以卵投石③
朱鷺色に体が燃えると同時に、鈍化した時間の終了の合図を拳を持って黒スーツの男に叩き込む。
男は、エリファの真横を砲弾のように吹き飛んでいった。
『馬鹿者』
「悪り」
『この馬鹿者が!少しでもボクの対応が遅れていたら死んでたではないか!』
「だから悪かったって!」
頭の中でガンガンに響く子供特有の甲高い声に、ただただ謝罪するしか無かった。
つっても、理由までは話さないが。
『アストラル体は精神の具現化。
その小径を担う今のボクには、征矢の考えてる事は何となく分かるぞ』
「……」
話さなくてもバレてるのかよチクショウ。
『ボクの自由の時間の為に命を賭ける?
一時間とちょっとの時間だぞ!?その程度で自分の命を賭けるな大馬鹿者!』
「うっせ!うっせうっせうっせ!テメェにはわからないんだよ複雑な男心は!」
『それを言うなら乙女心だろうが!不器用な不良男子高校生なぞ流行りに置いてかれるぞ!』
こいつ、思ったよりサブカルの知識あるよな。
目の前のアイツらに監禁されてたんじゃなかったか?
「黙ってれば何やら独り言を……」
「独り言じゃ……あぁ、周りの奴からは聞こえないのか、これ」
黒服の男がよろめいて立ち上がり、放った言葉に気づく。
改めて考えれば当たり前だ。
ツェークとの会話は耳で聞き取るというより頭に直接響く感覚で、音の指向性なんて存在しないもんだから不思議な感覚に陥る。
『で、征矢。状況は』
「とんでもない精度をした氷の異能者の女と、そいつを倒す一歩手前で割り込んできた雷?の異能者の男」
『氷……?』
ツェークが怪訝な声を上げる。
『……氷……それを好んで使う……女性……』
「おい何ブツブツ言ってんだ!相手も待っちゃくれねぇから一旦会話を切るぞ!』
呑気にお喋りに興じさせてくれるほど黒服の男は甘くないらしい……エリファの方は何故か、やる気を無くしたように突っ立ってるだけだが。
男は両腕を帯電させて、跳ね返ったスーパーボールのように突っ込んでくる。
走力は随分と速い。この武芸の天才たる俺の全力疾走よりも速い時点で、何かしらのカラクリがあるのは確実。
「だけどな、今の俺には遅すぎるんだよ!」
だがそれは、あくまで元の自分の体と比べての話。
その場に燃える残光を残して、俺は黒服に肉薄し……ようとしたが勢い余って追い越してしまい、Uターンして位置を調整。
そんなふざけた軌道を取っても、まだ余裕を持って攻撃行動に移れるほどの膂力が体の奥底から湧き上がる。
「(改めて、随分とじゃじゃ馬な体だなコレは)」
ツェークと一つになったこの燃える体は無敵の肉体だ。
銃弾を受けても効かず、先ほどエリファから受けた傷も今は何とも無い。
だが、体の持つ力があまりにも強すぎる。
元の体の要領で動かそうとすれば、予測到達地点よりもずっと先へ辿り着いてしまい、ジャブをしようとすればちょっとした大砲じみた威力を叩き出す。
「(元の自分の感覚で、全く別の生物の体を動かしてる気分だ)」
例えるなら、ブレーキの効きが悪い車。
馬力は凄まじいが、ハンドリングに慣れがいるモンスターマシン。
「(ちと無理な体勢で曲がったが、元の出力が高すぎるせいで力の伝達なんざ考えなくても良い!)」
一瞬のうちに追い越してしまった黒服を再度捕捉するべくUターンした体の姿勢は相当無理がある。
だが、地を蹴る足の先……舗装された道路が踏み込んだだけで割れる様子を見れば、その無理な姿勢でも人を気絶させるには十分と判断。
「じゃ、脇役はさっさと引っ込んでな!」
「そうはいかない」
崩れた姿勢から、腕を鞭のようにしならせて振り上げる。
何かの攻撃の型と呼称するのも烏滸がましい原始的な腕力のみの暴力は、しかし音を置き去りにする速度を持って敵に迫った。
不完全ながら銃弾にも比肩する速度の一撃。しかし腕が捉えたのは空気の感触のみ。
「なっ……!?」
「いと高き女王と雷霆の眼前にて熠燿を気取るとは…………笑止千万」
眼前から消えた黒服の男を、目だけを動かして探す。
男は俺の側面……腰の辺りの位置で屈んで掌底を繰り出そうとしていた。
だが今の俺には、戦闘における刹那の時間にそれを探し当て、対策を考え、動作に移す為の十分な思考速度と身体能力が備わっている。
「その程度の速度の攻撃、当たらねぇよ!」
無理な姿勢で攻撃を空振った後だ。
いかに強靭無敵な体といえど、人体の可動域まで逸脱する事は出来ない。
俺は即座にバク転の要領で空中に飛び退く判断を取る。
昨日、少しのジャンプで地上4メートル付近まで飛べる事を確認した肉体だ。
緊急回避の手段としては上々だろう。
「____飛電」
空中で俺を待ち受けていたのは、一時の安息では無く傲岸不遜にも重力の理に逆らった者へ下される神罰。
ここは足場の無い空。幾らこの体とはいえ、回避のしようの無い落雷が俺を襲った。
「ガッ……!?」
『征矢!?アストラル体に直接ダメージを……まさか』
雷に直撃して即死しないというのが、この体の頑丈さを物語っている。
だが、血液が沸騰したような痛みに、体がくの字に折り曲がる。
『気をつけろ征矢!奴はアストラルを不完全ながら知覚している!』
「……つまりどういうことだ!」
『奴は直接我々にダメージを蓄積させられる!
あまり攻撃を受けすぎるな!』
「……ッチ、了解!」
地上4mの高さから難なく着地し、改めて敵を見据える。
……いや
「ゲホッ……!」
口から血が漏れ、思わず咽せる。
痛みは無いが……何故か本能的に分かる。
『これはヤバい』と。
『征矢!……っく、事前の戦いで消耗しすぎていたか!』
「問題……ねぇ。まだ体は動く」
『問題無くなど無い!
それに征矢!君が戦っていた女の正体……最悪を超えた最悪の可能性の為、無意識に除外してしまったが……アストラルを知覚できる部下を侍らせているとなると、認めざるをえない』
んだよ。もうバッドニュースの連続なんだ。
これ以上心労は増えないでほしい。
……そう切に願うが、カミサマはどうやら俺にまだ試練を与えたいらしい。
『黒瑪瑙の髪の魔女。革新派の女王。
エリファ・ルイ・コンスタンだな?』
「あぁ。相当強ぇ氷の亜人で……」
『違う!奴は亜人などと小さい器に収まる女では無い!奴は、奴は……!』
既にエリファ本人の口から聞いた情報。
俺の心の機微が分かるのだから、わざわざ踏み込む必要があるのだろうか。
そう思う俺に反して、ツェークの声は昨日今日の中で最も逼迫していて……。
『奴は魔術師の家系の直系!アストラル世界を自身の力のみで観測可能な現代魔術の体現者!
それが……』
黒服の男にいるエリファが、ようやく不機嫌そうな顔を愉快そうな笑みに変える。
鈴が転がるような笑い声を場違いな路地裏に響かせて、俺の脳に直接語りかけるツェークの発言を、相槌を打って聞いている。
『魔術師。エリファ・ルイ・コンスタンだ!』
「まじゅつ……し?」
場違いな、現代異能社会ですら場違いすぎるファンタジーの単語に唖然とする。
なのに、なんだ。この違和感は。
ツェークも、黒服の男も、当のエリファも、それが当たり前であるかのように振る舞っている。
なにか、俺の知ってる世界が、実は虚飾で本当の事を全て隠されていたと知らされているような、違和感。いや、不和感と言った方がいいだろうか。
「元より」
「っ」
背後のエリファが氷の大剣に手を掛ける。
それを見ると、あの破滅的な斬れ味を否応なく想起させられる。
なのに、なんだ?
まるで、今のエリファはその程度で収まってる訳が無いと直感的に理解してしまって。
「亜人・純血。異能力者、無能力者。
そういった区分けが、私には理解し難いのです」
「……だが、実際に俺はツェークがいなきゃなんの力もねぇよ」
「それは、適切な修練の不足と、生まれつきの天賦の差でしかありません」
氷の大剣が消える。そうしてエリファはその足をこちらに進める。
その顔は穏やかで、その語り口調は緩やか。
出来の悪い生徒に、丁寧に言って聞かせるように。
「人は皆、異能力とあなた方が呼称する力を得られます。
それどころか、その程度で収まるように神は人を設計しておられません」
「……無宗派なんでな。アンタの言ってる事は理解できねぇよ」
「ですが、これは純然たる真実」
エリファは何やら指を自身の唇に当て、聞き取れない声で呟く。
「____このように」
轟っ!と。
それまで冷気を纏っていたエリファの周囲が、赤黒い地獄の炎を噴き上げた。
「____ありえねぇ」
「人は理解し難い事実を目の当たりにすると、つい目を背けてしまうものです」
「違う。それだけはありえねぇ!だって……」
「異能力は一人につき一つの能力しか宿らないと周知されているから?」
その通りだ。
今の世界において、一人に二つ以上の異能が発生した事案は確認されていない。
異能者は遺伝子や環境などの規則性無く出世するが、どういった状況でも異能者の能力は一つだけ。
そういう……『常識』の筈だ。
「人は誰しもアストラルに通じる知覚を持っています。
ただ、それの使い方を知らないだけ」
「……なんなんだよ、アストラルって」
ツェークもそれを言っていた。
だが、全く聞き馴染みのない単語と一蹴して、説明を端折らせた。
そのツケが今回ってきたのかと眩暈がする。
「アストラルとは精神的知覚そのもの。
人の思考・想像・経験。そういった脳内領域に感応して発生する超自然現象の元となる物質。その総称」
理解が、出来ない。
この女の言ってる事が何も、理解できない。
「精神的分離を果たし、アストラル投射を行い、アストラル界……幻惑界に辿り着いた物が得られる超知覚。それが今の貴方の燃え盛る姿です」
「……知ら、ねぇよ。そんなの。聞いた事もねぇ。
勝手に知らねぇ場所に辿り着いた事にするんじゃねぇよ。薄気味悪ぃ」
「それは当然。アストラルの精神的分離を行える者は現代にはそう多くありません。
異能者と呼ばれる者たちは、アストラル界と現実界の狭間で、自分の精神における支柱となるべき思考を現実に描き出し、限定的な魔術を使ってるに過ぎないのです」
エリファが指を鳴らす。
すると炎が消え、今度は小規模な積乱雲のようなものが発生し、黒服の男が操っていた物よりも遥かに激しい雷撃がコンクリートの壁を焼いた。
「ですが、異能という小規模な段階では無く、誰でも魔術が使える可能性を持つ少女が現れました」
「……まさか」
「えぇ。そのまさか」
エリファは俺を……正確には俺の頭上の辺りを指を指す。
何も無い。空気と空間があるだけ。
……そのはずの場所に、指を指す。
「ツェーク・ヘレム。彼女の正体不明の力を解体し、全世界全ての人間が無能力者異能力者などと言った低次元のステップを超え、魔術師となる。
これが、我々革新派の最終的な目的です」
荒唐無稽にしか聞こえないその言葉を、しかし確かな確信を持ってエリファは言い放った。




