第4話 スーツ男との対峙
朝が来た。
だがもう、安堵はない。
この世界が“やり直し”を許しているのは、救済ではなく試験だと分かってしまったからだ。
鏡に映る顔は、昨日よりさらに青白かった。
頬はこけ、目の下には深い影。
だが目の奥の光は、かつてないほど強い。
「今日、学校行く?」
妹が食卓で顔を上げる。
俺は首を振った。
「行かない。今日で全部終わらせる」
妹は少し眉をひそめたが、何も聞かなかった。
何かを感じ取ったのかもしれない。
午前中、俺は町の金融機関を片っ端から回った。
通帳をかき集め、残っている貯金をすべて下ろす。
母の形見の腕時計まで質屋に持ち込んだ。
指先が震える。これで足りる保証はない。それでも、やるしかない。
封筒の中身が重い。
その重さが、これから向かう先の恐怖を現実にする。
夕暮れ前、妹と男子高校生を呼び出した。
二人とも顔色が悪い。昨日よりも痩せたように見える。
「今日で終わらせる。お前たちは後ろで見てろ」
少年が拳を握る。
「俺も一緒に行く。あれは俺のせいだ」
その声には迷いがなかった。
俺は頷き、三人で駅裏へ向かう。
赤黒い夕陽が倉庫の壁を染める。
スーツの男は既にそこにいた。
煙草の先が赤い点になり、灰が風に流れる。
「時間ぴったりだな、兄貴」
男の声は低いが、どこか愉快そうだった。
俺は震える手で封筒を差し出す。
「これが全財産だ。足りない分は必ず返す」
男は封筒を受け取り、中身をざっと確かめた。
「悪くねえな。……だが、約束は“完済”だ。これはまだ途中だ」
胸がざわめく。足りないのは分かっていたが、今日で終わると思っていた。
妹が一歩前に出る。
「私も働く。バイトでも何でもするから、これ以上は脅さないで」
男は目を細め、しばらく沈黙した。
「ガキのくせに、言うじゃねえか」
次の瞬間、頭の奥で“鐘”が鳴った。
体がぐらりと揺れ、地面に膝をつく。
視界がぐにゃりと歪む。耳鳴りが爆発する。
「お兄ちゃん!」
妹が駆け寄る。
男は煙草を靴で踏み消し、面白そうに俺を見下ろしていた。
「立てるか?」
歯を食いしばって立ち上がる。
ここで倒れれば、また朝に戻る。次はもう立ち上がれないかもしれない。
「……次で終わらせる。必ず」
男の口元がゆっくりと緩む。
「いい目をしてる。明日、同じ時間に来い。——最後のチャンスだ」
男は背を向け、夕闇に溶けていった。
その夜、布団の中で目を閉じる。
体は重い。息をするたびに胸が軋む。
だが、心は静かだった。
次が最後だ。
次で終わらせる。
遠くで踏切が鳴る。
その音が、決戦のゴングのように聞こえた。