幕間-エリファ・ルイ・コンスタン
エリファ・ルイ・コンスタンは、フランスのパリで生を受けた。
ガラス細工のように美しく輝く瞳が印象的な赤ん坊だ。
産声を上げず、第一啼泣を行わなかった赤ん坊だった為、当時エリファを担当した医師と助産師は大騒ぎだった。
騒がしい分娩室で頭上のライトを見上げながら、出生三十秒後のエリファは未熟な脳に相応しくない思考をしていた。
『何故、周りの人間はこうも非効率な力の使い方をしているのだろう』と。
○●
世界はアストラルに満ちている。
空気中に、水中に、地上に空に、果ては宇宙に。
この世界は水のようなアストラルに浸されている。
世界精神から流れ出たそれは正しく万能の素であり、これに指向性を与える事こそが世界の理解の第一歩となる。
それなのに……何故だろうか?
火を起こす為に酸素と可燃物を用いる。
発電の為にタービンを回す。
体を効率的に動かす為に筋肉を鍛える。
これでは遠回りで非効率だ。
迂遠な道のりは物事の本質を劣化させる。
遠回りをするのは、創意工夫を行う段階においての知識と経験の蓄積だけで良い。
私はどうやら、魔術師とやらの家系に生まれたらしい。
親の言ってる言葉は分からないが、日常の所作や身振り手振りを見て、そういうものなのだという事を理解した。
だが、その魔術とは所詮、太古の民間療法や哲学を考察・検証し、宗教色を色濃く残して学術的・体系的に落とし込んだ物だ。
超自然的現象を起こそうと躍起なっているカルト集団では無く、一つの思想としての学者の家系。
無論、世界に満ちたアストラルというものに気づきもしない様子だ。
「勿体無い」
五歳になる頃、エリファは街中の喧騒に飲み込まれそうなほど小さく呟いた。
世界にはこれほど大きく自由な力が満ちているのに、何故皆はそれを使おうとしないのか。
「分からない」
相変わらず、周りの人間がなんと言っているかは理解出来ない。
自分に話しかけているのは分かる。
伝わらないから、身振り手振りで自分に伝えようとしているのも理解出来る。
だが、いつまで経っても周りの言葉を理解する事は出来ない。
言葉が分からないものだから、読書も満足に出来ない。
「分からない」
エリファは周りの風景から自分の膝に視線を落とし、図鑑をめくる作業に戻る。
文字は相変わらず何が書いているのか分からなかった。
それなのに、紙の上に見やすく図解された宇宙は、とてもちっぽけな物だなと既視感を覚えた。
○●
十歳になった頃、エリファはそれを実行に移した。
野外授業で飯盒炊爨を行っていた時のことだ。
クラスメイトが火を付けるのに手間取っていたように見えたから、大気に満ちるアストラルを変容させ、消えない炎を作って手渡したのだ。
周りの人間はエリファから逃げ出した。
クラスメイトだけじゃない。教師たちもエリファを化け物を見るような目で見ていた。
なんと言っているかは分からなかったが、彼らが恐怖しているのは分かった。
そうしてエリファは、キャンプをする筈だった山奥に置き去りにされる。
「分からない」
何故そんな事をしたのか意味が分からなかったものだから、空を歩いて家に帰った。
見晴らしが良かったので、帰り道も分かりやすかった。
程なくして、軍隊がエリファを取り囲んだ。
○●
「分からない」
崩れて燃える花の都の風景を眺めながら、誰にも伝わらない言葉でエリファはそう呟いた。
弾丸が、榴弾が、爆弾が、エリファに殺到する。
そのどれも効果をあげる事は無い。
何故そんな非効率的な力の抽出をするのか分からなかった。
「でも、火花の形は様々で綺麗だったな」
つまりはこれが芸術なのだと、十歳のエリファは思い至る。
力の効率化では無く、力の指向性による視覚的芸術の鑑賞。
ここからエリファは、アストラルの形成を効率重視から、より美しい形に整形する事を意識するようになる。
それこそが相互理解の第一歩だと信じて。
……それが全くの見当違いだと教えてくれる人間は、もう煙と炎に包まれたパリには残っていなかった。
○●
十二歳。
エリファは言葉を学んだ。
結局、彼女の意図は周りに伝わらないようだが、アルファベットから織りなされる言葉というものは思いの外簡単な法則で出来ており、学ぶのにそう苦は無かった。
十三歳。
何故か、私の周りに人が集まるようになった。
色々と綺麗なものを持ってくるが、その意味が分からなかった。
十四歳。
ほとんどの人間はアストラルを知覚出来ない事が分かった。
ならば、世界に広めよう。アストラルの知覚を。
私にはそれが可能なのだから。
そうすれば、私の理解者は生まれるだろうか?
十五歳。
何故それを非効率に使うのだろうか?
皆、何故アストラルの力を単一の動きでしか操作しないのか?
違う。そうでは無い。
アストラル界から流れ出した力は、もっともっと柔軟性と創造性に溢れているのだ。
単一の思考に囚われてはいけない。
その度に己が世界を破壊し、作り替え、天上世界より流れ出す力の奔流に身を任せなければならない。
何故、確固たる意思などという凝り固まった思想でアストラルを扱うのか?
「……分からない」
人体に神秘を当て嵌めよ。我々も樹の一部なのだ。
"観念と記号の必然的結合。
原初的性格にもとづく基本的実体の認識。
言葉と、文字と、数字の三位一体。
「アルファベット」の如く単純で、「言」の如く深奥な哲学。
ピタゴラスの定理よりもさらに完璧な、さらに鮮明な定理。
指折り数えて要約できる神学。
幼児の掌にも掴ませる事ができる無限なるもの。"
樹を仰げ。宇宙と人間を包む大絵文字を。
樹を仰げ。我らの五体に当て嵌められた、十の円と二十二の直線を。
単一の精神の物質界から精神世界への投射。
それこそが魔術の本懐なのだから。
「……分からない」
ふと足を止めて後ろを向けば、皆がエリファに傅いている。
彼らがそうしてる意味も、そして、エリファが皆に広めたい考えも、きっと、誰も、理解し合えない。
○●
つまるところ、エリファ・ルイ・コンスタンは最初からは破綻などしていない。
エリファはこの世界に満ちるアストラル、その源流を生まれつき知覚出来ており、世界をアストラルと一絡げにして見ていた。
それが決定的なズレだったのだ。
例えば、林檎がどんなものかと聞かれて、青くて四角い物と捉えているように。
例えば、人がどんな物かと問われれば、不定形な枝分かれした樹と答えるように。
エリファはそもそも、見ている知覚が常人とまるで違う。
同じ物を指差しても、その価値観を共有出来ない。
現象も、言語も、文化も。その全てが。
神の如く万物を見通す視座と、万物を形成するに至る力・アストラルを自在に操る力を持ちながら、生まれながらに人間社会の常識から欠落している。
__否。
習った常識と認識している世界がまるで違うのだから、形成される人格が、地球に存在する人間のそれと同じになる訳が無いのだ。
人類種ですら、国境を跨ぐだけで複雑怪奇に変化する言語と文化を持つ生命体。
ならば、そもそも位相や住む世界そのものが違った少女が、既存の文化を『常識』として学ぶ事は不可能である事は道理。
後付けで人の文化を学んだとて、それは他人の日記帳を読むようなもの。『理解』とは程遠い。
魔術師と呼ばれる彼女が得意とするアストラルの運用……自分の精神世界との強い感応。
それは、自分の感情や芯と呼ばれる本質レベルの堅固な感情でなければ不可能なもの。
我道征矢とツェーク・ヘレムはお互いの思考を混ぜ合わせて、比翼連理に魔術の入り口に到達した。
だが、果たしてこの感情や芯の部分を自由自在に変化させる人間は、果たして同じ人間に括って良いのだろうか?
視点が違った。価値観が違った。生まれる場所を間違えた。
エリファを人として括ろうとした社会が間違っていた。
エリファの精神構造を真に見るのであれば、それは動物や植物に近い。
エリファが話す言葉は意味を持っているようで、その実なんの意味も持たない。
たまたま意味を持つ言葉の形として成立しているだけ。
天上の世界から零れ落ちたら結果として人類に害を齎す天災。それが
魔術災害・エリファ・ルイ・コンスタンである。




