第2話 観察と失敗の一日
同じ朝がまた来た。
枕元の時計が、コチ、コチ、と規則正しく鳴っている。
昨日と同じ光景。昨日と同じ匂い。
しかし、俺の心臓だけは、昨日よりもずっと速く動いていた。
「お兄ちゃん、起きてる?」
妹の声がドア越しに響く。
俺はゆっくり深呼吸してから答えた。
「起きてる。すぐ行く」
洗面所で顔を洗うとき、鏡の奥の自分をまじまじと見つめた。
目の下の影は濃い。だが、目だけは生きている。
今日は守る。絶対に。
台所に降りると、妹がトーストを焼いていた。
白い湯気がふわりと立ち上る。
「学校休むの?」
「今日は休む。体調が悪い」
妹は少し目を丸くしたが、すぐに納得したように頷いた。
「無理しないでね。じゃあ、私行ってくるね」
「待て。今日は一緒にいる」
「え?」
俺の真剣な声に、妹は戸惑った顔をした。
「今日だけは、一緒にいたい」
妹はしばらく黙り、ため息をついた。
「……わかった。でも、宿題しないと怒られるよ?」
「いい」
その日、俺は妹と丸一日家で過ごした。
午前はリビングでテレビを見て、昼は一緒に昼食を作る。
妹は時々スマホを手に取り、何度も画面を見てはため息をつく。
「誰から?」
「友達。……文化祭の準備のこと」
声の調子が硬い。
俺は問い詰めたい気持ちをこらえた。今はまだ時期じゃない。
午後三時ごろ、妹が立ち上がる。
「ちょっと買い物行ってくるね」
「俺も行く」
「え、いいよ一人で」
「一緒に行く」
強めに言うと、妹は肩をすくめて玄関へ向かった。
商店街を歩きながら、妹はスマホを握りしめていた。
画面に通知が来ると、急に足を速める。
「誰だ」
「……ただの友達」
商店街の角を曲がったとき、昨日と同じ男子高校生が立っていた。
制服の襟を少し崩し、ポケットに手を突っ込んでいる。
「来たんだな」
短い言葉。妹が小さく頷く。
「お前は誰だ」
俺が言うと、少年は眉をひそめた。
「兄貴か。ついてこないでくれよ」
「何をしようとしてる」
「関係ない」
その瞬間、胸ぐらを掴みかけたが、妹が慌てて間に入った。
「やめて! お兄ちゃん、帰ろ?」
妹の目は怯えていた。
俺は深く息を吸い、手を離した。
「……帰るぞ」
帰宅後、妹は部屋に閉じこもった。
俺はドアの前に座り込み、耳を澄ます。
かすかにスマホの通知音が聞こえる。
夕方五時。嫌な予感がした。
ドアを叩く。
「どこ行くつもりだ」
返事はない。
ドアを開けると、部屋はもぬけの殻。窓が開いている。
「しまった!」
駅まで全力で走る。
しかし、間に合わなかった。
人だかり。
ホームの端に倒れる妹。
ブレーキ音。サイレン。誰かの叫び声。
膝が崩れる。
視界が揺れ、頭の奥で鐘が鳴る。
——そして、また朝。
息を荒げながらベッドから飛び起きる。
鏡に映る自分は、昨日よりやつれていた。
だが、目の奥には強い光が宿っている。
「次は……絶対に止める」
そう呟き、ドアノブに手をかけた。