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我道と魔道③

 世界の形が、元の灰色の路地裏に戻る。


 続いて腕の中のガキ……ツェークが何か詠唱のような事を始めたのは、俺が意識が世界に戻ったのとほぼ同時だ。



「世界精神、擬似接続。

見えよ、奇跡の光(ルクス・ミラビリス)

天を願う我らが下に、いと高き力を下賜(かし)したまえ」


 ツェークは右手を俺の右手に重ねる。

恋人のように指が絡まったと同時に、俺たちの周りで、まるで土星の輪のように、謎の言語が描かれた光の輪が展開される。


「天に火の星、地に戦車。

目下に輝く我らが姿は、偉大なる熾天使(してんし)の裁きを代行し、ここに悪徳と正義の境界を引く者」


 この極限状態で血迷ったかと、ツェークを守る為まず俺たちを取り囲む黒服達の動きを把握しようとしたところで、異変に気づく。


 黒服たちが、静止している。

時間が止まっているようだとも言って良い。

……いや、目を凝らせば、亀やナマケモノでも徒競走でミリオンスコアをつけて圧勝出来そうな速度で動いてはいるのだ。

だがそれは、静止している状態と何ら変わらない。


 指、手、腕という順番に動かしてみる。

いつも通りの……失血した量が多いので厳密には鈍いのだが……反応と速度で問題なく動く。


 つまり、この空間において通常通り動いているのは俺とツェークだけ。

我道征矢(がどうせいや)とツェーク・ヘレムという存在だけが、世界から切り離されたような錯覚すら覚える。


「彼の者は獅子。彼の者は戦車。彼の者は紅玉。

この地上を勇猛果敢に疾走する、創世の力の象徴であり」


 気づけば、幻想のような現実に追いつけない俺を置いて、詠唱は結びに入ろうとしていた。


「かくして、神秘の合一(ラーザー・ラツバー)はここに為される」


 俺たちを囲む光の方陣が、より一層強い輝きを放つ。

太陽光とも人工灯とも形容できない銀白の輝煌(きこう)が、薄暗い路地裏の輪郭を暴いていく。

同時に光が、明らかに指向性を持って俺たちの体を飲み込んでいく。


「是、原初の逸脱なり。

光渦祥瑞(ルクス・ミル)峻厳たる第五の鉄騎ジ・エンボディメント・オブ・ゲブラー


 そして、世界が時間を取り戻す。


○●


 秒針が正しい時間を刻む術を思い出した頃、最初に産声を上げたのは銃声だった。

それは前後左右から俺とツェークを取り囲み、螺旋の軌道を描く弾丸を引き連れて、音速の速度を持って殺意を叩き込まんと俺に殺到する。


「マズ……ッ」


 それを見て(・・)、俺の体は反射的に回避行動を取る。

前後左右から放たれた凶弾。歩法では逃げる術は無い。

故に、俺の体が出した結論は跳躍という無謀な回避であった。


 いくら我道征矢が天才とはいえ、咄嗟の跳躍で回避行動を取るなど、物理法則にも弾丸の速度にも鼻で笑われるような行いが出来る筈が無い。

だが、続く結果はそんな当たり前の想像とは真逆のものだった。


「……ンだ、こりゃぁ」


 俺は見下ろした(・・・・・)景色を見て絶句した。

6mは目下にいる(・・・・・・・・)黒服たちの姿に。


 黒服たちはしばらく俺を見失っていたようだが、即座に上空の俺の姿に気付き、こちらに何十もの銃口を向ける。

まずい。なんの奇跡が起きたかは分からねぇが、ここは上空だ。今度こそ本当に回避する術は……


『狼狽えるな征矢!キミは、本当の本当に天才だったのだから!』


「なっ、誰……ってか、それどころじゃねぇ__ッ!?」


 頭の中に直接響くような聞き覚えのある声に返答をする前に、何重もの発砲音が鳴る。

それら全ては俺の体を貫き、致命傷を与え____


「……は?」


 ____る事は無かった。


 二度目の絶句。

確かに銃弾は俺の体を捉えた筈なのに、痛みが全くと言っていいほど無い。


 幻覚でも見ていたのか?

複数ある疑問は何一つ解消されないまま、上空にいた俺は重力という当たり前の力によって地上に降り立った。

ついでに、6mは下降したというのに痛みが全く無い。


「作戦を変更。総員、肉体変質系の亜人(デミ)として当たれ」


「了解」


 さっきから、情報が飲み込めねぇ。何が起こってる?


『……矢』


 てかなんだ?亜人(デミ)?そんなのまで来たのか?


『……征矢』


 てか、さっき撃たれた筈だよな。

体の倦怠感なんかは何処に?


『征矢!無視をするんじゃない!』


「うおっ!?」


 頭の中で直接サイレンみたいに響く声。

それに思考を無理やり中断させられる。

というか、この声は……


「ガキか!おい、お前今何処にいる!姿が見えねぇが」


『ツェークと呼べ!お互いに名前を語らっただろう!

それと、質問に答える前に自分の体を見ろ征矢!』


「自分の体?そんなん、銃弾で風穴の空いた無惨な状態しか無いと思うが」


 と言っても、指示に従わなければまた頭の中で騒音を鳴らされそうだ。

渋々自分の体を見下ろすが……それはいつもの自分の体でも、凶弾に貫かれた重体でも無かった。


 俺の手が、体が、服が、朱鷺色(ときいろ)の淡く赤い光を放っていた。

加えて、体全体が陽炎のように揺らめき、煙のような不安定さを見せている。


「んだ、こりゃ……?」


『驚いたか征矢!これこそがボクが持つこの状況を打破する、アストラルの力だ!』


 そんな事を言われても、何を言ってるかさっぱり分からない。


『本来修練に隠秘学の極意を要するアストラル投射!それをボクが君に憑依し、小径(パス)を繋ぐ事で、君を擬似的なアストラル体へと昇華させた!』


「本当に何言ってるか分からねぇ!簡潔に言え!」


 頭の中で「ふぅむ」と一拍置いた声がして


『今の我道征矢はボクと一体化する事で、亜人(デミ)など引き合いにもならない最強の存在となった!』


「OK分かりやすい!初めからそう言いな!」


 再度撃鉄が引かれる。

今度は散発的なものでは無く、面を制圧する一斉掃射。

加えて黒服たちの後ろには、隊列を組んでまだ銃弾を放たない黒服たち。


「成程。さっきみたいに飛んでも落とすぞって事か」


『気をつけろよ征矢!アストラル体は実体では無いため、銃弾に撃ち抜かれても即座に致命傷足り得ないが、その原理は剥き出しの精神体であるが故……』


「簡潔に!」


『殆どどんな攻撃でもダメージを受けないが、喰らいすぎには注意しろ!』


「OK!」


 さて、幾つもの銃口を向けられてる中でこれだけ能天気に会話できてるのにも理由がある。


俺に向かって放たれる弾丸。その軌道が、動きが、その全てを目で追える。

それは走馬灯のような死の間際の脳の高速処理などでは無い。

世界そのものが鈍化している。否、今の俺の目を通せばそう見える。


全ての物体が液状の鉛に浸したように緩慢に動く中、俺の体だけは鈍化した世界を引き裂き、疾風(かぜ)のように動く!


「なら、弾丸を素手で弾けない道理は()ぇ!」


 腕を横薙ぎに振り払う。

遅れて淡く赤い光の残滓が俺の腕を追従する。


……あぁ、やはり思った通り。


「……こんな風にな」


 手で掴んだものを無造作に投げ捨てる。

それらは全て、まだ熱を宿した数十発もの銃弾。

俺を貫かんと殺到した殺意の全てを摘み取って、目の前で見せつけるように捨ててやる。


 それまで寡黙な仕事人だった黒服の連中に、緊張と動揺の亀裂が走るのを俺は見逃さなかった。


「さて、脚に貰った鉛玉の駄賃がまだだったな」


 右手を腰より後ろに構えて握り締め、一歩足を引く。

空手風に言えば、正拳突きの構え。


「迷惑料も纏めて拳で一括払いだ。遠慮せず持ってけ!」


 一歩。それだけで俺と黒服の集団の彼我の距離は零に縮まり、最前列にいた男の顔に拳をめり込ませ、アッパーカットの要領で真上に一気に振り抜く。


「がっ……!?」


 たったそれだけで人間がミサイルのように吹き飛び、人波も吹き飛ばして等身大のピン倒し(ボーリング)が展開された。


 成程これは凄まじい。亜人(デミ)の奴らが見てる景色はこれだったと思うと、俺たち純血(スカム)に色々言われて腹立つ気持ちも分かる。


『だからそこらの異能者と一緒にして貰っては__!』


 頭の中では知らねぇ理屈捏ねで煩いガキもいるが、無視。

人間によるドミノ崩しが起きた事で、一部割れた人波に目を向ける。


「んで、まだやるか?」


「……総員、撤退せよ」


 それまでは無敵の城壁に見えた黒い人の壁はあっという間に散開し、ものの数秒で人っこ一人いない静寂な路地裏の形を取り戻した。


「……はぁ、終わったか」


『油断はするなよ征矢。しっかりと索敵を行い、100%の安全を確かめてから息を吐こう』


「へいへい。お姫さまの仰せのままに」


 頭の中のナビゲートに従って跳躍。

先ほど無意識下で6mの跳躍を見せた体だ。

当然、路地裏の汚い配管などを足場にして……時折ギシッと嫌な音がするが……建物の屋上に飛び移るなど容易い。


「しかし、アレだな」


『どうした?』


「思ったよりもこの力は……じゃじゃ馬だ」


 淡く燃える自分の体を改めて眺めてそう思う。

実際、今の跳躍ももっと移動距離を刻んで……大体四階建てを四歩程度使って駆け上がるつもりだった。

それを二歩で飛び越えてしまい、簡単に言ってしまえば溢れる力を制御できていない。


「もう見た目が人間かも怪しいし。自分の体じゃねぇみたいだ」


『その疑問の答えは。正であり否でもあるな。

アストラル体というのは〜』


「あー、そういう小難しいの今は良い。

とりあえずこれ、戻れんの?それだけ聞きたい」


 頭の中で「むぅ」とむくれた声が聞こえたが、無視する。

俺にとっては無事日常生活に戻れるのか、それが重要だ。


 ……などと思案してるうちに、冬場の静電気みたいな衝撃が走り、淡く燃えていた自分の体が本来の姿を取り戻した。


「この通り、戻れる。ついでにある程度傷も塞いでおいたぞ。サービスだ」


「おぉ。こりゃ有難てぇこった」


 銃弾に撃ち抜かれた足にもう痛みはない。


俺は礼儀がなっている人間だと自負しているので、体が戻ると同時に目の前に魔法のように現れたツェークに礼を言おうと視線を上げたところで、ある異変に気づく。


「おいガキ」


「ツェークと呼んでくれ征矢(チンピラ)


「……おいツェーク。てめぇの指のそれ、前から付けてたか?」


「ん?あぁ、これか」


 ツェークは自分の右手の人差し指を掲げる。

そこに光るのは、何故だか見覚えのあるダイヤモンドリング。


 ……嫌な汗が背中を伝う。


「大規模な魔術式を使う際は触媒が必要でな。

征矢が一等良い宝石を持っていたので拝借しておいた」


 そして、嫌な予感とは嫌な時に的中するもので。


「……それ、外せるのか?」


「無理だな。試してみるか?」


 ツェークが人差し指を差し出してくる。

なんとか、一縷の望みをかけて指輪を外そうとするが、サイズが不適格な訳でもないのに不思議と外れない。

つまり


「つまり、未来のフィアンセに渡す筈だったダイヤモンドリングが、こんな訳の分からんチンチクリンに?」


「訳の分からんチンチクリン呼ばわりはやめてくれ!

その、少しは心苦しいと思っているのだぞ」


 絶望する俺に、ツェークはこれ見よがしに右手を俺に差し出し、苦笑いと共にこう告げた。


「と、いう訳だから。

……少しの間よろしく頼む。我が主人(マイロード)


 こうして俺の日常は、銀色の不思議存在の手によって呆気なく瓦解したのだった。


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