プロローグ
激しい息継ぎの音。風を切る音。小さな足跡に続いて、複数の足音が続く音。
それだけが、月明かりも届かない夜の暗黒に響いていた。
「はぁっ……、はぁっ……!」
注意深く耳を傾けなければ、夜風に紛れて消えてしまいそうな程にその声はか細い。
「子供一人に時間をかけるな!追え!」
サーチライトのような複数の懐中電灯の光が二十五時の暗幕を切り裂く。
照らし出された本日の舞台の悲劇のプリンセスは、白い襤褸だけを纏った少女。
走る度に広がる銀の長髪が、ライトの背を浴びてロングマントのようにはためく。
妖精のように小柄で可憐な少女はしかし、コンクリートの上を裸足で走り回ったせいか、白雪色の御御足を赤色に染めていた。
「はぁっ……はっ…………ァッ……!は……っ……ァ……ッ!」
息も絶え絶えに、白雪肌の少女は建物の影に身を隠すように角を曲がる。
懐中電灯を向けていた男たちはそれを見てお互いに顔を見合わせると、一度だけ首肯した。
「全く、手間をかける」
先ほどまでは少女一人を複数人の大人が寄ってたかって追いかけ回していたというのに、現在の足取りは随分と緩慢だ。
それはつまり、この追いかけっこは終わりという事を意味していた。
「そこは行き止まりだ。大人しく縄につけ」
先頭の男が、感情の無い警告を告げる。
しかし、その提案に対して返答は無い。
「こう言わないと分からないだろうか。
鬼ごっこは終わりだよ。プリンセス」
夜闇に複数の足音が雨のように響く。
たった一人の少女を追い詰める為に、袋小路へとその音が収束していく。
やがて、曲がり角という頼りないヴェールが暴かれるとそこには……
「いな、い……?
……β、γ、この先に我々の知らない抜け道があるといった報告は」
「はっ。そのような物が無い事は確認済みです。……この通り」
そこに、追っている少女の姿は無く、あるのはただ、何の痕跡も無い行き止まりだけだった。
懐中電灯の光が、床から塀、塀から建物の壁と舐めていくが、何かが擦れた様子すらない。
その様子に追手たちは最初は困惑。その次に焦りへとその表情を変えていく。
「……探せ!
アレを見つけないとあの方にどう顔向けすれば良いか……!」
それまで厳格に仕事に向き合っていた顔が途端に真っ青になり、出来の悪い福笑いのように歪む。
その焦りは次第に周りの人間達にも伝播し、恐怖の波はやがて豪雨のような足音になって、夜の闇に木霊していく。
____懐中電灯の灯りが一層強く、多く、夜の闇を暴いていく。
空は無暁の闇に閉ざされているというのに、地上は昼間よりもずっと明るい。
武道館のチケットを1日で売り切るアーティストの夜間野外ライブでも、こうはならないだろう。
誰も声を発さない。
人が慌ただしく動く音だけが鳴る、静かなる喧騒。
だからこそ、唐突に鳴った着信音は、この場の全ての意識を釘付けにした。
『__もう結構です』
一人が通話を取った瞬間、応答も待たずに通信機器の向こう側から聞こえた第一声はそれだった。
「し、しかし、あの娘は……」
『この夜闇の中、闇雲に探しても見つからないでしょう。
特に、袋のネズミ一匹を慈悲深くも逃してしまった皆様では』
「__ッ」
声の主の言葉に、誰もが唾を飲むしか無かった。
年端もいかない少女一人を撮り逃した。
この失態は、紛れもない事実であるが為。
『今夜は休み、夜明けと共に捜索を再開してください。
彼女は重要な存在です。__吉報を期待しています』
「「「……はっ!」」」
その場にいた全ての人間が敬礼をすると共に通信は切れた。
__この晩、その中に一人として眠った人物はいなかった。




