる。
地獄に堕ちろベイベーと。
「凡人相手に誰かの手を借りる必要なんざねぇ」
正念場だ。ここで立てよ我道征矢。
一人のガキの自由を、戦場になんざ持ち込ませない為。
そんなくだらない事で子供の時間なんざ奪って良いわけが無いと、寝ぼけた俺の頭に言い聞かせて。
男の意地、ここで張らなきゃ冥土にもありゃしねぇってよ____ッ!
「____俺は、天才だぞ?」
さぁ、一対一をしようぜ、打開確率0%。
鬼退治と洒落込もうか。




